とはいえ、ヒロインが不倫の恋を25年間を続けるなんて、朝ドラの一般的な視聴者には許しがたいことでしょう。わたし自身、ほっしゃん。ならともかく綾野剛さん演じるイケメンと糸子がこっそり逢瀬を楽しむといったことが何週も続くなんて、さすがに許せません(笑)。
さて、わたしは昨年10月に「カーネーション」が始まった頃から、前出の綾子さんの自伝をはじめ、その娘で世界的なファッションデザイナーであるコシノヒロコさんやジュンコさんの著書(末っ子のミチコさんだけは著書が見つかりませんでしたが)など今回のドラマに関する書籍をこのエキレビ!でとりあげるつもりで買い集めていました。
ただ、ドラマの原案本というものは、下手に紹介すればネタバレになりかねないから厄介です。わたし自身、もともと朝ドラファン、しかも「カーネーション」は最初から楽しみに観ていただけに、本を買い集めたものの実際に読むのははばかられました。
とりあえずヒロコさんの本(後述)を読み始めたところ、綾子さんの父親が近所の友人たちと温泉に出て死んだくだりをうっかり読んでしまい、その後ドラマ中でヒロインのお父ちゃん(演じるのは小林薫さん)が出かける場面が出てきたときにはつい、「行っちゃダメーーーッ!」とテレビの前で叫んでしまったものです。
そんなわけで、レビューでとりあげるのをためらっていたのですが、ドラマも前半を折り返し、ヒロインの不倫の恋にも一区切りがついたところですし、そろそろいいでしょう。ここは関連本と照らし合わせながら、「カーネーション」のこれまでのお話をおさらいしていきたいと思います。
ヒロイン糸子のモデルとなった小篠綾子さんについては、さっきも書いたようにこれだけ本が出ているわけで、綾子さん自身の視点、娘さんたちの視点を取り混ぜてエピソードを並べていくだけでも十分に面白いドラマができそうなものです。
しかし、「カーネーション」ではそんな安易な方法をとらず、あくまでドラマはドラマとして独自の世界観を成立させています。実話にもとづくエピソードを膨らませたり、あるいはまったく架空の人物やお話を交えることでひとつの物語を紡ぎ出す、これこそ「カーネーション」というドラマのすばらしさではないでしょうか。
綾子さんの実体験とドラマとの相違といえば、こんなこともあげられます。それは戦時中、出征した旦那さんに浮気疑惑が持ち上がったときのこと。このとき、綾子さんはまだ幼かった次女のジュンコさんを海へ連れて行き、ふと「お母ちゃんと一緒に死のか」と漏らしたといいます。
このエピソードについて自著で明かした長女のヒロコさんは以下のように書いています。《お母ちゃんの気性なら、お父ちゃん[綾子さんの夫]をとっつかまえて問いただしたいとこやろうけど、相手は戦争に行って、いない。ヒロコは母親の自分よりお祖父ちゃん[綾子さんの父]にべったりやし、他人のなかで苛立って癇癪起こしてるジュンコなら自分の気持ちをわかってくれるのではないか、とジュンコを[海へ]誘ったのでしょう》(『だんじり母ちゃんとあかんたれヒロコ』。以上、[ ]内は引用者注)何とも、当時の綾子さんの孤独を感じさせる話です。これに対して「カーネーション」の劇中では、ヒロイン糸子が悔しさをまぎらす相手として幼い娘ではなく、幼馴染で、家業の料理屋の女将となっていた吉田奈津(演じるのは栗山千明さん)がうまく起用されていました。
昔からことあるごとにケンカを繰り返していた糸子と奈津ですが、お互い「夫の浮気」という同じ体験をすることで心を通い合わせたという意味で、ストーリー上大変効果的だったように感じます。
ドラマでのオリジナルストーリーといえば、糸子の幼馴染・安岡勘助(演じるのは尾上寛之さん)をめぐる一連の話は胸に迫るものがありました。
もともとは明るい性格だったはずの勘助ですが、出征ののち病気を理由に戦地から帰国すると、部屋に引きこもったまま誰とも口を聞こうとしません。
