風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

神風吹く「弱き者の生き方」②

2007年07月15日 20時29分22秒 | エッセイ、随筆、小説



「弱き者の生き方」


※文中に使用している言葉は「私」のものというよりも、

 五木寛之氏・大塚初重氏の引用であることをお断り申し上げます。





暗愁・・・・・・


平安時代、物書きや文化人が好んで使った言葉で、

明治維新から大正中期まで使い、日本人はこの言語を理解し好んで使用した。

今でいうあたかも流行語のように。

この暗愁は昭和20年7月、永井荷風が日記に記して以来、

以後今日まで使用する者はいない。死語に等しい。


光が濃いということは、同時に影も濃いことを意味する。

戦後、日本または日本人は、のぼるだけの文明、後ろ向きではなく、

ポジティブや明るさばかりがよしとされている風潮において、

暗愁が姿を消した。



これといった意味もなく、

これといった理由もなく、

すぅ~っとそこへ、落ちてしまう瞬間を感じる、陥るときがある。

そして、その状態がしばらく、

ときにはある程度の長い時間としてつきあわなければならない時期がある。



日本人が泣くというモチーフ、

つまり昭和17年ごろまでは、日本国民は本来よく泣く国民であった。

泣くということで言葉では表現できない感情を吐露する。

戦後、そうしたことが蔑まれ、嫌われ、軽くみられてきたのではないか。

泣くことは忘れてはならない。

暗愁とは、人間の根源的な感情であるからだ。


気持ちが萎える、屈することは

人間が生きていく上で実はとても重要な行為であり、

それが現代では、抹消し、毛嫌い、人間そのものを否定するようだ。


それは雪吊りそのものを意味し、

雪折れを防ぐために、庭木などの枝を支柱から縄で吊り上げることを意味する。

どんなに太く強くまっすぐな枝であればあるほど、

その雪吊りは必要とされる。

逆にしなる木には雪吊りは必要とはしない。

その理由は、自分でしなる木は加重をそのしなりで雪を吹き飛ばすことが

自らの力でできるからだ。


人間も同じではないだろうか?

自殺者が3万人を超える異常事態の中において、

死を選択する者は、本当に弱いのだろうか?という疑問。

想像に過ぎないが、おそらくそれは想像を裏切るものだと推測される。



続く・・・・・



神風吹く「弱き者の生き方」①

2007年07月15日 20時05分27秒 | エッセイ、随筆、小説





はじめに・・・


「神風」との呼称をあえて使用したのは、

私にとって、つまり、太平洋戦争を意味するものであり、

あの時代を旋風した狂気を表現する以外、他に言葉がみつからないためです。

ご遺族の皆様、また、この表現によって不快に思われる方々には

深くお詫び申し上げると共に、

私は決して「神風」を美化する者でないことをどうかご理解ください。

二度と、戦争という悲劇を、祖父母が体験した青春を、

日本にも、他国においても、人々の平穏な時間を取り上げる権利など、

誰にもないことを、それは国家にも、権力者にもないことを祈りと共に・・・



そして、私事で恐縮ですが、

随分と年上の友人がこの神風として戦地へ飛び出そうした朝、

飛行機にトラブルが生じたことにより、待機命令となりました。

が、その間も、戦友たちは振られる国旗に敬礼をしながら、

青い空へ飛び立ち、二度と戻ってはこなかったそうです。


そして、それは昭和20年8月15日の午前中のことであり、

彼は神風として命を散らすに済んだことを、

散らした戦友たちに申し訳ないと言って、

何度も私の目前で涙していたことを、ここに告白します。





2007年7月15日(日)九段会館(旧軍人会館)

午後2時より



「弱き者の生き方

日本人再生の希望を掘る

~五木寛之・大塚初重対談集 発刊記念講演会~

【第一部】大塚初重 講演

     「人間は苦境に陥ったときこそ真価が問われる」

【第二部】五木寛之 講演

     「強い生き方弱い生き方」

【第三部】 トークセッション

     「弱き者の生き方」

主催:毎日新聞社


 

