Renaissancejapan

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ロスチャイルド財閥-79 死の商人 バジル・ザハロフ

2022-10-25 16:31:29 | 国際政治・財閥


死の商人 バジル・ザハロフ
ザカリアス・バジレイオス・ザハリアス(Zacharias Basileios Zacharoff、1849年ー 1936年)、あるいはザハロフは、トルコ生まれの武器商人。ヴィッカース社など数々の武器製造業者の代理人として武器取引に関わり、死の商人の代表格と看做されると共に神秘の男と渾名された。




戦争を連合国側、同盟国側の双方から扇動した軍需産業にとって、第一次世界大戦は途方もなく大きなビジネスの場となりました。

1914年に第一次世界大戦が始まると、アメリカのベツレヘム製鋼会社のユダヤ人社長チャールズ・M・シュワブは、直ちにイギリスに渡ってイギリス海軍提督と会い、要望があった潜水艦25隻をすみやかに製造して納入しました。



同社は、百万発の砲弾と1万9千門の銃砲も提供しました。 ノーベル・ダイナマイト・トラストは、開戦と同時にトラストを分解し、敵味方に分かれた各国のノーベル社をそれぞれ独立させました。

イギリスのノーベル爆薬社は後にイギリス・ノーベル産業となり、モンド社などと合併して有名なインペリアル・ケミカル・インダストリーズ(ICI)と社名を変えます。



20世紀初頭に、N・M・ロスチャイルド&サンズが新株を発行して設立し、アーネスト・カッセル卿が莫大な金を投じて育てたイギリスの銃砲メーカー、ヴィッカース&マクシム社がユダヤの「死の商人」ザハロフを代理人として台頭しました。



アーネスト・カッセル卿


カッセル卿は、ドイツ系ユダヤ人大銀行家にして、エドワード7世と親しく、ロスチャイルド一族に連なるゴールドシュミット商会の最高幹部でした。



エドワード7世、イギリス国王、インド皇帝 (1841年ー1910年)


ザハロフは一言でいえば、機関銃商売での成金です。 彼はヴィッカース&マクシム社だけではなく、ドイツのクルップ、フランスのシュナイダー、ロシアのプチロフや、ロスチャイルド家のル・ニッケルとも敵味方関係なく資本関係を結んでいました。

加えて、オーストリアのスコダともがっちり組んで、ヨーロッパ各国の武装と戦争準備に邁進していました。



ドイツの新聞には、ロシアやフランスの軍備拡張を誇大に書きたてさせ、ロシアやフランスの新聞にはドイツの軍備を大げさに宣伝させ、各国での更なる軍拡予算の議会通過に貢献しました。




ユダヤの「死の商人」ザハロフの暗躍

ザハロフは、第一次世界大戦が勃発したときは、各国に入りこんで戦争を挑発した自分の巧みな工作と準備が実ったと得意の絶頂でした。

ザハロフは、フランスのパリ・ユニオン銀行の大株主となり、エクセルのシオール紙を買収して戦火を更に煽り、一方ではロシアのプチロフ兵器工場の資金源を押さえ、そこに同じ連合国側のフランス資本を導入して工場を操ったのです。


彼はまた、中立国ギリシャの親独的な王を策謀で退位させ、中立を守ろうとするギリシャを戦争に巻き込みました。



さらに彼は、ギリシャとトルコ双方に武器を売り込んだだけではなく、トルコにヴィッカースの子会社を設立するように工作し、自らトルコの銀行もいくつか買収し、いつでも戦乱を起こせるように準備したのです。

彼の作戦は的中し、バルカン半島の戦火は激しく燃え上がり、ギリシャは英仏側で参戦しました。さらにザハロフは、戦争を長引かせる工作を行いました。



交戦国が互いに武器の部品や装具を供給し合うメカニズムを生み出したのです。 フランスがドイツとの国境近くに所有していた製鉄所は、戦争の帰趨を左右するカギでしたが、

開戦とともにフランス軍は自発的にこの製鉄所を放棄してドイツ軍に手渡しました。 しかも交戦国同士が戦火のなかでこの製鉄所の譲渡の協定を締結するという念が入ったもので、この協定を仲介したのがザハロフでした。



