Sympathyとは、
同情や共感や共鳴を意味する。(小学館・大辞泉・監修 松村明より)
軒先の紫陽花に雨垂落の雨滴が、
夏女のうなじのような色気を匂わせている。
西から台風が近づいているらしく、用意する傘は2本。
一本は小雨用の粋なデザインで、
もう一本は狂風に耐えられる丈夫さだけが取柄の雨除。
それはもしものとき、杖にもなる。
昨日の退院の際、看護師が主治医の予定を詳細に教えてくださったので、
外来に出るわずか一時間に合わせ、私も予定を組んだ。
予定終了より20分前に病院へは到着した。
主治医の氏名もしっかりと記載してあった。
そのボタンを押した。電子受付はこれで終了で、
後は名前を呼ばれるまで待つことが患者の仕事となる。
処置室のベッドはいっぱいだとのこと(ほとんど空いてるのに)、
そこで付添が待つ硬い長いすがあるので、ここを使用しますよ、と言って
持参した毛布に包まって私は勝手に横になった。
すると、しばらくして別の看護師が私の名前を呼んだ。
今日の外来は終了しているんですよね・・・・・・と。
当然のように言うので、今朝も電話で確認しましたよ、と告げた。
点滴だけとはいえ、私が来る旨の院内コミュニケーションは無なのだと知った。
主治医は看護師から受けた電話で私が処置室にきていることを
初めて知ったのだから。
ドクターは忙しいんですよ、と別の看護師はさも意地悪げな口調。
血管の細い私が点滴を刺せる箇所は右手甲に何箇所もない。
なのに、一切それに耳を貸さず、肘内側に針を刺し、
そこから漏れ出した点滴液によって、今も腫れはひいていない。
私よりも重傷者がいて、
そっちの方が重要だと言いたげだった。いや、そう言った。
皮肉を含ませた物言いをすれば、私の点滴に時間を割くより、
別の患者の方が病院の利益へ直結する。
私は鈍感ではない。
それくらいのことは、病人だからこそ嗅ぎ取る。
先生にお会いしたかったの?
私が敬愛する看護師が点滴の準備をしながら、優しい微笑みを浮かべている。
点滴程度で多忙の邪魔をするつもりはありませんが、
これは私が快方するための、先生にとっても、臨床にとっても
大切な逢引なのです、と言い終わると当時に準備が終了し、
点滴のための天井との語らいの二時間がはじまった。
点滴場所が確保できず、空いている診察室にベッドを運び行った。
まさにここは戦場だと思った。
食うか食われるかの戦場で、
声色だけで医師の人格や感性という道を理会できる。
事柄の内容や意味を患者に合わせ、言葉を選ぶ医師。
逆に脅すように大声を張り上げ、患者の設問に、
そんなことはあり得ないと説諭だけに、
自己主張だけが診察時間となっている医師。
さまざまだと思った。
そして、やはり選択の自由を与えられているのであれば、
病院というよりも医師を選り分けなければ人生が狂う様相が目に浮かぶ。
同情や共感や共鳴ができなければ、
まず先に医療従事者の限界が現実となり、
そのしわ寄せの波は当然のごとく患者へ押し寄せる。のみ込んでいく。
Sympathy
声をひそめる院内の風は、棲息のためにそれが必要で、
それが心地よい風になることを予見する。
信用を紡ぐには膨大な月日の繰り返しが必要なわりに、
それを失うには、一瞬で足りる。
医療者へ、心の中で、声をひそめ・・・・・・