晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

ロザムンド・ピルチャー 『ロザムンドおばさんの贈り物』

2025-03-15 | 海外作家 ハ

私事で恐縮ですが、先日、大学(通信教育部)を卒業しました。2020年の秋入学ですので、4年半在籍していたことになります。3年次になって初めてスクーリングでキャンパスに行ったのですが、東京西部の、敷地内に芝生や木など緑がたくさんあるザ・大学といった感じで気に入ってしまいました。スポーツで有名とかでもなく、難易度は高くもなく低くもなく、ぶっちゃけ全国的な知名度はありませんが、いくつか選択肢があった中でそこを選んで大正解でした。10代のときに海外留学していた時はカレッジ付属の語学学校だったのですが、カレッジの施設(カフェテリアや図書館や売店など)を使ってもよく、たまにカレッジのほうの教室で授業もあったりして、キャンパスライフ「っぽい」ことは経験していたのですけどね。

以上、遅れてきた青春。

さて、ロザムンド・ピルチャーさん。スコットランド在住の女性の作家で、名前をまったく知らずに手にした「9月」という小説を読んで、特に何も起こらずに話は淡々と進んでいくのですが、気がついたら夢中になって読んでいて読み終わったらなんだか心があったかくなっている、そんなことがありました。

この作品は短編集で、舞台はイギリス。ジーニーは恋人とスキーに来ましたが、じつは運動が苦手で恐怖のあまりリフトには乗らずに黙って下山してしまいます。レストランでコーヒーを飲んでいると、老紳士が話しかけてきます。ジーニーは老紳士に恋人に黙って下りてきたことを説明すると「実はむかし不思議なほどあなたに似た女性を知っていた」と話しはじめ・・・という「あなたに似たひと」。

アリスンは夫の会社の社長夫妻を夕食に家に招待する準備に大忙し、料理の仕込みもテーブルフラワーの予約も済んだ、と思っていたら、家の外に車が停まり、社長夫妻が家の玄関に向かってくるではありませんか。明日だと思っていたのに今日だったの?・・・という「忘れられない夜」。

ヴェロニカは夫を亡くして今は息子と娘の3人暮らし。家を分割して貸したらどうかという友人から提案があり、どういう人かと聞くと大学教授で執筆のため1年間限定で部屋をさがしているとのことですが・・・という「午後の紅茶」。

イーヴの娘のジェインはスコットランドに住んでいて現在妊娠中。ジェインの夫から早産かもしれないと電話があって、スコットランドに向かうことに・・・という「白い翼」。

ビルはクローダという女性と結婚することになったのですが、クローダは未亡人で、ふたりの娘がいます。4人で暮らし始めたある日、娘のペットの金魚が死んでしまって、ビルはお墓を作って埋めようと・・・という「日曜の朝」。

8歳のトビーは、ソーコムさんが亡くなったという知らせを聞きます。ソーコムさんはおじいさんの農場主ですがビルの親友。トビーの姉のヴィッキーは休暇で帰省中していました。ソーコムさんが亡くなったことは悲しいのですが、じつはソーコムさんの後を継ぐことになる孫のトムとヴィッキーはけんかして絶縁状態で・・・という「長かった一日」。

編集者のエリナは、恋人でホテルマンのトニーから週末の旅行に誘われます。エリナとトニーとの間には結婚の話題は出さないという協定があり、週末の旅行には行くのですが「ただしプロポーズとかは絶対になし」と念を押すのですが・・・という「週末」。

どの作品も、読んでいてとても心地よく、読み終わったあとにほんわかします。なんといいますか、文章が優しいんですね。まだ読んだことがないという方にオススメです。英国文化圏に滞在したことのある方には特に。

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髙田郁 『あい 永遠に在り』

2025-03-09 | Weblog

所属している学校から卒業式のお知らせが来てまして、4年半(履修期間を延長したので)の学生生活、といっても通信制でしたのでキャンパスライフを謳歌したというのはほぼありません。あ、でもスクーリングでちょくちょく行ってはいましたが。でも通信制のスクーリングはほぼ土日。まあ働いてる人がメインですから仕方ないですけど。

