Renaissancejapan

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ロスチャイルド財閥ー61 M・M・ウォーバーグ商会

2022-10-16 18:21:58 | 国際政治・財閥


ポール・ウォーバーグ



ウォーバーグ家もロスチャイルド家と同じくユダヤ教徒で、元々はフランクフルト・ゲットーの出身と言われています。 

ポール・ウォーバーグ(1868年ー1932年)は、1902年、ハンブルグを本拠とする一族の銀行M・M・ウォーバーグ商会のパートナーシップを保持しながら、ロスチャイルド家の代理人として渡米、

ニューヨークのクーン・ローブ商会の創業者ソロモン・ローブの娘ニーナと結婚して、ジェイコブ・シフ同様、クーン・ローブ商会の共同経営者となりました。

彼は、中央銀行設立を進める動きの中で、ドイツ国籍が障害になったので、1911年にアメリカに帰化しました。 1918年12月付けの合衆国海軍情報部(諜報部)の報告書には次のように記載されています。


「ポール/ウォーバーグミューヨーク市 ドイツ人。 彼は1911年にアメリカ市民権を取得。 1912年にドイツ皇帝より叙勲。合衆国連邦準備制度理事会副議長(議長代理)を務めた富裕にして有力な銀行家。 ドイツからレーニンおよびトロッキーに供与された帯金を扱った。 同人には、ドイツ人のスパイ組織の指導者である兄弟がいる」。



マックス・モリッツ・ウォーバーグ Max Moritz Warburg (1867年ー- 1946年)ハンブルクでウォーバーグ家に生まれたドイツの銀行家である。民間銀行M・M・ヴァールブルク&COの取締役を務めた(1910年-1938年)


なお、彼は1918年5月に連邦準備制度理事を退職しています。 ポールの兄マックス・モーリッツ・ウォーバーグ(1867年ー1946年)は、M・M・ウォーバーグ商会の最高責任者(在任1910年-1938年)です。

第一次世界大戦が始まるまでの間、ドイツのユダヤ人銀行家たちは手厚く国家から保護されていました。 彼らは自分達の愛国心を証明して皇帝に取り入り、ドイツ帝国の資金調達を担ったのでした。

その中でもM・M・ウォーバーグ商会は、ドイツ帝国の積極的な外交政策に深く関与して急激に一流の国際銀行となり、資産は1900年から2014年にかけて3倍に膨れ上がりました。

同商会は、ドイツ外務省の緊密な指導の下、植民地経営活動に隠密裏に加担していました。 ドイツ国民は、ウォーバーグ家が密かに帝国を動かしているのではないかとの疑念を抱いていました。



ウォーバーグ家は、秘密情報をフルに活用して莫大な利益を得ていました。 彼らは、ロスチャイルド家のドイツにおける代理人のような存在でした。

第一次世界大戦の間、マックスはヴィルヘルム2世の顧問を務め、敗戦後のベルサイユ講和条約の交渉ではドイツの代表団に参加しました。 彼は、戦前も、戦中も、そして戦後もドイツを牛耳っていたのです。




さらに、マックスは、ロシア革命への関与も噂されていました。 ロスチャイルド家の意を受けて、レーニンらを操ってロシア国内の皇帝反対派を組織させたのは、ドイツやスイスのロスチャイルド家の傘下にある大富豪や官僚たちであったと言われていて、

マックスがドイツの皇帝直属の秘密警察としてそのように動いたとの説もあります。 

ドイツとしても、第一次世界大戦の敵国であるロシア国内で革命を起こすことはこの上ない策であり、故にレーニンらを封印列車に乗せて密かにスイスからドイツ経由でロシアに送り込んだのでした。

レーニンは1917年、スイス・チューリッヒから、「封印列車」と呼ばれる秘密の貸し切り列車で移動しました。ドイツ領内を移動中、レーニンらは列車から離れてはならず、ドイツ市民と接触しないことを条件とされ、列車の車両の乗降口には施錠がなされていました。





ポールの弟のフェリックス・ウォーバーグ(1871年ー1937年)は、ドイツのプロイセン生命保険会社の重役でしたが、ポールより先にアメリカに移住してクーン・ローブ商会の一員となり、ジェイコブ・シフの娘フリーダと結婚しました。