終戦まで、この工場はドイツのクルップの大砲のために鉄を生産し続け,無傷でした。 また、ロレーヌ地方にある大兵器工場は、独仏両軍の争奪の的でしたが、一発の砲弾も見舞われず、

ドイツ軍占領中はドイツ軍に、フランス軍占領中はフランス軍に兵器を供給していました。フランスとドイツの間では、この種の話が他にもたくさんあります。

要するに、欧米の兵器メーカーは、ザハロフを介してことごとく互いに資本関係を結び合っていました。



ザハロフが暗躍し、国際金融資本家が統制していたものと考えられます。 政治家たちもザハロフには逆らえませんでした。

例えば、彼は、フランスに市民権も取得して深く食い込み、同国の政界において、フランス首相ジョルジュ・クレマンソー(在任1906年ー1909年、1917年-1920年)を育てたともいわれています。

クレマンソーは断固とした対独強硬論者でした。 ちなみに、フランス秘密警察が情報源として利用していたユダヤ人ナデルはザハロフの手先でした。




当初、各国の多くの政治家たちは1年以内に戦争を終えるつもりでしたが、ザハロフはヨーロッパ中を走り回り、「急激な兵器の増産は無理」との口実をつけて工場の能力を少し抑え、早期決戦を避けるように工作し、戦争を長引かせたのでした。


連合国側が和平のために開いた会議には必ず彼が出席し、豊富な機密情報を背景にした説得によって、和平案を潰しました。



彼は敵方のドイツにも潜入していたので、双方の軍人たちの戦略が彼に筒抜けになっていたのです。

戦争が長引き休戦風が吹くたびに、彼は、新聞を利用し、各国の政治家を動かし,あくまでも戦えと! 常に主戦論を鼓吹(こすい)したのでした。




その結果、第一次世界大戦は4年を超える長期戦となり、ザハロフの本拠であり、ロスチャイルド家が背後から動かしたヴィッカース&マクシム社が最大の利益を上げて世界のトップ兵器会社となりました。

同社は、1927年、アームストロング・ホイット・ワースと合併し、ヴィッカース・アームストロング・リミテッドとなります。




アメリカ、イギリス、フランスなどの兵器会社はどれも記録的な利益を叩き出し、莫大な配当金を実施ししたのでした。

ザハロフは、「欧州大戦の父」と呼ばれ、31ケ国から298個の勲章を受け、伊フィリス王室からは「サー」の称号を授けられました。




「死の商人」の動きを支えたロスチャルド家のネットワーク
もちろん、ザハロフひとりだけが東奔西走して画策したわけではありません。

大戦中、ウィルソン大統領の指導者ハウス大佐も、ドイツを含めてヨーロッパ各国を何ら支障なくスパイ旅行し、ベルリンでも賓客として歓迎され、軍事上の詳細な機密情報を得ていたのです。



独軍が優勢となった局面では、英仏やドイツのフリーメーソンに属する有力政治家や軍人たちが通じ合ってドイツ軍の足を引っ張ったとか、ドイツ国内に反戦運動を起こそうと密かに工作を行っていたとの話もあります。