以上、卒業写真のあの人はやさしい目をしてる。

さて、髙田郁さん。一般的にかどうかはわかりませんが、歴史小説は史実や実在の人物をメインに描き、時代小説はたんにその時代を背景に描かれる、といった違いがあるようでして、髙田郁さんの今まで読んだ作品は時代小説。ですが、この作品は幕末から明治にかけての蘭方医、関寛斎の妻が主役となっています。

関寛斎に関しては資料も文献もたくさんあって過去には関寛斎が主人公の小説もたくさん出てますが、あとがきにありましたが妻の記録はほぼ無いとのこと。

時は幕末の天保。上総国山辺郡前之内村の農家の娘あいは、木綿を紡いで糸にするのがとても上手で、母親はこの糸を年子伯母さんに持っていくようにいいます。年子の夫は関俊輔と名乗り、私塾を開いていて、年子は機織り名人。あいは機織りを教わります。

年子と俊輔には豊太郎という養子がいるのですが、とても頭がいいと評判で、佐倉順天堂という医学校に進学することに。それを機に「寛斎」と改名します。17になったあいは縁談が持ち込まれるようになります。すると年子は「あいは寛斎の嫁にすると決めている」というではありませんか。しかし寛斎は医者になる修行中でいつ帰ってくるかわかりません。しかしこの当時の結婚というのは親同士が決めるというのが当たり前で、ましてや娘には拒否権などありません。私塾で勉学に励んでいた豊太郎を見て知ってはいましたが、佐倉から一時戻った寛斎と初めてまともに会話します。関係性でいえば、あいの父と俊輔が兄弟で、年子の妹の息子が寛斎、つまり血の繋がりはありませんが義理のいとこにあたります。

豊太郎改め寛斎は佐倉順天堂で修行して、家に戻って診療所を設立します。それから数年後、師匠の佐藤泰然の推薦で、銚子に医院を開業することになるのですが、そこで老舗の醤油屋の主人、濱口梧陵と出会うことに。

長崎でコレラが発生し、やがて江戸でも発生します。すぐに銚子でも起こると心配した梧陵は寛斎に江戸に行って治療法を学んで来てくれと資金を出します。そのおかげか銚子ではわずかな罹患者しか出ませんでした。それから、長崎でオランダ人医師のポンペからの指導を受けるための資金援助もしてくれます。

長崎から戻ってのち、江戸へ出かけます。その用とは、阿波藩主の国詰め侍医になってほしい、というもの。しかし寛斎には金や地位などには興味がなく、佐倉順天堂の後輩に銚子の医院を継いでもらって梧陵に支援してもらえば優秀な医師が増えるのと、両親と妻のあいと子(この時すでにふたり)のためにも安定した暮らしがしたい、とどこまでも利他の精神。

結局、両親は上総に残ることになりますが、寛斎ファミリーは阿波へ。しかしいきなりやって来た余所者の蘭方医がそれまでいた漢方医に受け入れられるはずもなく厳しい立場になったり、吉野川の洪水被害に遭ったり、さらに阿波に越してきてから産まれた赤子を亡くしたりと大変でしたが、時代は大政奉還、阿波藩は倒幕軍として京そして江戸へ行くことになり、寛斎も軍医として同行することに。新政府軍は奥州へと向かうのですが、そこで多くの負傷兵の治療に当たったことで評価され、しかも敵味方なく治療に当たったことで西郷隆盛からも評価されて東京で軍医として残ってくれと懇願されますが阿波に戻ります。そして藩と新政府からの遺留もすべて断ってそれまでの家禄を返上し、徳島市内に医院を開業。金持ちからは多くの治療費を、貧しいものからは治療費をもらわず、やがて「関大明神」と呼ばれることに。