今後の予定


【京都会場】7月21日(土)午後14時

      KBSホール(京都市上京区烏丸上長者町)

【福岡会場】8月4日(土)午後14時

      都久志会館(福岡市中央区天神4-8-10)

 

 


指紋は風

2007年07月15日 11時21分46秒 | エッセイ、随筆、小説





ナバホ・インディアンの神話に、

指紋は風だという考えがあります。


頭のつむじも風。

人間というのは風の容れ物であって、

風が吹いてくることによって命が吹き込まれる。

しかし非常に楽しいのは、手足に指紋があって、うずまきがあることによって

人間は空にもつながることができるし、

地面にもつながることができる。

これがなかったら両方ともつるつる滑ってしまって、

つながることなんかできないし、

立つことすらできない・・・・・



これは「ホノルル・ブラジル」という菅啓次郎さんの本にある言葉だそうです。

だそうです、という表現を使うのは、

私はその本の存在を知り注文したばかりなので、

実際にはまだ手にとっていないこと、読んでいないことから、

私にはそこから何かを感情に置き換えることができません。



それはある方からのお便りに綴られていたもので、

私はそれを手に取った瞬間、この人以外にはいない、とやっぱり思いました。

私が目標に掲げてしまったものの高さや深さや奥行きを知り、

身の程知らずの自分にため息を覚えながらも、

この人を呼応させられない文章なら、

書くことへの路線を、方向性を、

潔く身を引く決断をしても後悔しないという確信した瞬間でもありました。




祖母は長野の山奥の出身でしたので、方言がきつい。

けれど、言葉が乱れると、その人間も乱れる。

だから、言葉の扱いは気をつけなさい、と

ふたりでとぼとぼと歩き祖父の山へまむし取りにでかける際、

そうめんを茹でる台所で、

清流にすいかを冷やしておくときどきに、

言葉の取り扱いについて話を聞きた覚えが私にはあります。

縁側に座り、高い澄み切った空を眺めながら、

言葉には人を善くも悪くも動かす作用が溶かされているから、とも言いました。

きっとそれらは戦争を体験し、夫を戦地に送り出し、

蓄音機から流れる言葉を、祖母なりに様々な感情を押し殺して

きっと聞いていたためでしょう。


祖母は去年亡くなりました。

祖父はもう18年前に他界しました。

けれど、ふたりが手塩にかけた庭のバラたちは

今でも花を咲かせ、

その香りから私たちに問いかけてくるような気がするのです。



空にもつながっているし、地面にもつながっている。

生きているもの同士、生きているものと旅立ったもの、

おまえは風に救われたんだよ、と。

人生も、命も、ほかのすべてをそのうずまきによって・・・・・・



おっちゃんの風

2007年07月15日 02時14分55秒 | エッセイ、随筆、小説


 

おっちゃんはねぇ、

おねえさんの言うことならなんでも聞くよ!!



