長年医療現場にいると、年代によって日本の全体的な医療の動向が見えてきます。私が初めて医者になった頃の1980年代は、医療の科学的発展が日進月歩で、特に遺伝子や免疫学といった方面からの病気の解明、プラスチックを初めとする合成化学素材、透析膜などの発達で今まで助からなかった病気が助かるようになってきました。1990年から2000年代についてもその傾向が続き、手術よりも内科的カテーテル治療などで心筋梗塞や脳梗塞が助かる時代になってきました。急性疾患は治って当たり前(慢性疾患は症状をごまかすだけですが)、という時代になったのです。
2010年代に入ってから、いよいよ糖尿病や骨粗鬆症といった慢性疾患までも根治する方向で医療が進み(まだ根治できませんが)、急性疾患を予防するための予防医療もエビデンスに基づいて行われるようになってきました。癌に対する治療もかつてはおまじない程度に考えられていた免疫治療や抗体療法が、遺伝子工学の発展で実用可能な治療となり、莫大な費用がかかるものの今まで諦められていた病態への治療が可能になってきました。
所がここ1−2年、特に高齢者多死の時代と言われるようになってから、急患で運ばれてくる瀕死(CPA cardio-pulmonary arrest心肺停止状態)の患者さんの様子が変わって来たように見えます。それは原因不明の死亡や今まで経験しなかったような死因の死亡が増えているということです。今年の冬はニュースでも紹介されましたが、凍死が増えている傾向があります。私の勤めている病院でも一シーズンで3件ありました。いずれも高齢者ですが、家の中で暖房を付けずにいたり、窓が空いた状態でいたために朝凍死(低体温で意識不明で発見されて救急搬送)になって発見されます。低体温で循環不全になると、蘇生して循環を復活させても末梢から壊死物質が大量に体内へ循環し、結局多臓器不全を起こすので助かりません。
病院外で心肺停止になって搬送され亡くなった方は、死亡診断書ではなく、死体検案書を書いて警察に届けなければなりません。警察は犯罪性があるかどうか家族を含めて調べ、要すれば尿中の薬剤検査など行います。病院では(司法)解剖は普通しませんが、亡くなった方の頭部から骨盤部までをCT検査を行って異常を調べます。これをAutopsy Imaging (紛らわしいですがAI)と言います。このAIで動脈瘤の破裂や消化管穿孔、大きな癌、外傷などが見つかることがあります。また採血もするので腎不全による高カリウム血症などの電解質異常、高血糖、低血糖、貧血などが死因であると断定できる場合もあります。
私は年間400例ほどの病院で亡くなった全ての患者さんの死亡時の状態を医療安全の立場からチェックする委員の責任者をやっているので解るのですが、以前は2:1位で、病院で長い経過入院した後に病気で亡くなる方が多かったのですが、最近は1:1位で病院外心肺停止や先にあげた凍死のような患者さんが増えているのです。
このような事から、現在の医療の動向が2つの傾向に別れて来ていると思われます。それは日本だけでなく、世界全体の傾向かもしれません。つまり
1) 科学の進歩に伴って高度かつ高額な先端医療を実用化する、またエビデンスに基づいて急性疾患を予防するための予防医療などを積極的に行う方向性。
2) 高齢化や長引く不況に伴って、日常的に医療や保健衛生の恩恵に浴し得ない人達が増加し、初歩的な医療の欠如による死が増加している傾向。
の2つです。1)と2)が同じ社会で同居することは日本のような均一な社会ではかつてはなかったことなのですが、健康診断のわずかな異常値を精査するために大病院を訪れる患者さんがいる一方で、末期がんになるまでどこにもかからない人や凍死で亡くなるお年寄りがいたりするのです。この原因は必ずしも貧富の格差や社会の分断ということでもないように思います。生活保護の人にもこれでもかというほど健康オタクで医療機関に罹っている人もいますし、多忙なビジネスマンほど健康に無頓着であったりもします。