寛斎とあいも還暦を過ぎ、寛斎は北海道の札幌農学校で勉強している息子のところへ行ってきて、返ってくるとあいに「北海道で暮らしたい」と・・・

小学校のとき、図書室に「千葉県をつくった人々」という本があって、千葉県にゆかりのある歴史上の人物、古くは平将門、千葉常胤、日蓮、里見義実、堀田正睦などなど、近代になってキッコーマンの人とか二十世紀梨の人とかと並んで関寛斎も載ってて、寛斎のエピソードはある程度知ってたのですが、晩年に北海道に移住して亡くなったのが北海道というのは覚えてませんでした。

個人的な話ですが、病院で働いてまして、こんな素晴らしい医者がいたのかと医療従事者の(はしくれ)として恥ずかしくなりました。

 

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ジョン・アーヴィング 『第四の手』

2025-03-04 | 海外作家 ア

気がついたらもう3月ですね。自宅の梅の木に花がちらほら咲き始めました。そして暖かくなるとやって来るのが花粉症。じつは花粉症デビューは遅くて6年前か7年前でしたか。今のところは目だけ。鼻はそうでもありません。花粉症で思い出すのが、前に飼っていた猫が涙と鼻水がひどくて動物病院に連れて行ったのですが、アレルギーの薬を出してもらって飲ませたら多少は良くなったのですが、ペットも花粉症になるんですね。

以上、今の猫はなってません。

さて、アーヴィング。この作品は前後半あわせて500ページちょい、今まで読んだ作品は前半だけでそれくらいあったので、ずいぶん短いなと感じました。

24時間国際ニュース専門チャンネルの記者、パトリック・ウォーリングフォードは、「災害チャンネル」の取材でインドへ行き、そこのサーカス団を取材中にライオンに左手を噛みちぎられてしまいます。このシーンを「災害チャンネル」で流すと、パトリックはたちまち「災害マン」「ライオン男」として有名人になります。

このパトリック、とにかく女性にモテてモテてしょうがなくて、インド取材中も他の取材でもテレビ局の女性の同僚でも関係を持ちます。

さて、パトリックが左手を失ってから5年ほど過ぎて、ボストンの移植手術を行う医療チームのゼイジャック博士のもとに、ある女性から「私の夫はライオン男というパトリック・ウォーリングフォードに左手を譲りたい」という手紙をもらいます。移植の対象は死亡して時間が経ってない人なのですが、この手紙の差し出し主の夫はまだ生きています。

夫であるオットー・クラウセンは妻のクラウセン夫人との間に子どもはいませんが仲良し夫婦。オットーはグリーンベイ・パッカーズの大ファンで、スポーツバーでテレビ観戦をしていて、パッカーズが負けてビールをヤケ飲みしてしまい、このまま家に帰ると飲酒運転になってしまうのでタクシーを呼ぶことにして自分の車を移動させようと乗ると、車内に置いてあった銃を手にして何がどうなったのが自分の頭を撃ってしまいます。

パトリックのもとにゼイジャック博士から「左手の提供者がいます」と連絡が来たので、ボストンへ向かうと、未亡人が移植後の手に対する面会の権利を求めてきて、パトリックにも会いたいというのです。ご主人の左手に会うのは問題ないので了承したのですが、クラウセン夫人はいきなり服を脱ぎだして「赤ちゃんが欲しい」と・・・

アーヴィングの作品を「現代のおとぎ話」となにかの文庫のあとがきで例えていたのですが、まさにその通りで、「そんなアホな」ということがいくらでも起こります。でもその「常識」はいったん置いといて、まずは文中の世界観に入り込んでみると、これがたまらなく面白いものに見えてきます。

相変わらず、といいますか、すごく丁寧な説明や描写のシーンがあって、この部分はのちに重要な伏線的な何かと思いきや全く関係なかったりします。今作で笑ってしまったのがゼイジャック博士には息子がいて息子は別れた妻と住んでいるのですが、たまに息子と会って遊ぶのですが、落ちてる犬のフンをラクロスのスティックですくって放り投げる「犬のウンコラクロス」というゲームをする、というもの。本筋には特に関係ありません。

