もう手を尽くすことがないと医療に匙を投げられた私たち。
一方はノンフィクション作家で、命の期限を告知され、
もう一方は、命をすぐに取り上げられるほどではないにしろ、ただし生の質には重篤な不具合が生じ、
じわじわと近寄る死の匂いに脅える者、後者はもちろん私を指している。
そんなふたりの接点は「作家」と「それを目指す者」、それから「病」だった。
「生きていくことがいかに残酷であるのか」とそれぞれの立場から私見を述べ合ったり、
「医療について」熱い議論を繰り広げた。
ある日、私は彼女の深い溜息と共に吐き出された一言、
それは「医療に何を期待しているの?」という凍るような問いかけに愕然として、
両頬を何度も叩かれた心境に陥った。
もちろん、私はすぐさま気の利いた言葉を引き出しから探し出すことができずにいたし、
言われるがままに、確かに私は医療に何を期待しているのだろう?という自問が脳裏を埋め尽くして、
それにとりつかれてしまったように、その自答を探すだけに数日を費やした。
けれど、やっぱり、自分を納得する答えにはありつけないまま終わった。
今にして思えば、それがどうしてなのか、いくら考えてもわからないのだけれど、
新宿の雑踏の中から、私は突如思いついたように彼女の携帯へ連絡を入れたことがあった。
それは「交通事故被害者は、その不具合を医療に証明させない限り仮病扱いで済まされる!」と
言うだけのものだった。
私は自己満足に過ぎない主張をするために、
彼女の大切な時間に土足でずかずかと踏み込んでいった無礼などさっさと棚にあげて、
私の不具合とは無関係な彼女へ、憤りや腹立たしさをぶつけてしまったことがあった。
言うまでもなく、
彼女は交通事故の加害者でもなければ、医療という巨棟を振り翳す偽善者(一部)でもなければ、
ただのひとりの女で、誰よりもか弱く、そして、社会的には弱者だった。
そのとき彼女は病の再発を告げられた直後で、「私はとっくに医療放棄したわ・・・」と告白された。
「だからといって書かない理由になんかならない」と私は語尾を強めて、不機嫌に返した。
人間に捨てられて、何日も飯にありつけていない薄汚れた狂犬のようにがぶりと噛み付いた。
人間の匂いを嗅いだだけで不信を募らせる、刃むき出しで、どう考えても惨めでしかない私だった。
「そんなことを書いて誰が読むと思っているの?」と数倍に膨れ上がった
やり場のない感情を何度もぶつけられたせいで、
「じゃあ、誰が医療の闇を書けるのでしょう?」と、誰かが書かなければ・・・と
安い酒を飲んだ翌日の頭痛がわかりきっているのに、
私だけが信じている正義をがぶがぶと飲んで、深酔いして、やっぱり頭痛に襲われた。
勝手にゲロを吐いて、それを彼女に始末させるみたいだった。
私という存在そのものが、残酷で、卑劣で、偽善なのかとも思った。
彼女が死んだ。
生きていくことは冷酷で残酷だとわかっているのに、
私たちみたいなのはとことん生に関わってしまう性質なのよ、とあの日彼女は私へ言った。
痛くはなかったのだろうか?
苦しくはなかったのだろうか?
怖くは?
悔しくは?
怒りは?
彼女の人生は幸せだったのだろうか?
ぐるぐると私の中を駆け巡るだけの問いに、彼女はなんと答えてくれるのだろうか。
人間が生きていく上では「敵と希望」という相反する存在の同居によって、
それが成立するのだと私たちは語った。
誰でもいいから私たちを納得させてみろと、うぞ振る思いをかき消すための理由を探したこともあったし
さっさと命を取り上げろと、何かわからない敵と格闘した日々を告白し合ったことも。
けれど、もう少し生きていて欲しかった。
出版社へ私が作品を提出した日、彼女は亡くなった。
誰がこんなものを読むのか?とまた怒られそうで怖いのですが、
あなたが言ったように、とことん生に関わってみようと思います。
自分を納得させるために。
ただのひとりの女で、誰よりもか弱く、そして、社会的には弱者な私ですが・・・・・・
またいつかお会い出来ることを楽しみにしています。