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ロスチャイルド財閥ー52 第1次ロシア革命

2022-10-13 18:17:23 | 国際政治・財閥

ロマノフ王朝最後の皇帝 ニコライ2世
ニコライ2世(ロシア語: Николай II, ラテン文字転写: Nikolai II、ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ、ロシア語: Николай Александрович Романов, ラテン文字転写: Nikolai Aleksandrovich Romanov、1868年5月18日(ユリウス暦5月6日) - 1918年7月17日(ユリウス暦7月4日))は、ロマノフ朝第14代にして最後のロシア皇帝(在位1894年11月1日 - 1917年3月15日)。愛称はニッキー。

皇后はヘッセン大公国の大公女アレクサンドラ・フョードロヴナ(通称アリックス)。皇子女としてオリガ皇女、タチアナ皇女、マリア皇女、アナスタシア皇女、アレクセイ皇太子がいる。イギリス国王ジョージ5世は従兄にあたる。

日露戦争・第一次世界大戦において指導的な役割を果たすが、革命勢力を厳しく弾圧したためロシア革命を招き、1918年7月17日未明にエカテリンブルクのイパチェフ館において一家ともども銃殺された。東ローマ帝国の皇帝教皇主義の影響を受けたロシアにおいて、皇帝は宗教的な指導者としての性格も強いため、正教会の聖人(新致命者)に列せられている。








1905年1月9日(旧暦)、皇帝のいる冬宮の前庭で、ロシア正教会の司祭がポンに先導され「パンと正義」を求め穏やかに直訴に集まった労働者たち千人以上を、警察が銃撃する「血の日曜日事件」が起きました。

労働者たちが思いもよらぬ攻撃を受けた流血のニュースは、たちまちロシア全土に伝わり、「ツアーを倒せ!」
と叫ぶスト参加者は50余万人に上りました。

第一次ロシア革命がここに勃発しました。 コーカサスなどでは多くの官史が暗殺されました。 ツアー政府は、イギリスや日本がロシア内外の出版物や新聞などで革命を先導していると宣伝し、挙国一致の防衛戦争を国民に呼びかけました。

実際、イギリスや日本による宣伝工作はしっかりと行われていました。 フランスの各左翼系新聞もツアーに対して侮辱的な言葉を弄(ろう)しました。

さらに、ツアー政府は、ユダヤ人が国内の矛盾を煽っているとみなし、スケープゴートとして残虐なポグロム(ユダヤ人虐殺)を実行しました。

これを受けて、シフらドイツ系ユダヤ人の大物たちが発起人となり、アメリカ系ユダヤ人をひとつにまとめる最初の組織、アメリカ・ユダヤ人委員会(AJC)を設立し、全世界のユダヤ人をしj始めました。


ロシアにおける多くの政治運動は、しばしばユダヤ人の指導と援助を受け、ほとんどユダヤ運動と同一とさえ言われました。

革命運動家の80%はユダヤ人であったと言われます。 ちなみにシフは日頃から「私は、アメリカ人であり、ドイツ人であり、ユダヤ人である」と、まずアメリカ社会への同化と愛国心を力説し、ユダヤ人国家樹立を目指すシオニズムには与(くみ)していませんでした。

彼は、婿のフェリックス・ウォーバーグとともに、父祖の地パレスチナを将来の国家ではなくユダヤ人の精神的故郷とみなし、農業実験場や技術研究所などの建設に資金援助しました。



1905年4月、プロレタリアート主体の武装革命を目指すボリシェヴィキがロシア社会民主労働党第三回大会をロンドンで開き、一方穏健革命派のメンシェヴィキは独自にジュネーヴで大会を開きました。

