1840年代のカリフォルニアやオーストラリアでの金の発見に、ロンドン家は熱心な関心を抱きました。
1846年の世界における産出量の半分以上はロシアでしたが、1855年までに約5倍になった金の産出量の増加分は、北アメリカとオーストラリアからでした。 ロスチャイルド・ロンドン家は、代理人を派遣してゴールドラッシュに関与します。
カリフォルニアでの金の産出が、アメリカ合衆国の繁栄を高みに上げました。 イギリスの資本主義は、アメリカ合衆国の経済発展によって更なる段階へ駆けあがります。
ベルモント財閥
ゴールドラッシュにも一役買ったロスチャイルド家のアメリカ合衆国での代理人、オーガスト・ベルモントは、1849年にマシュー・ペリー海軍提督の娘キャロライン・ペリーと結婚します。 数年後に日本を開国させるために来日したあのペリーです。
マシューの兄オリバーも海軍軍人で、英米戦争でアメリカ海軍に決定的な勝利をもたらして「エリー湖の英雄」と呼ばれていました。
そのひ孫のアリスは、日米戦争前の外交のかなめであったジョセフ・グルー駐日大使の妻です。つまり、グルー大使夫妻は、ペリー家とロスチャイルド財閥の系譜にいました。
さらに、マシューのもう一人の兄ナサニエルの孫娘の夫は、二代目ジュニアス・スペンサー・モルガンで、J・P・モルガンの甥であったといわれています。
ユダヤ人ベルモントは、結婚によって、アメリカで最も尊敬される家族の一員となりました。 ユダヤ新聞によれば、彼は妻の信仰にに倣って(ならって)、キリスト教に改宗しています。
ペリー一族に入り込み閨閥を広げたベルモントは、社交界で輝き、ビジネスで快進撃を見せ、
やがて、全米の多くの金融機関を支配して大富豪となりました。
閨けいばつ)とは、外戚(妻方の親類)を中心に形成された血縁や婚姻に基づく親族関係、又はそれから成す勢力、共同体、仲間などを指します。
アメリカのベルモント商会は、代々同名(オーガスト・ベルモント)の長子によって経営され二代目は30を超える企業と銀行で社長と役員を務めました。
N・M・ロスチャイルド&サンズは同商会と連携し、1852年からアメリカの鉄道債への莫大な投資を開始しました。
ベルモントは、莫大な財力を背景に、大きな政治力を持ち始めます。 1853年、民主党のフランクリン・ピアーズ大統領は、彼をオランダ王国の大使に任命しています。
当時、アメリカ合衆国では、南北の対立が次第に激化していきました。 北部の大新聞『ニューヨーク・トリビューン』は、奴隷解放を大きなテーマとしていましたが、1851年以来、カール・マルクスをロンドン通信員に採用し、ある期間、マルクスの生活費を支えました。
ベルモントも、ロスチャイルド家も南北戦争には、大きく関わっています。マルクスの祖母の従姉妹(いとこ)が、ロンドン・ロスチャイルド創業者の妻で、ユダヤ人マルクスはロスチャイルド家と親戚にあたります。
イギリスの綿製品工業は発展し続け、アメリカやインドなどとの貿易もますます拡大していきました。 さらに太平洋の通商路が切り拓かれると、イギリスの資本家たちは資本主義を世界奥深く行きわたらせていきます。
1851年5月、ロンドンのハイドパークで世界初の万国博覧会が開催されました。 イギリスが支配する世界中の植民地から集められたおびただしい数の動植物や物産、イギリスをはじめとする各国の先進の工業製j品、そして巨大なガラスの建物「水晶宮」が人々を驚愕させました。
ロンドン家の快進撃は止まりません。 1815年から1859年までの間、ロンドン家は約50本の借款を各国政府のために用立てました。
金額内訳は、イギリス29%、フランス18%、神聖同盟国19%(プロシア8%、ろロシア4%、オーストリア2%、ナポリ5%)、民間部門16%でした。
総額は、1850年代のイギリス全海外資産の約1割にも及びます。 同時期、ロスチャイルド家に次ぐベアリング家は、14本の借款のみで、総額はロンドン家の26%程度でした。 完全にロスチャイルド家の天下です。
ロンドン家は鉄道ブームに乗り遅れましたが、N・M・ロスチャイルド&サンズは、ベルギーでの鉄道システムづくりを任せられ、1850年までに完成させました。これが、パリ家が作りつつあったフランスの鉄道システムと連結します。
ゴールドラッシュとイングランド銀行
ゴールドラッシュは、精錬と鋳造産業を急拡大させました。
ライオネルは、金の精錬事業にも乗り出し、1852年、正式にイングランド総裁から、彼の責任で精錬し鋳造したカリフォルニアやオーストラリア産の金や銀の延べ棒を直接にイングランド銀行に納める許可をえました。
ロスチャイルド家は、公認の鋳造所を持ち、ますますイングランド銀行と一体の観を呈しました。
ロスチャイルド家は、南アメリカでも活発な経済活動を展開しました。
特にブラジル政府は、1852年から1912年の間、財政を支える国債の発行を、ロンドン家のみにt頼ったのでした。
1850年代後半には、ライオネルの息子のナサニエルが、政情不安があるものの、ビジネス機会に恵まれたメキシコに派遣されました。
滞納が続いた借款への対応だけでなく、水銀、石炭、そして鉄鋳造への投資が目的です。
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