1917年4月にパリで開かれたフリーメーソン大会では、ドイツとオーストリアでの君主制打倒が最大テーマでした。



ドイツ国会で最大勢力であった社会民主党は戦争に協力していましたが、1918年に入ると、ドイツ国内での革命の準備と戦場での兵士の離脱工作が進行していました。

ザハロフ、ハウス大佐、そしてフリーメーソンのこれらの動きを支えたのは、ロスチャイルド家の広汎で強力なネットワークであったと考えるのが自然でしょう。





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ロスチャイルド財閥ー78 第二次ロシア革命・10月革命

2022-10-25 04:10:00 | 国際政治・財閥


ロシア革命



既にラトビアのルガを占領していたドイツ軍は、ロシアの首都ペテログラード(サンクトペテルブルグの旧名)を脅かす勢いでした。

このような情勢下、前夜のレーニンの即時決行指令を受けて、1917年10月25日、トロッキーの指揮の下、武装蜂起による10月革命が始まりました。

鉄道駅・印刷所・郵便局・発電所・銀行など市内の重要な施設は、ほとんど無抵抗で混乱なくボリシェヴィキ(過激派)に引き渡されました。


臨時政府が立て籠もる冬宮への軍の砲弾による攻撃も始まり、ケレンスキーは、アメリカ大使館から国旗が付いた自動車を借りて逃亡しました。

10月25日の午後1時、軍事革命委員会は全ロシアに次の布告を発しました。 

「臨時政府は崩壊した。国家権力は労働者および兵士の代表からなるペテログラード・ソヴィエートの機関、軍事革命委員会の手に帰した。 民主的平和の即時申し入れ、土地に対する地主の所有権の撤廃、労働者による生産の支配、ソヴィエート政府の樹立、民衆のこれらの要求は確保されることとなった。 

労働者・兵士および農民の革命馬万歳!」。


午後2時半には、ペテログラード・ソヴィエートの臨時会議が開かれ、トロッキーが臨時政府の倒壊を正式に宣言しました。

ブルジョワジー体制からの解放と、レーニン、トロッキーらとボリシェヴィキに集まったユダヤ人勢力による完全な単独政権の樹立を実現したのでした。

ソヴィエートの革命政権確立のためにボリシェヴィキの指導下に労働者・農民によって編成された赤衛軍(赤軍の前身)の指導者はトロッキーであり、その幕僚もユダヤ人でした。


午後10時15分、第二回全ロシア労働者・兵士・農民代表者ソヴィエート大会がボリシェヴィキ(過激派)が大勢を占めるなかで開催され、ソヴィエート政府の樹立、平和と土地に関する布告が宣言されました。

これにより、大地主の土地は没収されることになりました。




革命を通して、ロシアを牛耳るユダヤ人
全ロシア労働者・兵士・農民代表者ソヴィエートの中央執行委員会(ツェー・イー・カー)は、法律の制定・交付や、政府布告の取り消し・変更の権限を持ちました。

最初のソヴィエート政府組織として人民委員会がつくられました。 レーニンは、「大臣」「内閣」などの古臭い名称に替えて、革命の匂いがする「人民委員」「人民委員会議」の名称を使うことにしました。

人民委員会議長にはレーニン、外務人民委員にはトロッキー、民族人民委員にはスターリンが就きました。 


人民委員15人の内訳は、レーニンおよび11人のロシア人、トロッキーら2人のユダヤ人、そしてスターリン(ジョージア人)から成っていて、ロシア人が多数を占めました。

しかしながら、政治の実権は、表看板の人民委員会議ではなく、最初からボリシェビキ中央委員会が牛耳りました。
中央委員会の委員長にはユダヤ人スウェルドルフが1919年3月にロシア人に暗殺されるまで在籍し、かつ党の書記長も兼ねました。

中央委員会はユダヤ人が牛耳っていました。

後の1928年、フランスに亡命していたケレンスキーは、ドイツのスパイであったロシア人将校のの告白を基に、「レーニンとボリシェヴィキはドイツ政府の手先であり、ドイツ参謀本部の秘密指令を実行した」という暴露本を出しますが、ボリシェヴィキを支援したユダヤ資本家には言及していません。

あくまでも、レーニンとボリシェヴィキを矮小化し貶(おとし)めたかったのでしょう。

ボリシェヴィキは、労働者や農民のための革命を行いましたが、ユダヤ人を含む指導者たちを除くと、党員のほとんどは、当時、無教養であぶれものと言われていたロシア人たちでした。


実は明治維新も同じです。 ユダヤ系国際金融財閥ロスチャイルドとクーン・ローブ財閥の指導の下、身分の卑しい長州勢を表看板にして、実はユダヤ人に操られていたのです。 この構造は昭和に入り、CIAとロスチャイルドに操つられる自民党が形成された構造も変わりません。 

実際、A級戦犯であった岸信介ですが、満州国の盟友である東条英機が絞首刑になるのを横目に、日本と登場を裏切りアメリカに寝返り、CIAのエージェントとな首相となり、日本はコントロールされました。今もそうです。

岸信介、笹川良一ら自称保守は何をしたか? 鬼畜米英と叫びながら戦争に突入しましたが、第二次大戦が天皇陛下の玉音放送で日本は戦後を迎えました(国際的にはミズーリ号で降伏の署名した1945年9月3日が終戦です)。

