おはようございます!
今日は雲が広がる@湘南地方です。
昨日は久々、午後から夜まで都内でした。
日本弁理士会主催 知財活用ビジネスプランコンテスト の表彰式。
ただただ刺激的で心地の良い時間でした!弁理士としての初心に帰らせていただきました。
さてさて、今日はこんな記事。
(ABEMA TIMES より引用)
===================================
LINEで句点「。」は誤解を招く… “マルハラスメント”とは? 若者世代「冷たい、怒ってる、冷めてる、もう会話が終了という意図なのかなと」
今、「マルハラ」という新たなハラスメントが注目されている。
「承知しました。」という一見、何の変哲もない表現が若者たちにとっては淡々としすぎていて、怒っているように感じられるという。これは「マルハラ」と呼ばれ、若者たちにとっては「。」が怖く、新しいハラスメントになっている。また、「連絡ください。」「すぐ来てください。」「はい。」など、最後に「。」がついた文面も怖いと感じているようだ。
実際に若者世代に話を聞くと「しっかりしすぎていて、すごい丁寧に書いてくるって、心の距離があるように感じて冷たく感じる」「バイト先の人なんですけど『給料○○円振り込みました。』って言う。なんか俺…ここで働いて納得してくれているのかなみたいな…」といった声が。それに対し大人世代からは「仕事では『。』だよね。何も変な意味じゃないけど『はい。』とか『ありがとうございます。』とかそれが普通」といった意見があった。
(以下略)
===================================
(引用終わり)
2つに分けてコメントしたい。
一つ目は、「表記法による意図の伝わり方の時代/世代による変遷」。
記事を見て自分のLINE友達とのトークを見てみた。
そういわれると、同世代は「。」使ってる人多め。
一方でムスメとのやりとりで「。」はゼロ。
若い世代とのやり取り、ほとんど末尾が絵文字か「w」
なるほど。ツールの特性上短文でのやりとり。
その中に「。」があると、断定的な響きに聞こえてしまう、ということなのかな。
というのと、
「吹き出し」というUI自体が”書き言葉の話し言葉化”を助長する、という側面があるのかな、と。
わざわざ「。」つけなくても一文の終わりはわかるし(通常の書き言葉だとそうはいかない)。
そういう意味で、「LINEでの作法に従えば『。』を使うのは少し堅苦しく誤解を生じる可能性がある」
と言われれば、そうなのかもしれないなぁ…と思う。
自覚症状として、何となく曖昧な伝達、言い切らないかたちにしたいときとかは
「…」や「、、、」を遣ったり、或いは好意的な回答であることを示すために「!」を遣ったりすることもある。
そのツールを使うボリュームゾーンが変化するに応じて、文法も変わっていく。
それは、そういうものだと思う。
・・・・
で、二つ目の話。
そこでね、なぜ「ハラスメント」というレッテルを貼られにゃいかんのか!?
「ハラスメント」は「harass」の名詞形。harassは“(しつこく)悩ます、困らす、苦しめる”ことで、
主観的に意図をもって客体に苦痛を与えること。
別に、「。」を語尾に使うことで苦痛を与えてやろうだなんて1mmも思っていないのですよ。
嫌がるのは勝手だが、「。」の遣い方ひとつでそこまで思ってしまう感受性を持っているのならば
「ハラスメント」なんて言葉の遣い方が相手に与える印象にも気を配って欲しい、というのは…もう年寄の遠吠えなのかな…
もっとも、「。」にそういう印象を持つ人が「ハラスメントだ!」と言っているわけではなくむしろその事象を伝えているメディア側の言葉の遣い方の問題なのだけど。
なぜ言葉を「つかう」の漢字が「使う」ではなく「遣う」なのか、も含めて、言葉のプロであるメディアの方にはよく考えていただきたい、と思うのです。
今日は雲が広がる@湘南地方です。
昨日は久々、午後から夜まで都内でした。
日本弁理士会主催 知財活用ビジネスプランコンテスト の表彰式。
ただただ刺激的で心地の良い時間でした!弁理士としての初心に帰らせていただきました。
さてさて、今日はこんな記事。
(ABEMA TIMES より引用)
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LINEで句点「。」は誤解を招く… “マルハラスメント”とは? 若者世代「冷たい、怒ってる、冷めてる、もう会話が終了という意図なのかなと」
今、「マルハラ」という新たなハラスメントが注目されている。
「承知しました。」という一見、何の変哲もない表現が若者たちにとっては淡々としすぎていて、怒っているように感じられるという。これは「マルハラ」と呼ばれ、若者たちにとっては「。」が怖く、新しいハラスメントになっている。また、「連絡ください。」「すぐ来てください。」「はい。」など、最後に「。」がついた文面も怖いと感じているようだ。
実際に若者世代に話を聞くと「しっかりしすぎていて、すごい丁寧に書いてくるって、心の距離があるように感じて冷たく感じる」「バイト先の人なんですけど『給料○○円振り込みました。』って言う。なんか俺…ここで働いて納得してくれているのかなみたいな…」といった声が。それに対し大人世代からは「仕事では『。』だよね。何も変な意味じゃないけど『はい。』とか『ありがとうございます。』とかそれが普通」といった意見があった。
(以下略)
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(引用終わり)
2つに分けてコメントしたい。
一つ目は、「表記法による意図の伝わり方の時代/世代による変遷」。
記事を見て自分のLINE友達とのトークを見てみた。
そういわれると、同世代は「。」使ってる人多め。
一方でムスメとのやりとりで「。」はゼロ。
若い世代とのやり取り、ほとんど末尾が絵文字か「w」
なるほど。ツールの特性上短文でのやりとり。
その中に「。」があると、断定的な響きに聞こえてしまう、ということなのかな。
というのと、
「吹き出し」というUI自体が”書き言葉の話し言葉化”を助長する、という側面があるのかな、と。
わざわざ「。」つけなくても一文の終わりはわかるし(通常の書き言葉だとそうはいかない)。
そういう意味で、「LINEでの作法に従えば『。』を使うのは少し堅苦しく誤解を生じる可能性がある」
と言われれば、そうなのかもしれないなぁ…と思う。
自覚症状として、何となく曖昧な伝達、言い切らないかたちにしたいときとかは
「…」や「、、、」を遣ったり、或いは好意的な回答であることを示すために「!」を遣ったりすることもある。
そのツールを使うボリュームゾーンが変化するに応じて、文法も変わっていく。
それは、そういうものだと思う。
・・・・
で、二つ目の話。
そこでね、なぜ「ハラスメント」というレッテルを貼られにゃいかんのか!?
「ハラスメント」は「harass」の名詞形。harassは“(しつこく)悩ます、困らす、苦しめる”ことで、
主観的に意図をもって客体に苦痛を与えること。
別に、「。」を語尾に使うことで苦痛を与えてやろうだなんて1mmも思っていないのですよ。
嫌がるのは勝手だが、「。」の遣い方ひとつでそこまで思ってしまう感受性を持っているのならば
「ハラスメント」なんて言葉の遣い方が相手に与える印象にも気を配って欲しい、というのは…もう年寄の遠吠えなのかな…
もっとも、「。」にそういう印象を持つ人が「ハラスメントだ!」と言っているわけではなくむしろその事象を伝えているメディア側の言葉の遣い方の問題なのだけど。
なぜ言葉を「つかう」の漢字が「使う」ではなく「遣う」なのか、も含めて、言葉のプロであるメディアの方にはよく考えていただきたい、と思うのです。