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浅田次郎 『流人道中記』

2025-02-18 | 日本人作家 あ

去年の1年間で読んだ本が19冊。普段本を読まないという人からすれば多いのでしょうが、読書が趣味という人からすれば鼻で笑ってしまうような少なさであります。でも多かろうが少なかろうが好きであることには違いないのでしょうがありません。ちょっと前に自動車のテレビCMで、夫がサーフィンをやるため早起きして妻と子もいっしょに車に乗って海まで行って夫がサーフィンしているのを見ていて、帰りは夫と子が後部座席で寝て妻が運転する、というもので、これが「夫の趣味に家族を巻き込んであまつさえ帰りに運転までさせる男尊女卑的発想」として炎上したとのことで、これの擁護の意見としては「買い物につき合わせてあー疲れたといって後部座席で寝る妻と行きも帰りも運転する夫と何が違うのか」という、まあ他愛のないやりとりだったのですが、ここで「趣味とはなんぞや」と考えまして、他人(家族含む)に負担をかけてまでやることが趣味なのか、鑑定の番組で家じゅう骨董品だらけで生活費も注ぎ込んで奥さんはただただ迷惑、みたいなのがありますが、さすがにそこまでいくと依存症レベルですよね。

以上、何事もほどほどに。

さて、浅田次郎さん。いつ以来だろうと当ブログの過去投稿を調べますと、なんと3年前。

時は江戸の幕末の万延元年。幕府の評定所で役人が何かを決めかねています。罪状は、大身旗本、青山玄蕃の不義密通。はじめは切腹を命じましたが、なんと「痛えから、いやだ」と拒否。さてどうしようかと考えて、出た結論が遠島。しかし、外国船がウヨウヨいる中で伊豆は無理ということで、蝦夷の松前に預かりの処分。

話は変わって、江戸町奉行の与力見習い、石川乙次郎に、流罪人を江戸から蝦夷松前まで連れて行ってくれ、と命令が。その流罪人とは、大身旗本の青山玄蕃。この石川乙次郎、もとは御家人で、与力の石川家に婿入りして、今は見習いという身分。黒船来航から安政の大獄、桜田門外の変と幕府の弱体化、時代の大変革期ということで、ぶっちゃけ「どうでもいいやつ」をお供に付けて蝦夷まで行ってきてくれ、ということ。

さて、旅立ちの日にいきなりトラブルが。なんといっしょに行くはずだった老同心が、まさかの行きたくない宣言。

そもそも、この青山という旗本は、そもそも切腹をするのを拒否して蝦夷に流罪になった、その理由が不義密通、そのせいでお家取り潰しという破廉恥で武士の風上に置けないようなやつ。旅の途中で暴れたり逃げようとすれば斬ってよい、ということで、江戸を出て早々に斬ってしまおうと考えますが・・・

旅の途中、さまざまな「事件」に遭遇しますが、青山は困っている人を見捨てずに解決させていきます。どうやらただの破廉恥な旗本というわけではないようで、ではなぜ流罪を受け入れたのか。

後半のほうで、この物語のテーマと思える部分が出てきます。それは「礼」と「法」。乙次郎は旅の途中から青山のことを見直すとまではいきませんが、「無法者」ではあるけど「無礼者」ではない、と思いようになります。乙次郎はこの「礼」と「法」の違いに悩み、とうとう青山に尋ねると、孔子先生によれば、人にはもともと「礼」があったのに堕落して、代わりにできたのが「法」である、と。そもそも切腹だの島流しだのというのも、このくだらない「法」のおかげでわざわざ江戸から蝦夷まで一月近くも旅をしなければならないのです。では、青山の「礼」とは一体何か。

そういえば、浅田次郎さんの「◯◯だけど◯◯じゃない」っていうフレーズ、どこかで見たなと記憶を遡ってみたら、「天国までの百マイル」で「俺はろくでなしだけど人でなしじゃない」というのがあったのを思い出しました。

