映画「コンタクト」1997年(米国)監督ロバート・ゼメキス、原作カール・セーガン。
あらすじ(ネタバレあり)
地球外生命体とのコンタクトを目指すSETIプロジェクト研究者エリナー・アロウェイ(ジョディ・フォスター)はアレシボ天文台で探査と研究をしていた。しかし、先の見えないSETIプロジェクトに対し懐疑的な天文学の権威ドラムリンによって、彼女のチームは研究費とアレシボの利用権を打ち切られ、研究は中断を余儀なくさせられてしまう。
エリーは独自の資金を求め、ついにS・R・ハデンという富豪スポンサーを得ることに成功する。こうして彼女は遂にヴェガから断続的に発信し続けられる有意な電波信号を受信。早速その解析を進めるが、独断でこれを公にしたことで政府(NSA)が介入。探査は進むが、次第にエリーの思惑とは関係ない方向へと事態が進行し、ヴェガからの指示に基づく時空を超える宇宙船建造につながる。
時空を超える装置のモチーフは2017年のやはり異星人とのファーストコンタクトを主題としたロシア映画「アトラクション」でも使われた。
アトラクションのシーン(スペクタクル的にはこちらが上か)
宇宙船第一号機はテロにより破壊されるが、日本の北海道局地に極秘で作られた第二号からエリーはヴェガに旅立ち、ワームホールらしきものを経由し、天国のようなヴェガにたどり着く。エリーはそこで父親を見つけるが、それはただ父親の容姿をしたイメージ。異星人は何億年もの間知的生命体とこのような方式でコンタクトを取っているのだと言い、さらにこの接触は第一段階であり、また会おうとジョディは地球に送り戻される。この間18時間だったが、地球ではマシーンから球体が落ちて着水するまでの時間しか経過しておらず、このプロジェクトは失敗であり、エリーの体験も幻覚だとされるという展開。
宇宙へのロマンを哲学的に追及したカール・セーガンの小説がBack to the futureやフォレストガンプを手掛けたロバート・ゼメキス監督によってスペクタクルで見やすくなったという内容。しかし元々やや難解で退屈なカール・セーガンの作品なので、スピルバーグの様なエイリアン物を期待した人には物足りなさが残る内容と思います。人類の祖先は細菌から進化したものではなく、宇宙から来たのではないか?神とは宇宙にいるのでは?といった思想とつながっています。物語では、政府や学会の世俗的なしがらみや見栄でプロジェクトが翻弄されるのですが、科学、哲学、宗教は全て「真実」を求める点でその目的は共通するものである、というセーガンの考えに基づいて物語が構成されている点が興味深いものでした。エリーが体験した内容を記録した媒体が全てジャミングで解析不能になっていたものの、長さは地球時間の数秒ではなく宇宙時間の18時間であったり、地球外生命体の知性をほのめかす証拠は残されるものの、結局地道に人類自ら真実を探求しつづける、という結論も良き時代のハリウッド映画(米国)を感じさせる内容でした。この後米国資本主義が世界を支配し続けることで「真実追求」よりも「金と権力の維持」が世の中のインセンティブになってしまい、911、テロとの戦争、グローバリズムの台頭、ネオコン・軍産による世界支配、映画界を含むメディア統制(検閲産業複合体)の現在へと進んでしまった事が残念に思います。
『ある一人の人物が妄想にとりつかれているとき、それは精神異常と呼ばれる。』しかし 『多くの人間が妄想にとりつかれているとき、それは宗教と呼ばれる。』と喝破するが、まったく同じ態度なのがカール・セーガン
最初はハードカバーの『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』が題名を変えて→『人はなぜエセ科学に騙されるのか』上下、と文庫化されるが、また題名を変えて→新しく『悪霊にさいなまれる世界』(上・下)文庫。題名が一番禍々しいが、内容は「神と闘う」ドーキンスと全く一緒で、我々のような日本人的には???
「神(宗教)と本気で戦う科学者」という理解不能の代物なのですよ。科学と宗教が別々になっている日本とは大きく違い、欧米一神教世界では宗教と科学とが一体化していて、全体と部分(あるいは上下。支配被支配)の関係らしいのです。これでは血みどろの争いになるのは必然だった
ジュディ・フォスター主演の映画「コンタクト」1997年(米国)の原作者がカール・セーガンだとは到底信じられない。あれではゴッド=宇宙人ですよ。映画製作時に脚本家が原作を根本的に改変したとしか思えない。
太陽系外への観測船ヴォイジャーに搭載された宇宙人へのメッセージを監修したのがカール・セーガンでしたが、そこでは宗教や神が否定されることはなく、むしろ不完全な科学的検証を科学的と決めつける「似非科学」を強く批判した様です。
カール・セーガン『人はなぜエセ科学に騙されるのか』第10章 ガレージの竜で、
大まじめに「うちのガレージには火を吐く竜がいるんだ」と言えば、誰でも当然見に行くが、もちろんガレージの中には何もいない
「言い忘れたんだが、うちの竜は目に見えないんだ」
ガレージの床に小麦粉を撒いて竜の足跡を取るには「それはいいアイディアだが、うちの竜は宙に浮いているんでね」
赤外線探知器は、「それもいいアイディアだが、目に見えない炎は熱くないんだ」
スプレー式の絵の具の吹きかけは、「あいにく、うちの竜は物質でできていないから、絵の具がつかないんだよ」とことごとく科学的検証を無効にする。
本のタイトルから偽科学批判だと誰でも錯覚するが、
元々の題名は『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』で、一番新しい題名が禍々しい『悪霊にさいなまれる世界』
と偽科学批判ではなくて、宗教批判を主題としていた偽装本なのですから???。カール・セーガンはドーキンスが社会から叩かれるのを見ているので、偽装(トリック)を行ったと思われる。
最初に読んだときはタイトルに騙されて偽科学批判だと思ったので不出来な作品だと感じたが、「神と闘うドーキンス」と同じ趣旨だと判断して再度読み返してみると、色々な欧米先進国の恐ろしい姿が見えてくる仕組み。