風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

声をひそめる風

2007年07月14日 16時33分43秒 | エッセイ、随筆、小説

 


Sympathyとは、

同情や共感や共鳴を意味する。(小学館・大辞泉・監修 松村明より)



軒先の紫陽花に雨垂落の雨滴が、

夏女のうなじのような色気を匂わせている。

西から台風が近づいているらしく、用意する傘は2本。

一本は小雨用の粋なデザインで、

もう一本は狂風に耐えられる丈夫さだけが取柄の雨除。

それはもしものとき、杖にもなる。



昨日の退院の際、看護師が主治医の予定を詳細に教えてくださったので、

外来に出るわずか一時間に合わせ、私も予定を組んだ。

予定終了より20分前に病院へは到着した。

主治医の氏名もしっかりと記載してあった。

そのボタンを押した。電子受付はこれで終了で、

後は名前を呼ばれるまで待つことが患者の仕事となる。



処置室のベッドはいっぱいだとのこと(ほとんど空いてるのに)、

そこで付添が待つ硬い長いすがあるので、ここを使用しますよ、と言って

持参した毛布に包まって私は勝手に横になった。



すると、しばらくして別の看護師が私の名前を呼んだ。

今日の外来は終了しているんですよね・・・・・・と。

当然のように言うので、今朝も電話で確認しましたよ、と告げた。

点滴だけとはいえ、私が来る旨の院内コミュニケーションは無なのだと知った。

主治医は看護師から受けた電話で私が処置室にきていることを

初めて知ったのだから。


ドクターは忙しいんですよ、と別の看護師はさも意地悪げな口調。

血管の細い私が点滴を刺せる箇所は右手甲に何箇所もない。

なのに、一切それに耳を貸さず、肘内側に針を刺し、

そこから漏れ出した点滴液によって、今も腫れはひいていない。


私よりも重傷者がいて、

そっちの方が重要だと言いたげだった。いや、そう言った。

皮肉を含ませた物言いをすれば、私の点滴に時間を割くより、

別の患者の方が病院の利益へ直結する。

私は鈍感ではない。

それくらいのことは、病人だからこそ嗅ぎ取る。


先生にお会いしたかったの?