翌月には、モスクワの北東で、約7万人の労働者が参加して、労働者代表ソヴィエート (ロシア語で「会議」「評議会」の意、ソビエトとも表記される)が樹立されました。

これは、既存の枠組にとらわれない労働者直接参加の政治組織です。 首都ペテルブルグにおいても最初のソヴィエートが結成されました。






講和の交渉へと追い詰められたロシア
さて、日本軍が奉天会戦に大勝したとの報が流れると、ドイツのヴィルヘルム2世は、配下の首相に宛てた手紙で

「ロシア皇帝が英仏と通じて、日露戦争の講和交渉を開始したとのヴォルフ社(ドイツの通信社)の密報によれば、露チャイルドは、これ以上、戦争の資金を供給することを承諾しないものと考えられる。
(中略)
英王・エドワード7世は、英仏露同盟を締結し、チベットとアフガニスタンを自らのポケットに納めんとする目算である」

と述べています。


ロシア側の戦争資金をロンドン家が提供していたこと、そしてそれなしではロシアは戦えなかったことへの
証拠です。 ロシア政府はほとんど借金によって戦争を遂行していて、しかも資源をほとんど消耗していました。


もし、ロシアが戦争を継続するとすれば、既に紙幣を印刷して流通額を倍にしていたものを、さらに増刷することで賄うしかなく、これは国家経済の破綻を意味しました。


ロシアは海陸で連敗しました。 唯一の兵站(へいたん)線としては1万2千キロの単線のシベリア鉄道があのみです。   兵站とは、戦闘部隊の後方にあって、人員・兵器・食糧などの前送・補給にあたり、また、後方連絡線の確保にあたる活動機能。ロジスティクス を意味します。

ロシア財政の信用は失墜し、同盟国フランスの金融市場での借款(しゃかん)の条件は不利になっていました。






ポーツマス講和条約
強まる革命の圧力を前に、ニコライ2世は合衆国大統領セオドア・ルーズベルトによる講和の勧奨(かんしょう:すすめる事)の受け入れを検討します。

1905年5月の日本海海戦で日本が大勝利を収めると、7月ロシアの前蔵相セルゲイ・ヴィッテが講和のためイギリスのポーツマスに首席全権として赴き、日露交渉が始まりました。

8月、そのウィッテの元を、シフたちユダヤ人資本家がニューヨークから訪れ会談しました。 ウィッテは、ユダヤ人の地位の向上を約束し、本国ロシアに次のように報告しています。


「予は昨夜、アメリカのユダヤ人の主たる指導者と会見した。彼らはアメリカの世論の動向に大なる勢力を有し、巨額の資金を持ち、金融工作で日本を援助している連中である」。


彼は、アメリカのユダヤ人指導者への働きかけに傾注し、その傘下にあるニュ-ヨークの新聞などを取り込んで国際世論を誘導することに成功、講和交渉を有利に導いて日本の賠償請求をあきらめさせたのでした。

日本は領土的な要求はほぼ達成されましたが、賠償金は全くとれなかったのです。 日本の陸海での完勝に、国際金融資本家たちに日本への警戒がいささか芽生えてきたことが背景にあります。

1905年9月5日、ポーツマスで日露の講和条約が調印されました。






日本の一方的な協定取り消しに、アメリカの鉄道王ハリマンが激怒


エドワード・ヘンリー・ハリマン Edward Henry Harriman, 1848年ー 1909年
エドワード・ヘンリー・ハリマンは、1848年2月20日、聖公会牧師オーランド・ハリマンとコーネリア・ニールソンの次男としてニューヨーク・ヘンプステッドに生まれる。なお、曽祖父ウィリアム・ハリマンは1795年にイングランドから移住し、商取引に携わった人物であった。 実業家で鉄道王として有名。




小村寿太郎(1855年ー 1911年)
日本の外交官、政治家。外務大臣、貴族院議員(侯爵終身)などを務めた。イギリス・アメリカ・ロシア・清国・朝鮮(韓国)の公使・大使を務め、特に2度の外相時代には日英同盟の締結、日露戦争後のポーツマス条約の締結、条約改正の完成(関税自主権の完全回復)などの業績をのこし、近代日本外交を体現した人物として知られる。爵位は侯爵。



