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日本の財閥 GHQによる財閥解体と復活-1

2024-07-14 09:20:58 | 国際政治・財閥

日本の十大(十五大)財閥
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GHQによる財閥解体と復活-1

住友財閥の特徴は、住友家の家訓にあるように『浮利は追わず』で、商社・銀行、また時の政府と癒着することがなく、鉱山開発(新居浜の別子銅山)と、金属はじめ化学、など素材産業に力を入れていました。 銅の精錬などに化学薬品の技術力が必要だったのです。

だから、住友Grの『』社長会』である『白水会』の上座に座るのは、『住友家当主』、『住友銀行』『住友金属鉱山』『住友化学』『住友金属』『住友電工』などであったと聞いています。

今日も、インフラ、自動車などに使われる銅ハーネス(電線)は住友電工(その子会社住友電装)が圧倒的なシェアを持ち、そこからビジネスは、光ファイバーへ発展していきました。

また、各財閥のエレクトロニクス企業Grは、NEC(住友Gr)、東芝(三井Gr)、三菱電機(三菱Gr)ですね。 現NECの前身は住友通信工業、その前は日本電気といっていました。

このように、住友財閥の特徴は、工業主体の産業であり、製造業よろしくチームワークを得意とします。

 

それに対し、三井財閥は、質屋兼酒屋→呉服屋(越後屋・三越)→両替商・為替業務→商社(三井物産)→銀行(三井銀行=帝国銀行)と、どちらと言えば、主体は、金融・商社に強く商売の三井であり、政府と癒着する政商で、ロスチャイルドに近い財閥です。

三井財閥の特徴は、チームワークの住友に対し、一匹狼の商売人と言う感じです。

 

 

三菱財閥は、明治時代にグラバーと組んだ土佐の岩崎弥太郎が創設した財閥で、日本の三大財閥に中では最も新しい財閥で、もともとグラバーは坂本龍馬と組んでいたのであって、

坂本龍馬がつくった日本初の商社(長崎の亀山社中→後に海援隊)、船を使って商社のように商売する会社がスタートでしたが、坂本龍馬が暗殺され、土佐の後藤象二郎と岩崎弥太郎がそれを引き継ぎ、日本最大の海運会社会社(日本郵船)を経営しました。

 そして日清・日露戦争が始まり、兵隊や軍事物資、食糧などを運び、軍需産業で政府と親密な関係となっていきます。 今でも、三菱重工が、軍事兵器や航空機、自動車などをつくっていますね。 三井が商売、金融での政商に対し、三菱は明らかに軍需産業での政商です。

 

 

ということで、歴史ある住友財閥は、『浮利は追わずの家訓から、政商としては乗り遅れ?』、第二次世界大戦前は、財閥としての売り上げ規模は、三井>三菱>住友となります。

政府のプロパガンダもあり、一般の日本国民が三大財閥を呼ぶ時には、三井・三菱・住友と呼ぶようになりました。

 

言うまでもなく、この三つの三大財閥は、銀行・商社・エレクトロニクスから素材まで、ほぼ全ての産業を網羅しています。

 

 

第二次大戦前の三大財閥の売り上げ規模

 

三井、三菱、住友、安田の四大財閥は、真珠湾攻撃からポツダム宣言受諾までの四年間(1941年12月~1945年8月)に、全国投資額に占める割合を、たとえば重工業に於いては18%から32.4%に、金融においては25.2%から49.7%に急増させていました。


また、終戦時の日本経済に占める各財閥の比重(1945年段階)は、三井(9.4%)、三菱(8.3%)、住友(5.2%)、安田(1.6%)、鮎川(5.3%)、浅野(1.8%)、古河(1.5%)、大倉(1%)、中島(0.6%)、野村(0.5%)と、日本経済の約35%を占めていました。

 

データ出所:『日本財閥とその解体』持株会社整理委員会編

傘下関係会社払込資本金総計で見る日本経済に占めた十大財閥の比重(終戦時:1945年段階)

 



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