Renaissancejapan

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ロスチャイルド財閥-45 第一次世界大戦 ドイツの3B政策とイギリスの3C政策

2022-10-11 20:04:30 | 国際政治・財閥

ドイツの3B政策とイギリスの3C政策

3Bは、ドイツの植民地(獲得)政策で、ベルリン・バグダード・ビザンチウム(イスタンブル)
3Cは、イギリスの植民地(獲得)政策で、カイロ・ケープタウン・カルカッタ(コルカタ)

3Cは既存の体制で、そこに新興の3Bが食い込むという形で、この2つがぶつかったため第1次世界大戦につながりました。




19世紀末のヴィルヘルム2世時代のドイツ帝国は、首都ベルリンからトルコのイスタンブールを通って、イラクのバグダッドに至るバグダッド鉄道を建設しました。

イギリスがボーア戦争中の1899年には、ドイツは隙をついて鉄道をさらに南進させ、遂にペルシャ湾に至る利権を獲得して油田の開発に乗り出しました。その中心となったのが、ジーメンスが設立したドイツ銀行です。

その背後には、アメリカのロックフェラー家がいたとも言われています。 ヴィルヘルム2世は、オランダ、ベルギー・バンクカン半島そしてペルシア湾にまで及ぶ広大な新ゲルマン国家をつくっることを夢見、同時に大海軍の建設にも乗り出していました。



ところで、1852年から1914年の間に、N・M・ロスチャイルド&サンズが発行した債権の地域別割合は、イギリス9%、イギリス本国以外の大英帝国6%、ヨーロッパ大陸46%、北アメリカ23%、ラテンアメリカが15%なそとなっています。 

大英帝国のシェアが小さく、ヨーロッパ大陸が約半分のシェアを占め、南北アメリカがこれに続いています。全体では民間よりも公的セクターの方が圧倒的に多く94%となっていました。

この間、一貫して、ヨーロッパ大陸や南北アメリカの政府への投資に力をいれていました。
実際、ロンドン家がフランス、オーストリアなどでの起債の役割を担い続けることは、大英帝国の安全保障上も重要でした。


「ロスチャイルド家は、需要な19世紀にアメリカへの投資に意欲的ではなかった。 そのためにロックフェラーとモルガンに出し抜かれた」 というような話が世間に流布されますが、これはデタラメです。

確かにロンドンのマーチャント・バンク(国際銀行)が発行したアメリカとカナダの鉄道証券を例に見る限りでは、1位のベアリング商会の取扱高は、N・M・ロスチャイルド&サンズの40倍を超える金額です。

しかし、セリグマン商会、半部ローズ銀行、モルガン・グレンフェルなどロスチャイルド連合としての合計金額では、両者は逆転します。



一方、それぞれの国内で、パリ家は特に北部鉄道の大株主として成功を収め、ロンドン家は国防分野で大きな成功を収めました。

ロンドン家は外交的に大英帝国の重心となり、アルフレッドは大邸宅での晩餐を利用し、「物静かな辣腕外交官」として、アフリカ、南アメリカ、そして太平洋地域に於けるイギリスとドイツとの植民地政策の利害調整や両国関係に危機が生じたときの仲裁に大役を果たしました。

彼はサモア機器を裏で解決し、ベネズエラの債務危機で英独に協調させ、アフリカにおけるポルトガル領の英独への割譲についても関与しました。

第一次世界大戦後、数年を経て多くの外交関係の出版物が出ると、大戦前の列強の外交にアルフレッドがどれほど深く関わっていたかが世に知られました。

ロンドン家は、イギリスの帝国主義政策の波に乗って、海外での鉱山投資や金属や宝石の国際市場に特に大きく関与し、その利益は途方もなくばくだいでした。

N・M・ロスチャイルド&サンズは、インド・南アフリカや北アメリカ西岸での鉱山に巨額の投資を行い、さらにその銀行業務は南アメリカでは全域に及んでいました。



イギリス政府などを使っての政治的介入が必要な場合もありました。 ロンドン家もパリ家も借入国の政情が不安定で債権が危険に晒されるような場合には、その国への直截的な政治介入を求めました。

世界のルビーの9割を産するといわれたビルマのルビー鉱山や、世界のニッケル資源の4分の1を有しているニューカレドニアのニッケル鉱山への投資には、イギリス政府やフランス政府による直接の支配が必要でした。

また、ロンドン家は、南アフリカ地域の金やダイヤモンド鉱山に強く引きつけられ、セシル・ローズらを支援しました。  

ロスチャイルド家は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、このような形での世界の経済のグローバル化大きな役割を果たしました。




