大学が社会人の学び直し(リカレント教育)に貢献するには何が必要だろうか。
コンピューター技術者などの再教育で評価されている東洋大学情報連携学部(INIAD)の創設者である坂村健・情報連携学学術実業連携機構長に寄稿してもらった。
坂村健・東洋大学情報連携学学術実業連携機構長
今、情報通信技術は目覚ましい進化を続けている。あらゆるモノがネットにつながるIoT、人工知能(AI)、クラウドといった最新技術がコンピューターネットワーク技術によって有機的につながり、社会の様々な局面に革新をもたらす新しい製品やサービスが日々誕生している。
IoTからのデータをAIが解析することでより気の利いた、従来のシステムはもちろん人間もできなかった最適制御が可能になる。AIで制御される自律的な人型ロボットが生活環境に入り高齢化社会を支える日も近いだろう。
そして生成AIの台頭は、多くの職業や仕事のあり方に大きな影響を与えつつある。これまで人間にしかできないと思われていた創造的な仕事までもがAIに代替される可能性が出てきた。
このような激動の時代を生き抜くために社会人には何が必要か。ダーウィンは「変われるもののみが生き残る」と言ったとされる。社会環境が大きく変化する中で、自分自身も変化に適応し続ける能力が不可欠だ。そのためには常に新しい知識やスキルを学び続ける姿勢が重要になる。
しかし、漫然と新しい技術を学ぶだけでは不十分だ。特にAI時代に重要なのは「問題を解く力」よりも「問題を設定する力」である。日本の従来の教育では、この力の育成が不十分だった。
「解く力」はAIが得意とする時代となった。人間として欲求を把握・整理し、新たな課題を見いだして解決する方向性を示すことが、AIにできない人間ならではの能力として今求められている。
ではなぜ、社会人の学び直しに大学が適しているのか。
技術の出発点から大きく変化した状況では、基本から体系立てて教育できる大学での学びが結局は効率的だ。基本とは例えばアルゴリズムとデータ構造の基礎、コンピューターアーキテクチャの基本などだ。コンピューター技術もそうした基礎・基本の上に展開と現代的な応用(クラウド、AI、IoTなど)がある。
そこでは、つまみ食い的な知識の自学自習には限界がある。特に現代のように技術の根本から大きく変化している状況では体系的な学び直しが重要になる。
生成AIの驚異的な発達の裏付けとなった「スケーリング則」という法則は、一見直接的でない知識でも、その学んだ量が最終的に知能、つまりAIの性能に直結することを明らかにした。
同様に大学で学べる教養――技術そのものだけでなく技術がどうしてそうなったかの歴史や背景といったものが、人間の「自然知能」の発達にとっても大切だ。最新の研究成果を踏まえた体系的なカリキュラムと、それを教える専門家がそろっているのが大学なのだ。
加えて、私が創設した東洋大学情報連携学部(INIAD)は2023年4月からAI-MOPを整備した。MOPはマネジメント・アンド・オペレーション・プラットフォーム。全学生が常に最新の生成AIを個人負担なく使える環境を整えた。
社会人の学び直しでもこの環境を利用することで、全員が生成AIとの対話を通して理解を深めたり、生成AIを利用したシステム開発のスキルを学んだり、アイデア出しや企画、マーケティングなどの分野でのAI利用を実習したりすることができる。
主要なリカレント教育プログラムは2つある。1つは「オープンIoT教育プログラム」。対象は高度なIoT技術を身につけたい社会人で、IoT関連分野の体系的な知識とスキルを短期間で習得できるよう設計されている。
特徴的なのはネットワーク末端のIoTエッジデバイス単独で動作する組込みプログラミングだけでなく、デバイスをクラウドと連携させるIoTシステムとしてのクラウド側のプログラミングまで踏み込んで教育を行う点だ。
これによりシステム全体の最適設計やエッジとクラウドの処理分担の適切な判断、セキュリティーリスクの総合的な理解と対策などができるようになる。
従来、組込みシステムとクラウド側の情報系システムは別々の専門分野だったが、IoTの登場で状況が変わってきた。IoTシステムには①センサーなどのエッジデバイス(リアルタイム処理)②ネットワーク経由のデータ転送③クラウドでのデータ蓄積と処理――の全てを含む知識が必須となる。
特に、組込み系の技術者はネットワークやクラウドの知識習得(リスキリング)が急務だ。情報系の技術者にも組込み技術の理解が必要になっているが、残念なことにわが国では教育も追いつかず、きちんと両方を勉強したエンジニアが少ないのが現状だ。
もう一つは「企業向けオーダーメイド教育」で、企業のニーズを反映した個別プログラムを提供している。企業からヒアリングを重ねてカリキュラムを設計し、教育には企業のデータを使い、テキストでも日々の仕事で出合う事例を取り上げて学習意欲を高めている。
INIADのリカレント教育プログラムは年々参加者を増やし、現在、学部の卒業生と同程度の修了者(年間300人ほど)を輩出している。
成功した理由の一つは、社会人のニーズに合わせた柔軟な学習形態(遠隔授業、夜間・週末クラスなど)の提供にある。多くの大学のリカレント教育では既存の授業を単にパッケージ化して提供するようなやり方も見られるが、INIADでは常に企業のニーズに合わせて再設計する。
ビッグデータの統計解析やプログラムを学ぶにしても、保険会社の社員向けのリカレント教育ならば、災害と保険金支払いのような実データを使って解析する方が理解も早い。
抱えている日々の課題がデジタルで解決できるとなれば学ぶ意欲にも直結するし、内容によっては会社に帰ってすぐ活用できる。
少子高齢化はますます進む。これからの大学は高校から学生を受け入れる以上に社会に出た人の再教育機関としての役割がとても大きくなるのではないかと考えている。
さらにAI時代の到来で、リカレント教育の重要性はますます高まっていくだろう。大学はこの変化に適応し、社会人の学び直しを積極的に支援する場となるべきなのだ。
社会人に危機感 追い風を逃すな
大学は民間の研修請負企業などに後れをとってきたが、社会人などが対象の履修証明プログラムの受講者数が22年度には5年前の1.8倍に増えるなど変化もみられる。
こうした追い風を逃す手はない。大学は教育体制の構築を急ぐべきだ。大学設置基準をはじめ大学教育の品質管理のためのルールや規制も、社会人の受け入れをしやすいものに変えていく必要がある。
(編集委員 中丸亮夫)
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日経記事2024.11.25より引用