獏の食わず嫌い

プロ野球を好きになってほんの45年です。阪神のせいでネガティブ根性が骨まで染み付いております。

「砂をつかんで立ち上がれ」 中島らも 

2004-10-05 22:30:23 | 読書
このブログの題名を考える時ふと目を上げると、本棚に中島らも著「獏の食べ残し」があったので、拝借した。

昭和40年生まれ、青春時代にサブカルチャーの洗礼を、ど真ん中直球で受けた。
おかげで、物を斜に見る癖はいまだに抜けない。

物事の見え方はコントラストで決まる。
悲劇性を際立たせるには、主人公がいかに幸せだったかをまず描かなくてはいけない。
恐怖を描くには、対極に笑いを持ってくると恐怖が引き立つ。

中島らも氏は対極の人だった。
ギャグが面白ければ面白いほど、対極の氏の中に潜む鬱の影がくっきりと現れて来る。
鬱と言うものがどんなものか、氏の本を読んでいて理解できていたおかげで、実際に自分が鬱に陥りそうになっても冷静に対処できた。

この本は氏が雑誌に寄せたエッセイや、他者の本の後付に書いた解説等が収められている。

この中の「砂をつかんで立ち上がれ」はビートたけしの「顔面麻痺」のために書いた解説である。
「顔面麻痺」は言わずと知れた、たけしのバイク事故後の顛末を書いた、痛い!話である。
らも氏はたけしの「顔面麻痺した芸人として生きる」決意を啓蒙する。

ここで、らも氏の「義眼の友人」の話が出てくる。
彼はらも氏に請われるままに、義眼を取って見せてくれたり、義眼に巨人の星のようなを真剣に描こうと職人に頼んだりした。

悲劇を悲劇としてでなく「あったこと」としてとらえる、「転んでも砂(何か)をつかんで立ち上がる」そういう考えに強い啓蒙の意を表する。

実際に人に不幸はやってくるもんである。
私にもここ2・3年人生最大のピンチが訪れている。
でもすこーしだが、乗り越えるべき山の形くらいはわかってきた。
道も少しだけ開けそうだ。
砂をつかんで立ち上がれ この言葉のおかげのような気がする。

思えば、らも氏に二度も助けられている。
ご冥福をお祈りします。