(おまけ)
・全てが狂った原因?!第一次世界大戦は何故おこってしまったのか?今こそ知るべき戦争の引き金が
 闇深すぎる…
 https://www.youtube.com/watch?v=0zindpbNfaA&t=152s

・あまりにも怪しすぎる!?第一次世界大戦がその後の世界に与えた影響が恐ろしすぎる…現代人がい  
 まこそ知るべき近代史!
 https://www.youtube.com/watch?v=qC3zH5CZfzI




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ロスチャイルド財閥ー44 「ロシアのロスチャイルド」グンツブルグ家

2022-10-11 13:45:28 | 国際政治・財閥

ユダヤ人グンツブルグ家を前衛として、ロシアにもロスチャイルドは深く浸透していきました。 グンツブルグ家の起原はドイツ南部と言われ、ヨーゼフ・グンツブルグが19世紀初頭のロシアで一大金融帝国を築き上げます。




ヨーゼフ・グンツブルク(Osip Gavrilovch Gintsburg, Осип Гаврилович Гинцбург (またはIosif-Evzel, Иосиф-Евзель)
1812年ヴィテプスク – 1878年1月12日 パリ)は、1874年に男爵となったロシアの金融家・慈善家。 父は、ホレス・グンツブルク。息子はガブリエル。



鉄道を敷設し、男爵に叙せられ、グンツブルグ家はロシア帝政内で資本家として大勢力を持つに至り、「ロシアのロスチャイルド」と飛ばれました。

グンツブルグ家は、ロスチャイルド家の遠縁で、サッスーン家、ウェイル家、セリグマン家、ヒルシュ家などロスチャイルド家に連なる世界のユダヤ人大富豪とも閨閥(けいばつ)を広げていきました。

ツアーは、ユダヤ人を虐殺しても、グンツブルグ家やロスチャイルド家関係者には、指一本触れなかったのです。




ツアー体制の恩恵を受けるこのような特権階級にも、反対にツアー体制の打倒を目指す革命派にもユダヤ人の存在があったのでした。

1897年、ロシア国立銀行が中央銀行になるとき、ロスチャイルド家は代理人のアレクサンドル・スティグリッツを初代総裁にしました。

ロスチャイルド家の働きかけにより、同年にロシアも金本位制に移行します。 ちなみに日本も同年1897年に金本位制を正式導入しています。

一方で、専制政治とロシア資本主義の矛盾に人々が苦しんでいた、この時代のロシアに、マルクス主義思想が浸透していきました。




ロシアの最南端、グルジア(ジョージア)、アルメニア、アゼルバイジャンのコーカサス地域は、700万人の住民の民族構成が多様で、かつロシア帝国の植民地のような未発達の地域でしたが、

この頃からロシア資本主義の発展が波及し、新しい工場ができ始めました。 特に石油産業が発達し、ノーベル家やロスチャイルド家などの力で石油工業が建設されました。

カスピ海沿岸のバクーには石油採掘塔が林立し、みるみる巨大な工業地となり、都市部の人口は1863年から1897年にかけて2~3倍となりました。しかし、農村は相変わらずで、ロシア語も十分通用せず、貧しく、植民地的な圧迫に喘(あえ)いでいる状況でした。


1897年、「ロシアとポーランドにおける全ユダヤ労働組合(略してブンド)」が設立されました。 ユダヤ人が、プロレタリア(労働者)として革命を指導していく布石がつくられました。



1898年、ミンスクのユダヤ人居住区でユダヤ人にロシア社会民主労働党(後にメンシェヴィキとボリシェビキに分裂)が密かに創設されました。 創設者は9名で、ユダヤ人が4名、ロシア人が2名、その他民族が2名、不明が1名でした。ブンドがこの党を指導しました。

第1回大会で党の指導者を握る中央委員会委員3名が選ばれましたが、3名ともユダヤ人でした。 1903年から17年までの間、中央委員会に占めるユダヤ人の割合は、3分の1から2分の1に達していました。

20歳のヨシフ・スターリン(1878年ー1953年)もコーカサス支部に入党します。 革命家に対するロシア官憲の追及は、峻烈(しゅんれつ:態度・行為がきびしく激しいこと)を極めました。

しかし、官憲が手を焼いたのは、ユダヤ人革命家たちのアメリカ帰化策でした。 彼らは、身辺の危険を察知するとアメリカ合衆国に渡って帰化し、再びロシアに戻って革命運動に従事するのでした。官憲がこのにわかアメリカ国民を検挙すると、すぐに米露外交に影響し、彼らに手加減せざるを得ない状況に陥りました。


