Renaissancejapan

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ロスチャイルド財閥-74 アラビアのロレンス

2022-10-22 15:51:54 | 国際政治・財閥

トーマス・エドワード・ロレンス(Thomas Edward Lawrence、1888年8月16日 - 1935年5月19日)は、イギリスの軍人、考古学者。オスマン帝国に対するアラブ人の反乱(アラブ反乱)を支援した人物で、映画『アラビアのロレンス』の主人公のモデルとして知られる。




アラビア半島では、歴史が示す通り、第一次世界大戦における対トルコ戦争のヒジャーズ鉄道に沿った戦いやアカバの戦いはすべて、トーマス・ロレンスが率いたアラブのアラブの軍勢だけで行われました。

アラブの奮闘がなければ、イギリスはトルコ勢力をアラビアおよびパレスチナから一層できませんでした。 しかし、イギリス政府は、アラブ人との交渉や取り決めのなかで「ユダヤ人郷土」のことは一度も言及しませんでした。 アラブの立場から見ると裏切りです。

映画にもなったイギリス人将校、アラビアのロレンスは、オックスフォード大学出身の考古学者であり、かつ工作員でもありました。


1918年0月1日、ロレンスのアラブ軍がダマスカスに入場し、砂漠の戦いにイギリスが完全勝利を収めると、オスマン・トルコ帝国は崩壊し、1914年の石油協定が無効となり、戦前ドイツが確保していたメソポタミア の石油利権は、イギリスの手に渡りました。




ファイサル1世(イラク王)
ファイサル1世・ビン・アル=フサイン・ビン・アリー・アル=ハーシミー(アラビア語: فيصل الأول بن الحسين بن علي الهاشمي‎, ラテン文字転写: Fayṣal al-Awwal bin al-Ḥusayn bin ʿAlī al-Hāšimī、1883年 ー 1933年)は、第一次世界大戦期に起こったオスマン帝国に対するアラブ反乱の指導者であり、初代シリア国王(在位:1920年3月11日 - 1920年7月25日)、初代イラク国王(在位:1921年8月23日 - 1933年9月8日)。ファイサル・イブン・フセイン(アラビア語: فيصل بن حسين‎)とも呼ばれる。




戦争終結後、ロレンスは、アラブの指導者で、その後初代イラク国王となるファイサール1世の調査団の一員としてパリ講和会議に出席します。 1921年1月からは、植民地省中東局のアラブ問題顧問として、緊密な同省大臣ウィストン・チャーチルの下で働きました。


1918年から1948年までのイギリスによるパレスチナ委任統治の30年間に、イギリスの力によって多くのユダヤ人がパレスチナへ入植したため、1918年には少数であったユダヤ人が、1948年にはアラビアの領域に国を樹立することになるのです。




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ロスチャイルド財閥-73 バルフォア宣言

2022-10-22 03:04:34 | 国際政治・財閥

アーサー・バルフォア



イギリス政府は、パレスチナに「いダヤ人郷土」を報道機関つくるという約束で、ユダヤ人たちを味方につけ、ウィルソン政権やユダヤ資本傘下の報道機関などを動かしました。

ウィルソン大統領は、連合国側で勇敢に戦ってきたアラブを裏切り、狭い荒野のパレスチナをユダヤ人に与えるために、アメリカ国民を戦争に引きずり込み、12万人の施年を殺し23万人の青年を負傷させ、550億ドルの税金を注ぎ込んでいくことになります。

実は、信心深いユダヤ人は「郷土は救世主の再来まで実現しない」と認識していたので、パレスチナに「ユダヤ人郷土」を建設する計画に対しては異議を唱えていました。


1917年5月、ワイツマンは、反シオニスト的な信心深いユダヤ人の見解を抑え込むべくロンドンで演説し、イギリス政府にはシオニストのパレスチナに対する計画を支援する準備があるようだと断言しました。

ワイツマンから「小さな少数派」と呼ばれた信心深いユダヤ人たちの中心にいたのはユダヤ名家モンティフォーレ家でした。 彼らはプロパガンダの犠牲となり、あらぬ攻撃を受けました。

モンティフォーレとイギリス・ユダヤ人協会会長は『タイムズ』紙にされた書簡を送り(1917年5月24日に同紙に掲載)、シオニストの論理に抗議し、ユダヤ人は宗教だけが唯一確かな確かな基準であることを明らかにしました。

