風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

風の流儀

2007年07月12日 21時56分55秒 | エッセイ、随筆、小説




嚥下障害とは、物を飲み込みにくい状態を言うらしい。

私は生まれて初めて目にする漢字を辞書で調べても手間取るばかりなので、

なんて読むの?って神様に聞いた。

すると、神様は「えんげしょうがい」と教えてくれた。

へぇ~、と思った。

日本語はやっぱり深いなぁと感心した。

その響きに初恋をしたときのような感動を覚えていると、

神様は、とりあえず主治医に電話をして、

点滴をしたあと安静を保つためにも一晩入院させてもらいなさい、と言った。

私は神様の言うとおり、主治医へ電話をかけた。

もちろん、外来中なので、症状と今から向かいます、と

メモ書きにして渡して欲しい旨を電話口の女性へ伝え、

軽度の入院準備をしてタクシーを拾った。

浅草のほうずき市の帰り、小柳で鰻を食べたのは月曜日の夜。

鰻を食べたとはいっても、ご飯が喉を通らないので、

鰻重なのに、鰻だけを食べて、確かにご飯のほとんどは残していた。

その後、老舗JAZZBARでカシューナッツを3粒つまみ、

小さなフルーツの盛り合わせを食べた。

それ以後、銀座のうおがし茶屋の水出し茶以外、

口にしていないことをすっかり忘れていた。

というよりも、おなかが空かないので、そのままにしていた。

私が焦ったのは、何気なく冗談のつもりでのった体重計が

表示する重さの現状だった。

3日で5kg減。

過度なダイエット狂者じゃあるまいし、

これは喜んでいられる類ではないと察知し、病院へ向かった。




私が神様から拝借した裏技によって、

(本来の裏技を意味していませんので誤解のないようにお願いします)

急患として対処してくれた。

確かに、2週間前に経過観察したときより

だいぶお痩せになって、というので、

健康なときなら大喜びなんですが・・・・・と

無理につくる私の笑顔を見破ったのか、主治医は笑顔を返さなかった。


看護婦さんの肩を借りて、ふらふらと歩き、処置室へ。

私にとって点滴は速度によって心臓への負担大なので、

2時間弱、その後、安静1時間にて、タクシーを呼んでもらい帰宅した。



一瞬止んだ雨音、西側の窓をあけ、部屋の空気を入れ替えていたとき、

部屋の壁に激突し、体力の低下を実感した。



人間は食べなければ・・・・・・

人間は歩かなくては・・・・・・



私が実感しているひとつにはやはり体力と快方の相関があり、

食事の内容と睡眠の質によって、よくも悪くも体調を左右する。

もっと、突き詰めていけば、

それが、快方の差になってしまう。


部屋の空気を入れ替えていたとき、神様からお告げが届いた。

そこには私が生まれてはじめて目にする嚥下障害という文字配列だった。

心地よい風が頬を撫でたとき、神様の流儀で私はまた救われた。



神様、ありがとう。




 


風からの加護

2007年07月12日 14時10分31秒 | エッセイ、随筆、小説


 