私が敬愛する看護師が点滴の準備をしながら、優しい微笑みを浮かべている。

点滴程度で多忙の邪魔をするつもりはありませんが、

これは私が快方するための、先生にとっても、臨床にとっても

大切な逢引なのです、と言い終わると当時に準備が終了し、

点滴のための天井との語らいの二時間がはじまった。


点滴場所が確保できず、空いている診察室にベッドを運び行った。

まさにここは戦場だと思った。

食うか食われるかの戦場で、

声色だけで医師の人格や感性という道を理会できる。

事柄の内容や意味を患者に合わせ、言葉を選ぶ医師。

逆に脅すように大声を張り上げ、患者の設問に、

そんなことはあり得ないと説諭だけに、

自己主張だけが診察時間となっている医師。

さまざまだと思った。

そして、やはり選択の自由を与えられているのであれば、

病院というよりも医師を選り分けなければ人生が狂う様相が目に浮かぶ。



同情や共感や共鳴ができなければ、

まず先に医療従事者の限界が現実となり、

そのしわ寄せの波は当然のごとく患者へ押し寄せる。のみ込んでいく。


Sympathy

声をひそめる院内の風は、棲息のためにそれが必要で、

それが心地よい風になることを予見する。



信用を紡ぐには膨大な月日の繰り返しが必要なわりに、

それを失うには、一瞬で足りる。

医療者へ、心の中で、声をひそめ・・・・・・



狂風の夢

2007年07月14日 09時04分44秒 | エッセイ、随筆、小説




ずいぶんと長い時間夢をみていた。

その夢は、夢でありながら通常の夢の領域を越えていたため、

私に対するメッセージなのだろう、とすぐに気付いた。

夢から覚めたとき、それが夢であってくれたことに深く感謝し、

すやすやと眠る娘にケットをかけた。

私はその無事を確認すると号泣した。



久しぶりにみた、

しかし、生まれて初めて経験するほどの、それはリアルさだった。

私は母親なのだと思った。

この子を大切に思う母なのだと。



今までもときどき、そうした夢をみることはあった。

余韻だけが残香として心身を纏い、

それと一週間程度、私は共に暮らす。

けれど、今回の夢はそれとは確実に異を呈していて、

たぶん、現在のことを含めた、近い将来の現実をみたのだ。

それも日本のだ。



私は17歳になる娘といつものようにサイクリングへ行った。

私の体調が安定するように、快くなるようにと希いを込めた

リハビリサイクに付き合ってもらっていた。



快晴に恵まれた日曜日、いつもの道を走っていた。

風を切って、気持ちいいねって、鼻歌まじりで、笑顔で。

でも走るうちにそれはいつもの道ではなく、

気付くとそこには大量の人間がいた。

そこに住んでいた。

私たちはどこかに迷いこんでしまったようで

それも女ふたり、心細さと恐怖が入り混じり、

娘の手を強く握りしめる自分がいた。



私が実際に目にしたインドの、フィリピンの、どこか遠い国の

スラム街なのだとはじめは思った。

けれど、それは私が勝手にそう思うだけで違うことにすぐに気付かされた。

そこにいる住人はすべて日本人で、

灰色で、どこかうつろな目をしていた。

政府が声高に推奨した再チャレンジ計画の結果か、と私はすぐに思った。



職につけない人たちが追いやられた東京湾近くの工場跡地のようで、

普通の生活を送る人たちから隔離された、

人間の住む環境ではない場所に、その人たちは押し込められていた。

女の人もいた。子供もいた。

若者も、老人も、病気の人も、障害者も、

さまざまな事情を抱えた人間が集約されいる。

けれど、まとまりがないため、

怒号が飛び交う声があちこちから聞こえる。

地獄絵図をみているのかと、感覚が細胞が閉じていくことがわかった。


この場所へ戻るには?とたまたま目があった少年に地図をみせ尋ねた。

すると少年は、教育を受けていないから字が読めない、と言った。

私は愕然とした。そして、

親は? 仕事は? どうしてここに?

私は無意識のうちに、少年の目がみるみる変化していくことを

気付かない振りをして質問した。


親なんかいない。知らない。

仕事なんてない。

ここ以外、どこに僕たちがいられるというのだ?と

逆に質問を受ける結果になった。

こんな僕たちの生活をみて、逆にあなたは何を思うのか、と聞かれ、

私は下を向いて、押し黙ってしまった。


政府は「再チャレンジ政策」を打ち出しておきながら同時に

オリンピックや治安や他のいろいろな理由をひっつけて取り繕って、

結局は路上生活者の一斉排除を行い、

街に美しい景観を取り戻そう、と多くの国民がそれに賛同した。

おそらく、次期選挙が山なのだろう、と思った。

そして、この現実を私たちが私たちの手を加え、

問われているのだと思った。



ぎゅっと強く握り締めていた娘の感触がないことに気付いたのは、

それからまもなくのことだった。

私はその少年に、全財産一万円しか持ち合わせていないこと、

もしそれが失礼でなければ受け取ってほしいこと、

どんなことをしても一緒に娘を探し出して欲しい旨を伝えた。

少年は手を出さなかった。

けれど、一緒に娘を探すと約束してくれた。

何年ものか?と聞きたくなるボロボロになったGパンの

破れたポケットの底に、

押し込めるように小さく畳んだ紙幣を私は押し込んだ。

喉が渇いたら、おなかがすいたら、

あなたにちゃんと伝えるから、と言って。


廃墟の中を私は少年と走り回った。

汚れていない服を着ているのは私だけで、

奇怪な目つきで睨まれ、部外者は出て行けと暴言を吐かれたりもした。

少年は、気にすることなんかない、と私を励ましながら、

自分がこの部内で知っている場所、あらゆる伝を使い、

娘の目撃を探した。

日が暮れる前に、と何度も少年はそう繰り返した。

そうしなければ命の保障がなくなる。

確立が無になってしまうと言って、

少年にも焦りを感じている様子が痛いほど伝わってきた。



どれくらい時間が経過したのだろうか。

ヨットが白い帆を立てて、

のみ込まれてしまいそうな西側の緋色と重なってみえたとき、

突如、私と少年の前に娘が姿をあらわした。

少年はすぐに誰の仕業がかわったらしく、近くにいた男に飛び掛っていた。

その男はポケットからサバイバルナイフを取り出して、

銀色に光るそれを、空高く、または地面すれすれに翳しながら、

その姿を呆然に見るだけの私は、希望の狂いを感じた。

人間には希望がなければ生きていけないという初歩的なことを。


小さく震える娘を私は強く抱きしめた。

衣服に乱れはなかった。汚れてもいなかった。

大丈夫? と恐る恐る聞いた。

うん、と小さなか弱い声で、

それだけで全身の力を消耗してしまうほどに憔悴していた。

怖かったのだろう。そんなことは当然だ。

私だって、大人だって、そこに恐怖を感じないものはいないだろうから。



怖い夢を見ていた。

私の場合、今はそれが夢だと言って済ませることができる。

けれど、障害を抱えた私に対して

企業側が行ってきたことを体験している現実もある。

無知さや、無関心や、無悪不造の行いや、

問題を提示してもそれを理解できないほど欠如している感性や、

医療についても、私は私なりの体験経験をもっている。



自分さえ幸せであればいいのだろうか?