小村寿太郎(1855年ー 1911年)
日本の外交官、政治家。外務大臣、貴族院議員(侯爵終身)などを務めた。イギリス・アメリカ・ロシア・清国・朝鮮(韓国)の公使・大使を務め、特に2度の外相時代には日英同盟の締結、日露戦争後のポーツマス条約の締結、条約改正の完成(関税自主権の完全回復)などの業績をのこし、近代日本外交を体現した人物として知られる。爵位は侯爵。






日露交渉の小村寿太郎全権(外務大臣)がまだ帰国前、アメリカの鉄道王エドワード・へ㎜リー・ハリマンが来日して、元老、内閣と交渉し、南満州鉄道を日米共同経営にするという予備協定を桂首相との間に結びました。
予備協定の内容は、


「南満州鉄道および付属炭鉱経営のため、ひとつの日米シンジケートが組織されるべく、鉄道および炭鉱その他一切の付属資産に対しては、日米両当事者において共同かつ均等の所有権を有するべく、シンジケートにおける代表権および管理権もまた日米均等の権利であるべきである」。



ハリマンは、この協定覚書をもって、大きな将来的構想を描いていました。  しかし、彼と入れ違いで帰国した小村寿太郎は、この協定を「1、2億円の金で南満州鉄道と満州の利権とをほとんど彼に支配させてしまうものである」と警戒して、桂首相らを説得して撤回させたのでした。

ハリマンの船がサンフランシスコ港に着くと、日本の領事が彼の船室を訪ね、協定の取り消しを伝えました。 ハリマンと背後の国令和に入り際金融資本家たちの怒りは激しいものがありました。これが後の日米開戦につながっていきます。世界の政財界を分かっていない、また外交・政治音痴です。 これが明治政府の実力の限界です。






 後に、令和に入り、米中覇権戦争の真っただ中、親中の安倍元首相は中国ブームに乗り、尖閣防衛をアメリカに頼んでおきながら、トランプ(アメリカ)と日本国民を裏切り、日本を露骨に侵略してくる習近平を国賓で招待(2019年6月27日)。

安倍元首相に尻尾を振る、実は親中の高市早苗は2016年安部政権下で総務大臣に就任した途端、ソフトバンクと癒着し、HUAWEI基地局を大量導入しました。

事実、2017年総務省のデータによれば、2017年のソフトバンクのメーカー別基地局のシェアは、Huawei59.9%、エリクソン1.2%、ノキア15.5%、ZTE8.1%(総務省データ)とあるように高市早苗は演説とは異なり、安倍首相同様になかなかの親中ぶりを発揮しました。

また、安倍元首相は、ウィグル問題で世界から不買運動が起きているユニクロですが、安倍さんは柳井社長とお友達。日銀に大量にユニクロ(ファースト・りティリング)株を購入させ、柳井社長の個人資産は数兆円と大企業の売り上げレベルの世界的大富豪。そしてユニクロの一番の大株主は日銀で20%以上を保有しており、これまた欧米から非難を浴びました。

とどのつまりは、2019年にドル体制を崩そうとする中国版SWIFTを日本は導入し、三菱UFJ銀行とみずほ銀行は採用しました(日本経済新聞2019年7月2日付け記事)。

完全に怒ったアメリカは、米シンクタンクCSIS(ジャパンハンドラー)が公然と安倍政権を非難した直後、安倍元首相は健康を理由に電撃辞任。 元気でしたけどね。

そして菅政権が誕生し、以降、菅政権と岸田政権は親米・反中の政策です。 2022年の日米首脳会談を見ても明白です。


ちなみに、高市早苗は松下政経塾を卒業後、反日かつ親中の小沢一郎率いる新進党に入党し、小沢と反日活動を行っていたリベラル左翼です。


小沢一郎は、大訪中団を率いて北京を訪問時「私は人民解放軍の野戦軍司令官だ」と発言し、世界を仰天させた反日・親中の政治家。


高市が話題となった山本拓との再婚。 山本も新進党に入党し、小沢と反日活動をやっていた左翼。高市・山本ともに国民からそっぽを向かれ自民党に鞍替え。山本は親中の二階派に入りました。高市は保守右翼のコスプレ。 そして高市の実の弟は山本拓の秘書という一族挙げての左翼主義者です。