フェリックス モリッツ ウォーバーグ(1871 年 ー 1937 年) は、ドイツのハンブルグ生まれのアメリカの銀行家でした。彼は、ドイツ、ハンブルグのウォーバーグ銀行家の一員でした。

彼は銀行の創設者の 1 人である MM ウォーバーグ (1798 年) であり、モリッツとシャーロット エスター オッペンハイム ウォーバーグの息子であるモーゼス マーカス ウォーバーグの孫です。

フェリックスの 16 歳での最初の仕事は、ドイツのハンブルグで、NM オッペンハイム & Co で、フェリックス ウォーバーグは、クーン、ローブ & Co.のパートナーでした。


後には、ユダヤ教のアメリカ長老会の会長についています。 彼も兄のマックスと同様に、ロシア革命に関与し、レーニンに革命資金を与え、レーニンを封印レ社の乗せてロシアに送り込む際に一役買った言われています。

ちなみに、フェリックスの娘フェリシア・シフ・ウォーバーグ(1927年生)は、フランクリン・ルーズベルトの息子ルーズベルト・ジュニアと結婚して3番目の妻となっています(1970年結婚、1976年離婚)。

ポールの息子ジェームズ・ポール・ウォーバーグ(1896年ー1969年)は、ルーズベルト大統領1期目の金融財政顧問となります。




 

 

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ロスチャイルド財閥ー60 連邦準備制度に全米で反対運動

2022-10-16 13:18:55 | 国際政治・財閥


トーマス・ウッドロウ・ウィルソン(英語:Thomas Woodrow Wilson、1856年ー1924年)は、アメリカ合衆国の政治家、政治学者。第28代アメリカ合衆国大統領を務めた。アンドリュー・ジャクソンの次にホワイトハウスで連続2期を務めた2人目の民主党の大統領である。「行政学の父」とも呼ばれる。

1856年12月28日にバージニア州スタントンにて、長老派の牧師であったジョゼフ・ラグルズ・ウィルソン(1822年 - 1903年)博士とジェシー・ジャネット・ウッドロウ(1826年 - 1888年)の4人の子供の3番目に誕生[4]。

祖先はスコットランド人及びスコッチ=アイリッシュであった。父方の祖父母は1807年に北アイルランドのティロン県ストラベーンから移住した。祖父と父は敬虔なキリスト教牧師であり、特に父は合衆国長老教会の創設者の1人である。
母親はペイズリー出身のトーマス・ウッドロウ博士と、グラスゴー出身のマリオン・ウィリアムソンの娘で、カーライルで生まれた。母方の祖父母の白壁の家は、北アイルランドの観光名所となった。




連邦準備制度をつくり、貨幣を発行しその規模を管理する主権を銀行家たちに付与する共和党の「オールどリッチ法案」の内容が伝わると、全米で大反対が起こり、その議論を続けている間に、なんと共和党が議会選挙に敗れてしまいました。

この新たに生じた事態に対処するため、アルフレッドは、なんでもいうことを聞く政治学者でニュージャージー州知事のウッドロー・ウィルソン(1856年ー19244年)を民主党の大統領候補に引っ張り出したといいます。



アルフレッド・ロスチャイルド  Alfred Charles de Rothschild(1842年ー 1918年)
イギリスの銀行家。ロンドン・ロスチャイルド家の一員。

英国ロスチャイルド家第2代当主ライオネル・ド・ロスチャイルド男爵とその妻シャーロット(ナポリ家の祖カール・マイアー・フォン・ロートシルトの娘)の次男としてロンドンで生まれる。兄にナサニエル(後の初代ロスチャイルド男爵)、弟にレオポルドがいる。




1912年のアメリカ大統領選挙に出馬することになったウィルソンにとって「銀行・通貨制度の改革」は大きな争点でした。 彼は、広く票を集めて当選するために、「貨幣発行権を政府に留保し、信用供与のための地方分権的な銀行制度を樹立する」と公約しました。