何も関係ないですが、やまだかつてないWinkの「さよならだけどさよならじゃない」って曲がありましたね。

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帚木蓬生 『日御子』

2025-02-10 | 日本人作家 は

寒いです。冬だから当たり前だろということではありますが、どうも年を取ると寒さに対する耐性が弱くなってきたように感じます。というのも、個人的な話で恐縮ですが、今から15年ほど前までは体重が90キロ以上ありまして、はっきりいってブーデーでした。で、今は60キロくらい。体脂肪率も10%前後。つまり痩せています。年を取ったというよりも痩せたからより寒さに弱くなったのかもしれませんね。もうこの時期はお風呂に入ってあったかいごはんを食べてあったかい布団に入るのが何よりの幸せです。若い頃は海外で生活していたこともあって風呂は湯船なんていらないシャワーだけでじゅうぶんなどとイキってた自分が恥ずかしいです。

以上、暑さ寒さも彼岸まで。

さて、帚木蓬生さんです。初めて読んだ作品が「閉鎖病棟」でした、たぶん。どっちが本業かわかりませんが作家であり精神科医でもあるので、医療小説も書けば時代小説も書かれます。この作品は「ひみこ」と読みます。歴史の教科書で習ったのは「卑弥呼」ですけど、あと国名も「邪馬台国」ではなく、文中では「邪摩大国」になっています。

物語は、西暦1~3世紀の九州北部の伊都(いと)国、現在の福岡県の糸島のあたりですね。10歳になる針は祖父の灰と話をしています。この針と灰、そして針の父親の圧は「あずみ」の一族で、「あずみ」は代々「使譯(しえき)」という役で、今でいうと通訳と外国との折衝もする外交官のような役割で、言い伝えだと遠い昔に大陸から渡ってきたとされています。名前は代々(木火土金水)のつく漢字を繰り返す慣わしになっています。

「あずみ」は伊都国だけでなくその周囲の国にもいて、それぞれ阿住、阿曇、安住、安潜、安澄と変わっています。灰はもともと那国の王に仕えていて、那国の時代に遠く海の向こうの漢の国に正使として渡って、漢の皇帝から金印をもらうのですが、その印には那ではなく奴という字になっていたのです。奴は卑しい、下僕といった意味で、これは使譯にとっては痛恨のミスで、しかもそれが分かったのが帰国してから。那の国王は漢字が読めないのでバレなかったのです。

それからまもなく那国は伊都国との争いに敗れ、那国王は処刑されます。その処刑の前夜、灰は王に呼ばれ、漢からもらってきた金印を灰に預けて、どこかに埋めてほしいと頼むのです。処刑の場所は志賀島。王は処刑されて、亡骸は持ち帰られます。そのあとに灰は志賀島に渡り、金印を埋めるのです・・・と、これはあの例の「漢委奴国王印」の」エピソード。

やがて針は成長し、伊都国の使譯として漢に行くことに・・・

なんと伊都国そして使譯の話で文庫の上巻が終わります。あれ日御子は、邪摩大国は?下巻になってようやく登場。針の娘の江女が邪摩大国の「あずみ」に嫁いで、その孫の炎女が巫女として城で王に仕えていて、国王の娘が産まれる、というところから。日の出とともに産まれたので日の御子で日御子と名付けられます。王は長年の夢として漢へ朝貢することで、娘に漢の言葉を教えてくれと炎女に頼みます。

日御子は3歳で邪摩大国の女王になるのですが、大人が話していることも漢の言葉も覚えるのがはやく、韓の国に行っていた使節がいついつ返ってくるというと本当にその日に帰ってきたり、神通力があるんじゃないかしらと炎女はビックリ。

邪摩大国の周辺国では戦が起きて、日御子は周辺国に争うのをやめて連合国になりましょうと提案、戦は収まりますが、南にある求奈国は「やなこった」と邪摩大国に対して喧嘩上等・・・

炎女の甥の在が「あずみ」として大人になったときに、海の向こうの大陸では漢が滅んで魏・呉・蜀の三国時代になり、在は魏に朝貢し、魏の特使といっしょに帰国します。このときの記録が例の「魏志倭人伝」なんですね。