何故か、ネット上では親中の安倍・高市信者が多く(政治・外交音痴?)、安倍・高市を外務大臣に、総理大臣にと書き込んでいますが、明治政府と同じく政治音痴・財界音痴・外交音痴は否めません。

令和が始まったのは2019年4月1日ではなく、5月1日~。 5月1日はメーデーで共産主義者・社会主義者にとって重要な日。 

また、統一教会の創立記念日が1954年5月1日。 ← 安部・高市は統一教会擁護。

2019年は安倍が習近平を国賓で招待しアメリカに公然と避難され、電撃辞任した年です。 日本国民、そろそろ気づかねばなりません。



あえて、小村寿太郎を擁護するなら、日露戦争で日本側では9万人の戦死者を出しました。 そして背後で操る大英帝国は戦死者どころか無傷です。 小村の気持ちが分からないではありませんが、結果的に満州・満州鉄道を共同経営しておけば、当時の英米そして、ロスチャイルド財閥、クーン・ローブ財閥、ロックフェラー財閥、は親日であったわけですから、日本は独立国家として国連常任理事国となり、科学技術圧倒的な力を有する日本は、世界の超大国の一員になっていたでしょう。














ロスチャイルド財閥ー51 日露戦争
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ロスチャイルド財閥-49 世界最大級の富豪ロシア・ツァーへの反発
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ロスチャイルド財閥-45 第一次世界大戦 ドイツの3B政策とイギリスの3C政策
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ロスチャイルド財閥ー43 巨大ユダヤ財閥の結束
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ロスチャイルド財閥ー41 アメリカで反ロスチャイルド運動が勃興
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ロスチャイルド財閥ー40 世界に拡散する金本位制と中央銀行
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ロスチャイルド財閥-39 1893年(明治26年)恐慌
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ロスチャイルド財閥ー38 ユダヤ資本に支配されるアメリカ メディア
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ロスチャイルド財閥ー36 ボーア戦争
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ロスチャイルド財閥-35 大英帝国に太陽の沈む時なし
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ロスチャイルド財閥ー31 アメリカとアフリカ
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ロスチャイルド財閥ー30 世界の帝王 ナサニエルとアルフレッド
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ロスチャイルド財閥-29 スエズ運河
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ロスチャイルド財閥ー28 アメリカ金本位制への策謀
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ロスチャイルド財閥ー27 幕末・明治維新
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ロスチャイルド財閥ー26 南北戦争
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ロスチャイルド財閥ー25 ユダヤ化される英国貴族と政界
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ロスチャイルド財閥ー24 1844年イングランド条例銀行
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ロスチャイルド財閥ー23 アームストロング社
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ロスチャイルド財閥ー22 藩王国(はんおうこく;princely state, native state, Indian state)
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ロスチャイルド財閥ー21 ロイター通信
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ロスチャイルド財閥ー20  上海・阿片王サッスーン
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ロスチャイルド財閥ー19 キューリー夫人とRTZ(リオ・チント・ジンク)そして原子力産業
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ロスチャイルド財閥ー18 キューリー夫人
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ロスチャイルド財閥-17 ナディーヌ・ロスチャイルド
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ロスチャイルド財閥-15 植民地アルジェリア
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ロスチャイルド財閥-14 鉄道事業への参入
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ロスチャイルド財閥ー13 ゴールドラッシュ
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ロスチャイルド財閥ー11 合衆国銀行
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ロスチャイルド財閥ー10 イングランド銀行
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ロスチャイルド財閥ー9 ウィーン体制
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ロスチャイルド財閥-8 N・M・ロスチャイルド&サンズ 
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ロスチャイルド財閥-7 5本の矢
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ロスチャイルド財閥-6 ベアリング家との戦い
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ロスチャイルド財閥ー5 皇帝たちの金庫番
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/bf1ef0b119dc91fe01175386fdcfdd16
ロスチャイルド財閥ー4 金融街シティの誕生
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ロスチャイルド財閥-3 宮廷御用商
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ロスチャイルド財閥ー2 創始者、マイアー・アムシェル・ロスチャイルド
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ロスチャイルド財閥-1 先祖
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ロスチャイルド財閥ー51 日露戦争