そんなある日、珍しく家から出てきた勘助を、糸子は励ますつもりで町の喫茶店へ連れ出すのですがこれが裏目に出ます。彼はひょんなことから精神的にショック状態に陥ってしまったのです。
その晩、糸子のもとへ押しかけた勘助の母親(髪結を営む通称“安岡のおばちゃん”。濱田マリさんが好演)の言葉には非常に重いものがありました。「世の中ちゅうのは、みんながあんたみたいに強いわけ違うんや。みんなもっと弱いんや」
――この安岡のおばちゃんのセリフは、朝ドラのヒロインの“いつも明るく、どんな苦境も強く乗り越える”というステレオタイプに対する異議申し立てにも読み取れ、画期的ですらあったと思います。
ところで、「カーネーション」のここまでの話を振り返ってみると、意外や糸子がどんな子育てをしてきたかあまり詳しく描かれてこなかったような印象を抱きます。それでも、今週放送分からはいよいよ3姉妹が進路を決める時期を迎え、糸子と娘たちが向き合う場面も増えてきそうです。
「カーネーション」の放映開始に合わせてたて続けに刊行された本のなかにも、小篠綾子さんと3人の娘さんたちの関係をフィーチャーしたものが目立ちます。
もっともてっとり早く綾子さんと娘さんたちの足跡をたどりたいのなら、長女コシノヒロコさんの監修により國廣幸亜さんがマンガ化した『だんじり母ちゃんとコシノ3姉妹』がおあつらえ向きでしょう。
ただ、テーマはあくまで綾子さんと娘たちのお話なので、綾子さんの少女時代については詳しく描かれていません。少女時代も含めた綾子さんの生涯については、先ほど引用したヒロコさんの『だんじり母ちゃんとあかんたれヒロコ』でもかなりくわしく書かれています。
同書を読んでいて面白いのは、綾子さんが子供たちに対し、かつて父親が自分にしたのと同じようなことをしていた(無意識のうちに親の望む方向へレールを敷いていた)という事実です。
ただ、『だんじり母ちゃんとあかんたれヒロコ』には昔の写真があまり載っていないのがちょっと寂しい。
これに対し、次女のコシノジュンコさんの著書『人生、これからや!』には写真も豊富です。なかでも、創業当時のコシノ洋裁店の写真は、ドラマ中に出てくる「オハラ洋裁店」(のち「洋装」店に改称)まんまでびっくりします。
ジュンコさんはもう一冊、『お母ちゃんからもろた日本一の言葉』という、その題名通り生前の綾子さんの選りすぐりの名言を紹介した本も出しています。それぞれの言葉に添えられたジュンコさんの解説文がまた、自身の体験談を交えたりじつに具体的で、きわめて実践的な名言集といえます。
ヒロコさんもジュンコさんも複数の本を出し、いまは亡き母の偉大さを世間に伝えることに熱心です。しかし娘さんたち以上に“語りたがり”だったのは、小篠綾子さん本人でしょう。
ただし、それは単なる自慢話ではありません。自身の人生を飾ることなく、ときにあけすけに語った綾子さんには、それを何かしら読む人の役に立ててほしいという思いがあったのではないでしょうか。
同時に、本によって語り口を変えるサービス精神も感じます。前出の『糸とはさみと大阪と』は、三人の娘についてそれぞれ章を設けて振り返っていたり、くだんの不倫話もわりとあっさり書かれていたりと一般の読者向けの内容になっているのですが、もう一冊の自伝である『コシノ洋装店ものがたり』は一味違います。
ここでは夫や「Tさん」という不倫相手との関係について、かなり生々しく書かれています。「Tさん」については別れたあとのことにまで触れていて、その内容にまた衝撃を受けました。
ちなみに、綾子さんは朝ドラのファンで、自分もいつかドラマのモデルになりたいと娘さんたちに語っていたそうです(あるときなど、NHKの集金の人にまで頼みこんでいたとか)。
没後ではありますが念願かなってモデルに抜擢されたのに加え、「カーネーション」に対し放映終了前より傑作との呼び声が高いことに、天国の綾子さんもきっと喜んでおられるのではないでしょうか。(近藤正高)