風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

こころ風

2007年07月16日 22時14分02秒 | エッセイ、随筆、小説




ラグジュアリーホテルといわれるコンシェルジュへ

ある別件の連絡を入れた。

その際、意識よりもこころが先に前を歩いて、

気付くとすでにそれは送信済ボックスに収まっていた。



勢いとはなんだ?

身の程知らずとは?

だめでもともと・・・・・・



錯綜する感情をひとり遊びさせたまま、

私はその可能性の有無を知りたかったのだと思う。



短期ですが米国留学を無事終了することは、

ライセンス取得を意味します。

もしそれを成し遂げたとき、ご提案申し上げたいことが・・・・・



長期戦の病気を抱えていると、

当たり前のことが、幸せとしてその上位を動かない。

特別な場所や出来事など関心事ではなく、

お金やステータスや他の何ものにも心は容易に動かなくなる。



唯一の例外として、

この空間の感動を私は受ける側ではなく与える側に。

そのイメージが浮かんだため、送信ボタンを無意識に押した。

返信はまだこない。

けれど、それが、私へ作用することを予感する。

書く、生きる、それぞれの世界へ・・・・・・



Sailing , Feeling , Blooming

2007年07月16日 18時41分27秒 | エッセイ、随筆、小説


 

午前0時30分 

夢の島マリーナ出航

目的地 大島経由三宅島

ただし、気象海象により随時変更




生まれて初めての経験、すべてがその連続だ。

生きる、という基本的な行為のすべてを試されている、その連続でもある。



夜の海、東京湾から眺める東京の夜景が美しい。

ハーネスを装着してもらい船上の、いつもの場所に身を落ち着かせると、

エンジンの音と波音が心地よいユニゾンを奏でる。

本船が闇の中から浮かび上がり、その存在感を、その大きさを

私たちに
見せ付けてくるようでもある。

夜の海は、経験40年を越えるベテランでも恐怖だという。

男たちの指示の声が飛び交う。

海へ落ちたら、自力で這い上がれ。

お前を探すことで他の命の犠牲を考えると、

犠牲は1名にとどめる。

それが海との付き合いだ。

忘れるな、いいな?



台風あけの今日、この天気はまさにヨット日和そのものだ。

私は体調の山を越えた旨だけを知らせたくて、

キャプテンへ連絡を入れた。

「ヨット日和の中、お邪魔申し上げます」と言って名前を名乗る。

「生きていたかぁー」とキャプテン。

「皆様からのお香典で娘の学費の足しにと思っていましたが

しぶとく、生き抜いています」と私。

「そっかそっか、安心したよ。

ヨットクルーとしての復帰なんか気にしなくていいから、

体調のいいときは、ヨットの風にたまには吹かれるといいよ。

いつでも来ていいんだからな。いじられることは覚悟でな」

オーナーの懐かしい声が受話器の向こう側で風音と交差して聞こえる。


先日行われた某海外でのレースで、このクラブは優勝を果たした。

私はそれを写真付のメール連絡で自宅ベッドから応援していた。

とんでもないチームの門を叩いてしまったものだ、と

自分の身の程知らずぶりを内省しながらも、

新人として採用されたのは私だけだった。


オーナーは言う。

不測の事態に陥ったとき、こいつなら生き残れる、

そういうやつしか俺のヨットには乗せない、と。


ビールでも差し入れしに行こう。

海の男たちは気は荒いし口は悪い。

けれど、いい男揃いで、あったかくて、人間を見捨てたりしない。

だからいつまでも海と風を愛しているんだ、と私は思う。




 


神風吹く「弱き者の生き方」⑥

2007年07月16日 13時55分04秒 | エッセイ、随筆、小説


 