この大統領選挙では、当初、現職大統領で人気の高いウィリアム・タフト(共和党)の再選が確実でした。 2020年アメリカ大統領選でのトランプ大統領と同様です。

DS?(国際金融資本家)により、タフト/トランプは引きずり降ろされ、DSに都合の良い民主党の大統領ウィルソン/バイデンが就任することになりました。

やり方はこうです。 DSは、共和党の票を割るために人気のある元大統領セオドア・ルーズベルトが共和党を離れて各新党なるものを結成して、立候補させました。

その結果、タフトとルーズベルトを敗り、ウィルソン大統領(在位1913年ー1921年)が誕生しました。この時、ウィルソン候補を応援したのがユダヤ人のポール・ウォーバーグとジェイコブシフでした。





ジェイコブ・シフ(左) と 高橋是清(右)


タフト候補を応援したのが、ポールの従兄のフェリクス・ウォーバーグ、そしてルーズベルトを応援したのが、オットーカーンでした。

各候補を応援した4人は、皆クーン・ローブ商会の共同経営者です。 4人が大統領選挙をお膳立てし、上手くウィルソンを当選させたのでした。





オットー・ヘルマン・カーン(1867年ー1934年)は、ドイツ生まれのアメリカ人投資銀行家、コレクター、慈善家、そして芸術のパトロン。

オットーは1867年2月21日にドイツのマンハイムで生まれ、ユダヤ人の両親であるエマ(旧姓エーバースシュタット)とバーニーカーンによって育ちました。彼の父親は、1848年の革命後、米国への難民の1人であり、アメリカ市民になりましたが、後にドイツに戻りました。カーンはマンハイム教育を受けました。



1893年に、彼はニューヨークのSpeyer and Companyからの申し出を受け入れ、米国に行き、そこで残りの人生を過ごしまします。

1896年1月8日、カーンはアディウルフと結婚し、2人のヨーロッパツアーの後、カーンは義父のアブラハムウルフがパートナーであったニューヨーク市のクーンローブアンドカンパニーに加わります。1917年、カーンは英国国籍を放棄し、米国市民になっています。



彼の義父に加えて、カーンの他のパートナーには、会社を共同設立したソロモン・ローブの義理の息子であるジェイコブ・シフ、ポールとフェリックス・ウォーバーグが含まれていました。

ほぼ即座に、カーンは鉄道建設業者のEHハリマンと接触するようになりました。気質と方法の明確な違いにもかかわらず、彼らは兄弟となりました。ハリマンの不機嫌に対抗して、ビジネスにおける横暴で攻撃的な態度は、カーンの穏やかで、ユーモアのある、ほとんど穏やかな退去でした。



カーンはわずか30歳ですが、初期の段階でシフが担当していたユニオンパシフィック鉄道の再編成という巨大な任務において、ハリマンとほぼ同等の役割を果たしました。カーンは、絶えず提示されている問題を数学的および科学的に分析する能力を証明しました。

カーンはまもなく、米国で最も有能な鉄道の再編成者として認められるようになり、ボルチモアアンドオハイオ鉄道、ミズーリパシフィック鉄道、ワバッシュ鉄道、シカゴアンドイースタンイリノイ鉄道、テキサスアンドパシフィック鉄道、およびその他のシステムに自分自身を適用しました。



ウィルソン候補の中心的スポンサーは、やはりクーン・ローブ商会のクリーヴランド・H・ドッジでした。

彼は二つの兵器会社の社長で、1914年2月、ウィルソン大統領がメキシコへの武器輸送を解禁したとき、大量の武器と弾薬をメキシコに送って大儲けしました。

クーン・ローブ商会はメキシコ革命を画策し、ドッジが演出しました。 アルフレッド・ロスチャイルドの指示に基づき、ウィルソンを政治家として育て、大統領就任後も彼の指導者であったマンデル・ハウス(通称ハウス大佐:しかし軍隊経験はありません)は重要な人物です。



ハウスは次のように語っています。 

「1912年12月19日、私は通貨政策に関して、ポール・ウォーバーグと電話で話をした。 私はワシントンへ旅行し、そこで作業手順を整えるために行ったことを話した。 上院議員と下院議員はウォーバーグが希望することを行うのを切望しているように見え、

