風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

医者坊

2007年07月27日 21時13分49秒 | 医療






昨日は経過観察日だった。



私が抱える疾患は「低髄液圧症候群」というもので、

実際には、医療側にもよくわからないことが多い疾患らしい。

今まで原因不明で医療難民とされてきた人も多く、

本当にこの疾患であった人、そうでない人も、

この疾患だと診断を受けたり、思い込んだりしている患者もいる。



私の主治医とは、

ドクターショッピングを繰り返した15箇所目の病院で出会った。

当時、ドクターショッピングという呼称も知らない私は、

医療の闇や憤りを感じ、

交通事故受傷が原因なのにもかかわらず、

「あなたの性格が痛みを増長させています」とまで言われた。

事故後、わずか半月後のことだ。

痛さや不具合の発作でかけこんだ大学病院の医師は

その状況を真摯に受け止めないばかりか、

「だから、あなたのその性格が・・・」とだけ繰り返した。

殺してやりたい、と思った。

許されるのであれば、私はこの若造の医者を殺めてやりたかった。

そのような月日を1年半過ごした。

交通事故が儲かる商売だという事実、

その取り巻きも十分理解した。




彼を主治医に選んだ理由を聞かれたとき、私はこう答える。

「正直であるという人格」と。

いくら腕がよくても、評判でも、名医だともてはやされていても

この「人格」がそぐわない場合、私は主治医には選ばない。



私も自分の疾患について、多くの患者が治療法だと信じて止まないものを、

その治療経過観察や意見を聞くことで実情を把握してきた自負がある。

脳神経外科学会や医師会へも連絡をした。

代議士秘書の友人を通じ、厚生省の見解の詳細もお聞きした。



私は未婚の母であるため、娘を路頭に迷わすことはできない。

収入が途絶えた場合、

娘がお世話になっている私立高校では、

辞めずに済むように施策を検討してくれるとまで言ってくれた。


けれど、安心して療養などできる状況ではなかった。

加害者の対応、加害者側保険会社のみならず、

自分が加入している保険会社の対応、勤務先など、

自分が交渉人なのか?と自問を繰り返すばかりで、

自答にはたどり着けない。



医療とは? 患者とは?

快方する方と悪化する方の差は性格によるものが大きいこと、

性格いうよりも生き様が患者のあり方として深いかかわりを持つ。

いいや、持ってしまう。

悲しいけれど、それが岐路となる。

それに気付く人はごくわずかで、

できればお互いの傷を舐めあい、

快方できない理由を誰かを責めることで物事を裁いているようにさえみえた。



私は今年の6月上旬に山を越した。

山というのは、これ以上悪化しない、

今までの痛みや不具合から解放されることを意味している。

それは現主治医と一緒に勉強をして、経過観察の詳細を研究し、

自分の体質や癖を悪化や快方から学び、

手術や不可思議な治療や薬物依存にならないように、

自然治癒力を高めるだけに尽力を注いだ結果だ。

私たちは長期戦でこの疾患を捉えていた。

告白すれば、すぐに治りたい、というのが患者の本心だろう。

けれど、急がばまわれなのだ。



昨日、主治医へ宿題を出した。

私の体調がある程度の水準だと主治医が確信を持てたとき、

私自身が不安を感じずに毎日を過ごせるようになったとき、

医療について語りましょう、と。

それは医師と患者という枠を超えた友として、

医療の明日を論じましょう、と。

それが3年後でも5年後でも10年後でも私は待ちます。

それが医療従事者にとっても患者自身にも、

希望となり得るなら。



私があなたを選んだ理由は、正直さと人格にあります。

あなたの笑顔にどれだけ救われてきたか、

追記として伝え・・・・・



※体調にもよりますが、

 今年9月以降2ヶ月以上3ヶ月未満をを予定して

 ヨガおよびセルフメディケーションのライセンス取得をします。

 その際、米国の医療現場を視察も予定しています。

 医療側も同様に、患者側への課題も多いのでは、と

 私が思う解答を得るために・・・

 

※医者坊とは「たいこ医者」を意味し、口が達者で軽薄がましい。

 私は現主治医には絶対にそんな医者にはなって欲しくないという

 希いや思いが込められている。

 だから、主治医も論ずる相手も彼でなければならないのだ。


  