また、パレスチナのユダヤ人入植者が特権を得れば、既にユダヤ人が権利を得ている国での地位を揺るがせ、かつパレスチナでアラブ人との激しい対立が起きると警報を鳴らしていました。



これに対して、ウォルターも『タイムズ』紙に書簡を送り「パレスチナにユダヤ人国家をつくることは、生まれ育った国への忠誠を減じる」という見解を否定しました。


ウォルター・ロスチャイルド
ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド 第2代ロスチャイルド男爵 Lionel Walter Rothschild, 2nd Baron Rothschild(1868年ー1937年)
イギリスの動物学者、政治家、貴族。 英国ロスチャイルド家の嫡流であるが、銀行業には関心を持たず、動物学研究に傾倒した。



イギリスのユダヤの伝統的な団体「ボード・オブ・デュピティーズ」(ユダヤ人代表委員会)もこのウォルターの考えを支持し、ウォルターは「ボード・オブ・デュピティーズ」の風代表に選ばれます (1925年には代表)。

シオニズム運動はロスチャイルド家に支えられイスラエルが同家の王国として建国されていくのです。




アーサー・バルフォア
初代バルフォア伯爵アーサー・ジェイムズ・バルフォア(英: Arthur James Balfour, 1st Earl of Balfour [ˈbælfə][5], KG, OM, PC, DL、1848年ー 1930年は、イギリスの政治家、哲学者、貴族。

ソールズベリー侯爵引退後の保守党を指導し、1902年から1905年まで首相を務めた。政権交代後も自由党の長期政権下で6年ほど野党保守党の党首を務めたが、1911年には党首の座をアンドルー・ボナー・ローに譲る。

第一次世界大戦中に成立した自由党・保守党大連立の挙国一致内閣では海軍大臣(英語版)や外務大臣などを歴任し、バルフォア報告書やバルフォア宣言に名を残す。



1917年11月、ウォルターは、外相バルフォアから次のような手紙を受け取りました。


「親愛なるロスチャイルド卿

政府を代表して、ユダヤ・シオニストの切望に共感の意を示す以下の宣言を閣議に提出し、承認されたこと、甚大なる喜びのうちにご報告申し上げます。
『陛下の政府は、パレスチナにユダヤ民族のナショナル・ホーム(郷土)の建設に賛同し、(中略)政府はこの目標達成が促進されるよう最善の努力をするものである。』

この声明をあなたからシオニストに連絡していただければ幸いです。

アーサー・ジェイムズ・バルフォア 」



世に言う『バルフォア宣言』です。



「パレスチナに『ユダヤ人郷土』をつくる 」という約束が「親愛なる老チャイルド卿」で始まる手紙という形の宣言になったのです。 これについては、まず、ロンドンで英仏政府やユダヤ代表者達による9ケ月に及ぶ討論の末に草案が作られ、

次に、イギリス陸軍ルートで、ルイス・ブランダイスが議長を務めるシオニスト一般問題暫定委員会に送られて必要な修正がなされた後、ハウス大佐の指導の下でウィルソン大統領が承認し、それから」バルフォアに電信で送られたと言われてます。

イギリスは、既にアメリカに頼った戦争を展開していたので、ウィルソン大統領に文言の承認を求めていたのでした。 そして最後に、バルフォアからウォルターへの手紙として発表されたのでした。


アラブの指導者やパレスチナの人々が関わる事なく、ロスチャイルド家の影響下で草案は作成され発表されたのでした。


ウォルターを議長に、パリ家のジェームズも参加して、ロンドンのオペラ座でユダヤ人大会が開催され、バルフォア宣言が正式に発表されました。



興奮するユダヤ人聴衆に、ウォルターは「この1800年のユダヤの歴史で最も偉大な出来事です」と、ジェームズは「イギリス政府はシオニズムを承認したのです」と宣言しました。

世界中のユダヤ人を勇気づけ、パレスチナへの移住が勢いづきます。 しかし、第一次世界大戦後、パレスチナは、ひとまずは国際連盟によってイギリスの委託統治領とされました。

さらにバルフォアは、ユダヤ人向けの国立宿泊所の設立も表明しました。ドイツのルーデンドルフ参謀長は、一連のバルフォアのユダヤ政策の有効性を認め、ドイツが先になさなかったことを悔やみました。



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