この作品では邪馬台国は九州説をとってますが、畿内説もありどっちが正解なのかはわかりません。あと「あずみ」一族は、のちに東へ向かって今の長野県あたりに落ち着いた、そこが安曇野(あずみの)になった、という伝承がありますが、安曇野にある穂高神社のお祭りが「御船祭り」といって山車が船の形をしていて、もともと海人族だったという古代のロマンを感じます。

「あずみ」には代々言い伝えられてる3つの掟があり、人を裏切らない、人を恨まず戦わない、良い習慣は才能を超える。素晴らしいですね。

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安部龍太郎 『浄土の帝』

2025-01-27 | 日本人作家 あ

今年に入って最初の投稿です。もはや新年どころかもうすぐ節分。今は本をちゃんと読めませんが、来月からたくさん読めると思います。たぶん。

以上、予定は未定。

さて、安部龍太郎さん。まだ全作品の半分も読んでませんが、歴史小説のマニアも納得、初心者も読みやすい、つまり面白い。この作品は三ヶ月前に読んだ井上靖さんの『後白河院』その人。源頼朝が「日本一の大天狗」と公言していたというくらいの人物。日本の長い歴史の中で天皇制存続の危機が何回かあったと思いますが、そのうちのひとつですね。

天皇が幼いときに「摂政」に、大人になったら「関白」になってサポートする摂関政治というシステムを藤原家が作って、天皇は日本で一番偉いというかトップ、であることには違いないのですが、実際に日本という国を動かす政治の実権は貴族に握られてしまいます。しかし、後白河の六代前あたりから徐々に藤原家の権力が天皇側に移っていき、「院政」という政治形態に変わります。

しかし、貴族側も黙って弱体化するわけにもいかず、あの手この手で回復を目論みます。その他もろもろドロドロしたのがとうとう爆発してしまったのが、保元の乱と平治の乱。それまでロイヤルファミリーと貴族のガードマンだった武士が代理戦争をするようになって力をつけて最終的に武家政権になってそれから七〇〇年も実権を握られることになります。

とはいえ、天皇という存在は日本そのもの、現人神、というわけで、中国のように王朝が変わることはありません。まあ一説には織田信長は新王朝を作ろうとしたとかなんとか。

たしか、日本史で習った記憶ですと、保元の乱のときに肉親と戦った源義朝よりも平清盛のほうが待遇が良かったので怒った義朝が清盛にケンカ売って平治の乱で戦って源氏が負けて、って覚えてたんですが、まあそういう面もあったのでしょうが、これを天皇家、貴族側からの視点だと別の見方になってじつに興味深いです。

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半村良 『講談 碑夜十郎』

2024-12-29 | 日本人作家 は

今年ももう終わりですね。今年一年に読んだ本は、なんとたったの十九冊。この投稿の分を合わせたら二十。こりゃ少ないですね。来年こそは年百冊・・・とはいいませんがせめて半分の五十冊は読みたいですね。個人的に「忙しい」「時間がない」という言い訳はしないと決めていて、ようは自己管理といいますか時間の作り方ができてないだけで、どんな金持ちも貧しい人も秀才も勉強ができない人も等しく一日二十四時間と決まってるわけですからね。

以上、自分に厳しく。

さて、半村良さん。思えば半村良さんの作品はこれまでけっこう読んできましたが、そういや「半村良といえば」のSF作品はまだ読んでません。あ、映画は観ましたけど。

江戸末期の天保年間、お絹という女が千住の近くを歩いていると、見慣れない石碑があることに気づき、近づいてみるとなんと意識のない全裸の男が横たわっています。お絹と共に旅をしていた男に背負わせて浅草にある長屋まで連れて帰ります。気がついた男は、自分の名前も生まれた国も何もわかりません。名無しの権兵衛では具合が悪かろうということでつけた名前が石碑のそばで碑、お十夜法要の夜に見つけたので夜十郎、で、碑夜十郎。