自分さえ幸せであれば、他者の不幸など目撃しても、

そこにはあわれみやいつくしみといった慈悲のなさけなど必要ないのだろうか。

私を今を考えるとき、娘たちの将来を考えるとき、

おそらくそれを実際に経験して考えてみなさい、と宿題をもらった。

今はそれが夢から覚めることができる。

けれど、現実は永遠に覚めることができない。








 


想ひ風

2007年07月14日 00時01分31秒 | エッセイ、随筆、小説


 

GRAND HYATT TOKYO 旬房にて和食をご馳走になった。



17年来の友人が医療関係者という理由で、

私は彼と医療について(彼は医者ではなく病院経営者)

率直な意見が聞きたいと以前申し出ていたことを思い出したらしい。

ふと。

多忙なスケジュールを調整してくれたのだろう。

夕食の時間を頂戴する光栄に恵まれた。

私の点滴終了時間に合わせ病院まで迎えを寄越して、現地へ向かった。

本当に彼の気遣いには脱帽なのだ。

そして、その気遣いが私の教科書となり、

その気遣いこそが今の彼を、成功をつくった。

私はこの経営者のゼロからを見てきたことで、

経営者への厳しい視点の原点は、ときどきここにあることを知らされる。

並ではない繊細さ。素直さ。

他の人の前ではどうかは不明だが、弱音も恐怖も吐露する姿勢に、

私はいつも感銘を受けてしまうのだろう。

それが唯一、私の不幸だともいえる。



久しぶりの連絡の際、食事が喉を通らなくて・・・・・と触りを話したとき、

その店の食事なら、きっと、食べたい気分になるよ、と

彼らしい気遣いをみせ、店を予約してくれたのだろう。

私が好むシチュエーションで、嬉しいサプライズまで用意して。


兜焼きの目玉部分はコラーゲンも多いから、精がつくよ、と言って、

ランの花のような色彩の、魚の頭が大きな皿に美しく盛られて出てきた。

インテリアのセンスはマンダリンオリエンタルホテルの方がいいとか、

リッツはどうだろう?とか

お互いの居心地よい空間についての話題がひと段落したとき、

本題に入った。医療についてだ。



彼はある県で決して裕福ではない独居老人のための施設を作ろうとしている。

実際に計画は建築段階に入っているらしい。

ほぼ自費を投じて、それを運営しようとしている。

今まで、いろいろな事情で利益を得た資金で、恩返しのつもりだという。

ひとつくらい善い形跡を残して死にたい。


地方では、ひとり暮らしの老人が増加する一方で、

若者は職を求め、都会へ出てしまう。

私は彼の30代の頃からの友人であり、

今の富や名声を作り上げるゼロからの過程をみてきたひとりだ。

だからか、彼には深い思い入れが私にもあって、

一回りも違う友人へ、彼が仕事とする医療に、熱い議論を交わしてしまう。



単純に、困っている人を救済して欲しい。

彼のためにも、患者となる方々のためにも、私の想いのためにも。


市場原理の手の届かない医療を、感性豊かな彼になら実現できるはずだ。

彼の涙に付き合ってきた私は、その感性に敬服しているところが多分にあり、

だからこそ、成功してほしい。実現してほしい。

他の誰かではなく、彼に。


医者の、特に外科医の生涯給与を聞いたとき、私は自分の耳を疑った。

医療の現場は患者の視点ではわかりずらい部分が多く、

逆に、患者の立場の経験のない医療者は教科書だけで物事を判断していく。


もちろん、すべてとはいわない。

けれど、その病気になったことがないのに、

なにを、どのように理解するのだろう、と思う。

今までも私が痛みや不具合を訴えたとき「そんなはずはない」と

私の訴えを否定する医師は決して少なくなかったからだ。

「では、なぜ、私は痛いのでしょうか?」

「では、なぜ、そんなはずはないのでしょうか?」と質問すると、

ときどき「論文や文献にはないから・・・」と答える医者がいて驚かされた。


人間の体は生もので、ひとりひとり違うのに、だ。

治らないのではなく、治さないのだと思った。

殺さない程度に、しかし、医療を必要とする状態で。


もちろん、すべてとはいわない。

現に、私は主治医に救われた身であり、医療者にも事務方にも、

その病院のスタッフには親切に手厚い医療を受けさせていただいている。


真摯に医療に取り組んでいる医師も医療者も病院もある。

それを知っているつもりだ。


ただ、そうではない病院や医療を選択した場合、

どこへ負担がきているのだろうと聞くと、患者を丁寧に見れなくなったこと、

それはあの小泉の構造改革の、

ぶち壊しが医療制度自体を直撃したことを意味すると彼は言った。



金曜日の夜、こんなにロマンティックな場所で、

医療について熱い議論を交わしているのは私たちだけだろう。

けれど、これはとても重要なことだ。

医療を必要とする者にとっても、これから医療を必要とする人間全体の、

医療者にとっても、大切な問題なのだ。重要なのだ。

命において、尊厳死などありえないのだ。

それを言葉にする公人の感性が、

私にはたまらなく不快で、不思議で、不合で、不愛で、

経験してきただけに、どうにかできないか、などと

引き受けて成すべき任務のように感じてしまうのかもしれない。