2022-10-13 08:59:57 | 国際政治・財閥

高橋 是清(たかはし これきよ、1854年ー 1936年)は、日本の武士(仙台藩士)、政治家、財政家[2]。日本銀行総裁。

立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣(在任: 1921年〈大正10年〉11月13日 - 1922年〈大正11年〉6月12日)。栄典は正二位大勲位子爵。幼名は和喜次(わきじ)。近代日本を代表する財政家として知られ、総理大臣としてよりも大蔵大臣としての評価の方が高い。愛称は「ダルマさん」。二・二六事件で暗殺される。



レーニンをはじめ革命勢力は、ツァーの強大な力に圧せられ、しかもドイツ、フランスの列強は事実上、ロシア帝政を支援していたため、革命実現の突破口は見いだせない状況でした。



ウラジミール・レーニン


ここに、1904年2月、日露戦争が始まりました。 1902年、ロシアが中国東北部占領、1903年日英同盟締結の翌年です。


戦争が始まるや、ボリシェヴィキ(多数派の意、過激)は、「ツァーを敗戦させ、自分たちの革命を実行する」という敗戦革命政策を決めました。

レーニンは、日露戦争こそツァー専制の根底を掘り崩す最大の契機になるとして、無条件に日本の勝利を願いました。

彼は、日露戦争下でのロシア・プロレタリア革命の切迫を予言し、1905年1月1日の旅順港陥落時には「旅順港の降伏は、ツァーリズム降伏の序曲」と歓喜をもって祝賀文を書き、ロシアを打倒した最大の革命勢力日本に賛辞を捧げました

スターリンも、コーカサスの労働者たちにいよいよ「ツァー打倒」と訴えました。 日露戦争とロシア革命は一体だったのです。





日露戦争で大儲けしたシフ
ナサニエルとシフは先ず、日本による戦艦購入費を用立てました。 しかし、日本政府の心配は、軍事費「全般」の欠乏でした。

当面の必要外貨は、億5000万円相当でしたが、国庫には5200万円分しかなかったのです。 円は国際通貨としては認められていませんでした。

日本は不足分約1億円すなわち1000万ポンドの戦時外貨の発行が必要でした。 しかし、高橋是清・日銀副総裁が必死にロンドンを走り回ったものの、半分の500万ポンドしか目途が立ちませんでした。

彼はロスチャイルド邸を訪問しましたが支援を断られました。 実は、ロスチャイルド家は、ツァーの許可によって、当時世界最大のバグー油田の利権を保有していたので、ロシアに敵対する日本に表立って戦争資金を与えることは得策ではなかったのです。


ロンドンで高橋が親交を結んだ人物が、エドワード7世の財政顧問アーネスト・カッセル卿でした。卿は、ドイ生まれのユダヤ系資本家であり、シフとは盟友で、ロスチャイルド家とは以心伝心の間柄でした。



アーネスト・カッセル


ロスチャイルド家は、高橋にニューヨークのクーン・ローブ商会のシフを紹介しました。



ジェイコブ・シフ と 高橋是清


シフは、日本への借款供与を強く主張していました。 シフはロンドンに赴いて高橋と会い、「ニコライ2世のロシアほどの残虐行為のできる態勢は、人類のためロシア国民のため、いや全世界のため根本より変えられ・・・罰を受けなければなりません」と語りました。