夜十郎は、記憶を取り戻そうと町中を歩き周りますが、人助けをしたりして浅草界隈では人気者になります。ちなみに、お絹は造花の内職を束ねる元締をしています。ここに、江戸城内の御数寄屋坊主という茶の接待をする役の河内山宗俊、御家人の片岡直次郎(直侍)、剣客の金子市之丞、海産物問屋の森田屋清蔵、博徒の暗闇の丑松、花魁の三千歳、が出てくる講談、歌舞伎の演目「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)」がベースになって、市井の人助けにとどまらず、火付盗賊改方の長官や、はては幕閣までも相手に立ち回ります。

この夜十郎、今は天保という時代で、その後の元号もスラスラと言えたり、このあとに大飢饉が起こり、西のほうで大塩平八郎という人が反乱を起こす、などと予言したり、会話の中にこの当時では使われない単語を話したりします。

はたして夜十郎とは何者か・・・とまあ、書くまでもなく、未来からタイムスリップして来たんですね。

文中で「筆者(わたくし)は・・・」と説明をはじめたりして、これがまた面白い。登場人物の男女を添い遂げさせようとするお絹が急いでしようと「この作者は今までも散々中ぶらりんをやっているからね、今度という今度はめでたしめでたしで終わらせてやらなきゃ」という台詞のあとに「どうもお絹は筆者の悪口を言っているようだ」と書いたりしててニヤリとします。

本筋じたいは、とても痛快な時代小説。

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村瀬孝生・東田勉 『認知症をつくっているのは誰なのか』

2024-12-04 | 日本人作家 ま

気がついたらもう12月です。そういえば12月に入ってからやけに道路が混んでるような気がして、この前は仕事に行くのにいつもよりも30分以上も時間がかかってしまって遅刻するんじゃないかとドキドキでした。今の職場に転勤して4年になりますがいまだに無遅刻無欠勤なので来年退職するまでキープしたいと思います。

以上、師走のつぶやき。

 

さて、この本は小説ではなくて、福岡県にある介護施設の代表をされている村瀬孝生さんと、医療や介護の著作が多いフリーライターの東田勉さんの対談となっています。村瀬孝生さんは著作も多く全国各地で講演もしていて、先日亡くなった谷川俊太郎さんとも交流があったそうです。

認知症は2025年には5人にひとりになるという推計もあるくらいだそうで、認知症はもともと「痴呆」と呼ばれていましたが、2004年に厚労省より「言い換えるように」ということで一気に全国に広まりました。治療法はまだ確立していません。お年寄りが「ボケた」状態になる、というのは昔からあったわけで、ボケというのは時差ボケや色ボケといったように一時的に正常ではない状態のことを意味しているとのことで、特別な病気とは捉えられてはいませんでした。

認知症患者がここまで急激に増えたのは制度的な問題があるのではないか、というのがテーマでして、認知症の薬を飲むのをやめたら暴れたりすることが少なくなった、介護保険制度ができたおかげで家族が親を認知症にさせているなど現場を知る人ならではのエピソードもあります。

個人的な話になりますが、医療機関で働いておりまして、何年か前に療養で入院していた会話もせず意思疎通もほぼなかったのような女性患者が生まれ故郷の病院に転院したら喋るようになったと聞いて、あのおばあちゃんはいろんな事情があって関東に移ってきたのはいいけど慣れなかったんでしょうね。それで生まれ故郷に戻って現地の空気感だったり看護師さんとかの現地の言葉を聞いたりして嬉しかったんでしょうね。

何年か前に、認知症の高齢者が線路の踏切に入って人身事故を起こして、その高齢者の家族に損害賠償の請求をしたというのがありました。最終的に家族の賠償責任はないという逆転判決になりましたが、鉄道会社側もその高齢者と家族が憎くて裁判を起こしたわけではないのはわかります。しかし家族は辛かったでしょうね。

厚生労働省は「認知症施策推進総合戦略(オレンジプラン)」という政策を進めてはいますが、そもそもこのオレンジとは有田焼の柿右衛門のオレンジで、ヨーロッパに輸出されて評価されていたことから、日本の認知症支援や対策が世界に広まってほしい、ということだそうです。あとはオレンジが「助ける」という意味合いがあるらしいですね。

