goo blog サービス終了のお知らせ 

Renaissancejapan

哲学と宗教、財閥、国際政治、金融、科学技術、心霊現象など幅広いジャンルについて投稿しています

ロスチャイルド財閥ー36 ボーア戦争

2022-10-09 23:17:01 | 国際政治・財閥

オックスフォード大学 ドームの建物がローズハウス(ローズ奨学金で有名)



ローデシアを創った「アフリカのナポレオン」
アフリカのトランスヴァール共和国もゴールドラッシュで沸き、ロスチャイルド家の欲望の標的になると同時に、デビアスを通じて金鉱業に進出したセシル・ローズを筆頭にイギリス人が大量に侵入、同共和国に住むボーア人たちは反感と憎悪を抱きました。

ボーア人とは、そもそも、オランダから移民してきたケープ植民地の農民で、1830年代に無人の内陸地に移動して生活圏を築き、数々の困難を克服してオレンジ共和国(1854年)とトランスヴァール共和国(1857年)を建国していたのでした。

ローズは、1839年に、東インド会社をモデルとして南アフリカ地域の植民地経営を目的とした「ブリティッシュ南アフリカ会社」を設立。翌年にはついにケープ植民地首相(在位1890-1896年)に就任しました。

この間彼は、遠征軍をンデベレ人などの居住区など北方に派遣して、イギリス本土の4倍半にも相当する広大な土地を奪ってブリティッシュ南アフリカ会社の統治下に置き、ローズの名にちなんでローデシアと命名しました。


ローズ首相は、ケープとカイロの間を電信と鉄道で結ぶ計画(3C政策の一環)を推進しました。 彼は南アフリカの実権を一手に握り「アフリカのナポレオン」と呼ばれるにとどまらず、

さらに大英帝国の下に南アフリカ地域に広大な統一された植民地「南アフリカ連邦」を建設することを企図したのです。


「紙は世界地図が、より多くイギリス領に塗られることを望んでおられる。 できることなら私は、夜空に浮かぶ星さへも併合したい」とは彼の言葉です。

1891年2月、ローズ首相は、ナサニエルとローズベリー卿らとロンドンで秘密の円卓会議グループを組織しました。 このメンバーで、南アフリカ地域の利権を将来にわたってしっかりと固めたといわれています。




ボーア戦争
1890年、トランスヴァール共和国で320キロメートルに及ぶ世界有数の金の富鉱体(ふこうたい)が発見されると、ローズから支援を受けたケープ植民地総督アルフレッド・ミルナー
卿(在位1897年ー1901年)は、ボーア戦争(1899年ー1902年)を仕掛け、結局、イギリスはボーア人を征服し、オレンジ共和国とトランスヴァール共和国を併合しました。

ボーア戦争で、イングランド銀行、ロスチャイルド家、J・P・モルガン、モルガン・グレンフェル、ベアリングス銀行は、世間から非道な侵略戦争に与(くみ)するものと非難を浴びながらケープ植民地政府による国債発行の代理人となりました。


シティの中核であるイングランド銀行の総裁や理事たちもロスチャイルド系で占められていたたため、ボーア戦争で必要な資金を、イングランド銀行総裁のヘンリー・グレンフェルと後継者のヒュー・スミスが公式の場で異論なく手配したとされています。

ヘンリー・グレンフェルの息子エドワード(1870年ー1941年)は、ネイサンがロイズ保険に対抗して創設した「アライアンス保険」の役員であるとともにイングランド銀行理事でした。

彼は、モルガン家と手を組み、ロンドンでモルガン・グレンフェル商会(1910年、J・S・モルガン商会を改称)を経営します。

ロスチャイルド家が背後にいる兵器メーカーのヴィッカース社やユダヤの「死の商人」バジル・ザハロフ(1849年ー1936年)はイギリス人とボーア人の双方に武器を売りました。



