風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

ホノルル、ブラジル

2007年07月19日 10時00分42秒 | エッセイ、随筆、小説


 

青の章を生きる今世の私にとって、

ブルーという色彩にも音色にも特別な思いが込められている。

人は深く広大な海やどこまでも高く雄大な空を眺めると癒されるのに、

「ブルー」という状態は、なぜかいいものを指さない、と。



青には特別な意味が込められているのだろうか?

それを言うのであれば、まずは私には緋色が浮かぶ。

生または死を意味する色彩が緋色であり、

生をつかさどる血液も、緋色をしているからだ。

それなのに青は冷静や沈着よりもまず先に、

未熟さや若さの意を表す言葉として根付いてしまっている。

なぜだろう?

清々しい気分にさせてくれる海や空に、

私はこのままでは申し訳が立たない。



そういえば、中学生の時分だっただろうか

「ブルーデー」と言えば月経日を意味し嫌った。

なぜ、ブルーや青にはそういった意味が込められてしまったのだろうか?

それは植物の生育と関係するのだろうか?

果樹園を営んでいる伯母に早速電話をかけると、

今は忙しいから後にして、とあっさり。

私の疑問に対する答えは、誰がいつ、運んでくれるというのか。



存在しないものは目に見えない、といっていいと思うがどうだろう。

目に見えないものには、存在しないもの、

存在するけれども隔てられているもの、

存在し特に隔てられてもないけれど、

自分の通常の視力では捉えられないもの、

があるといっていいと思うがどうだろう。


僕は存在しないものに脅かされたくないが、

目に見えないものに脅かされた経験のない人もいないと思う。

それは心がけや心持ちでどうにかできることではなかった。


途中、引用したのは

「菅啓次郎 著書『ホノルル、ブラジル』
(出版社 インスクリプト)


私はどんな色?と聞かれたとき、

青と答えよう。

それが、すべての答えだ。

魂に宿った色彩は、

生の時期に作用することを決して言語には変換せず、

遠い日の記憶を、潮風に吹かれながら瞼の奥に偲ばせよう。

それが私による、私がつくる「青の章」であるなら。



 


アトランタ・ビーチツリーストリート

2007年07月19日 01時21分00秒 | エッセイ、随筆、小説





アメリカで癒されたのは、

たくさんの人に抱きしめてもらったから。

そして、私が好んでアメリカへ通ったのは、

両親や思い出から逃避するためだったのではないか、

ときどきそんなことが脳裏を過ぎる。



久しぶりにアトランタに住む友人へ連絡を入れた。

彼はキーボードプレーヤーで、多くのアーティストの楽曲を手がけている。

長年の友人であり、私は彼の優しさに本当に救われたと感謝している。

愛情について徹夜で語ったこと、

彼の私見は私を私のまま受け入れることで、

私は私という人格を取り戻していったところがある。

彼の友人たちもみな、私を私のまま受け容れる人たちだった。



日本人であるアイデンティティについて、

私が真剣に考えたのは、この地、アトランタだった。

また、彼ら黒人である者が南部で生活をする現実など、

宗教や人種についても表面的な質問ではなく、

底のない奥まった遠慮の欠片のない疑問を、常に思い立ったときにぶつけた。



南北戦争の名残なのか、南部には米国の国旗と同様に風に舞う旗が目に入る。

それはドクロなのか人骨なのか、それが交差する独自のデザインのため、

南部地域以外では一度も見たことがなかった。

だからか私は世慣れしていない寝待できない子供のように、

読み聞かせる読書を待ちわびる少女のように、

質問は右手人先指先へ。


「あれってなに?」


その質問から黒人の歴史や現状が紐解かれていく結果となった。

人種問題に関心の薄い私でさえアメリカの現実は、

気分を萎えさせることを、一瞬でやり遂げてしまう強烈さがあった。


Confederetion Flag


それをまず黒人が棚引かせていることはありえない。

ということは、白人の、

特に裕福層の豪邸やホテルや教会やモールで目立つため、

私はそこへ吸い込まれていくように、彼らに質問を次々浴びせた。

また、当時選挙中であったこともあり、ブッシュとゴア双方の陣営が、

普段は寄り付かない黒人教会で、ゴマをするように演説をする。

私の英語読解レベルでは高度なため、すべてを聞き取り、理解できない。

その私でもこの出来事によって「アメリカ」の道理を知る結果に。

なぜ、黒人を奴隷として拉致したのか、

なぜ、黒人を、他有色人種を差別必要があるのか否かについて。



「なぜ?」

「いつから自分たちが差別を受けると自覚するの?」



ちょうどその頃、全米では

映画「アメリカンヒストリーX」が上映されていて、

私は彼らとシアターへ行ったことを、今でも痛みと共に後悔している。


「他の奴らは知らないが、俺は自分の肌色がチョコレート色だから、

物心ついたときに泥で汚れているのかと思って血が滲むまでこすったんだよ。

バスルームから出てこなかった日もある。

何個も石鹸を泡立て、この褐色が白になるまで落とさなきゃって、

それは誰かが教えたことではなく、DNAに組み込まれているのかもな。

黒は悪を意味するように・・・・・・」



NYですらタクシーが止まらないことは多々あった。

私が宿泊しているホテルでは、白人の来客ではあり得ない、

つまり、友人が黒人だった場合、

来客として私のルームナンバーを確かめるために立ち寄ると、

フロントから友人が部屋へ到着以前に必ずその旨の連絡が入った。

それが差別なのだと思った。

はじめは「親切な人たち」と解釈して、

私はそれにまったく気付かなかった。

そして、その差別を目の当たりにするたび、

私は泣き出すようになってしまった。

痛くて、苦しくて、やるせなくて、悲しくなるのだ。



同じ赤い血が流れているのに、

肌の色だけで人間を判断するなんて、と。



私が差別されているのではないのに、

友人のそうした姿を垣間見る度に、私の悩みがちっぽけなこと、

私の憤りなど彼らには匹敵しないこと、

なのに、彼らには深い愛情が備わっていること、

私は彼らに救われていることを思うと、涙が止まらなかった。



私は英語のmiss youという表現が大好きだ。

日本語にはない表現で、

けれど、日本語ではなかなか本質を汲み取ることのできない言葉。

そんなとき、私はこう返答した。


sweet pain


それはせつなさを表現する私がつくった造語だ。

甘いのに痛い。

彼らの優しさという融解点を越えた甘さがせつなさを吸引する。


友人たちはそれを気に入ってくれた。

すぐさま使った。

その言葉を思い出すときは、私を思い出すことを意味している。



彼らを想うとき、世界は狭く、つながっていると私には思える。

甘く優しい思い出に、厚い胸に包まれたあの日、

私が私のままで、私を取り戻していった有限の仮象。

永遠から生じ、永遠へ帰する、



プラトンは、永遠の動く影と称し、

エリスとテレスは、運動の伸びる性質と称し、

アウグスティヌスは、時間の三様態、意識の三様態、

記憶、知覚、期待に還元した。



時間によってしか、それを成しえないものが存在する。

隠れるそれを探し出すことも触れることもできない。

それが時間だと、友人は言う。