退院してから、偶然観たニュース番組。
「妻はなぜ死んだのか」
という特集。
それは、40歳で初産だった妻が、夕方5時に入院し、8時に出産、その後次の日の8時に病院から呼び出されて行った時にはすでに亡くなっていた、というもの。
奥さんは血圧が高く、出産中に降圧剤を投与し160台に下げたのに、また上がってしまい、出産後も要注意としてナースセンターの近くに、自動血圧計を着け入院していたそうです。
それなのに、2時の巡回を最後に、7時まで巡回が行われず、おそらく4時頃に脳内出血を起こし、そのまま気付かれずに亡くなってしまった。
妊娠中の高血圧は、そのくらい危険なものだったのです。
夜も血圧を測りに来る助産師さんに、「おおげさっすよ」なんて思っていたわたし。
でも、わたしも高齢・初産で高血圧。テレビを観て、ひとごとじゃないな、と思いました。
要注意の妊婦だったんだろうと、今は分かります。
そして出産が済んでもこのまま高血圧が定着してしまうこともありうる。
高血圧は自覚がないので、突然脳梗塞や心筋梗塞を起こす。
高血圧の怖いところです。
なので、出産後安静にして、後遺症が残らないようにしなければなりません。
わたしはそういう妊婦だったのです。
先生は
「うーん、血圧見ながら、自然分娩か帝王切開か」
とのこと。
「できれば自然でお願いします」
というわたし。
しかしあとになって後悔することになろうとは・・・。
入院二日目。
一日目の夜は、
「あいたたた」
というくらいの痛み。
図書館で借りていた林真理子のエッセイを読んでしまおう。
そんな余裕がありました
読んでると痛みがまぎれるので。
次の日は定期的に痛みが来ました。
朝の内診で
「子宮口は3センチ開いてるね」
とのこと。
「これから最短で12時間でお産が始まる」
え~半日もあるの
なんて思いましたが・・・甘かった
半日どころじゃありませんでした。
「まだまだお産の顔になってないよ」
という先生。
痛みの合間に食事を取りました。
病院の食事は口コミにあった通り、美味
減塩・カロリー制限があるものの、とっても美味しい。薄味とは感じない。
2分間隔くらいの陣痛がありました。
たまに
「うう」
という痛みがある。おまけに子供が動く。これは痛いです。
友達が顔を出してくれました。
ベビモという雑誌を持ってきてくれ、
「話せるくらいだったら大丈夫だね」
というので
「もっと痛いの~?あいたたた」
と聞くと
「もう口きけないよ」
と言う。
「いきむ時は声を出さないで、その分のエネルギーをいきむのにまわすといいよ」
というアドバイスをしてくれました。
この友達のアドバイスが後にとても役に立つのです。
そしてその夜。
うとうとするのですが、痛くて眠れません。
陣痛というのは痛いのは1分。必ずインターバルがあります。
そのインターバルにうとうとうするのですが、痛みがきて寝ていられません。
それが一晩中続きます。
結構へとへとで、夜が明けました。
入院三日目。
朝、げっそりして内診です。
先生は
「大分、お産の顔になってきたね」
と。もうわたしは
「痛いですう」
と言うしかなく先生の言った意味がわかりました。
内診で
「子宮口は6センチだね」
まだ6センチかあ
全開にならないと、産まれない。全開とは10センチ。まだ6割。
寝てもいないわたしはげっそり。
そしてその日一日、さすってもらわないと耐えられない陣痛が続いたのです
もう、自分ひとりで我慢してやり過ごせる痛みは超えました。
夫と、急遽来てくれた母が交代で腰をさすってくれました。
さすってくれないと、耐えられない痛み。
下に抜ける、初めて経験する痛み。
陣痛は1分間隔で丸一日。
痛さに汗が出てくる。
そのまま夜になりました。
こんなにも長くかかるなんて、想定外でした
周りは
「入院して半日だった」
とか
「12時に入院して、子宮口開けてもらって19時に生まれた」
とか。
こんなに時間がかかった人なんていない。
たまごクラブで
「2日かかりました」
とかの人のことは人ごとだと思ってた。
助産師さんは
「これで朝になったらきっと促進剤投与するなりになると思いますよ」
と言ってくれたが。
「これでまた夜耐えるのか」
と思うと、きついなあ~もつのかな、と不安になりました。
1分ごとにくる陣痛を、また夜明けまで。
その後、促進剤で進んでも、そこからお産ができる体力がのこっているのか。
付き添ってくれた夫と母も疲労がたまってきてました。
一日、陣痛が来るたびに腰をさすってくれていたのですから。
終わりが見えない出産。
「もう切ってくれ~」という気持ちになってました。