自分をおっちゃんと言い、私もおっちゃんとその人を呼ぶ。

個人タクシーではないのに、おねえさんなら教えよう!と言って、

個人の携帯番号を教えていただく。

ここ数ヶ月の間に素敵な運転手の方々と出会い、

病院へ行く際などの利用時は、その方々へまず連絡を入れる。

ほぼ専属状態で、無理を聞いてくれる。

安全運転に徹してくれる。

だから、そのおっちゃんとの語らいが私には子守唄のように心に染み渡る。

特に好きなのは6年前に亡くしたおっちゃんの粋な奥さんとの馴れ初めや

人生の話が大好きだ。

出汁を入れない味噌だけの味噌汁の話や具がふだけで、

相手を傷つけると思いずっと言えずにいたら、ふが嫌いになった話など、

おかしくて、やさしくて、あったかくて、なけてくるのだ。



この人は、人間を、その本質を見てきた数が違う。

はじめに出会ったとき、おっちゃんは言った。

「誰かの見舞いかい?」と。

「自分ですよ・・・」と私は答えた。

「悪いことを聞いちゃったもんだ、おっちゃん謝るよ」というので、

「おっちゃんに話を聞いてもらおうかな!」とルームミラー越しに交わしたのが

そもそも私たちの馴れ初めだ。

「お世辞じゃなくてね、何かがおねえさんは違うんだよ、

だから、病気も治るし、何か、人のできないことをやるんじゃないか?

成し遂げるんじゃないかなっておっちゃんは思うんだけどな・・・」

「おっちゃんにそういわれると、自信がつきます。

人間のみてきた数の違うおっちゃんの話には説得力があるから」と言った。

「じゃあ、夢が叶ったら、目的が達成できたら、

おっちゃんのおごりで美味しいものを食べに行こう!!」

「夢貯金しておくよ、おねえさんのために・・・」

だから諦めるな、と言う。

自分の腑に落ちるまで、とことん煮出して、煮詰めて、煮合いすることだ。

おっちゃんのいうことは、私の血になっていく。

見ず知らずの私に、おっっちゃんは娘のように、父以上に世話を焼いてくれる。

人に生かされていることを知らされる。

人に支えられていることを、

人の宝を、人の情を、人の情けを、

人を思うという教科書には載っていない大切な人との礼儀。



今日も私はおっちゃんに電話をした。

ほっとする。


「病院へ行く前にチョコレート屋に寄って欲しいの・・・大丈夫?」

おっちゃんは言う。

「おねえさんの注文はおっちゃんは断らないから心配するな」と。

病院への手土産とおっちゃんの分のゴディバを買った。

おっちゃんの分だとは、この時点ではまだ知らない。

ここは右だったね、ここは左だったね、と言って確認してくれる。

道順も、今日の気分でも、渋滞の抜け道でも、なんでも言うんだぞ。

寒いか? 暑いか? 大丈夫か?
 
そうしたことが体調の良し悪しにはひびくから、正直にな。

ルームミラー越しにニコニコと笑うおっちゃんの顔の半分だけが映る。



たくさんの荷物をおっちゃんはいつも病院内まで運んでくれる。

「おっちゃん、偉くなるまではこれでごめんね」と言って、

提示される料金より1000円多めに支払い、チョコレートを渡した。

おっちゃんの頬は桃色に染まった。


「奥さんに怒られない程度にお供えしてからね!!」と私は言った。

「おっちゃんの好物を知っているとは、江戸の女だね~」と言うのは、

おっちゃんたちの時代、映画に出演するのは東京のおなごと決まっていて、

それを楽しみに北海道で生まれ育って、

あの広大な土地を走り回っていたという。


このおっっちゃんをみていると、接していると、

歳を重ねる意味が理解できるような気にさせられる。

おっちゃんは65歳だ。

けれど、まだまだ青春真最中で、奥さんとの思い出と共に

幸せに生きているのだと言う。


掃除ができなくても、料理が多少下手でも、

ほっとするおなごがいいんだよ。

だから、そういったことを大切にする男となら幸せになれる。

多少みたくれが悪くても、稼ぎが悪くても、

大切なものが何かを理解していないやつには、

たったひとりの女でも幸せにはできない。

そうおっちゃんは思うんだがね・・・・・・


北海道の風に吹かれると、おっちゃんになれる。

私はおっちゃんの生まれ育った北海道の風に吹かれ、

バイクで一人旅をした。

あの風は、東京の風とは違う。

おっちゃんとの出会いから、

その人の育った背景や土地に関心を寄せる一歩になるのだと思った。

江戸の人は旅の恥の掻き捨てはできないだろう?

それが江戸っこの粋でいなせなところだと思うよ。

おっちゃんは言う。