ロシア帝国は、この1898年、満州への進出に加え、朝鮮半島の馬三浦(まさんほ)の土地を買収して、海軍拠点を建設しようとしました。このロシアの南下政策に対抗するために、イギリスにとって日本の存在はますます重要になりました。

と当時、世界の覇権は、大英帝国とロシア帝国が争っており、それがぶつかったのが我が日本です。 大英帝国は清(中国)に阿片戦争を仕掛け、奪えるもんは全て奪いつくし、次のターゲットは黄金伝説のジパング日本でした。

狡猾なイギリスは、口だけ尊王攘夷、で頭の弱い長州の下級武士を取り込み、大英帝国の代理人としてロシア帝国と戦わせたのです。これが明治維新と日露戦争の真実です。



・ロスチャイルド財閥ー27 幕末・明治維新https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2355a3b6e6b91eda6703f158d91a9b83




日露戦争で日本の戦死者は約9万人、イギリス人の死死者はゼロどころか無傷。 日本はイギリスからロスチャイルドGrのビッカース社から戦艦を、アームストロング社からは銃・大砲を大量に購入。

ヴィッカース社から購入したのが、日露戦争で旗艦として活躍した戦艦三笠。 アームストロング社から購入した銃・大砲は、江戸末期の内乱(維新軍vs徳川)戊辰戦争や日清・日露戦争でも活躍しました。

戦争国債を購入してもらい、イギリス、ロスチャイルルド(ロンドン家+パリ家)、クーンローブ商会に巨額の借金を抱えた日本が、借金を完済できたのはバブル経済に踊る1980年代の後半でした。


結局、大英帝国と、ロスチャイルド家とクーン・ローブ商会のマネーゲームに躍らせれたわけです。

しかしながら大国ロシアに勝利したことから国際的に認められ一流国家の仲間入りを果たしたメリットがあったのと同時に、西洋の白人支配秩序を乱すものとし、欧米で黄禍論が起き、アメリカでは、日本との戦争を用意周到に計画(オレンジ計画)が企てられました。




 

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ロスチャイルド財閥ー43 巨大ユダヤ財閥の結束

2022-10-11 12:21:19 | 国際政治・財閥


イスラエルの国章(Emblem of Israel)

メノーラー、メノラー(מְנֹרָה mənôrāh, menuroh, menorah)は「燭台」と訳される。
7枝(厳密には中央の1本は枝ではないので6枝[1])のものをいい、ハヌカーに用いられる8枝(左右に4本ずつ枝が伸びて中央と合わせて9つ火皿がある)のものはハヌッキーヤーといいます。

早くからユダヤ教の象徴的存在となり、シナゴーグの床におけるモザイク(エリコのシナゴーグが有名)、柱頭、石棺、その他の器具に模様が描かれるようになりました。



ローマに残るティトゥスの凱旋門には、エルサレムの破壊の際にエルサレム神殿からローマ兵がメノーラーなど多数の戦利品を運び出す画面が薄浮き彫りで描かれています。この浮き彫りのメノーラーは、エルサレムの受難の象徴となり、後にはイスラエルの国章にも採用されています。


ジェイコブ・シフは、J・P・モルガンと並び称され、ウォール街の大御所となっていました。 彼は鉄道業界の大者エドワード・E・ハリマンと親密で、1897年には二人でユニオン・パシフィック鉄道を見事に立て直していますた。

やがて彼の顧客には、ロスチャイルド系と言われるウェスティングハウス・エレクトリック、アメリカン・スメルティング・アンド・リファイニングなどの大企業が加わります。



親友には、ナサニエルと共に軍需産業に進出した大投資家アーネスト・カッセルもいました。 カッセルはクーン・ローブ商会のイギリスにおける代理人も務めました。


若い野心的なハンブルグの銀行家マックス・モーリッツ・ウォーバーグ(1867年-1946年)は、ウォーバーグ家の長男ですが、既に、1890年代にロンドン家の傘下に入っていました。




1895年、ウォーバーグ家の次男ポール(後にFRB創立のキーマン)とクーン・ローブ商会のローブ家のニーナとがアメリカのニュージャージー州のローブ家の別荘で結婚式を挙げました。

1897年、シフは、娘婿でウォーバーグ家の4男のフェリックスをクーン・ローブ商会の正式パートナーとします。




M・M・ウォーバーグ商会を率いるマックスは、クーン・ローブ商会のドイツでの利益を代表する立場になり、この立場が自らのドイツの金融界ならびに政界における威信を高めました。