当選した大統領ウィルソンはその問題に関して変更なしに行うことを考えているようだと、私はウォーバーグに伝えた」。




エドワード・マンデル・ハウス(Edward Mandell House、1858年ー1938年)は、アメリカ合衆国の政治家・外交官である。兵役経験はないが、カーネル・ハウス(Colonel House)というニックネームで知られていた。

テキサス州の政治において大きな影響力を持っていて、選挙で世話になったテキサス州知事から「ハウス大佐」という尊称を与えられた。1912年にウッドロウ・ウィルソンの大統領選への立候補を支援し、第一次世界大戦や1919年のパリ講和会議では、ヨーロッパの政治・外交に関するウィルソン大統領の最高顧問を務めた。

1858年7月26日、テキサス州ヒューストンで、トーマス・ウィリアム・ハウス・シニア(英語版)とメアリー・エリザベス(旧姓シェアン)の間に生まれた。7人兄弟の末っ子だった。父はイギリスからニューオリンズを経由して移住してきた人物で、ヒューストンの著名な実業家となり、市の発展に大きな役割を果たし、市長を1期務めた。熱烈な南軍派で、南北戦争の際には、メキシコ湾での北軍による海上封鎖に対抗する封鎖突破船を提供した。




ウィルソン大統領の取り巻きは、ロスチャイルド家の代理人で固められました。 、マンデル・ハウス、ポール・ウォーバーグ、バーナード・バルーク、ユージン・マイヤー、ジェイコブ・シフなどです。





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ロスチャイルド財閥ー59 ジキル島の秘密会議

2022-10-16 08:46:21 | 国際政治・財閥

The Jekyll Island Club(ジキル島クラブ): 当時の億万長者のクラブハウス




1910年11月に、J・P・モルガンが所有するアメリカ、ジョージア州のジキル島で、通貨委員会の委員による秘密会議が開かれました。 出席者は、次の7人です。



❶ポール・ウォーバーグ

ロスチャイルドの代理人、クーン・ローブ商会の共同経営者。中央銀行業務に精通。


❷ヘンリー・デヴィソン
J・P・モルガン商会の共同経営者


❸フランク・ヴァンダー・リップ
ロックフェラー系のナショナル・シティ・バンク・オブ・ニューヨークの頭取。


❹チャールズ・ノートン
J・P・モルガン系のファースト・ナショナル・バンク・オブ・ニューヨークの頭取。


❺ベンジャミン・ストロング
バンカーズ・トラスト・カンパニーの社長。 1914年に「ニューヨーク連邦準備銀行」初代総裁(モルガン商会およびクーン・ローブ商会のきょうどう推薦による)


❻ネルソン・オールドリッチ
共和党上院議員で院内幹事。 通貨委員会委員長。 J・P・モルガンの投資パートナー。
ジョン・D・ロックフェラー・Jr.の義理父


❼エイブラハム・アンドリュー
連邦財務省次官。 通貨委員会特別補佐官。




この7人で、アメリカの中央銀行(FRB)の計画案を作成したとされています。 それは、アメリカ合衆国の通貨と信用の独占権を、中央銀行的な機能を持つ「制度」を通じて、特定の銀行家たちに付与するものでした。

アメリカでは「中央銀行」に批判的な意見が強かったので(既にイングランド銀行がロスチャイルドに乗っ取られていた事を知っていた)、ポールは「中央銀行」という名称を避け、「連邦準備制度」「連邦準備銀行」という複雑な制度と分かりにくい名称にしました。  実体は100%「民間が所有する」中央銀行ですが、「連邦」を名乗り、国民を騙しているのです。


秘密会議の7人の背後には、アメリカの基礎的産業や資源の多くを支配していたとされるシフ(クーン・ローブ商会)やモルガン、ロックフェラーが控えさらにその背後にはロスチャイルド家の地球規模の金融パワーがありました。


アメリカ合衆国の主な銀行系持ち株会社は、クーン・ローブ商会、J・P・モルガン」、ブラウン・ブラザーズ、ハリマンなどの銀行の手中にありました 表面上はアメリカの企業ですが、ロスチャイルド家の本拠地であるロンドンに支店を持ち、ロンドンから何かと影響を受けていました。


一方、ヨーロッパの銀行であるN・M・ロスチャイルド&サンズ(英)、M・M・ウォーバーグ(独)、ラザール・フレール(仏)などはすべてウォール街に支店、または子会社を持っています。