生きて帰れ 露の命と 言ひながら 

正岡子規 作



この時代には、戦場で活躍したいと願望する男たちが多かった。

でも、従軍のために朝鮮半島にむかう人たちを目の前で見送ると、

やはり無事な生還を願う気持ちのほかに何もなかった。

露は秋の季語だが、この句に季節感はない。



この時代「くじ逃れ」にご利益のある神社仏閣が人気だったそうだ。

どのようなことかといえば、くじ=徴兵であり、

赤紙が投函されないための祈りだといえる。



あえて戦争を語る。

風化ではなく、風化という言葉すら現代には見当たらない。

戦地へ行った人も、残された人も、引き上げた人も、

軍人も庶民もみんなが大変な時代だった。

それが戦争というものだ。

人間の錯乱状態をみることを戦争という。

人間の狂気、人間の発狂、人間の狂風、人間の狂瀾、人間そのものを。



韓国には「恨の息」という言葉がある。

「はんのいき」と読む。

日本では「こん」と読む。

その意味は日本と韓国では相違する。



つまり、すべての人、数千年の歴史の中で、

恨を抱え生まれ、生き、死んでいく。

この言葉には、生きる覚悟のようなものが込められている。


何をやっても無駄なときがある。

じっと耐えるしかないときがある。

背中を丸め、肩を落とし、ため息が口元を吐いて出て行く。

そんなとき、一瞬、恨の重さを軽く感じるときがある。



生きていてよかったと思えるまで生きることだ。

何があっても、生き抜くことだ。

それが生きる生業だとするなら・・・・・



弱き者として生きてきた五木寛之氏・大塚初重氏の言葉の重みは、

人をおさえしずめる威力ではなく、

重々しさでもなく、

気という風の作用からか、

気質や根性や男気を感受する時間との戯れとなった。



目を見れば人間がわかる。

その人間が読める。

この話を聞き逃すまい、という姿勢が私へあいの風を届ける。



講演が終わった後、

九段下をあてもなく歩き、低く垂れ込めた雲は姿を消していた。

新宿方面を見上げると、茜色に薄雲を染め上げていた空は、

過去から、そして未来へと続き、

虚空も世界へとつながっている。

物事を包容する。








神風吹く「弱き者の生き方」⑤

2007年07月16日 09時44分15秒 | エッセイ、随筆、小説





昭和19年10月1日の夜、

水兵服に着替えてご飯を食べていたら「東京出身者はいるかー」と。

「はい」と一歩前へ出た東京出身者は整列させられた。



「この中で、銀座のネオンをみたことがある奴はいるか?」

この野郎といって殴られる。

「この中で、虎屋の羊羹を食べたことのある奴はいるか?」

また殴られる。

天皇陛下に尽くすために入隊した軍隊で、初日に二度も殴られる。

床に叩きつけられる。

それも、軍隊とも戦争とも陛下とも無関係な、身勝手な理由で。

人は苦境に立たされたときほど真価が問われると思いましたね。



当時、はやく戦争に行かせるために商業実業学校の卒業式は12月でした。

大学へ進学するなど国賊扱いでした。

僕の18歳は、青春は戦争一色でした。


昭和20年3月10日の大空襲では、

大八車をひいて黒焦になった死体を集める作業を深川あたりでしていました。

その後、上海への命令が下り、同年3月27日、

東京駅で疎開する人々、一般人に軍人が文句をつけられて

汽車から引きずり出される。異常でした。

同年4月14日あたり、乗船していたじゅざん丸にアメリカ側の魚雷が命中し

船内に積んだ爆弾がすべて破裂した。

船内は当然のごとく火の海となった。

甲板まで4m、階段がやられているのであがれない。

辛うじて燃えていない一本のロープに飛びついた。

自分の足元に他の兵隊が飛びついてくる。

ここで落ちたら火の海へ落ちる。

それは死を意味する。

脚でその兵隊を蹴落とす。

蹴落とした人間は死ぬ。

僕は、人を殺したことになりますね。


それから常々言われていたことは、

海に落ちたら何かにつかまって浮かんどれ。

決して泳いだらあかん・・・・・・ということでした。

泳いで岸へ向かおうとしたら生きていることを証明するようなもので狙われる。

いや、銃撃されて確実に殺されるでしょう。

沈没した後、小さな桶のようなものに男10人が摑まり浮き輪かわりにする。
 


すると、兵隊がやってきて言うのです。

「上官~、よろしいですか~?」と。

「あっちへ行けー」と上官が言う。

「わかりました~」と言って兵隊は他へ泳いで桶には摑まれない。

そして、見えなくなる。波間にもどこにもみえなくなる。



韓国・済州島の漁村が僕たちを救いあげて助けてくれた。

あいごーあいごーと背中をさすり、

きびのおかゆを口元まで運んでくれる。

韓国の、あの長いスプーンで。


僕は毎年、4月15日と8月15日になると、

自分が兵隊を蹴落として生き抜いてきたことを、

死んでいった者を想うのです。

偲ぶのです・・・・・・ ― 大塚




※これは講演会での内容であり、
 出版している書籍内容と相違する箇所がある場合、書籍優先願います。




神風吹く「弱き者の生き方」④

2007年07月16日 01時28分15秒 | エッセイ、随筆、小説





「弱き者の生き方」




脚にしがみついてくる戦友を、

私は両脚で燃え盛る船底に蹴り落としたんです。

船底からは、海軍の下官士がもっているピーピーという笛の音が聞こえてくる。

助けてくれという笛の音が ― 大塚




ソ連兵に「女を出せ」と言われると、

嫌がろうがなんであろうが、トラックからだれか女性を押し出すようにして出すしかない。

その女性を人身御供にして、

われわれは三十八度線を越えたのです ― 五木


「弱き者の生き方」(毎日新聞社)より引用





続く・・・・・


 


神風吹く「弱き者の生き方」③

2007年07月16日 00時50分10秒 | エッセイ、随筆、小説

 



「弱き者の生き方」




21世紀の医療は「養生」がテーマだと思う。

健康でないと辛い。

臓器を取り替える、買いに行く、どこもかしこも切る、加えるなどではなく、

人それぞれの養生法がある。

その「養生道楽」を発見する。

健康を維持する。

病気の現状維持を保つ。

自分の体の癖を知る。



健康な体には健康な魂が宿るというけれど、

本当はそうではなく、養生の心に魂が養われると言った方が正解だ。

病気を抱えた人たちが健康な魂を持っていないかといえばそうではなく、

健康な人でも、魂が疲れていたり、悲鳴をあげているときだって当然ある。

だから、養生の心を持つことが大切であり、21世紀の医療の希望だといえる。



ちなみに「養生」を調べてみると以下のとおり(広辞苑)


①生命を養うこと。
 
 健康の増進をはかること。

 衛生を守ること。摂生。

 方丈記「つねにありき、つねに働くは、養生なるべし」


②病気・病後の手当てをすること。

 保養。

 太閤書簡(天正14年)「よくよく御養生候べく候」「養生につとめる」


③土木・建築用語で、広くは工事箇所の防護をすること。



体に爆弾を抱えているからといって、

しおしおとしているわけにはいかない。

勉強もしたい、探求したい、美味しいものも食べたい。


ある年齢に達したら、

世の中に育ててもらった恩返しをするためだけに生きる。

感謝して生きる。

暗愁の中で生きる。



続く・・・




※記述説明


『方丈記』といえば、

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまるためしなし。


泡沫(うたかた)とは、

水に浮かぶ泡、はかなさく消えやすいものをたとえることが多い。


しおしおとは、

涙などに濡れてぐったりするさま。

源氏物語(行幸)「飽かず悲しくてとどめがたくしおしおと泣き給ふ」