Renaissancejapan

哲学と宗教、財閥、国際政治、金融、科学技術、心霊現象など幅広いジャンルについて投稿しています

ロスチャイルド財閥-39 1893年(明治26年)恐慌

2022-10-10 17:07:41 | 国際政治・財閥

1893年(明治26年)恐慌(1英: Panic of 1893)は、1893年に始まったアメリカ合衆国の深刻な経済不況である。

大不況のクライマックスが投資先アルゼンチンの金融機関を淘汰した。外債が鉄道の過剰な建設と不安定な財政をアルゼンチンへもたらしていた。救済融資をしようにも、国際的に正貨の調達が難しかった。南米で産出される銀は電解精錬によるものと価格競争にさらされた。



1890年(明治23年)頃は、大英帝国とロスチャイルド家が空前の繁栄を謳歌し、世界的な投資ブームが起こり、

ロスチャイルド財閥-35 大英帝国に太陽の沈む時なし
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2eb6ca48bccd51d6172b0932afde9beb


ロスチャイルド財閥ー12 ワデスドンマナー
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/85e7f5f8045775dd842672d531813728
「ワデスドン・マナー」で大富豪ロスチャイルド家の財宝と生活を垣間見る
https://art.japanesewriterinuk.com/article/waddesdon-manor.html



1889年5月6日ー10月31日にパリ万博が開催され、パリのモンマルトルに、フレンチカンカンで有名な、キャバレーのムーランルージュが1889年に誕生した良い時代でした。



ムーラン・ルージュ(Moulin Rouge、フランス語発音: [mulɛ̃ ʁuʒ])は1889年に誕生したフランスのパリ市内、モンマルトルにあるキャバレーである。フランス語で「赤い風車」という意味で、実際に屋根の上に赤い風車がある。

歌やダンス、フレンチカンカン、大道芸を組み合わせたショーで有名。また、画家のロートレックがここに通いつめ、踊り子たちをモデルに数々のポスターを描いたことでも有名である。

第一次世界大戦や第二次世界大戦下でも営業を続け、第二次世界大戦中にパリがドイツ軍の占領下に置かれた際も、多くのドイツ軍将兵でにぎわった。ここで活躍した著名なミュージシャンとしてはエルビス・プレスリー、フランク・シナトラなど多数いる。

現在もパリを代表する観光スポットの1つとして人気がある。1日に2回のショーがあり、19時(ディナー付)、21時(19時の回のディナーが終わったころに入場し、19時からいる人と一緒にショーを楽しむ。ドリンク付)、23時(ドリンク付)が開演時間。約840名が収容できる。



1893年は、世界的な証券ブームや海外投資ブームが崩壊し、イギリスから南米、アメリカ合衆国、そして世界を巻き込んだ1893年恐慌が起きました。

アメリカ合衆国はクリーヴランド大統領(在位1885年ー1889年、1893年ー1897年)の時代でしたが、恐慌の波及と共に、財務省から金(Gold)が流出して、金準備が底をつき非常事態となりました。

このとき、オーガスト・ベルモントとロンドン家が動き、さらにJ・P・モルガンがホワイトハウスまで出向いて閣僚たちに指示を与え、連係プレーで金(Gold)を手当てしてアメリカ合衆国を救いました。


このように、大統領や閣僚たちを動かすようになったロスチャイルドのアメリカ代理人のJ・P・モルガンは、証券投資を独占して金融トラストを形成していきます。

モルガン一族は、英国ウェールズ出身の敬虔なプロテスタントで、移民としてアメリアに渡り、最初は農業で生活し、その後ビジネスで成功し、ユダヤ人差別でロスチャイルドがアメリカになかなか参入出来なった頃に、ロスチャイルドのアメリカの代理人となり、大活躍した財閥です。

アメリカを支配しているというWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)のエスタブリッシュメントであります。


当時、「合衆国における円卓会議」という会議体(結社?)があり、モルガン・グループによって代表されていましたが、ラザール・フレールが率いるロンドンの国際金融家グループがこの円卓会議のバックにいてイギリス資本との関係が極めて蜜でした。

すなわち、ロスチャイルド家が後ろに控えていたのです。

1895年、合衆国のモンタナ州のアナコンダ銅鉱山の株の4分の1をロンドン・パリ両家が取得し、世界の銅供給の4割以上を支配しました。


恐慌の時期もロスチャイルド家の怒涛のような勢いは続いていました。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029

日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥ー38 ユダヤ資本に支配されるアメリカ メディア

2022-10-10 15:34:22 | 国際政治・財閥

1890年代半ば、全米の有力新聞は、ほとんどがユダヤ資本の影響下にあり、過半をユダヤ資本に乗っ取られていました。


『ニューヨーク・ヘラルド』(英語: The New York Herald)は、アメリカ合衆国ニューヨークで1835年から1924年まで発行されていた日刊新聞である]。

無党派中立の政治的立場をとり、それまで報道するに値しないとされてきた金融・スポーツ・外国ニュース・社会問題・演劇などを取材し記事にした。1924年、赤字経営のため『ニューヨーク・トリビューン』に売却された。



『ニューヨーク・トリビューン』(英語: The New-York Tribune)は、アメリカ合衆国ニューヨークで1841年から1924年まで発行されていた日刊新聞である。

編集者、政治家のホレス・グリーリーが創刊。反奴隷制、フリーソイル (Free Soil、自由な土地)運動、保護貿易、女性の権利などについて社会改革の論陣を張り、アメリカ合衆国北部世論の形成に大きな影響を与えた。

1924年、赤字経営に陥っていた『ニューヨーク・ヘラルド』を併合、『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン(英語版)』に改題され1966年まで発行された。