アメリカやヨーロッパの銀行は、本店がどこにあろうが、世界の金市場と国際金融市場をコントロールする、ロスチャイルド家の傘下にあったということです。

世界の金価格は、フィキシングと呼ばれる、毎日、N・M・ロスチャイルド&サンズ商会の事務所で決定されていました。


金のフィキシングとは
金は、日々世界中で取引されています。そしてそれぞれの取引の中心となる時間帯の地名を被せて、たとえば「東京市場」と呼んでいます。

メジャーな金市場は、ロンドン市場、ニューヨーク市場、チューリッヒ市場、香港市場、東京市場の五つで、これをもって五大金市場と呼ぶこともあります。

なかでもとくに中心的な役割を果たしているのが、300年の歴史を誇るロンドン金市場(金現物取引が中心)と、ヘッジファンドなど投機的資金を集め活発な取引が行われているニューヨーク金市場(金先物取引が中心)の二つです。

前者のロンドン金市場では、1919年から毎日ロスチャイルド社の「黄金の間」に固定のメンバーが集まってフィキシングと呼ばれる「値決め」を行ってきました。そして、この価格が金現物の国際的な指標価格として用いられてきました。

しかし、2004年にチェアマンであったロスチャイルド社がコモディティ・ビジネスを縮小したことによりフィキシングから撤退、現在はスコシア・モカッタ、バークレイ銀行、ドイツ銀行、HSBC、ソシエテジェネラルの5社(チェアマンは輪番制)が、毎日午前と午後に電話で売買注文を突き合わせ、折り合った価格をフィキシング・プライス(値決価格)として世界に向けて発信しています。

この「値決め」を中心にロンドン金市場では、多くの参加者が活発に取引を行っており、価格は時々刻々と変化しています。後者のニューヨーク金市場では、金先物取引が中心です。

先物取引は証拠金を積むことで取引に参加できますから投下資金の数倍の取引が可能で、短期の値ザヤを狙った取引も多く、価格の動きも大きくなります。

先物取引は「買い(ロング)」の取引以外に、将来の値下がりを見込んだ「売り(ショート)」の取引も可能なことから、ファンドの取引参加が増えています。そのため現在では、プライス面に関しては、ロンドン金市場よりもニューヨーク金市場の影響力の方が大きいと言って良いでしょう。

※2014年1月ドイツ銀行はフィキシングメンバーからの脱退を表明。
※2015年3月フィキシングは終了し、新たな国際的指標として「LBMA Gold Price」の運用が始まった。





ロスチャルドとロックフェラーのパワーバランス
また、以前にも紹介しましたが、パワーバランスはロスチャイルド財閥の方がロックフェラー財閥より、歴史的にも各上です。

英ロスチャイルド家のジェイコブ・ロスチャイルド氏が率いる投資会社RITキャピタル・パートナーズRCP.Lは30日、米ロックフェラー・グループの資産運用事業の株式37%を取得することで合意したと発表した。運用事業で、大西洋を挟んだ名門による提携が実現する。ロスチャイルドにとっては、米国に基盤を築くことにもなる。    Reuters 2012.5.30記事





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ロスチャイルド財閥ー58 1907年世界金融恐慌

2022-10-16 06:20:16 | 国際政治・財閥

1907年恐慌(1907ねんきょうこう、英: Panic of 1907)は、アメリカ合衆国で1907年10月に発生した金融恐慌。構造的要因は前年制定のアームストロング法による資金移動であった。この恐慌はイギリス系投信に回復しがたい被害をもたらした。一方では現金の不足を証券でごまかす金融制度の脆弱性を露呈し、連邦準備制度の立法事実となった。




アメリカでは、1832年にジャクソン大統領が第二合衆国銀行の公認更新を無効にして以来、中央銀行が存在しませんでした。


ロスチャイルド財閥ー11 合衆国銀行
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ロスチャイルド財閥ー10 イングランド銀行
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ロスチャイルド財閥ー9 ウィーン体制
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ロスチャイルド財閥-8 N・M・ロスチャイルド&サンズ 
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ポールは、シナリオの一環として、ロックフェラー家や、フランクリン・ルーズベルトにも接近していきます。 4年後の1906年、ポールは、ニューヨーク州商工会議所で、

「現状を変えなければ、それもすぐに変えなければ、国内が恐慌状態になり、それに比べれば、以前にも起きた恐慌など子供の遊びに等しく見えよう」 と「予言」「脅迫」めいた事を語りました。大掛かりな仕掛けのスタートです。

彼の「予言」あるいは「脅迫」通り、1907年に恐慌が起きました。 ロスチャイルド家は、1839年から1840年の恐慌で、イングランド銀行の中央銀行化を完成させたように、今度は1907年の恐慌で、アメリカに民間所有の中央銀行をつくろうとしたのです。


1907年の恐慌の仕掛けは次のようです。 国際金融資本家たちの息がかかったニューヨークの各銀行が、預金者である地方銀行に通貨を払うことを渋り、地方銀行は、預金者が引き出して金庫が空になった後、

預金者に支払いを拒否せざるを得ない状況に追い込まれたと言います。 結果、商業活動は停滞し、賃金と物価は暴落し、悲惨な恐慌となりました。

この恐慌を受けて、大衆紙は、ポール・ウォーバーグ、ジェイコブ・シフらを恐ろしい目で民衆を見つめる詐欺師、悪徳銀行化として描きました。

証券取引所も一時的に閉鎖されましたが、その間にJ・P・モルガンが音頭を取って、どうにか政府と金融機関による救済案をまとめました。



ここから、「恐慌の再来を防止できる通貨および信用取引の制度をつくる」という大義名分の下、ロスチャイルド家など国際金融資本家たちが一元的に通過を牛耳り、操作次第で不況や恐慌をつくりだす制度、すなわち民間所有の中央銀行づくりが始まります。

国際金融資本家による支配を危惧するポピュリストたちが最も恐れていた事態です。 もちろん、諸産業の要求に応じた十分な貨幣量を求め、現状の問題点を打開し、制度の改善を願うという正直な声もありました。


このような声を受けて、合衆国議会は、まずは各国の銀行制度を研究するべく、共和党の最高実力者でジョン・D・ロックフェラーJr.(ロックフェラー22世)の義父であるネルソン・オールドリッチ上院議員を委員長とする通貨委員会を設置しました。

ポール・ウォーバーグは、1907年の金融危機を教訓として、危機の再発を防ぐためと称して、銀行改革の必要性を連日のようにマスコミを通じて主張しました。シナリオ通りです。


ロスチャイルド財閥ー38 ユダヤ資本に支配されるアメリカ メディア
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彼は、ニューヨークの主要銀行家たちを招いて、イングランド銀行と実質的に同じ内容の銀行・通貨制度への改革プランを提案し、主要銀行家たちはこれを熱狂的に支持しました。



このような中央銀行創設をめぐる動きの最中も、ロスチャイルド家傘下でモルガン、クーン・ローブ、ロックフェラーの動きは活発です。 

1910年、ロンドンのJ・S・モルガン商会がモルガン・グレンフェルに改称されました。 エドワード・グレンフェルが共同経営者として参加して5年経ち、改称しました。

グレンフェルはロスチャイルド家に連なる一族と言われ、エドワードは1881年から1883年まで、イングランド銀行総裁だったヘンリー・グレンフェルの息子です。

モルガン・グテンフェルというマーチャント・バンク(国際銀行)は、モルガンと、ロスチャイルド家が再度合体した巨大な投資銀行で、日本、アジア全域、アフリカ、南米などの経済進出を進めていきます。

モルガン・グレンフェルは、東西ドイツ統一の前年の1989年にドイツ銀行に買収されましたが、実質的には逆にドイツ銀行を乗っ取ったともいわれています。

1991年には、クーン・ローブ商会は、ロックフェラー家と共同で、後にチェース銀行と合併するエクイタブル・トラストを買収しました。




次の投稿は、FRB創設に向けた、モルガンとポール・ウォーバーグ主導で開催された「ジキル島の秘密会議」です。



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ロスチャイルド財閥ー57 新たにアメリカ代理人として派遣されたポール・ウォーバーグ