中国(清)が阿片戦争でボロボロにされ、辛亥革命が起こり清朝は崩壊、その隙をついて満州国(日本の傀儡)が満州・朝鮮半島を支配し、英国のもの真似で、資金不足の満州国は阿片取引で、当時世界No.1の阿片ビジネスをやり、挙句の果ては、1945年8月15日の終戦からわずか3日後に、外貨(ドル)を稼ぐために、戦争で未亡人tなった日本の婦女子を売春させる政府組織RAAを企画し、つくって売春させていたのです。

世界で敗戦国の女性が戦勝国の売春婦となるケースはあっても、敗戦国の女性を政府が自ら売春させる組織を作ったのは世界広しと言えど日本の岸・笹川らだけのようです。 戦後、国民が貧困にあえぐ中、彼らは贅沢の限りを尽くし、その資金で自民党がつくられました。

これについては、本人らも認めており、スタンフォード大学のフーバー研究所に一次資料として保管されていた情報を、スタンフォード大学の西教授らが著書で紹介してくれており、この本は高いですがAmazonでも購入可能です。

鬼畜米英と日本女性も一緒に戦ってきましたが、自称保守の岸・笹川らは戦時中、自分の身は安全なところに置き、RAAで、アメリカの黒人・白人兵士に売春させられた彼女らの精神は崩壊し社会問題となる中、なんとそれを止めさせたのは、皮肉にもアメリカの女性団体とキリスト教会。日本の政治家、情けない限りです。

そして、岸・安倍らを保守と持ち上げる産経などの権力者に尻を振る情けないメディア。2019年には習近平を国賓で招待するなど親中になびく安倍政権を米シンクタンクCSIS(ジャパンハンドラー)が公然と非難した直後、安倍元首相は電撃辞任。 菅政権が誕生し、以後、菅政権・岸田政権ではご存じ、親米・反中の政策です。

話が長くなってしまうので、今回の投稿ではその正しい歴史を記した、フーバー研究所に手付かずのまま残された数万にも及ぶ極秘文書が公開されたものを翻訳し紹介してくれている本の紹介だけしておきます。

「占領神話の崩壊」 著者:西鋭夫(にしとしお)、岡崎匡史(おかざきまさふみ)、発行所:中央公論新社
2021年初版発行、2022年5月30日 4版発行   700P
定価3,000円(税別)

言っておきますが、私は、昔から一貫した保守で、自民党の政治パーティには必ず招待されています。



話を、ロシア革命でのユダヤ人支配についてに、戻します。

10月革命によって、ロシアの役場の役人たちは虐殺されたり、追放されたりしていなくなって」いました。 そこに、2月革命後にロシアに殺到したユダヤ人たちが乗り込み、町長や村長以下のポストに就いて地方行政を壟断(ろうだん)し、さらに勝手にボリシェヴィキの代理人となったのでした。

ユダヤ人たちは、地方行政だけではなく、首都の市長や公共機関・軍隊などの重要な地位からロシア人を追い払い、その後釜(あとがま)に座りました。

また、野次馬的なロシア人たちの集まりであった各地方のソヴィエートにもユダヤ人たちは入り込み、初期や会計といったインテリ向きのポストに就きました。


知識人に欠乏していた革命ロシアは、たちまちユダヤ人に席巻されたのです。 彼らは、ボリシェヴィキを利用してユダヤ民族の生活権を確保したのでした。

新入りのユダヤ人が土着のロシア人を支配する構図となり、従来のロシア人とユダヤ人との支配・被支配の関係が逆転しました。人口の数%もない260万人のユダヤ人が革命を通じてロシアを牛耳る時代となったのです。 


ボリシェヴィキは、1915年以来、モルガン家やロックフェラー家からの財政支援を受けていましたが、10月革命以降、ボリシェヴィキ政権へのロックフェラー家の支援はさらに大きくなったといいます。

ニューヨークからは医師団や銀行家の集団が派遣されたようです。 第二次世界大戦後の話ですが、ロックフェラー家の代四代当主デイヴィッドがソ連を訪問すると、まるで建国の父のように歓迎されたという話もあります。