ミルナー卿によってつくられた強制収容所には12万人が収容され、女子供を含む2万7千人のボーア人が死んでいきました。

家畜も殺され、農場は焼き払われ、勇敢なボーア人たちも遂に降伏しました。

第二次ボーア戦争では、アルフレッドが、イギリス側とボーア側との調停をディナー・テーブルで促しました。

南アフリカ地域の鉄道や電話をはじめとする権益は、結局、ロスチャイルド家のものとなっていきます。

実は、ローズもロスチャイルド家から多額の借り入れをしていました。 彼はデビアス株で大きく儲けていたので、同じ借金漬けでもチャーチルらとは状況が違っていたと言いますが、1902年に彼が亡くなった際には、ナサニエルの弟レオポルドが遺産管理を行いました。


レオポルドは、オックスフォード大学にいて、ローズ奨学金制度を立ち上げる手助けをしました。


ローズの思想は敵目標であった「一切の戦争を不可能にするひとつの巨大な権力(世界政府)の樹立を目指す」がローズ奨学金の設立理念のひとつとなりました。

同奨学金は、その後、アメリカ合衆国などでクリントン大統領などの著名政治家を輩出します。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029

日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ロスチャイルド財閥-35 大英帝国に太陽の沈む時なし

2022-10-09 14:53:24 | 国際政治・財閥
カントリーハウス政治
ナサニエルの影響力は巨大でした。彼の資金力はイギリス政府の運命を左右するものでした。 

彼は、ローズベリー卿(自由党)やランドルフ・チャーチル(保守党)、アーサー・バルフォア卿(保守党)、jyゼフ・チェンバレン(自由党→自由統一党)など、自分と見解を同じくする輩であれば、政党がどちらであれ親しい関係を築きました。

要するにロスチャイルド党であればいいのです。 「カントリーハウス政治」と呼ばれるスタイルは、彼が完成させた政治形態でです。
どの党の有力政治家も、ロスチャイルド家のカントリーハウス(特にトリング、ワデスドン、ハルトンの大邸宅)の定期的なゲストとなりました。

ここで多くの重要な政治的決定がなされました。 1890年5月、ビクトリア女王も、広大なワデスドン・マナー(館)に主のフェルディナンド・ロスチャイルドを訪ねました。



ロスチャイルド財閥ー12 ワデスドンマナー
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/85e7f5f8045775dd842672d531813728
「ワデスドン・マナー」で大富豪ロスチャイルド家の財宝と生活を垣間見る
https://art.japanesewriterinuk.com/article/waddesdon-manor.html



ビクトリア女王(1819年-1901年) イギリス・ハノーヴァー朝第6代女王


大邸宅の美しさと素晴らしい雰囲気のなかで、ビクトリア女王は彼を大変気に入りました。1891年には、女王は南フランスに滞在し、フェルディナンドの妹アリスの別荘を何度も訪れました。

女王はいつの間にか、ヨーロッパのユダヤ王たるロスチャイルド家の虜(とりこ)になっていました。



ナサニエルは、祖父の代からの伝統で、形式的に自由党に所属していたものの、保守党のチャーチルと連携した動きでもわかる通り、彼自身の本音は保守派であり、革新的な政策にはすべて反対しました。

彼は改革政党に潜入して内部から改革案を潰す保守派のお手本のような人物でした。1886年からは自由党を離れ自由統一党に所属し、保守党と自由統一党の連携の橋渡し役を務め、最後に保守党に入ります。

彼の「改革」に反対する演説は、博識に溢れ理路整然としていました。 かつて保守党党首に就いていたディズレーリは、ナサニエルの演説に感心して、「歴史的事実について知りたいと思うときは、いつもナサニエルに尋ねた」と語っています。

しかし、1909年自由党政権の大蔵大臣ロイド・ジョージは、「我々の改革への一切の道は『ナサニエル・ロスチャイルドの命により通行禁止』という注意標識ひとつで封鎖されるのか」と批判しました。





大英帝国に太陽の沈む時なし
19世紀末になって、ロンドン家のシティでの大きな影響力の下、英王室憲章に基づいたアジアやアフリカの富を開発するための企業が数多くつくられました。