ギリシア正教のロシア人と、ユダヤ教であり利益主義のユダヤ人とは、水と油、根強い反発と闘争の関係にありました。




ロシアの政治家ポペドノスチェフは、19世紀末に、「ロシアにおけるユダヤ人問題は、その3分の1を殺し、3分の1を追放し、残りの3分の1を改宗せしめて同化せしめない限り解決は不可能だ」と発言していました。

強弱はあっても、ロシア帝政はこれを常に実践していました。 




ポペドノスチェフは、元老院議員、国家評議会議員を経て宗務院長(在位1880年ー1905年)に就き、かつて皇太子時代のアレクサンドル3世とニコライ2世の教育の任にあったこともあり、

未来の皇帝に大きな影響を与えていました。 彼はロシアの特異性として国家と協会の一体化の必要性を唱えています。






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ロスチャイルド財閥ー42 多額の借金に苦しむロシアに支援するパリ家

2022-10-11 09:35:05 | 国際政治・財閥

フランスの雑誌「Le Petit Journal」1893年10月号の表紙。ロシアとフランスの国旗を交えるイラストで、露仏同盟を報じている。

露仏同盟(ろふつどうめい、ロシア語:Франко-русский союз、フランス語:Alliance franco-russe)とは、第三共和政フランスとロシア帝国の間で成立した軍事同盟。経済的対立をふくむ欧州情勢の混迷を背景として、両国の交渉は1879年夏にロシア外相アレクサンドル・ゴルチャコフがパリを訪問して後の露仏同盟の基礎を作って行った。

ビスマルク辞職後の1890年にドイツ帝国側が独露再保障条約の更新を拒絶し、1891年から公然化した。公式の同盟は1894年1月4日に締結され、そこで三国同盟を仮想敵とする集団的自衛権が定められた。


ドイツ帝国のヴィルヘルム2世は世界政策(Weltpolitik)を掲げ、艦隊法の制定以降イギリスとの建艦競争に突入した上、3B政策を企図してロシアとの関係も悪化させた[2]。露仏同盟は三国協商の土台となり、日英同盟と結びつき対独包囲網を形成した。

ロシアはクリミア戦争やシベリア鉄道等に多額の融資を必要としてきた。この需要に対して各国同様、ドイツの銀行団も貸していた。ロシア・ドイツ間の取引は1822年の600万ポンド借款まで遡る。翌年にルドウィッグ・スティグリッツ(英語版、ドイツ語版)はベアリングス銀行とホープ商会の協力を得て4千万ルーブルを起債した。

大局的には1848年革命でウィーン体制が動揺し、ユグノーに寛大なプロイセン王国が台頭した。

ここでより大切な点は経済的国情であり、プロイセンはメリノ・ウールの無敵ともいえる国際競争力を武器とし、特にロシアに対する経済的な影響力を獲得したのである。

カトリックのハプスブルク帝国としては、ライバルの羊毛生産に貢献したコッカリル(Cockerill)をベルギーの金融シンジケートに落ち着け、またローマ教皇とも息を合わせて啓蒙思想による産業合理化を進めた。しかし普墺戦争に敗れてしまった。

ベルギーがラテン通貨同盟に参加していた。

そこでアウスグライヒの1867年9月、親ハンガリーかつ新教徒迫害歴のあるザルツブルクでフランツ・ヨーゼフ1世がナポレオン3世と会見した。ナポレオン3世は同年4月、オットー・フォン・ビスマルクにルクセンブルク買収計画を挫かれていた。ナポレオン3世はリソルジメントに対する影響力を用いて教皇庁を守るという連携に出たが、普仏戦争に敗北して武力的な戦略がとれなくなった。

しかし、ドイツがイタリアにもつ経済的な影響力は資金力が脆弱な兼営銀行に限定されていた。そしてアルザス・ロレーヌを奪われたフランス大資本がベルギーを通してロシアへ投資を繰り出すようになった。



第一次大戦に向かう十数年間、国際資本市場では、イギリスやフランスは資金提供国。 ドイツ、オーストリア・ハンガリーは資本輸出はしないものの自国内の金融は賄っている国家。

そしてロシアとイタリアは外国から多額の借金をしなければならない国家でした。 そして、国債資本市場は、ロスチャイルド家の影響下にありました。


ロシアへの資金はフランスが提供しました。 1889年、パリ家は、ロシアのふたつの大きな国債の発行を引き受け、翌年にはロンドン家も3分の1の引き受けシェアをとりました。