 


無のゆらぎ

2007年07月27日 17時31分39秒 | エッセイ、随筆、小説






 「胎児のときの記憶があると言ったら?」

続けて、胎児のときに感じたこと、

つまり感情や何もかもがが今でも私を・・・・・といいかけてやめた。

だから抱きしめて欲しくなる、と。

子供のように、体も心も撫でで欲しい。

甘やかして欲しい・・・・・といいかけてやめた。




 みるからに藤原は動揺して、スプーンを何度も床に落とすため、

テーブルサーバーは『お気遣いなく』と言いながらも怪訝な表情を浮かべる。

そのうち、誰よりも伸びがはやい普段からもさもさしている髪の毛を、

掴んだり引っ張ったり掻いたり毟ったりを一連の動作として

何度か繰り返した後、

「たいじのときのきおく?」

いつもより幾分高めの声を発して目をまん丸くしている。

「もうすこしさ、手の抜き方を覚えたらいいのに・・・っな?」



 今にも心臓が体中の穴という穴から飛び出してきそうな勢いの藤原。

その様子を横目で観察していると、可笑しくてたまらなくなった。

「ふふふ・・・・・」



 藤原は笑い事じゃねぇと言って軽く私の頭を叩いた。

たぶん、幸せの痛みってこんな感じなのだろう。

たぶん、平穏な毎日とはこういったものなのだろう。

確かに投げかけた質問は藤原にとって強烈だったかもしれない。

けれど、それは幸せにはかわりない。



 桜色の色彩を待ちわびる頃、

新緑の世界に彩られる世界、

七色の光や音を楽しむ夜空に舞い上がる夏の涼、

流す灯篭の灯火、

草木を紅色に染めあげる深し秋、

冬来たりなば春遠からじ、



無はゆらぐ、

そして繰り返されていく・・・・・・


 


夏陰

2007年07月27日 08時44分57秒 | エッセイ、随筆、小説





朝顔の苗を引きずって運ぶ小学生の列。

低学年なのだろう、自分の体ほどあるそれは、

上靴や絵の具や防災用具などだけでいっぱいの両手をふさぎ、

そこに最終兵器ともいえる重さを加える。

列の最後には一番気力にあふれてみえる子供がめそめそとしている。

丸坊主の頭が愛おしい。

まるで風景だけは、昭和の夏のはじまりだ。

 

私は最近、時空を超越した方々との魂の交合によって、

自分の精神がここにありながらここにはないことを感じている。

それは先日、南房総へ行った際のことだった。

私は漠然とした疑問をぶつけた。

それをシャーマンの言葉を借り魂へ注ぎ込むとき、

遠い日の記憶が蘇り、ある意味、情報を表示する体系的な符号が一致した。



私は四万六千日の夜から、実は食事を摂っていない。

普段なら空腹で目覚めるという私が、だ。

その日の朝、シャワーを浴び、鏡に映った自分であるはずのそれが、

自分でないことに気付いたとき、体重計は5kg減を指していた。



私が浴衣を纏うとき、

常に権力者に目を掛けられる(友人になるという意)という人生から、

自分の過去をときどき覗き見しているようなところがあった。

着物を着る際の紐のさばき方は誰もが驚愕するひとつであり、

花火大会や屋形船に揺られていると、

一重、八重、菊咲きなどの桜色に染まる風景を眺めているだけで

なぜか泣けてくるのだ。

懐かしさの中に感傷が溶け込んだ感情に包まれ、

その場を動けなくなる。



花魁であった私は、江戸の風景が色濃く残る場所に魅了される。

花魁には女将すら手出しができない。

古びた寺のような場所で身寄りのない子供たちを育て、

花魁でありながら大切に扱われた過去を持っている。



四万六千日は観音菩薩の縁日で、この日に参詣すると

四万六千日参詣したのと同じ功徳があるといわれる。

東京の浅草ではこの日、ほうずき市が立つ。



私はそこで遊女たちと再会し、

現世におけるご縁は、魂が希求する方々としか結べない。

夏陰の中で涼をとりながら、

遠い記憶に思いを馳せるのも夏の風物詩として大切に・・・・・・