ビリティッシュ・ノース・ボルネオ1881年)、ロイヤル。ニジェール(1886年)、インペリアル・ブリティッシュ・イースト・アフリカ(1888年)、ブリティッシュ・サウス・アフリカ・カンパニー(1889年)などです。


こういった企業には、特権が与えられ、現在のインドネシア、ナイジェリア、ケニア、南アフリカなどの地域における大英帝国の商業的権益を確実なものにしていったのです。 





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029

日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥ー34 ディズレーリの後継者

2022-10-09 10:44:15 | 国際政治・財閥

ベンジャミン・ディズレーリ Benjamin Disraeli(1804年ー 1881年) イギリス首相
ロスチャイルド家が操った首相。


ロスチャイルド家は他の富裕なユダヤ人とともに、ユダヤ開放の原動力となってきたグラッドストーンの「自由主義」の旗を降ろし、国際的な利益拡充に積極的なディズレーリの「帝国主義」の旗を高々と揚げ始めます。

約40人の貴族や地方を地盤とした自由党のグループさへも、グラッドストーンから離れていきました。 ナサニエルは、自由党にいながら、ますますグラッドストーンを無視するようになり、保守党員のように行動しました。

1885年、彼は保守党の下院議員で、ディズレーリの後継者を自任するランドルフ・チャーチル(1849年ー1895年)と意気投合しました。

後のイギリス首相ウィストン・チャーチルの父親です。


ナサニエルとチャーチルの二人は自由党の分裂と、自由党のグラッドストーン内閣に代わる保守党のソールズベリ連立内閣の実現を画策します。

しかし、時期尚早だったようで、結局、第一次ソールズベリ内閣は実現したものの、少数与党のまま短命に終わりました。

この内閣で、チャーチルはインド大臣に就任し、インドに関するロスチャイルド家の権益のために働きました。 と問えば、インド・ミットランド鉄道建設の借款を、ロスチャイルド家にそのまま委ねたのです。



1885年11月の第3次英緬(えいめん)戦争でビルマ王朝(コンバウン朝)は滅亡し、翌年ビルマはイギリス領インド帝国に併合されて、その1州となりました。

国王は家族と共にインドのボンベイの南に流され、その地で亡くなりました。

このチャーチルのビルマに関する決定も、ロスチャイルド家の利権獲得と関係していました。 というのは、1週間もたたないうちに、ロスチャイルド家はすべてのビルマの在来鉄道と辺境に向けての新線建設を委ねられるべく手を挙げています。

1889年、N・M・ロスチャイルド&サンズは、イギリス政府から採掘権を得たビルマ・ルビー鉱山会社の株式公募に踏み切りました。 

この公募も意仕込みにロンドン中の投資家が殺到、プレミアムは300%に達し、大成功を収めました。 ルビーの価格も高騰し、ロンドン家は大きく儲けました。 



「チャーチルとナサニエルは、大英帝国の莫大なビジネスを一緒になって推進している」。

「チャーチルはロスチャイルド家と親しすぎる」「チャーチルは何でもナサニエルに話過ぎる」

「チャーチルは政治情報と引き換えに見返りを得ている」などと世間でも負わさされました。


チャーチルもご多分に漏れずお金に困っていて、1895年に45歳で梅毒が原因で亡くなったときにはロスチャイルド家に多額の借金を背負っていました。

彼がロンドン家の助言によって同家から融資を受けて購入した南アフリカ金鉱会社株は20倍にも高騰しましたが、すべて息子のウィストン・チャーチル(後の首相)が相続した借金の返済に充当されました。







ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029

日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ロスチャイルド財閥ー33 貴族となったユダヤ王ナサニエル

2022-10-09 04:53:02 | 国際政治・財閥
1885年、ロスチャイルド家は最大のの名誉を手に入れました。
ナサニエルはグラッドストーン首相推奨により、国家への功績大と認められ、遂に貴族の爵位を授けられて、初代男爵(バロン)となり、貴族院(上院)の議席に座る最初のユダヤ教徒となりました。