今年、イギリスのマンチェスターにある大学で、

教授たちとイギリスの美大生と東京友禅染師のコラボレーションが行われた。

私は東京友禅染師のマネージャーとして参加するはずだった。

けれど、やっぱり体調を理由に、断念せざるを得なかった。


ジャパンファンデーションに提出する書類は私がすべて作成して、

審査にも合格し、私もそこに一応参加した形跡だけは残した。

60歳なる染師を説得するのに3年を要し、

私がその役割をどういうわけか担い、

私の父が職人であることをいいことに、事あるごとに、

お前の親父が気の毒だ、こんな娘を持つと、ろくなことはない、と

何度追い返されてきたのだろう。

友人だからって、言ってもいいことと悪いことがある。

やっていいことと悪いこと。

私にだって繊細さはある。感情はある。機嫌だってある。


私がへそを曲げ、わからずや、だの、そろそろ大人になれ、だの、

子供の喧嘩のように、お前の母ちゃんは出へそだ、と

行くところまで行った。

交通事故受傷の後でも、私はその喧嘩に付き合った。

それは私の夢でもあり、彼の希求する集大成でもあり、

日本とイギリスを結ぶ架け橋になる。芸術という、伝統という。


結局、東京友禅染師はマンチェスターへ行った。

異国の地で、日本の着物や染めや伝統について、

ワークショップを開催した。大成功だった。


彼の恐怖は痛いほど感受していたので、それでも言葉を選びながら

喧嘩したつもりだった。

何かを生み出す人種は、何かに長けた人種は、

樹齢千年を越す大木のように強く、しぶとく、 

同時にガラスの心を持っている。  
  


どんな強風に吹かれても折れない竹がある。

微風でも、折れるものは折れる。

折れない竹には竹なりの役割があるからだ。

お前さんはどっちか知らんが、どっちを選び、どっちを目指すのか、

まぁ、じっくりと考える時間をもらったということだ。

大事にしろ。



帰国した旨を知らせる便りには、

私など足元にも及ばない言葉が込められていた。

越えようとは思わない。

その場所にいつかは近づきたいと思う。

近づける自分でありたいと希う・・・・・





風の似合う人

2007年07月12日 09時31分53秒 | エッセイ、随筆、小説

 

いらんこと書かんでええ。

迷惑や。

ちょっとぐらい具合悪い方がええんちゃう?

ほんまそう思うわ。

ご両親も、みんなも、きっと、そう思ってると思うで。

すこし、弱っているときしか、安心して相手できへんから。

自分の強烈さにそろそろ・・・・・

怖くてその先、言えへんわ。

舞台から飛び降りるって程度じゃ言えへんから。



私が生まれ育った下町にも、江戸の粋言葉が今も伝承されている。

父はもともと江戸の人ではなかったが、

生まれ育った信州よりも江戸での生活が長いせいか

伝統工芸に携わる職人気質のせいか、

今ではすっかりと江戸に溶け込んでいる。

江戸の、下町の住人の振る舞いも手馴れたものだ。

それは頑固さを例にあげるとわかりやすく、歩いていける距離、

実際に父の行動範囲を調べてみると、500歩圏内が父のテリトリーで

それ以上の場所へは、年に2度、いや、1度行くかどうかだ。

誘うと怒る。梃子でも動かない。石みたいだ。

だから、子供のままで時間がとまっている父をその気にさせるには技がいる。

でも、方法はある。



父は、赤提灯で、その片隅で、詞を書くことが大好きで、

それを飲み屋で披露して、自宅でも、私だけにどう?と持ってくる。

素敵ね、とその詞について感想を伝えると、父は優しくなる。

多忙を理由に机の上にそのまましていたことが以前あって、

いつの間にかその紙切れは見当たらなくなり、

家族の中で父だけが寂しそうにしていたことがあった。

その姿を二度と目に焼き付けたくないこともあり、

素敵ね、と伝える。

けれど、作品を書いているの?などという話題には怖くて触れない。

絶対に触ってはいけない神様の領域と同じだ。



方言に私が強い憧れを抱くのは、

その振動や、音色から、その土地や、その人の生きてきた様が

見えるような錯覚を楽しむためだろう。


その土地にはどのような風が吹き、

それは激しいのだろうか?とか

厳しいのだろうか?とか

優しいのだろうか?とか

加減を知ることで、

その人の内側に吹く風に私が吹かれたいと思うからだろう。




余計なことを書くな。

迷惑だ。

ちょっとぐらい具合悪い方がいい。

友達も、きっと、同じように思ってるだろうから

みんなの代表答弁だと思ってよく聞け。

すこし、弱っているときしか、安心して相手できないから、

汗でもかいて、風邪でもひいて、

好きなことだけをして生きろ。

風邪ならそのうち治るだろう。

けれど、一生風邪をひいたまま、すこし弱っているくらいがちょうどいい。

よく肝に銘じろ。



父の髪がなびくには薄くてほんのすこし揺れる程度だ。

その人は露草色の高原でペダルに全身の力を込めながら、

風に吹かれながら、あかんわ・・・・・・と

体力の衰えと私の復活に焦っているのだろう。