1904年5月、遂に日本政府がロンドンとニューヨークでの外債募集で1000万ポンドを手にしました。 半分はシフが引き受け、残り半分はシフの世話で、M・M・ウォーバーグ商会らユダヤ人銀行家が引き受けました。

日本にとって発行条件は、ロシアの場合と比較しても有利とは言えず、年率6%、発行価格は100ポンドにつき93ポンド10シリング、7年償還で、関税収入が担保という屈辱的なものでした。


ロシアの歳入は日本の7倍、日本はあくまでも診療力が低い小国でした。 ナサニエル自身も、高橋是清らを指導しながら、日本に軍事費を提供し、3回と4回目の起債ではロンドン家とパリ家が揃って引き受けに参加しました。



ナサニエル・ロスチャイルド


イギリス政府とイングランド銀行も日本国債の引き受けに保証を与えました。 最大級の日本へのバックアップです。


日露戦争における日本の戦費合計は19億円。 うち16億円が国債および一時借入金で、国内債での調達が4.3億円、外貨での調達が5本で8.8億円でした。

外貨の半分以上をユダヤ人銀行家が引き受けました。 日本は、戦後は彼らに多額の金利を払い続け、シフは後に「日露戦争で最も儲けた」と述べています。


ロシア政府は、戦費総額13億ルーブルのうち、パリ取引所からの借款で12億ルーブルを調達しました。やはり、ここにもロスチャイルド家は関与しています。


日露戦争では、日露双方に、ロスチャイルド家が支援していたクルップと、ロスチャイルド傘下のザハロフが代理人であるヴィッカース&マクシム社の兵器が大量に売り込まれました。

アメリカの南北戦争でも、日本の戊辰戦争でも、南アフリカのボーア戦争でも、双方に大量の兵器が売られました。

金(money)がなければ戦争はできませんし、兵器がなければ戦争はできません。 ロスチャイルド家らは、戦争資金を貸し付け、兵器を販売し、莫大な利益を上げたのです。



日露戦争前から行われていた革命工作
日本陸軍の明石元二郎大佐は、日露戦争前からロシア帝国公使館付陸軍武官として、ロシア国内の情報を収集し、ロシアの反政府分子との接触を試み、レーニンと共同して革命工作を行うまでになりました。 

その資金もシフが出したと言われています。



明石元二郎(あかしもとじろう)大佐、1864年ー 1919年


日露戦争中、日本軍が明石大佐の下に送った資金は、ロシアの革命勢力の軍資金となり、スイスからの小銃1万6000挺(ちょう)、弾300万発の購入にも役立ちました。

1904年7月、ユダヤ人を含む諸民族と革命家たちを弾圧したロシアのプレーヴェ内相が青年革命家に暗殺されました。

彼の死は、続く日露戦争の遼陽(りょうよう)会戦での敗北と相まって、ロシア国内の革命ムードをますます助長しました。

同月、明石大佐は。ロシア革勢力の首領たちが集うスイス・ジュネーブ郊外に向かいました。 ロシアの穏健な改革派勢力は、警察政治の廃止、西欧的な個人の権利、信教・言論・出版・新聞報道の自由、独立の司法官による裁判、そして憲法を国会が制定することを要求しました。

しかし、ツァーは譲渡する姿勢を見せません。 ロシアでは貧困農村の青年の3分の1、場合によっては半分以上を軍隊に召集され、農業生産に大きなダメージを受けていました。

日露戦争に動員するために召集した数千人の予備兵は、ドイツやオーストリアに逃亡し、逃げ遅れた人々が銃剣に脅かされながらシベリア鉄道で前線に送られていく有様でした。


「猿」と見下していた日本軍に配線濃厚な戦争は、国内経済を圧迫し、数十万の労働者は失業し、凶作も重なり、さらには官憲による兵站(へいたん)品の横領が横行し、ロシア国民の憤激は極度に達しました。



