おはようございます!
梅雨模様な@湘南地方です。しとしとじとじと…
さて、ふと目についたこんな記事。読者の質問とその回答、という構成。
(東洋経済ONLINEより引用)
==============================
友達に「会社の格」をバカにされたときの対処法
先日、学生時代からの友人たちにこう言われました。「会うたびに勤務先の“格”が落ちるね」と。
自分自身はそういった考えを持っていなかったのですが、私はいわゆる私立のトップ大学を卒業後、大手の商社に就職し、その後中小のコンサル会社、中堅の会社を経て現在はベンチャー企業に勤務しています。
自分としては着々と成長路線を歩んでいると思っているのですが、先日そう言われたことを受け、不覚にも自分の感覚が世の中とちょっとずれているのでは、と思い始めてしまいました。
今後を生きていくうえでやはり会社の格を意識したほうがいいのでしょうか。今後の転職時の参考までにご意見お聞かせください。
…
職業人としての価値は勤務先の会社で決まるものでは決してありません。人生における「格」を定義付けるのは一個人としての自分自身であり、自分自身の価値観です。
つまり、人生において「格」なるものが存在するとしたら、それは他人に定義されるべきものではなく、あくまでも自分自身で定義し、形成するものであり、問われるのは個人としての自分自身を自分でどう捉えるかという結果としての「格」です。
どこの組織に所属しているかはそもそも大した問題ではありませんし、特定の会社に在籍するという事実だけをもって優劣など判断できるはずもありません(そもそもなんの優劣だ、という問題すらあります)。
(以下略)
==============================
(引用終わり)
アイデンティティを属性に依存している時点でまだまだおこちゃまなわけで。
というか、こういう相談、経済誌に載るもんなんだ…R25とか、AERAとかの系統の得意分野だと思ってた。
複数の議論が相乗りしている話題だと思う。
① “社格”が高い企業(文脈上は「大企業」?)に勤務している = 将来は安泰?
② “社格”が高い企業に勤務している = その人の「格」も高い?
③ 生き方って、他人と比較して良/不良を決めるもの?
④ “成長路線”って、何?
①についてはもはや遠い昔に答えがでていることで。
「大きい」ことは企業の安定性を意味しないし、安定した企業があるとして、そこに所属するには本人の人一倍の研鑽が求められる。
②も同様。そもそも他人に生かされている状態で「格」もへったくれもない。
③は、難しい問題だと思う。いやもちろん「良い人生だったかどうか」は絶対的なものであって他人との相対比較などではない。
だけど、歩んでいる過程において他人の姿は常に目に映るし、嫉妬ややっかみや優越感は俗物である限りはついて回る。
50が徐々に視界に見えてきた身としても未だにそうした感情からは完全には解脱できていない(できないものと悟って、その上でどうつきあうかの心境になっている)。
良い人生を生きようと思って、他人の生き様に学ぶのはありじゃないかと思う。
④もまた難しい問題。最近一つ答えとして持っているのは、
今の自分にちょうどよい課題を自ら設定できるようになる、というのが大人の成長じゃないかな、と。
求められるのは自律性。他人は物差しになり得るけど物差しとの比較には価値がない。
結局、人からどう見られるとか、世間体がどうとか、常識がどうとか、
そういうことに縛られている間は自分の人生を歩めていないんじゃないかな、と思う。
いや、「非常識であれ」ということではなく、そういうものは所与のものとして一旦受け止めたうえで、自分の尺度で決めていく。
世の中の誰も認めてくれなくても、健全な状態の自分が心の底から納得できる答えにたどり着ければ、
それが良い生き方なのじゃないかな、と思う。
「私立のトップ大学」とか「大手の商社」とか、そんな世の中に何十万人、何百万人もいるような程度のレアリティに縋りついてたら
もっと価値のあるものを見過ごしてしまうと思う。
梅雨模様な@湘南地方です。しとしとじとじと…
さて、ふと目についたこんな記事。読者の質問とその回答、という構成。
(東洋経済ONLINEより引用)
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友達に「会社の格」をバカにされたときの対処法
先日、学生時代からの友人たちにこう言われました。「会うたびに勤務先の“格”が落ちるね」と。
自分自身はそういった考えを持っていなかったのですが、私はいわゆる私立のトップ大学を卒業後、大手の商社に就職し、その後中小のコンサル会社、中堅の会社を経て現在はベンチャー企業に勤務しています。
自分としては着々と成長路線を歩んでいると思っているのですが、先日そう言われたことを受け、不覚にも自分の感覚が世の中とちょっとずれているのでは、と思い始めてしまいました。
今後を生きていくうえでやはり会社の格を意識したほうがいいのでしょうか。今後の転職時の参考までにご意見お聞かせください。
…
職業人としての価値は勤務先の会社で決まるものでは決してありません。人生における「格」を定義付けるのは一個人としての自分自身であり、自分自身の価値観です。
つまり、人生において「格」なるものが存在するとしたら、それは他人に定義されるべきものではなく、あくまでも自分自身で定義し、形成するものであり、問われるのは個人としての自分自身を自分でどう捉えるかという結果としての「格」です。
どこの組織に所属しているかはそもそも大した問題ではありませんし、特定の会社に在籍するという事実だけをもって優劣など判断できるはずもありません(そもそもなんの優劣だ、という問題すらあります)。
(以下略)
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(引用終わり)
アイデンティティを属性に依存している時点でまだまだおこちゃまなわけで。
というか、こういう相談、経済誌に載るもんなんだ…R25とか、AERAとかの系統の得意分野だと思ってた。
複数の議論が相乗りしている話題だと思う。
① “社格”が高い企業(文脈上は「大企業」?)に勤務している = 将来は安泰?
② “社格”が高い企業に勤務している = その人の「格」も高い?
③ 生き方って、他人と比較して良/不良を決めるもの?
④ “成長路線”って、何?
①についてはもはや遠い昔に答えがでていることで。
「大きい」ことは企業の安定性を意味しないし、安定した企業があるとして、そこに所属するには本人の人一倍の研鑽が求められる。
②も同様。そもそも他人に生かされている状態で「格」もへったくれもない。
③は、難しい問題だと思う。いやもちろん「良い人生だったかどうか」は絶対的なものであって他人との相対比較などではない。
だけど、歩んでいる過程において他人の姿は常に目に映るし、嫉妬ややっかみや優越感は俗物である限りはついて回る。
50が徐々に視界に見えてきた身としても未だにそうした感情からは完全には解脱できていない(できないものと悟って、その上でどうつきあうかの心境になっている)。
良い人生を生きようと思って、他人の生き様に学ぶのはありじゃないかと思う。
④もまた難しい問題。最近一つ答えとして持っているのは、
今の自分にちょうどよい課題を自ら設定できるようになる、というのが大人の成長じゃないかな、と。
求められるのは自律性。他人は物差しになり得るけど物差しとの比較には価値がない。
結局、人からどう見られるとか、世間体がどうとか、常識がどうとか、
そういうことに縛られている間は自分の人生を歩めていないんじゃないかな、と思う。
いや、「非常識であれ」ということではなく、そういうものは所与のものとして一旦受け止めたうえで、自分の尺度で決めていく。
世の中の誰も認めてくれなくても、健全な状態の自分が心の底から納得できる答えにたどり着ければ、
それが良い生き方なのじゃないかな、と思う。
「私立のトップ大学」とか「大手の商社」とか、そんな世の中に何十万人、何百万人もいるような程度のレアリティに縋りついてたら
もっと価値のあるものを見過ごしてしまうと思う。