「妻はなぜ死んだのか」
という特集。
それは、40歳で初産だった妻が、夕方5時に入院し、8時に出産、その後次の日の8時に病院から呼び出されて行った時にはすでに亡くなっていた、というもの。
奥さんは血圧が高く、出産中に降圧剤を投与し160台に下げたのに、また上がってしまい、出産後も要注意としてナースセンターの近くに、自動血圧計を着け入院していたそうです。
それなのに、2時の巡回を最後に、7時まで巡回が行われず、おそらく4時頃に脳内出血を起こし、そのまま気付かれずに亡くなってしまった。
妊娠中の高血圧は、そのくらい危険なものだったのです。
夜も血圧を測りに来る助産師さんに、「おおげさっすよ」なんて思っていたわたし。
でも、わたしも高齢・初産で高血圧。テレビを観て、ひとごとじゃないな、と思いました。
要注意の妊婦だったんだろうと、今は分かります。
そして出産が済んでもこのまま高血圧が定着してしまうこともありうる。
高血圧は自覚がないので、突然脳梗塞や心筋梗塞を起こす。
高血圧の怖いところです。
なので、出産後安静にして、後遺症が残らないようにしなければなりません。
わたしはそういう妊婦だったのです。
先生は
「うーん、血圧見ながら、自然分娩か帝王切開か」
とのこと。
「できれば自然でお願いします」
というわたし。
しかしあとになって後悔することになろうとは・・・。
入院二日目。
一日目の夜は、
「あいたたた」
というくらいの痛み。
図書館で借りていた林真理子のエッセイを読んでしまおう。
そんな余裕がありました
読んでると痛みがまぎれるので。
次の日は定期的に痛みが来ました。
朝の内診で
「子宮口は3センチ開いてるね」
とのこと。
「これから最短で12時間でお産が始まる」
え~半日もあるの
なんて思いましたが・・・甘かった
半日どころじゃありませんでした。
「まだまだお産の顔になってないよ」
という先生。
痛みの合間に食事を取りました。
病院の食事は口コミにあった通り、美味
減塩・カロリー制限があるものの、とっても美味しい。薄味とは感じない。
2分間隔くらいの陣痛がありました。
たまに
「うう」
という痛みがある。おまけに子供が動く。これは痛いです。
友達が顔を出してくれました。
ベビモという雑誌を持ってきてくれ、
「話せるくらいだったら大丈夫だね」
というので
「もっと痛いの~?あいたたた」
と聞くと
「もう口きけないよ」
と言う。
「いきむ時は声を出さないで、その分のエネルギーをいきむのにまわすといいよ」
というアドバイスをしてくれました。
この友達のアドバイスが後にとても役に立つのです。
そしてその夜。
うとうとするのですが、痛くて眠れません。
陣痛というのは痛いのは1分。必ずインターバルがあります。
そのインターバルにうとうとうするのですが、痛みがきて寝ていられません。
それが一晩中続きます。
結構へとへとで、夜が明けました。
入院三日目。
朝、げっそりして内診です。
先生は
「大分、お産の顔になってきたね」
と。もうわたしは
「痛いですう」
と言うしかなく先生の言った意味がわかりました。
内診で
「子宮口は6センチだね」
まだ6センチかあ
全開にならないと、産まれない。全開とは10センチ。まだ6割。
寝てもいないわたしはげっそり。
そしてその日一日、さすってもらわないと耐えられない陣痛が続いたのです
もう、自分ひとりで我慢してやり過ごせる痛みは超えました。
夫と、急遽来てくれた母が交代で腰をさすってくれました。
さすってくれないと、耐えられない痛み。
下に抜ける、初めて経験する痛み。
陣痛は1分間隔で丸一日。
痛さに汗が出てくる。
そのまま夜になりました。
こんなにも長くかかるなんて、想定外でした
周りは
「入院して半日だった」
とか
「12時に入院して、子宮口開けてもらって19時に生まれた」
とか。
こんなに時間がかかった人なんていない。
たまごクラブで
「2日かかりました」
とかの人のことは人ごとだと思ってた。
助産師さんは
「これで朝になったらきっと促進剤投与するなりになると思いますよ」
と言ってくれたが。
「これでまた夜耐えるのか」
と思うと、きついなあ~もつのかな、と不安になりました。
1分ごとにくる陣痛を、また夜明けまで。
その後、促進剤で進んでも、そこからお産ができる体力がのこっているのか。
付き添ってくれた夫と母も疲労がたまってきてました。
一日、陣痛が来るたびに腰をさすってくれていたのですから。
終わりが見えない出産。
「もう切ってくれ~」という気持ちになってました。