帝都ペテルブルグやモスクワの学生たちは「独裁打倒」「戦争即時中止」を絶叫しデモに繰り出し始めました。

1904年12月、スターリンが指導するバグーのポリシェヴィキ委員会は、全労働者によるスト(ゼネスト)を決行しました。

スターリンのバグーの闘争が口火となり、遂に1905年1月2日(旧暦)全ロシアの労働者がストに入りました。
ペテルベルグでスト入りした労働者は12万人に上りました。

次の投稿は、いよいよロシア革命です。 




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ロスチャイルド財閥ー50 レーニン と ロンドン

2022-10-13 05:29:12 | 国際政治・財閥

ウラジーミル・イリイチ・レーニン(ロシア語: Влади́мир Ильи́ч Ле́нин、1870年 – 1924年)は、ロシアの革命家、政治家、哲学者。ロシア・ソビエト社会主義共和国およびソビエト連邦の初代指導者(人民委員会議議長)。「レーニン」は筆名であり、本名はウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ(ロシア語: Влади́мир Ильи́ч Улья́нов)。

ロシア社会民主労働党ボリシェヴィキ派の指導者として活動し、1917年に十月革命を成功させた後、初の社会主義国家であるロシア・ソビエト連邦社会主義共和国を樹立し、その行政府である人民委員会議の議長に就任した。

1919年には第二インターナショナルに代わる共産主義政党の国際組織としてコミンテルンの創設を主導、その後1922年にはソビエト連邦の成立を指導し、1924年に死去するまで同国政府首脳(ソ連人民委員会議議長)の地位にあった。

マルクス主義者として政治、経済の分析から哲学に至るまでさまざまな著作を残し、その思想はレーニン主義およびマルクス・レーニン主義として継承され、世界の社会主義国に影響を与えた。



ロシアの革命家ウラジミール・レーニン(1870年ー1924年)は、カザン大学時代にマルクスの『資本論』を学び、革命家になりました。

レーニンは、一般にロシア人と伝えられていますが、厳密に言えば、「不明」です。 ロシア人として育てられたものの、母型方の祖父がキリスト教に改宗したユダヤ人と言われています。

レーニンはシベリア流刑後に亡命して、スイスで運動をつづけました。 ロンドンには6回音連れています。

1902年から1908年までの間、訪英の都度、「ジョゼフ・リヒター」の偽名で、大英博物館の図書館(リーディング・ルーム)に通っていました。

かつてのマルクスを彷彿させます。レーニンは、ロンドンで、政治新聞『火花(イスクラ)』を地下出版していました。

共産主義革命家たちとロンドンの相性はとても良いのです。 1903年、ロンドンでロシア社会民主労働党第二回大会が開催され、党員資格の問題で、ボリシェヴィキ(多数派の意、過激)とメンシェヴィキ(少数派の意、穏健)とに分裂しました。

33歳のレーニンは、ボリシェヴィキの首領となり、ボリシェヴィキ党員を現実に革命に参加する者に限定しました。

さらに彼は、党やプロレタリアート(労働者)の主たる同盟者を、自由主義の立場のブルジョワジーではなく、土地を渇望する農民としました。

ちなみに、ボリシェヴィキ、メンシェヴィキそして立憲民主党の上層部には、ユダヤ人勢力が奥深く浸透していました。



同年、再び、黒海近くでユダヤ人の大虐殺が起き、ユダヤ同胞を思うシフは、セオドア・ルーズベルト大統領に働きかけてロシアに抗議させました。

シフは1904年にナサニエルに「ロシアはこの4,5年来、様々な時期に、アメリカ市場でロシア国債を引き上げてもらおうといろいろ画策していたが、自慢じゃないが、私はそれを失敗に終わらせることができた」と述べています。