国内政治事情の違いにも関わらず、資金関係から両国は外交的に接近し、露仏同盟に結実していきます。


ツアーのユダヤ政策(ポグロム)に強い反感を抱いていたロスチャイルド家ですが、奇妙なことに露仏同盟締結には中心的な役割を演じます。


第一次世界大戦の構造は、大英帝国vs力をつけてきた新興勢力のドイツでしたが、

一方で、イギリスとドイツとの間で、ロシアの勢力を牽制するための協力の機運が生まれました。 両国を仲介したのは、やはりロスチャイルド家でした。

ロシアとフランスの接近、そしてドイツの反ロシア的傾向の延長上には、第一次世界大戦の構図があります。

鍵は、イギリスのドイツに対する態度、イギリスがドイツを突き放すかどうかです。 っそして、この鍵を握っているのが、ナサニエルやアルフレッドでした。



ナサニエル・ロスチャイルド


アルフレッド・ロスチャイルド





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ロスチャイルド財閥ー41 アメリカで反ロスチャイルド運動が勃興

2022-10-11 07:13:33 | 国際政治・財閥

1892年、人民党の選挙ポスター、ジェイムズ・ウィーバーを大統領に推している

人民党(じんみんとう、英: People's Party、英: Populist Party)は、アメリカ合衆国のポピュリズム運動の中で1891年に設立され、比較的短命に終わった政党である。
前身の政党は、 農民同盟、グリーンバック党、労働党

人民党の構成員・支持者はポピュリストと呼ばれた。「ポピュリスト」や「ポピュリズム」という言葉は、確立された利益や主流政党に反対して、反エリート主義の主張で使われることが通常である。

アメリカ合衆国南部(特にノースカロライナ州、アラバマ州、テキサス州)の貧しい白人綿花農家や、アメリカ合衆国中西部の平原にある州(特にカンザス州とネブラスカ州)の追いつめられていた小麦農家などを支持基盤とし、農本主義と、銀行、鉄道、エリートに対する敵意という急進的な運動形態を採った。

労働組合と連衡する場合もあれば、1896年には民主党が人民党の大統領候補者ウィリアム・ジェニングス・ブライアンを公認した。1892年から1896年が最も活動した期間であり、その後は急速に衰退していった。


アメリカ合衆国では、ロスチャイルド家の怒涛の勢いに対抗して、「メリカ人民党」というナショナリズム政党が勃興し、1890年代に最盛期を迎えました。

「ポピュリスト」(人民主義者)と呼ばれた彼らは、反イギリス、反ユダヤ、反ロスチャイルドの旗を掲げ、

特に、合衆国政府への借款(しゃかん)を梃子(てこ)に、合衆国に金本位制を導入しようと企図(きと)しているロスチャイルド家を「ヨーロッパやアメリカの金相場師」「国際的な金流通の秘密結社」と厳しく非難しました。


「アメリカ人民党」は、穀物価格の低迷に不満を抱く、中西部の農民たちを反ロスチャイルド運動へと動員しました。

彼らは、ネイサンやジェームズ以来のロスチャイルド家と財務省との取引関係を取り沙汰し、イギリスがロスチャイルド家の手に落ちたように、アメリカ合衆国もその手に落ちてしまうと主張しました。


しかし、「アメリカ人民党」は、1896年の大統領選挙で、本来の立ち位置が違う民主党から巧みに候補者の一本化を仕掛けられ、党内混乱と内紛に陥っていきます。

大統領選挙の結果、ロスチャイルド家や仲間のロックフェラー家が推した共和党のウィリアム・マッキンリーが当選し、「アメリカ人民党」はその後、士気が衰え、そのまま衰退に向かっていきました。選挙の仕組みの本質を知っていたロスチャイルド家陣営のしたたかさが勝利したのです。 

1897年にウィリアム・マッキンリーが第25代アメリカ合衆国大統に就任し、リンカーンの大統領の秘書であったジョン・ヘイが、ロックフェラー家ゆかりの娘と結婚して、国務長官としてホワイトハウス入りし実権を握りました。


そして、遂に1900年3月、「すべての通貨は金と交換される。 その交換比率は金1オンス20.67ドルとする」という政令により、アメリカ合衆国が金本位制を正式に採用しました。

ロスチャイルドの勝利です。



ロスチャイルド家は、南米、特に、ブラジルに対しも大きな影響力を持ちました。 1898年、ブラジル政府が国債の償還や利払いなどを中止したとき、

1911年までの、当初の借り入れ条件(金利、約定返済額、返済期間などを変更するリスケジューリングを取り計らったのはロンドン家でした。

ブラジルの既存の国債を統合して同家によって発行された新たな基金債は、ブラジル政府の関税収入を担保とし、

ブラジル政府は厳しいプログラムをこなすことを余儀なくされました。 ロンドン家からブラジルの新大統領に送られた厳しい要求の手紙は、その内容が『タイム』紙に掲載されました。




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