自動車王で、反ユダヤ主義のヘンリー・フォードは、「1890年頃までは、ニューヨークの新聞はユダヤ禍の被害を受けなかった。 しかるに今日では、事実上ユダヤ人の支配を受けない新聞はない」と嘆きました。

ニューヨーク・ヘラルド紙は、最後までユダヤ資本と戦った新聞として知られています。 同紙はユダヤ人からの広告を拒否し、記者はユダヤ銀行家の策謀を暴露し、苦労しながらも経営を維持しました。

しかし、光栄ある孤立をもって戦った社長が1918年に亡くなると、同紙も買収されてユダヤ資本の傘下に入りました。





フォードはこのことについて次のように述べています。 

「ユダヤ人はニューヨーク・ヘラルド紙を支配するに至った。 これはユダヤ人の財政的勝利を示すものである。 ゴルドン・ベネットはユダヤ人に対して財政的にも道徳的にも勝っていた。 



ニューヨーク・ヘラルド紙がユダヤ人の軍門に降(くだ)った以上、もはやニューヨークにおいてユダヤ人の真相を報道する新聞はなくなった。 ニューヨークには真の意味の新聞はなくなってしまった。 

今後ニューヨークから発生するすべての事件に対して、我々は疑心をもって考えねばならなくなった。 




それはその事件報道の種がユダヤ人の手から出てくるからである。 ユダヤ式報道によりアメリカ国民の思想を捉え、

アメリカ国民を思想的にユダヤ人の支配下に置かんとするのが、ニューヨークのユダヤ系新聞の目的であると見ることができる。 
ニューヨーク・タイムズ紙も、ニューヨーク・ワールド紙も、ニューヨーク・イブニングポスト紙も、ユダヤ系新聞だった。




 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (1/3)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1f87a836a42cfdcf5bc18c8a5e212fe5

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (2/3)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/40a30f12de3651f13810a90405370238

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (3/3)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/47e334f8ba710639aefdcc8d7824f9fa

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029

日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ロスチャイルド財閥ー37 軍産複合体

2022-10-10 07:01:07 | 国際政治・財閥


サー・アーネスト・ジョセフ・カッセル Sir Ernest Joseph Cassel (1852年ー- 1921年)

ユダヤ系高利貸しの息子としてケルンに生まれました。1869年に単身イギリスに渡り、リヴァプールの穀物取引会社で働いた。超人的な業務処理能力と生まれ持ったビジネス感覚で頭角を現し、パリの銀行に務めるようになります。しかし1870年に普仏戦争が起きると、プロイセン王国領出身だったために敵国人扱いされ、ロンドンの銀行に移りました。

カッセルはやがて自ら商取引を開始し、成功を収めました。カッセルの関心分野は鉱業、公共設備事業、重工業にあった。投資先として最初に関心を向けたのはトルコでしたが、その後はスウェーデン、アメリカ合衆国、南アメリカ諸国、南アフリカ、エジプトが主な投資先となりました。




ナサニエルは、軍需産業に大々的に進出しました。 彼はイギリスの陸軍改革および海軍強化の熱心な支持者で、軍艦の大拡張を求める演説を大集会で行っています。軍拡は、ロンドン家に大きな利益をもたらしました。

彼は、1888年には、イギリス在住の大投資家アーネスト・カッセル(後のアーネスト卿) と提携して、自動銃や弾薬のメーカーの統合に向けた資金調達を担い、統合後のニュー・マキシム・ノデンフェルド社の大株主となり、同社の経営にも直接に影響力を行使しました。

この自動銃は、イギリスの軍事的覇権の伸長に大いに貢献しました。 アーネスト・カッセルは、ドイツのケルンにユダヤ人の高利貸しの息子として生まれ、10歳代でイギリスに移住し、ロスチャイルド家に連なるゴールドシュミット商会に勤めて最高幹部に上り詰めました。

その後、自らビジネスで巨大な財を成し、カトリックに改宗し、イギリス皇太子と親しくなり、金融顧問になりました。 10年後の1897年には、ナサニエルとカッセルは、軍需メーカーのヴィッカース・ブラザーズが軍艦メーカーを乗っ取るのを金融支援し、軍艦の大拡張に対応しました。


ちなみに、日露戦争で活躍した旗艦(フラッグシップ)の戦艦三笠は、ヴィッカース社製です。 19世紀後半の帝国主義下、ロスチャイルド家は軍産複合化したのでした。


20世紀に入ると、デビアスも軍需産業に進出し、南アフリカにダイナマイト工場を建設します。大戦争の予感、大戦争の勃発、大戦争の長期化は、どれも軍産複合体に莫大な利益をもたらしました。


1890年、シティでロスチャイルド家のラバルで同家に次ぐ力があると言うわれていたベアリング商会のが、アルゼンチン証券の暴落を契機としてデフォルト寸前に陥りました。

同商会を支えたイングランド銀行も金準備を激減させ、金融パニックの様相を呈しました。 結局、ロスチャイルド家が、イングランド銀行を援助し、さらには他の銀行とシンジケートを組んで救済基金を組織し、ベアリング商会の債務の保証と清算の責任を負うことを声明して、パニックは沈静化したのでした。

ロスチャイルド家は、アルゼンチンへの梃(てこ)入れも行いました。 アルフレッドは、1892年にベルギーのブリュッセルにおいて開催された国際通貨会議にイギリス代表の一人として出席しています。


彼がベルギー王、レオポルド2世を訪ねた際、二人は対等に見えたそうです。 ナサニエルと弟のアルフレッドの二人が、まさに世界を制していたのです。


1894年、ナサニエルとアルフレッドの従妹ハンナの夫ローズベリー卿がイギリス首相(在任1894年ー1895年)となりました。前述の様に、ローズベリー卿もロスチャイルド家にお金という鎖でつながれていました。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029

日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー