「何かあったの?」と私は聞いた。
何も答えず、ただじっと黙って見詰めている、私を。
他者に対する怒りを抱いている主治医と夢の中で朝まで語り合っていた。
私の傍でずっとひたすら護ってくれている。
何があったのだろう?
私に対する「何か」があり、
それを知った山内(仮名主治医)は一生分の怒りを排出するかのように、
私の傍に誰も寄せ付けようとはしなかった。
何かあったの? との問いに首を横に振るだけだ。
けれどと思う。
こんな姿の山内を今までもこれからもみることは二度とないだろう、と。
不思議な夢だった。
誰かに見詰められている感覚、誰かに護られている気配、
その「誰か」は紛れもなく山内だった。
簡単に切り替えられる程度の関係ではなく、
私はどれほどに山内を信頼し、甘え、彼と生きているのかを知った。
このダメージは傷として深く、目には見えない血を流したけれど、
逆の言い方をすれば、山内との関係における新たな局面、
つまり、私の気持ちを再度伝えるきっかけを与えていただいたと思えば腹も立たない。
嘘だ、と思ったのだ。
気の重い通院、必死に涙をこらえながら、ここに山内がいなくなったとき、
私は果たして通い続けることができるのだろうか?と自問した。
いつものように処置室のベッドで横になり、天井をみあげ、点滴痕に視線を落としたとき、
「まだ言っちゃいけなかったのかしら?」という看護師の言葉が思い出されたのだった。
私を試すために、山内との関係を確認するために、ありもしない異動という状況をつくり、
私を動揺させることが目的だった・・・・・・
直感は嘘を嗅ぎ取った。
普段とかわりない処置室の慌しさの中で、私は震えた。
生きている人間の恐ろしさとは病人に鞭を打つことも厭わず、
自らの欲だけでなんでも行うのだと思うと、身震いが止まらなかったのだ。
しーちゃんは言う。
もしそれが根拠のないでまかしだとわかっても、山内にその事実を確認するとしても、
看護婦の行為は許してあげなよ、と。
体の辛い患者に対してやることではないし、それはとてつもなく悪意に満ちている。
もちろん医療者としてあるまじき行為だけど、許されることではないけれど、
人を傷つけるという見返りにまーちゃんがわざわざ悪業に加担しなくても
山内との関係がしっかりとしたものなら邪念の入る隙なしよ、と。
物事が動き出している。
しーちゃんの言うとおりだと思った。
裁判官から交通事故後における二次・三次被害状況の調査を主旨とする面談依頼があった。
検察審査会からも加害者不起訴処分に関する異議、再考への詳細が届き、
私が事実を伝えてきた訴えが認められる結果となった。
また、ちょっとした知恵をつかい、
3年もの猶予を与えた加害者へ取り外した容赦に交通事故処理のプロであるはずの相手側一同が
自分の首を自分で締めてきたことへの責任を問われる段階へ事が進んだ。
長かった道のり。
素人である私はひとりで闘った。
法律の勉強をして、前例のないことに挑み、素人であり被害者が不調を抱えながら
医師探し、通院、子育て、仕事などのすべてのやりくりをしてきた日々。
けど、諦めなかったことはいつか報われることを意味する。
山内がいるから疾患と付き合っていけると思ったこと、
裏切られ続けた医師との関係に光を与えてくれたのは山内だったこと、
私と向き合い、共に歩み、
今後もその信頼関係は揺るがないと信じて疑わなかったこと、
医師と患者ではなく、人間として一生の盟友として付き合っていく覚悟、
患者が医師を護らなければ医療が成立しない現実、
主治医をかえるつもりのないこと、
私にもしものことがあったときは、山内にしか看取る役割りを願いでないことを伝え、
私の気持ちを伝えることで山内と今後を話し合おう。
不思議な夢だった。
誰かに見詰められている感覚、誰かに護られている気配、
その「誰か」は紛れもなく山内だった。
私も山内を護り続けるわ。
あなたのネガティブさや落ち込みやすべてを包み込む優しさを携え、
患者としても人間としてもあなたを通じ私も成長できたお礼よ。