風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

yacht harbor

2007年07月29日 11時51分04秒 | エッセイ、随筆、小説






上半身褐色の肌を見せ付けるように、

海の男たちは航海のための準備に余念がない。



寝られるときに寝る。

食べられるときに食べる。

休めるときに休む。

何もせず、数日を過ごすことも決して稀ではないらしい。



私がヨットに関心を持ったのは、風だった。

オープンカーやバイクや自転車で受けるそれとは相違する、

海上の潮風に憧れたためだ。

それも、交通事故に遭った後、

友人が潮風が体にいいらしいことを教えてくれたことがきっかけとなった。




マネージャーを務めるのは重度の障害を持った方で彼はクルーではない。

けれど、彼の指示は厳しい。逆らえない。

はい、以外の言葉を発言できない。

障害の受容からはじまり彼に手出しのできるクラブ員は

キャプテンですらいないことをよく噂として耳にする。

それだけ彼の人生には彼にしか理解できない苦悩があるのだと思った。




人命に関わるため、キャプテンの判断がNOと出た場合は

それに従ってもらうことになります。

武士のようだった。

二言なし。

自分、他者問わず、船上にいるクルーの命に危険が伴わない人間しか

クラブ員にはなれない。

海を甘くみたものは、海に返される。

常日頃から眺める海原、叢雲の過酷さを叩き込まれてきた私だけに、

クルージングメンバーに選ばれたときは本当に嬉しかった。

二艘でレースをしながら大島を寄港し、新島や式根島への航路は、

海上からの東京を眺め、

星空や海への深読みが自然との対話であることに気付く頃、

海の男たちの気質にすこしだけ触れた気がした。




私はもうクルーにはなれない。

それは自分の命が、というよりも

他者の命の配慮を自分で判断した結果だ。

プリンを差し入れしにヨットハーバーへ行くと、

作業を続ける男たちが海の男らしくてより好感が持てた。



生き返ってきたかぁー

またしごかれにくるとは、女にしておくのはもったいない。

失礼な・・・・・・と言いかけてやめた。

今日はうわてに出よう!

プリン食べるの? 食べないの? どっち?

ヨット内の冷蔵にに差し入れを仕舞い、

また気が向いたらしごかれに来ます、と言ってハーバーを後にした。

ここに来るだけで、私の闘志は夏の陽射しのように燃えて熱い。

 



 


奴隷制度のような労働における一票と日本の未来

2007年07月29日 09時07分47秒 | エッセイ、随筆、小説






藤原新也さんブログ

http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php

 

 

※この問題になぜ私が強く反応するのか、というと、

 やはり、先の交通事故の問題と深く関与する。

 それはどのようなことかといえば、

 7年も継続勤務した者を、派遣であるがために

 障害を抱え容易に転職ができないことを承知しながら

 それを人質のようにして条件を悪化させようとした試みを

 実際に経験してきたためだ。

 私は負けない。

 というよりも驚愕の内容に対し、会社側弁護士は私側についた。

 事実が確認できたということと、

 本件をもって自身もこの会社の顧問から身を引く、という。
 

 私は会社の内部、心臓部分となる闇を知りすぎた。

 だから、会社は逆に手放したくないのだ。

 辞めさせたいのではない、生かさず殺さず傍に置きたいのだ。

 これでも一部上場会社だ。

 私は絶対にマンションは買わない。

 いいや、この会社のマンションは買わないし、人には勧めないだろう。

 なぜならば、その闇をみてきたこと、

 作り手も買い手も見えない売買はリスクが大きいことを意味する。

 これは買い手も勉強しなければならない想像以上のリスクなのだ。



 障害者の労働にまでメスを入れた小泉政権、

 昨日安部総理は隅田川花火大会で混雑する浅草雷門前で、

 選挙のための演説をしていたが、あれは迷惑でしかない。

 必死なのだろうがそれは自分の方向性に問題があると

 認識した方が選挙の勝負よりも必死になる優先順位は先のはずだ。

 戦争準備内閣ともいわれる安部政権を、

 小泉政権が行ってきた人間切捨て作業を若者や弱者が引き受け、

 それで「仕方ない」などとは私は思わない。

 だからこそ、この国の舵を、修正できる人間を見極め、

 一票を投じたい、と思う。



 自分の愛する子供たちや孫たちが戦争へ送り出すことを、

 誰が幸せなどと思えるというのか。

 これは年金問題やコムスンの介護問題で煙を立てながら、

 実は今回の選挙の本筋や未来の道すじに深く関与する。



 自分たちの年金も大切な問題だ。

 けれど、この国の状況を垣間見る限り、年金などあてにしない方がよい。

 目先のことに気を取られている間に、

 世界の平和イコール日本の未来に関与する事柄を

 やはり見失ってはならない、と思う。




江戸下町の夏(隅田川花火大会)

2007年07月29日 00時44分38秒 | エッセイ、随筆、小説





慶応4年、東京と改称した江戸。

江戸の風物詩のひとつである隅田川花火大会がはじまるしばしのとき。

薄い月輪が浮き出す様は、

まるで精や神を見るようでもありました。



夜さりつ方、花火は物語の心情を詠うように、

一瞬の命を散らすだけに生を受けるのです。



やはり私は、遠い記憶へ誘われるように、

絞の浴衣を纏い、横縞の博多帯を粋に締め、

この団扇で涼をとりながら、女すわりをして眺めていたのです。

どなたか男性の気配を背中に感じながら、

この江戸の風情に、その方との逢引に、酔いしれていたのです。



ある旅館の屋上から眺める夏の風物詩は、

江戸から平成へと時間が流れても、

私の魂はその時間に散り落ちていないことを、

ものが移り動いていないことを

美しい一瞬の生を眺めながら思いに耽るのです。

この上ない贅沢なまたたく間に身をあずけながら、

花火職人たちの思いが火の中で華を咲かせる瞬間に、

心が動かされるのです。



江戸時代享保18年、

両国の川開きとして20発からはじまったのが由来。

前年は全国的な凶作、伝染病によって多くの命が失われ、

八代将軍吉宗は悪疫退散と死者の霊を弔うために、

水神祭を行いました。そこで花火をあげた記録が残されています。



隅田川の花火は、私にとって鎮魂の意味が込められています。

先の戦争で亡くなった方々、江戸の出来事など、

自らの魂を鎮めるためにも、

私にとって特別であり、格別で、区別された行事なのです。



満月の夜、余音までもが艶っぽく、

残る風情や余情は、言外の情趣に深く感じられる風情を

美的印象として肌に纏わり付かせます。



JAZZBARに立ち寄りシャーリーテンプルを一杯、

マイルスデイビスのマイファニーバレンタインで今日を締めくくる。




※参考文献

 隅田川花火資料館