宣誓の際には、ユダヤ教帽をかぶり、ユダヤ教式の宣誓を行いました。 貴族になっても、ナサニエルは引き続き同朋ユダヤ人への気配りを忘れませんでした。

同じく1885年、彼は、金ブローカーであるモカッタ、モンテフィオーレ、モンタギューなどの富裕なユダヤ人を結集して、ロンドン・イーストエンドの大量のユダヤ人移民を含む貧しい人々のために「4%産業労働者住宅会社」を設立しました。

株主は4%の低配当で我慢し、最小家賃でできるだけ多くの住居を供給しようという趣旨の会社です。 資本総額の4分の1はナサニエルが出し、1914年までn8棟1600部屋を供給します。

同時に、ナサニエルは、イギリスばかりではなく、世界中のユダヤ人の面倒を見ました。 彼はこの意味でも「ユダヤ人の王」でした。 彼が世界旅行の途中に、バグダッドを通った時、バグダッド在住ユダヤ人たちは、彼を迎えるのに、自分たちの先祖がバビロンの王を迎えたのと同じ礼をもってしました。

彼らにとっては、ナサニエルは待ち望んでいた伝説の王であったのです。






現在、日本では、小泉・安倍政権が導入した新自由主義政策により、社員の非正規化が進み、20代の真面目に働く若者たちや、パート収入で家計を支えるシングルマザーがいとも簡単に解雇され、ホームレスが増えています。 そして人材派遣会社は政治家との癒着で大儲け。

一方、安倍政権ではウィグル問題で欧米から不買運動が起きているユニクロ(ファーストリティリング)株を大量に日銀に購入させ、お友達のユニクロの柳井社長の個人資産は数兆円と、大企業の売り上げレベルの世界的大富豪にしました。

そして、ユニクロの一番の大株主は日本銀行で20%以上を保有というインチキで、これまた追うべし先進諸国から非難を浴びています。 格差が広がり、中流家庭のほとんどが、貧困層になってしまった日本。


住宅さへあれば、若者やお母さんたちが、ホームレスなどする必要が無く、何とかなります。 ロスチャイルドを見習って、公営住宅を充実させ、限りなく無償に近い価格で、国民に提供すべきだと思います。

そうすれば、子供も安定した環境で育ち、いろんなことを学ぶ機会も得られ、その中から将来は成功者が何人も現れ、日本が復活するのではないでしょうか?



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029

日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ロスチャイルド財閥ー32 トインビー・ホール

2022-10-09 01:21:30 | 国際政治・財閥
遥か彼方からアフリカを操るロスチャイルドとイギリス。 ロンドンの街は賑やかでした。

1884年、20世紀最大の歴史家の一人に数えられ、日本でも知られたアーノルド・J・トインビーの叔父にあたる歴史学者で、社会革命家のアーノルド・トインビーが開設に努力した 「トインビー・ホール」がオープンし、多彩な学者・文化人・政治家・芸術が集いました。

後にノーベル物理学賞を受賞した、イタリアのマルコーニは無線実験をこのホールで公開します。 インド独立運動のガンジーもこのホールで公演を行います。トインビー・ホールは共産主義に親和的な雰囲気も醸し出していました。 レーニンは、イギリスに来てこのホールでのディべートに参加しています。


「トインビー・ホール」の運営に関わったひとりウィリアム・ベバリッジは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス・アンド・ポリティカル・サイエンス(LSE)の学長となり、もうひとりのクレメント・アトリーは労働党党首から首相になります。

KSEは、女工ストライキの闘争資金を支えたフェビアン協会系の人々が中心となって1895年に創立された大学です。 創立の目的は社会の改善で、社会主義的な色彩を帯び、後に共産主義者の育成機関と言われました。



今日、経済学を中心に社会科学の研究・教育で世界1,2位に評価されることがあるLSEは、卒業生と教員の中から20人ほどのノーベル賞受賞者を出しています。

後の1936年、ロックフェラー家の実質上の4代目当主となっていくデイビッド・ロックフェラーは、ハーバード大学卒業後、LSEに留学しています。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029

日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー