Singularityというのは、物理学の用語で私も説明されないと解らなかったのですが、現在のトレンドとして使われる場合は「人工知能のような物」の能力の向上がとめどなく進む時点が現れる時、という意味で使われるようです。
NHK出版新書513「人類の未来」2017年刊 で、発明家であり、google技術部門のディレクターとして活躍するRay Kurzweil氏のインタビューが紹介されています。それによると「コンピューターが進化するのは指数関数的であるから、近未来のある時点(singularity)でコンピューターはヒトを完全に超える存在になり、ヒトも進化してpost-humanになるだろう」と。
ヒトゲノム(遺伝子)の解析は、1%解析するのに7年かかったけれども、その後2-4-8-16%と1年で指数関数的に解析が進んで線形的には7年x100で700年かかる所が+7年で100%解析できてしまった。AIの能力も今までの開発年数よりも少ない未来にヒト脳の解析能力を遥かに超える微小コンピューターが開発されてしまうだろう、というのはあり得る事だと思います。
Kurzweil氏によると、singularityを超えることによって、人間社会に以下の2つの可能性が出てくると言います。
1) 創造力や感情を含めてヒトと同じ(以上の)能力を持ったロボットの出現(star trek next generationファンの人はデータやローアの完成形と言えば解るでしょうか)。
2) ヒトにAIの機能を加え、一体化することで進化したsuper humanの能力を持つようになる。
1の方はSFなどで良く登場するヒト型ロボットなので理解しやすいと思いますが、2はサルの脳に進んだ前頭葉が付加されて、言葉や音楽などの創造性を持ったヒトが出現したように、現在のヒトの脳にAIを付加することによって現在のヒト以上の能力を持った人類を作るという意味です。例えば対面している人の思考による微細な電磁波をAIが読み取る事で他人の思考を読み取る能力を持つ人類(テレパス)が出現するとか(それが嬉しいかどうかは別ですが)です。
以下は私の感想ですが、1については実現できそうで実はできないのではないか、と考えています。ある特定の能力(囲碁とか運転とか物作り)についてAIがヒトを超えるのは現在すでに達成されていますが、全てにおいてヒトを超える事は不可能ではないかと思います。その理由は「ヒトは好い加減」だからです。理系の問題には答えが一つしかありませんから、コンピューターは答えを出す事が得意でしょう。しかし文系の問題は答えが一つではありません。「仏教とキリスト教、君はどちらを信ずる?」という問いに人間以上の優れた答えを出すロボットはいないと断言します。勿論設定によってはAIがいろんな答えを出す事は可能ですが、「解答不能」を含めて万人が納得する優れた答えなど出しようがありません。だから全ての分野で「失敗も犯すし、好い加減に物事を決めてしまえるヒト」を超えるロボットなど存在し得ないと私は思うのです。
一方で2については、私は実現可能ではないかと考えます。将来、人類は言語を介さず思考の概念のみで異国人同士が会話する事が可能になるかも知れません。VR(virtual reality)の技術は現在もかなり進んでいますが、視覚障害のあるヒトがカメラの映像を直接脳内にAIの力で神経伝達するといった事は実現性がありそうです。惑星間旅行ができるほど代謝を落として寿命を伸ばせるヒトとか、個人のゲノム解析から自由に必要な臓器を作成して使うとかも実現可能と思われます。
ということで私は2についてはシンギュラリティが起こりそうだと考えています。
私も猫を飼っているのですが、猫は必ずしも私の思い通りになってはくれないのですが、それでもなんとなく一緒に生活できているという風に感じています。理解し合えない部分もあるにはあるんですが、生命あるものというのは、やはり、生命であるが故に、かけがいがない存在だ、と。それらを考慮するとAI時代というのは情緒的についていけないだろうなぁ…と考えてしまいます。