ドイツのユダヤ人資本家マックス・ウォーバーグも。ボリシェヴィキ(過激派)政権の形成期に多額の資金を出したと言われています。

ロスチャイルド家が引き受けた臨時政府の「自由公債」に関しては、後継のボリシェヴィキ政権からは、1ルーブルの償還もなかったと言われています。つまりロスチャイルド家は贈与したのです。



10月26日、ボリシェヴィキは、ドイツなどの交戦国の政府と人民に、「無併合、無賠償の即時平和」「秘密条約と秘密外交の廃止」を訴えました。

12月、革命政権の命運をかけた、対独和平交渉が始まりました。 その全権団は10人で、やはり代表のヨッフェやトロッキーなどユダヤ人が掌握しました。

戦場で血を流したロシア国民の代表はロシア人ではなかったのです。
この頃、「革命政府は、すなわちユダヤ人政権」という言葉が、ロシア民衆の間での合言葉となりました。

レーニンは、革命の目的から外れたユダヤ人の横領を目の当たりにし始めました。 行政に入りこんだユダヤ人たちは、労働者や農民の地位向上には無関心で、革命の影響で困難な状況に陥ったユダヤ人小ブルジョアたちの善後策ばかりを講じていました。


ユダヤ人たちは、反革命派の反ユダヤ宣伝に利することを避けるために、次第にユダヤ人がロシア革命で演じた役割を隠すようになり、」人民委員をはじめとして、国民の目につきやすい華々しい政治的ポストには傀儡のロシア人を就けたのです。

それに対して、レーニンは、強すぎるユダヤ人の勢力を削ぐべく、ユダヤ人を目立たせ、ロシア人の反ユダヤ感情を利用しようとしたこともありました。

しかし、結局、ユダヤ人勢力に支えられていた彼は、反ユダヤ主義を反革命的とみなすしかないことを再認識させられました。


ロシア人民の80%を占める農民の動向は、ソヴィエート政権の確立にとって重要でしたが、ボリシェヴィキは、土地政策をテコにその取り込みにも成功しました。

レーニンは、資本主義から社会主義への移行には独裁が必要であると常に力説しました。 地主やブルジョアなどを弾圧して土地や富を奪うため、そして国内戦争を処理するための独裁です。


12月1日、レーニンは全ロシア・ソヴィエート中央執行委員で、「抵抗を抑圧せずして、プロレタリア独裁なくして、旧世界に弾圧を加えるこおなくして、プロレタリアの勝利を得ることは不可能であるということを否定するものはない」と言明しロシアに於いては時以来、ロシアにおいては独立的な新聞やざっしはなくなりました。 革命家たちが闘い取った言論の自由は失われたのでした。

レーニンは、「反革命、投機、怠業に対する闘争を目的とする特別委員会」、すなわち秘密警察ゲーペーウーの前身チェーカーを設立しました。

一切の反ボルシェヴィキの動きを探知し、捕縛・処刑し、赤色恐怖政治による膨大な犠牲者を生み出していきます。 冷酷な初代長官フェリックス・jyジェルジンスキーら多数のユダヤ人幹部が実権を握り、戦慄的な脅威をロシア民衆に与えていきます。


10月革命後のロシアの国内経済は混乱のなかに推移して崩壊の一歩手前でした。 レーニンは、旧の経済機構をなるべく壊さずに、しかし同時に国有化を含む社会主義的建設を進めるという難しいかじ取りを強いられました。 

まず、銀行国有化、4千社に及ぶ重要企業国有化、労働者による統制に従わない企業の国有化、食料供給の中央集中統制を実施しました。

次に、工業の国家統制、原料の中央集中的配分そして軍需優先の体制づくりに取りかかっていったのです。 12月15日には、ソヴィエート政府は、国債廃棄令を公布し、特に外債はすべて無条件に廃棄することとしました。

1918年1月、第3回全ロシア労働者・兵士・農民代表者ソヴィエート大会が開催され、民族人民委員のスターリンが報告を行いました。

そこで彼は、改めて、「下層民による独裁」「少数者に対する多数者の支配」の重要性を強調しました。 彼によれば、フランスやアメリカ合衆国での経験が示しているように、普通選挙の結果として生まれた民主主義的に見える権力も、実際は民主主義から全くかけ離れた金融資本家との連合体であったのでした。


