ポール・ウォーバーグ
ウォーバーグ家もロスチャイルド家と同じくユダヤ教徒で、元々はフランクフルト・ゲットーの出身と言われています。
ポール・ウォーバーグ(1868年ー1932年)は、1902年、ハンブルグを本拠とする一族の銀行M・M・ウォーバーグ商会のパートナーシップを保持しながら、ロスチャイルド家の代理人として渡米、
ニューヨークのクーン・ローブ商会の創業者ソロモン・ローブの娘ニーナと結婚して、ジェイコブ・シフ同様、クーン・ローブ商会の共同経営者となりました。
彼は、中央銀行設立を進める動きの中で、ドイツ国籍が障害になったので、1911年にアメリカに帰化しました。 1918年12月付けの合衆国海軍情報部(諜報部)の報告書には次のように記載されています。
「ポール/ウォーバーグミューヨーク市 ドイツ人。 彼は1911年にアメリカ市民権を取得。 1912年にドイツ皇帝より叙勲。合衆国連邦準備制度理事会副議長(議長代理)を務めた富裕にして有力な銀行家。 ドイツからレーニンおよびトロッキーに供与された帯金を扱った。 同人には、ドイツ人のスパイ組織の指導者である兄弟がいる」。
マックス・モリッツ・ウォーバーグ Max Moritz Warburg (1867年ー- 1946年)ハンブルクでウォーバーグ家に生まれたドイツの銀行家である。民間銀行M・M・ヴァールブルク&COの取締役を務めた(1910年-1938年)
なお、彼は1918年5月に連邦準備制度理事を退職しています。 ポールの兄マックス・モーリッツ・ウォーバーグ(1867年ー1946年)は、M・M・ウォーバーグ商会の最高責任者(在任1910年-1938年)です。
第一次世界大戦が始まるまでの間、ドイツのユダヤ人銀行家たちは手厚く国家から保護されていました。 彼らは自分達の愛国心を証明して皇帝に取り入り、ドイツ帝国の資金調達を担ったのでした。
その中でもM・M・ウォーバーグ商会は、ドイツ帝国の積極的な外交政策に深く関与して急激に一流の国際銀行となり、資産は1900年から2014年にかけて3倍に膨れ上がりました。
同商会は、ドイツ外務省の緊密な指導の下、植民地経営活動に隠密裏に加担していました。 ドイツ国民は、ウォーバーグ家が密かに帝国を動かしているのではないかとの疑念を抱いていました。
ウォーバーグ家は、秘密情報をフルに活用して莫大な利益を得ていました。 彼らは、ロスチャイルド家のドイツにおける代理人のような存在でした。
第一次世界大戦の間、マックスはヴィルヘルム2世の顧問を務め、敗戦後のベルサイユ講和条約の交渉ではドイツの代表団に参加しました。 彼は、戦前も、戦中も、そして戦後もドイツを牛耳っていたのです。
さらに、マックスは、ロシア革命への関与も噂されていました。 ロスチャイルド家の意を受けて、レーニンらを操ってロシア国内の皇帝反対派を組織させたのは、ドイツやスイスのロスチャイルド家の傘下にある大富豪や官僚たちであったと言われていて、
マックスがドイツの皇帝直属の秘密警察としてそのように動いたとの説もあります。
ドイツとしても、第一次世界大戦の敵国であるロシア国内で革命を起こすことはこの上ない策であり、故にレーニンらを封印列車に乗せて密かにスイスからドイツ経由でロシアに送り込んだのでした。
レーニンは1917年、スイス・チューリッヒから、「封印列車」と呼ばれる秘密の貸し切り列車で移動しました。ドイツ領内を移動中、レーニンらは列車から離れてはならず、ドイツ市民と接触しないことを条件とされ、列車の車両の乗降口には施錠がなされていました。
ポールの弟のフェリックス・ウォーバーグ(1871年ー1937年)は、ドイツのプロイセン生命保険会社の重役でしたが、ポールより先にアメリカに移住してクーン・ローブ商会の一員となり、ジェイコブ・シフの娘フリーダと結婚しました。
フェリックス モリッツ ウォーバーグ(1871 年 ー 1937 年) は、ドイツのハンブルグ生まれのアメリカの銀行家でした。彼は、ドイツ、ハンブルグのウォーバーグ銀行家の一員でした。
彼は銀行の創設者の 1 人である MM ウォーバーグ (1798 年) であり、モリッツとシャーロット エスター オッペンハイム ウォーバーグの息子であるモーゼス マーカス ウォーバーグの孫です。
フェリックスの 16 歳での最初の仕事は、ドイツのハンブルグで、NM オッペンハイム & Co で、フェリックス ウォーバーグは、クーン、ローブ & Co.のパートナーでした。
後には、ユダヤ教のアメリカ長老会の会長についています。 彼も兄のマックスと同様に、ロシア革命に関与し、レーニンに革命資金を与え、レーニンを封印レ社の乗せてロシアに送り込む際に一役買った言われています。
ちなみに、フェリックスの娘フェリシア・シフ・ウォーバーグ(1927年生)は、フランクリン・ルーズベルトの息子ルーズベルト・ジュニアと結婚して3番目の妻となっています(1970年結婚、1976年離婚)。
ポールの息子ジェームズ・ポール・ウォーバーグ(1896年ー1969年)は、ルーズベルト大統領1期目の金融財政顧問となります。
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