私はこのような傾向が現れたのは、根本的には「医療についての哲学の欠如」がもたらした物ではないかと考えています。科学の進歩に伴って医療は一方通行でどんどん進歩して良い、全ての病気は治る方向で、老いは克服する方向で、能力の欠如は補完、発展させる方向で進めば良い、そこには「振り返り」や「本当にその進歩が人類や国民に必要か」を社会に問う余裕も必要もないのだ、という現実があるように思います。しかし現実社会は医療資源(医療従事者や施設の数)も予算も限られたものしかありません。エビデンスとして数ヶ月寿命が延びる事が証明された一回数十万円かかる薬剤が保険適応になる一方で腰痛の湿布薬は使用制限がかかり、高齢者の介護費報酬が削減されたりします。医療内容によって得られる幸福感に差がなくてもかかる費用に大差がある場合、どちらを優先的に提供するかについて、話し合われる事がないのです。このような話は、奇麗事を追求すれば直ぐに手厚い、しかも金がかかる方向に行く物ですが、現実論として「ほどほどの幸福」というものの折り合いをどこで付けるかという議論が本音の議論として必要だと思います。
先日北欧に留学していた友人と話す機会があったのですが、一見福祉が充実しているように見える北欧諸国ですが、高齢者の医療については制限がかかっていて日本のように80歳以上まで全ての人が高額で手厚い医療を受けて長寿を全うするようには設計されていない、という話でした。つまり子供、現役世代には高福祉だけれども、高齢者がいつまでも生きるような福祉医療制度にはなっていないと。この考え方は、日本も見習うべきところがあるように思います。高齢者にとって、数ヶ月寿命が延びる数十万円の薬よりも日頃の腰痛に使える湿布代を出してもらえた方が幸福かも知れない。脳梗塞を予防するために20年以上も高脂血症などの薬を飲み続けて長生きしても、最後は「窓を開けて寝てしまって凍死」では何かバランスに欠けるように思うのです。今年4月には医療保健診の療報酬、介護保険報酬の改訂が同時に行われます。全体の動向は既に発表されていますが、国民全ての健康と医療に関わる事柄なので医療関係者だけでなく、一般の方も広く関心を持って欲しいと思います。具体的に発表されたらまた解説したいと思います。
私はナース辞めてここ8年くらいマッサージや鍼灸の仕事してきましたので驚きました。
そこまで貧富の差が来てるのかと。
東洋医学に掛かる患者様は、まぁ金持ちなんですね。骨折した時に外科医でなく、整骨院に行く人はいないですよね?
命が欲しければ医者に見せる!それ本筋で。
私もリラクゼーションの店長の時に、明らかに違和感を感じて、お医者様に行って!!
俺たちでは治せません!!
そう顧客に求めた事が何度かあります。
国民健康保険に加入して医師の診断を受けて下さいと。でも、そうした方は整体を受けに来れるだけマシなのです。
正直、記事を読んでショックでした。
私は持ち家ですが、貯金は年収の三年分くらい。この間、田舎の資産を処理したから、余録で健康なら4~5年は遊んでいられますが。還暦過ぎたら解らないです。健康ならばナース資格で訪問入浴とかのバイトできますが、体を壊せば……他人事ではないなぁと。
私の知人に元ホームレスがいます。
郷土の出身で、河川の脇に電子レンジからTVまで置いたコテージを建てて自活していた。
古本のセドリしていて、彼の売る古書は筋が良いもので、セドリ仲間となった縁です。
10年前に地元の地主に雇われた。耕す事から地主さんの介護までやる約束で、住み込みで。
地主さんは相続で兄弟が割れていて、それで地縁のある彼が、中立的に下男になる事になった。で、介護の為に資格も取らせて貰って、
献身もあって、地主さんが亡くなられてからも
資産のアパートに住む事を兄弟が許した。
今は再婚して、福祉の第三セクターで働いています。その彼とこの間に飲んだのですが、
やっぱり俺たちは40だったから、どうにかやり直しが出来たよねと。
だけど還暦すぎたら、もう中々に貯金も出来ないし、テント暮らしもむずかしい。
家も資産もない人が、いきなりブルーシートで
テント暮らし出来ないからねと。
彼のホームレス時代に何人も凍死した仲間がいたそうです。私もホームレスを夏期に3ヶ月ほとやった事があるのですが。私は家がなくても
技能があったから稼ぎはありました。
我々はそれなりに特技があり、サイドビジネス(笑)ができたし貯金もあったから、それほど深刻にならなかった。しかし、私が河川敷から撤退して就職した冬に、何人か亡くなった。
で、それが住居のあるフツーの老人に起きていると。はぁ……。
世も末だなぁ。
お医者様なのに素晴らしい考察がいつも好きです。らくたろうさんのようなお医者様がもっともっと多くなってってもらえれば、日本国民の皆様が天寿を全うできると思います。
いつもありがとうございます。