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世界大戦の主原因は石油 世界を動かす石油 国名をペルシャ→イラン

2023-06-25 03:30:44 | 麻薬・阿片・石油

北部5県の開発権問題はひとまず片付いたが、1932年来ペルシャ政府が通告したアングロ・ペルシャン(英・イラン)石油会社に対する契約解除問題はどうなったか? 背後にソビエトの魔手が動いていたとはいえ、ペルシャの石油はアングロ・ペルシャン(英・イラン)石油の死活問題であり、更にアングロ・ペルシャン(英・イラン)石油を直接に援護している英国海軍の生命の根源であり、かつ大英帝国にとっての死活問題であって、これを戦いとるにはソビエトの援護射撃はあまりに弱すぎた。

問題は結局、国際連盟に持ち出され、1933年5月、アングロ・ペルシャン(英・イラン)石油とペルシャ政府との間に協定が成立し、ペルシャに対する利権上の条件は大幅に改善された。 最初、ペルシャの狙ったところは,祖借主義を廃止し、かつ開発権の起源を短縮することであったが、租借地の面積を1938年までは以前の半分とし、それ以後は10万平方マイルを越えないことという程度に落ち着き、期限についてはこれを修正することはできなかった。 

しかし、利益配当や地租については、ペルシャ側に有利な協定が成立したのである。 新興途上のペルシャが大英帝国を相手として、大胆不敵な挑戦的態度に出て、しかも彼をしてかくも譲歩させたことは、ペルシャの勝利であらねばならない。

アングロ・ペルシャン(英・イラン)石油、すなわち大英帝国を相手として、勇敢な石油戦を戦ったペルシャは、ペルシャ湾内のバーレン島の帰属問題についても戦いを挑んできた。 この島は元来ペルシャ湾内における英国海軍の基地を置くべく、勝手に自国領としていた島だ。 

ペルシャ政府は1929年より翌年にわたり、同島がペルシャ領であることを英国に通告した。 しかも同島が石油産地であることが発見されて以来、ペルシャの要求は鮮烈となり、その帰属問題ついて国際連盟の裁断を求めることとなった。

バーレン島の開発権は、英人メイジア・ホームズが酋長から獲得したもので、彼はこの権利をアングロ・ペルシャン(英・イラン)石油に売りつけようとしたが成功せず、遂に米国のスタンダード石油に譲渡さざるを得なかった。 スタンダード石油は早速ボーリングを投下し、1934年に墳油を見るに至ったのである。

ここにペルシャの同島に対する帰属問題は国内の問題となり、政府は在テヘラン米国公使に対して同島に対する利権の無効化を主張し、同時に国際連盟にあてても抗議文を送付した。 しかし、バーレン島はペルシャ湾における英国海軍および空銀の基地である。

ペルシャ石油の輸送路を守る上の要地だ。 英国がペルシャの要求をきく筈gなく、同島は依然として英国領となっているのだ。 このように、ペルシャは国内の石油資源を悉く英国に奪われている。 ペルシャ自身はほんのおこぼれをもらっているだけだ。 これら奪われた石油利権を回復するためには、今後二十年待たなければならない。

そして、その二十年、即ちアングロ・ペルシャン(英・イラン)石油の租借期が切れた時、再びペルシャは国際石油闘争の舞台となるのだ。 その危機は次の欧州戦争の結果によっては早められるかも知れない。

1935年3月、ペルシャは国名をイランと改めた。それに伴い、アングロ・ペルシャン(英・イラン)石油もアングロ・イラニアン石油と改称去れ、依然として莫大な利益を上げつつ、英国海軍の心臓たる役目を果たしつつあるのである。

イランは英国海軍の石油タンクだ。老獪な英国は、1932年のペルシャ政府の爆弾通告もある通り、「ペルシャ油田を十分に開発すべく努力せず」にいるのである。 今後二十年を経てアングロ・イラニアン石油の契約期限が切れる頃、米国石油が涸渇状態に陥る?(実際はシェールで米国は世界最大の産油・っ天然ガス産出国)ことが予想されるとき、
この地方の石油が世界の石油市場を独占することが考えられる?(間違い。第二次大戦前はそう考えられていただけ)。

それだけに、イラン石油は今後の大問題となり、世界の注目はここにソス枯れているのである。 イランの国家的発展は、実に世界の石油問題を左右する力を持っているのだ。

 

続く。 次の投稿は「米国石油業界の暴れ馬」を予定しています。

 



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