連日、視聴率20%超えの人気となっているNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』。家族との何気ない日々が、いかに大切なのかを私たちに改めて気づかせてくれる。
これから物語は、暗い戦争の時代を経て、戦後、小橋常子(高畑充希)がカリスマ編集長・花山伊佐次(唐沢寿明)に出会い、戦後一世を風靡する実用雑誌『あなたの暮し』を作っていく姿が描かれることになる。チーフ・プロデューサーの落合将さんが言う。
「そこでは常子が雑誌作りに奮闘する姿が中心になりますが、それでも描かれるのは家族です。変わらず君子や妹たちはいますし、何より、常子と花山は“魂のパートナー”であり、まさに生涯にわたって“家族”でしたから」
常子のモデルとなっている大橋鎭子さんも「母と妹2人を幸せにする」との強い思いで、出版の仕事を思い立つ天才編集者・花森安治さんに出会い、昭和23年に生活総合雑誌『暮しの手帖』を創刊した。
物もお金もない時代に、女性の暮らしを豊かにする知恵や工夫がつまった『暮しの手帖』は発行100万部を超える部数を誇った。
大橋さんは一生独身だったが、花森さんと二人三脚で、社員や編集者を大事にしながら編集者として働いた。それは2013年に93年の生涯を閉じるまで終生変わらなかった。
1つ下の妹・晴子さんの娘婿で、現在、暮しの手帖社の社長を務める阪東宗文さん(69才)は、晩年の大橋さんについてこう語る。
「彼女は編集部にやってきて、担当していたエッセイのページ『すてきなあなたに』だけは最後まで目を通し、ああだこうだとやっていました。
また、企画のネタになるからといっていろんなものを両手いっぱいに買い込んだり、編集部員に“出来てる?”などと声をかけたりしていましたね」
大橋さんのモットーは“人が大事、人に親切”。昭和35年から24年間にわたり『暮しの手帖』に勤務していた元編集部員の小榑雅章さん(78才)は、大橋さんとの思い出を振り返る。
「入社したときに鎭子さんから、“盆も正月もありません。親の死に目にも会えないというのを覚悟してください”と釘を刺されていましたが、私の母が急病で倒れた時、鎭子さんは“早く帰りなさい”と大学病院の先生を紹介してくれたばかりか、ハイヤーを出してくれて病院に付き添ってくれました」
そこにあるのは、社長と社員を超えた家族のような関係だった。だからこそ、編集部員は親しみをこめて社長である大橋さんを「鎭子さん」と呼んだ。
昭和47年から8年間勤めた元編集部員の唐澤平吉さん(67才)も言う。
「社長という感じはあまりしないかたで、私には“東京のお母さんだと思ってね”と言ってくださいました。休日出勤していると、鎭子さんが賀茂なすを切って揚げびたしを作ってくれたこともありました。ショウガをすりおろして“これ食べてみなさい”って。初めての味でした」
そして、大橋さんにとっての“家族”は社員だけではなかった。小榑さんが言う。
「鎭子さんも花森さんも“日本中が家族”だと思っていたんです。当時は戦争で何もかも破壊されて、日本中が貧しくて着るものもなくて誰もがお腹をすかせている時代でした。『暮しの手帖』は、庶民の家族に寄り添いたい、日本中の家族を家族だと思って企画編集してきました」
戦後、近代化と工業化が進み、夫は仕事、妻は家事を担う“分業体制”になった。そんななか、女性の暮らしを支えたのが大橋さんであり、『暮しの手帖』だった。