イスラエルとガザで多くが犠牲に…そもそも争いの原因となったイギリスの“三枚舌外交”とは?歴史背景をイチから解説!【パレスチナ問題】
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ポーランド生まれのロシア人で、火薬原料の大量生産を成功させた化学者ハイム・ワイツマン博士が、新しいシオニズムの指導者としてイギリスに渡ってきました。
1913年、パリ家のエドモンが支援する小売業者マークス&スペンサーの二代目サイモン・マーカスと会い、翌年、ロンドンのシオニスト本部で、ワイツマンがトップ、マークスが財務担当兼次席に就いてシオニズム運動の推進体制をつくりました。
さらにワイツマンは、ロンドン家を通じて、イギリスの政・官・軍の有力な人脈を得て、後にイスラエル初代大統領となります。
1915年にイギリスは、オスマン・トルコ帝国の支配下にあったアラブ地域の独立と、アラブ人のパレスチナでの移住を認めた「フサイン=マクマホン協定」を締結しました。
メッカの太守(知事)であるフサイン・イヴン・アリーとイギリスの駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンとの間でやりとりされた書簡のなかで、イギリスは対トルコ戦協力(アラブの反乱)を条件に、アラブ独立への支持を約束しました。
しかし、これは「サイクス=ピコ協定」および「バルフォア宣言」と矛盾するような内容で、「イギリスの三枚舌外交」と呼ばれます。 「サイクス=ピコ協定」は、1916年にイギリスの戦時内閣書記官で中東専門家マーク・サイクスとロンドン駐在フランス大使ジョルジュ・ピコとの間で密かに結ばれた、
イギリスとフランスがトルコ帝国領土の中東を勝手に分割して手中に収めようとする協定です。「バルフォア宣言」は、1917年のユダヤ人に向けた宣言です。
サイクス=ピコ協定によって引かれた境界線は、大油田の利権配分が目的で、石油会社の敷地境界線というべきものでした。
それが今日国境となり紛争を巻き起こしてしています。 サイクスは、カトリック教徒ながら、早くからシオニズム運動に共鳴し、シオニズム指導者であるワイツマンやマークスと密接なつながりがあり、かとも密談を重ねていました。
ピコは、息子がスエズ運河会社の社長になり、また甥のジスカール・デスタンは後にフランス大統領になります。 バルフォア外相は首相経験者で、かつて、南アフリカのダイヤモンドを狙って第二次ボーア戦争を始めた伯父ソールズベリー首相の後継でした。
このように、サイクスもピコもバルフォアも、ロスチャイルド家とのつながりがありました。
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