2022-10-16 05:09:57 | 国際政治・財閥

ポール・モーリッツ・ウォーバーグ(1868年8月10日~1932年1月24日)は、ドイツ生まれのアメリカの投資銀行家であり、アメリカの中央銀行制度を早くから提唱し、連邦準備制度理事会の初代副議長を務めた人物である。

ウォーバーグは、ドイツのハンブルグで、ヴェネツィアに起源を持つユダヤ系銀行家ウォーバーグ家に生まれた。両親はモーリッツとシャーロット・エスター(オッペンハイム)・ウォルバーグ。1886年にハンブルクのレアルギムナジウム(訳注:ドイツの中等教育機関の一つ)を卒業後、ハンブルクの輸出入業者であるサイモン・ハウエルのもとでビジネスの基礎を学んだ。1889年から90年にかけてはロンドンの銀行、サミュエル・モンタギュー商会に、1890年から91年にかけてはパリのロシア外国貿易会社に勤務していた。

1891年、ウォーバーグは曾祖父が1798年に設立した同族銀行M・M・ウォーバーグ商会の事務所に入った。1891年から92年にかけての冬、彼はそこでの仕事を中断して世界旅行に出かけた。ウォーバーグは、1895年に同族会社のパートナーとして認められた。

1895年10月1日、ニューヨークの投資会社クーン・ローブ商会の創業者であるソロモン・ローブの娘、ニーナ・J・ローブとニューヨークで結婚した。その後、息子のジェームズ・ポール・ウォーバーグと娘のベッティーナ・ウォーバーグ・グリムソンが誕生した。

ドイツの金融界に大きな影響を持っていたウォーバーグだが、頻繁にニューヨークに出張した後、1902年にニューヨークの有力者ジェイコブ・シフがシニア・パートナーを務めるクーン・ローブ社のパートナーとなった。ポールの弟、フェリックスはシフの娘と結婚しており、2人の兄弟は長年にわたってクーン・ローブ社に関わり、家族と結婚してパートナーになった。ウォーバーグは、ハンブルグの同族会社のパートナーであり続けたが、1911年にはアメリカに帰化した。ニューヨークのエマヌ‐エル寺院の会員でもある。




第一次世界大戦前のヨーロッパの状況
ロスチャイルド家によって開発された国際制度は、ヨーロッパの戦争を財政的に支えました。 1887年から1913年にかけて、国の借金残高は、イギリスは横ばい、フランスもそれほど増えませんでしたが、

ドイツやロシアは軍事費のために約2倍となりました。 1900年までの多くのヨーロッパ諸国は、多数の常備軍と近代兵器を備えながら借金過多や破産に近い状態にあって、国家経済は新たな大戦争の費用を支えることができなくなっていました。


だからこそ、ロスチャイルド家をはじめ国際金融資本家たちは、来るヨーロッパ諸国間の戦争に、アメリカ合衆国の膨大な経済力を背景とした、新たな大戦争の費用を支える資金供給システムが必要と考えました。

アメリカ合衆国に民間所有の中央銀行をつくることを企てたのです。 通貨と信用をコントロールする権限を持ち、彼ら自身が支配する中央銀行をアメリカにもつくろうとしていたのでした。

そのような中央銀行の創設は、アメリカ国民が憲法によって保障された主権を放棄することになります。




ロスチャイルド家の新たなアメリカの代理人、ポール・ウォーバーグ
1902年、M・M・ウォーバーグ商会のパートナーシップを維持しつつ、ロスチャイルド家の新たな代理人として渡米したウォーバーグ家の次男ポールは、シフに誘われて、クーン・ローブ商会の共同経営者となりました。

同商会のパートナーは、それまで原則として全員アメリカ国民でした。 ポールが、クーン・ローブ商会とM・M・ウォーバーグ商会の両方のパートナーであることは、兄マックスが経営するM・M・ウォーバーグ商会の国際的な力を一層高めました。



ポールは、ヨーロッパ各中央銀行、特にドイツ帝国銀行(ライヒスバンク)について熟知していました。ロスチャイルド家が、第一次世界大戦前にアメリカ合衆国に民間所有の中央銀行をつくるために、

工作員としてポールをアメリカに送り込んだとの説が有力です。



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