「フランスは仁民が代議士を占拠するものの、大臣を任命するのは実質上金融資本家であり、アメリカには普通選挙があるものの権力に就いているのはロックフェラーの手代である。 人民は単に投票する人民であるばかりではなく、支配する人民にならなければならない。 権力者とは、選挙し投票する者ではなく、支配する者である」と彼は強調したのでした。


首都をモスクワに移転し、党名を「ロシア共産党」へ改称
1918年2月以降、ドイツは厳しい条件提示によってソヴィエート政府との和平交渉を難航させ、その間、ドイツ軍は圧倒的な火力、航空機そして装甲車によってロシアを広域にわたり占領し、いよいよペトログラードをも占領する勢いでした。

レーニンは、ペトログラードからモスクワに首都を移しました。 そしてモスクワで開催された第7回党大会で、党名を正式に「ボリシェヴィキ」から「ロシア共産党」へと改称しました。ドイツ軍のロシア奥深くへの侵攻を目の前にしてロシア国内は一挙に祖国防衛の機運に統一され、士気が高まった赤軍はドイツ軍の前進を止めたのでした。



ロシア領土分離、そしてドイツの勢力圏に
そして遂に、1918年3月3日ドイツとソヴィエート政府とは、ブレスト・リトフスクにて講和条約を手結することとなり、ロシアは第一次世界大戦から離脱しました。ドイツ側の一番の狙いは西部戦線(フランスとの戦い)への兵力転用でした。


ドイツの圧倒的な優勢下で講和条約が結ばれたため、ポーランド・フィンランド・バルト海沿岸・白ロシア・ウクライナ・クリミア・コーカサス・ドンなどがロシアから分離されて、それぞれ王国や共和国となってドイツの勢力圏に入りました。




ニコライ2世とロマノフ一家惨殺
ロシアは、これら広大な地域の人口と生産物と資源を失ったのです。 この時、ドイツ国内は戦勝気分に沸き返りました。
1918年7月、シベリアで勢力を盛り返していた反革命勢力や帝政派に奪取される危険があったため、


エカテリンベルグに幽閉されていたニコライ2世以下、ロマノフ一家は、ユダヤ人スウェルドロフとレーニンの了解の下に惨殺されました。




ユダヤ人によるロシア人に対する大復讐戦
同月、レーニンは、「反ユダヤ人運動撲滅戦争に関する告示」を公布し、ユダヤ人のロシア人に対する大復讐戦の進軍ラッパを鳴らしました。

スクエルドルフらは、チェーカーや各地方のドヴィエートなどを使って反ボリシェヴィキ(過激派)的・反ユダヤと思われるロシア人約140万人を虐殺しました。

今日のロシア・プーチンvsウクライナのゼレンスキー(ユダヤ人)+アメリアのブリンケン国務長官(ユダヤ人)の因縁はロシア革命前のポグロム(ユダヤ人大虐殺)や、ロシア革命中の、ロシアVsユダヤ人の因縁があるのかも知れません。 実際あるのですが。

本当の内情をよく知らない日本人の私の意見は、この辺で止めておきます。

イギリスの『タイムズ』紙は、革命当初から1920年までに当局の手で処刑されたロシア人は、農民82万人、有産階級37万人、労働者19万人、医師9千人、大学教授以下教師7千人、僧侶など宗教関係者2千人、合計約140万人という数字を報じています。

農民や労働者の多くは、無知ゆえに伝統的な憎悪をユダヤ人に向けていたので殺されたと言われています。 レーニンは公然と個人的暗殺ならびに階級全体の集団的虐殺を容認し、その後、スターリンが一層これを拡大させたため、ロシア国内における虐殺はさらに規模を拡大させました。

一方で、共産主義国家建設の巨大なエネルギーは、人権の上に立ち、自由な良心を伴った人間の活動ではなく、人間の機械的な集合体の活動に求められ、人格と人間的な自由は圧殺されていきます。

共産主義思想は、宗教を否定し、キリスト教などに代わって人間の魂を占有していきます。 ロスチャイルド家の駒。レーニン、トロッキー、そしてスターリンにはこの後、それぞれの運命が待っています。 今日のプーチンも然りです。





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