エリザベス・ベントリー(1908~1963)
エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーンー7 NKVDとの確執とゴロスの死https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/ee11bb7a5c5ea366c929b44614be2199
からの続き
ベントリーの叛逆;その一:NKVDとの決別
NKVD のニューヨーク地区ハンドラーは、ビルと名乗る大柄の男だった。 彼はかつてベントリーを党員に誘い込んだリー・ファーが使ったテクニックで彼女を籠絡しようと試みた。 クリスマスには、サックスデパート(Saks Fifth Avenue)で買った絹のスカーフをプレゼントした。
彼女の仕事ぶりに感謝して自分で選んだと語った。 ところが、ゴロスが妥協したメリー・プライスの引き渡しを渋ったままでいると激しく彼女を罵り恫喝した。 硬軟織り交ぜたやり方にベントリーは不快感を募らせた(注:彼女はメリーの神経質な性格を熟知しており、NKVDのやり方では彼女は潰れると判断していた)。
年が明けた翌一九四四年三月半ば、ブラウダ―から、もう一つのワシントンスパイ組織の伝達役も担って欲しいと連絡があった。 ビクター・パーロ(戦時工業生産委員会)やチャールズ・クレイマー(戦時動員に関する上院小委員会)らで構成される組織だった(パーログループ)。 彼らも、「理想国家」ソビエトのためにはどんな情報でも提供すると決めたボランティアスパイだった。
ソビエトは二つの組織からの情報を通じて、米国の軍事・外交方針をことごとく事前掌握していたこことがとになる。 ノルマンディー上陸作戦決行日(Dデイ:1944年6月6日)も4日前に知っていた。 米国が、ドイツ占領後にドイツ国内で流通させる新マルク(占領マルク紙幣)を印刷することも知っていた。
ソビエトはそのサンプルをホワイト(シルバーマスターグループ)を通じて入手し、偽札印刷の準備を進めたが、特殊インクが使用されているためソビエト国内での印刷ができないことが分かった。結局ソビエトも独自に占領マルクを印刷しても構わないことに決めさせ、印刷原版をソビエトに送る段取りをつけたのはホワイトだった。
ビルはベントリーに理解を示していたブラウダ―に圧力をかけた。ブラウダ―が、シルバーマスターグループの引き渡しを了承したのは1944年の夏であった。 ベントリーが、彼の「裏切り」を聞いたのは体中から汗の噴き出る真夏日であった。 コーヒーショップに入り、煙草に火をつけた。 「何故彼は裏切ったのか」をゆっくりと紫煙をくゆらせながら考えた。 彼女は、米共産党は米国国民の幸福を考える独立した組織だとナイーブに理解していた。 しかし米共産党はモスクワの下部組織に過ぎなかったのである。
「ブラウダ―は安っぽい男だったのだ。 格好の良いことばかり言って真の革命家を気取っていただけだ。 アメリカの同志に彼の本当の姿を教えたい」
ベントリーの心にNKVDへの忠誠心は消えかけてはいたが、秘密工作活動員を辞める決断はついていなかった。 ワシントンのスパイグループの仲間を捨てて身を引くことが辛かった。 NKVDも彼女の能力は評価していたこともあって、直ちに伝達役から外すことはなかった。
これまで通り、ワシントンから持ち帰った情報はNKVD工作員に渡した。 一〇月初め、彼女は思い切った行動に出た。 伝達役をもうすぐ外される都の感覚があったのであろう。
ニューヨーク工作員に最高責任者に会わせるように求めたのである。 直談判で、このままの体制を続けて欲しいと訴えるのである。
暫くして最高責任者が彼女と会うことに同意した。 ベントリーは、夜八時にワシントンDCのウィスコンシン通りとN街の角にあるコーヒーショップで待てと命じられた。 彼女は赤い花をつけた帽子でライフ誌を読んでいると伝えた。 最高責任者の名はアル(Al)と描写されているが、彼女はメモワールの最後の部分で、アナトリー・ゴルスキ(駐米ソビエト大使館一等書記官)であったと明かしている。
男は時間になっても現れなかった。 「I’m sorry. I'm late」と言って男が現れたのは八時半を回っていた。 三〇代半ば(実際は四〇代)に見える男の言葉には若干のブリティッシュアクセントがあった。 背は低く小太りで、金髪をオールバックにして眼鏡をかけていた。
「馬鹿たれの部下に違う場所を教えられてこんなに遅くなった。 食事にいこう」と言って彼女を連れだした。 二人は川辺に近いシーフードレストラン「ネイラーズ(Naylor's)」に向かった。彼女は食欲はなかった。彼はおいしそうに注文の品を平らげながら、「実にアメリカ人は料理が下手くそだ」と毒づいた。
食事が終わると煙草を出しておいしそうに吸った。 ベントリーの煙草にも高級そうな金のライターで火をつけてくれた。
「君は頭の良い女だ。 二年間、君の仕事を見させてもらったが、素晴らしい仕事をしている」と語った。 「君は幸せ者だ。モスクワの最高幹部会は君に赤星勲章(Order of Red Star)の授与を決めた。 これには特権を持ついてくる。 モスクワに行けばプリンセスの待遇だ」と続けた。
ベントリーはその言葉を上の空で聞いた。 自分の思いを伝えられずに、「(ニューヨークに戻る)最終便に送れるのでもう帰ります」と席を立った。 アルはタクシーに乗り込む彼女の手にキスをした。「Good by, Darling」が分かれの言葉だった。
十一月に入っても隔週のワシントン行は続いた。 眠れない夜が続き少しばかり歩いただけで息が上がった。 暫くしてアルから、「ワシントン組織の伝達役から身を引くように。 その代わりに違う組織の面倒を見てもらう」と命じられた。 ワシントンの仲間には、疲れ切って体がもたないから外してもらったと言い訳した。 皆彼女との別れを惜しんだ。
ベントリーが扱っていた全ての組織を引き渡したのは年が明けた1945年一月のことであった。 NKVD(KGBの前身)からは、アパートも移れと指示があった。 FBIの捜査に備えたようであった。 新居はブルックリンハイツ(ブルックリン地区の西北岸、マンハッタン島南岸の向かいに位置する)の安ホテルの一室に決めた。 荷造りを始めたのは二月末のことだった。 ゴロスの思い出が積もった部屋からの退去は辛い作業だった。 彼の残した衣類は、遺言通りロシア戦争救援基金に寄付した。
女家主から怪しい男があなたのことを嗅ぎまわっていると聞かされたのは転居の少し前のことであった。 皮肉なことにNKVDから心が離れた自分にFBIの捜査が」始まったらしかった。
実際は彼女は幻影を見ていただけだった。
エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーンー9 ベントリーの叛逆:その2-FBI出頭
に続く