死の商人 バジル・ザハロフ
ザカリアス・バジレイオス・ザハリアス(Zacharias Basileios Zacharoff、1849年ー 1936年)、あるいはザハロフは、トルコ生まれの武器商人。ヴィッカース社など数々の武器製造業者の代理人として武器取引に関わり、死の商人の代表格と看做されると共に神秘の男と渾名された。
戦争を連合国側、同盟国側の双方から扇動した軍需産業にとって、第一次世界大戦は途方もなく大きなビジネスの場となりました。
1914年に第一次世界大戦が始まると、アメリカのベツレヘム製鋼会社のユダヤ人社長チャールズ・M・シュワブは、直ちにイギリスに渡ってイギリス海軍提督と会い、要望があった潜水艦25隻をすみやかに製造して納入しました。
同社は、百万発の砲弾と1万9千門の銃砲も提供しました。 ノーベル・ダイナマイト・トラストは、開戦と同時にトラストを分解し、敵味方に分かれた各国のノーベル社をそれぞれ独立させました。
イギリスのノーベル爆薬社は後にイギリス・ノーベル産業となり、モンド社などと合併して有名なインペリアル・ケミカル・インダストリーズ(ICI)と社名を変えます。
20世紀初頭に、N・M・ロスチャイルド&サンズが新株を発行して設立し、アーネスト・カッセル卿が莫大な金を投じて育てたイギリスの銃砲メーカー、ヴィッカース&マクシム社がユダヤの「死の商人」ザハロフを代理人として台頭しました。
アーネスト・カッセル卿
カッセル卿は、ドイツ系ユダヤ人大銀行家にして、エドワード7世と親しく、ロスチャイルド一族に連なるゴールドシュミット商会の最高幹部でした。
エドワード7世、イギリス国王、インド皇帝 (1841年ー1910年)
ザハロフは一言でいえば、機関銃商売での成金です。 彼はヴィッカース&マクシム社だけではなく、ドイツのクルップ、フランスのシュナイダー、ロシアのプチロフや、ロスチャイルド家のル・ニッケルとも敵味方関係なく資本関係を結んでいました。
加えて、オーストリアのスコダともがっちり組んで、ヨーロッパ各国の武装と戦争準備に邁進していました。
ドイツの新聞には、ロシアやフランスの軍備拡張を誇大に書きたてさせ、ロシアやフランスの新聞にはドイツの軍備を大げさに宣伝させ、各国での更なる軍拡予算の議会通過に貢献しました。
ユダヤの「死の商人」ザハロフの暗躍
ザハロフは、第一次世界大戦が勃発したときは、各国に入りこんで戦争を挑発した自分の巧みな工作と準備が実ったと得意の絶頂でした。
ザハロフは、フランスのパリ・ユニオン銀行の大株主となり、エクセルのシオール紙を買収して戦火を更に煽り、一方ではロシアのプチロフ兵器工場の資金源を押さえ、そこに同じ連合国側のフランス資本を導入して工場を操ったのです。
彼はまた、中立国ギリシャの親独的な王を策謀で退位させ、中立を守ろうとするギリシャを戦争に巻き込みました。
さらに彼は、ギリシャとトルコ双方に武器を売り込んだだけではなく、トルコにヴィッカースの子会社を設立するように工作し、自らトルコの銀行もいくつか買収し、いつでも戦乱を起こせるように準備したのです。
彼の作戦は的中し、バルカン半島の戦火は激しく燃え上がり、ギリシャは英仏側で参戦しました。さらにザハロフは、戦争を長引かせる工作を行いました。
交戦国が互いに武器の部品や装具を供給し合うメカニズムを生み出したのです。 フランスがドイツとの国境近くに所有していた製鉄所は、戦争の帰趨を左右するカギでしたが、
開戦とともにフランス軍は自発的にこの製鉄所を放棄してドイツ軍に手渡しました。 しかも交戦国同士が戦火のなかでこの製鉄所の譲渡の協定を締結するという念が入ったもので、この協定を仲介したのがザハロフでした。
終戦まで、この工場はドイツのクルップの大砲のために鉄を生産し続け,無傷でした。 また、ロレーヌ地方にある大兵器工場は、独仏両軍の争奪の的でしたが、一発の砲弾も見舞われず、
ドイツ軍占領中はドイツ軍に、フランス軍占領中はフランス軍に兵器を供給していました。フランスとドイツの間では、この種の話が他にもたくさんあります。
要するに、欧米の兵器メーカーは、ザハロフを介してことごとく互いに資本関係を結び合っていました。
ザハロフが暗躍し、国際金融資本家が統制していたものと考えられます。 政治家たちもザハロフには逆らえませんでした。
例えば、彼は、フランスに市民権も取得して深く食い込み、同国の政界において、フランス首相ジョルジュ・クレマンソー(在任1906年ー1909年、1917年-1920年)を育てたともいわれています。
クレマンソーは断固とした対独強硬論者でした。 ちなみに、フランス秘密警察が情報源として利用していたユダヤ人ナデルはザハロフの手先でした。
当初、各国の多くの政治家たちは1年以内に戦争を終えるつもりでしたが、ザハロフはヨーロッパ中を走り回り、「急激な兵器の増産は無理」との口実をつけて工場の能力を少し抑え、早期決戦を避けるように工作し、戦争を長引かせたのでした。
連合国側が和平のために開いた会議には必ず彼が出席し、豊富な機密情報を背景にした説得によって、和平案を潰しました。
彼は敵方のドイツにも潜入していたので、双方の軍人たちの戦略が彼に筒抜けになっていたのです。
戦争が長引き休戦風が吹くたびに、彼は、新聞を利用し、各国の政治家を動かし,あくまでも戦えと! 常に主戦論を鼓吹(こすい)したのでした。
その結果、第一次世界大戦は4年を超える長期戦となり、ザハロフの本拠であり、ロスチャイルド家が背後から動かしたヴィッカース&マクシム社が最大の利益を上げて世界のトップ兵器会社となりました。
同社は、1927年、アームストロング・ホイット・ワースと合併し、ヴィッカース・アームストロング・リミテッドとなります。
アメリカ、イギリス、フランスなどの兵器会社はどれも記録的な利益を叩き出し、莫大な配当金を実施ししたのでした。
ザハロフは、「欧州大戦の父」と呼ばれ、31ケ国から298個の勲章を受け、伊フィリス王室からは「サー」の称号を授けられました。
「死の商人」の動きを支えたロスチャルド家のネットワーク
もちろん、ザハロフひとりだけが東奔西走して画策したわけではありません。
大戦中、ウィルソン大統領の指導者ハウス大佐も、ドイツを含めてヨーロッパ各国を何ら支障なくスパイ旅行し、ベルリンでも賓客として歓迎され、軍事上の詳細な機密情報を得ていたのです。
独軍が優勢となった局面では、英仏やドイツのフリーメーソンに属する有力政治家や軍人たちが通じ合ってドイツ軍の足を引っ張ったとか、ドイツ国内に反戦運動を起こそうと密かに工作を行っていたとの話もあります。
1917年4月にパリで開かれたフリーメーソン大会では、ドイツとオーストリアでの君主制打倒が最大テーマでした。
ドイツ国会で最大勢力であった社会民主党は戦争に協力していましたが、1918年に入ると、ドイツ国内での革命の準備と戦場での兵士の離脱工作が進行していました。
ザハロフ、ハウス大佐、そしてフリーメーソンのこれらの動きを支えたのは、ロスチャイルド家の広汎で強力なネットワークであったと考えるのが自然でしょう。
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