シフは、アメリカ・ユダヤ人協会会長でもありました。 この頃、ユダヤ人の地位の改善をめぐるツァーとヴィッテ首相の懸念がアルフレッドに伝えられています。

それによると、皇帝も閣僚たちもそして世論も、「ロシアのユダヤ人たちが、公正で温情主義の政府を侮ろうとしている、社会主義と革命運動の立役者となっている」ことを悲しんでいるというのです。

そして、ロスチャイルド家がツァーに多額の資金を融通するなら、ロシア国内のユダヤ人の状況は改善するだろうと、交換条件を持ち出してきたのでしょう。


ロスチャイルド家は、このようなツァーの態度を嘲笑(あざわら)ったでしょう。 当時世界で最大の金保有者と噂されかつユダヤ人を迫害していたロシアのロマノフ王朝を、ロスチャイルド家は徹底的に嫌い、

シフを通じてレーニンやユダヤ人レオン・トロッキー(1879年ー1940年)といった革命家たちを資金援助し、ツアー体制の転覆を背後で支援しました。





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ロスチャイルド財閥-49 世界最大級の富豪ロシア・ツァーへの反発

2022-10-13 02:27:10 | 国際政治・財閥

クレムリン宮殿内部
《Bol'shoy Kremlyovskiy dvorets/Большой Кремлёвский дворец》ロシア連邦の首都モスクワの中心部、クレムリンにある宮殿。グラノビータヤ宮殿、テレムノイ宮殿を合わせてクレムリン大宮殿と呼ぶことが多い。19世紀初頭、皇帝が旧住した宮殿が火災で焼失し、ロシアの建築家コンスタンチン=トンらにより鉄やコンクリートを用いる新しい建築技術を導入して建造された。現在は外国政府の要人との会見や国家祝典などに利用されるため、一般公開はされていない。




1902年(明治35年)日英同盟が締結された翌年の1903年、旅順とウラジオストクを結ぶロシアの鉄道網が完成しました。

ロシアは朝鮮の獲得を目指し、極東総督府を設立。 さらに、この頃、鴨緑江方面(中国東北部と北朝鮮との国境になっている川)で金鉱が発見され、ロシアの資本家は朝鮮から広大な森林利権を得ました。


当時、旅順は、ロシア軍と資本家が栄え、中国人たちが済む街とは、華美と不潔、奢侈(しゃし)と欠乏の対比が著しい状態でした。

贈賄によろロシア軍との取引やロシアとの貿易で巨利を成したのは、ロスチャイルド家と親しいグンツブルグをはじめとするユダヤ商人でした。

世界で最大級の富豪と言われたロシアのツァーは、世界の王のなかで、貧困に喘ぐ国民をよそに最も多くの宮殿を持っていました。

ツアーが一度も行ったことがない離宮も数多くありました。冬宮(とうきゅう)は、ヨーロッパ最大の建築物と言われ、大広間の外に1500以上の部屋があり、至るところ黄金や宝石、名画で飾られ、舞踏室は5000人以上を収容できました。


一方でロシアの国内事情は厳しさを増していました。 1901年から1903年までに、メーデーのデモやストが多くの都市で行われ、軍隊と衝突しながら赤旗を振って「8時間労働」「政治的自由」を要求し、次第に「専制ツアー打倒」の大衆的闘争にまで発展していきました。

コーカサスでは、スターリンが、グルジア人、アルメニア人、ロシア人の団結による闘争をを呼びかけました。

ロシアのユダヤ人による革命運動の準備のための資金は、主としてシフなどのロスチャイルド家系列の在米ユダヤ人資本家から大西洋を渡ってきました。


ロシア帝政がユダヤ人を迫害していたことだけはでなく、ロスチャイルド家の大英帝国が、アフガニスタン、トルコ、フィンランド、チベット、満州など世界各地で、ロシア帝政と激しく鎬(しのぎ)を削っていたこともあります。



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