地域ケア会議とか見守り制度とか「やってる感」をアピールすることで終わりにしないでほしいですね。

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井上ひさし 『四千万歩の男 忠敬の生き方』

2024-11-21 | 日本人作家 あ

先週の日曜日、関東南部は日中は汗ばむ陽気でしたがその次の日は一気に十二月の気温。それまで布団は毛布と薄手のかけ布団だけでしたがさすがに寒くて厚手の羽毛布団を引っ張り出しました。この羽毛布団、そこそこ高くていいやつなのでものすごくあったかい、のはいいんですが、猫が布団にもぐってきても七〜八分くらいしたら熱くて出てっちゃうので、それがちょっぴりさみしいですね。

以上、ネコと庄造と。

さて、井上ひさしさん。この本は伊能忠敬を描いた「四千万歩の男」という小説があって、それの経緯とか出版後の対談とかが収録されていて、まあ小説ではないのですが、それでも読み応えじゅうぶんです。

まず伊能忠敬さんの人物像から。江戸中期の延享二年(一七四五)、上総の九十九里沿岸、現在の千葉県九十九里町で生まれますが、十七歳で下総の佐原の名主、伊能家に婿入りします。婿入りしたときは伊能家の身代(財産)はそこまで多くはなかったのですが、忠敬さんは米の仲買などで商才を発揮(文中では「かなりあくどいことをして儲けた」とありますが)し、二十倍以上に増やしたそうです。佐原は天領(幕府の直轄地)で、領主から苗字帯刀を許されます。伊能忠敬の有名な肖像画で裃を着て刀を大小、というのはもともと武士の出ではなかったのですね。

そうして、五十で隠居します。そこで天文学、当時は星学といったそうですが、の勉強をはじめます。当時は鎖国状態ではありましたが、現在の北海道あたりにロシアの船がたびたびやってきていたそうで、幕府から蝦夷地へ測量に行くことになったのですが、じつは本来の目的は、地球の大きさを知るためだったのです。

まず、A地点から北極星の位置を調べて、そこから真っ直ぐ北上して北極星が一度上がった位置をBとして、その距離を測ります。その距離かける三百六十で地球の円周がわかるということで、なんとほぼ正確に計測されたそうですが、しかし問題があって、当時の日本は大名家とかが治めている領内は今でいう国であり、その境界線はつまり国境で、現在と同じく国境を超えるのはフリーでは無理でした。ところが幕府の仕事で測量をやってますと通行札を見せればハハーとなって大手を振って国境を通過できるのです。

またしても問題が。測量に使うものなのですが、縄や竹だと雨や湿気で長さが変わってしまうという難点があるのですが、そこで忠敬さんは自分の歩幅を使って距離を測ります。まあ昔の大工さんなども指先から肘までとか親指と人差し指とか自分の体を使ってやっていたそうで、何歩だからこのくらいの距離だとやってたそうですが、真っ直ぐ歩かなければダメなので、途中に水たまりや穴、さらに馬のウ●コが落ちててもあーこのままいったら踏んじゃうと分かっていても避けることは許されず・・・

そんなこんなで日本の海岸線をすべて歩き回ります。それがこのタイトルの四千万歩なわけですね。じつは完成の前に忠敬さんは亡くなってしまいます。残りの伊豆諸島は弟子が引き継ぎますが、なんとこの地図、幕府の図書館に貯蔵されます。そこであの、シーボルトが国外持ち出ししようとした事件が起こります。明治に入って正確な地図がほしいとイギリスの測量隊にお願いします。イギリス人たちはもともとあった日本地図を見せてくれといって、伊能忠敬の地図を見せるとあまりに正確な地図だったので自分らは必要ないわといって帰国します。

井上ひさしさんがなぜ伊能忠敬の小説を書こうと思ったのかというのは、日本人の寿命が伸びて老後の「第二の人生の過ごし方」が大事なテーマになってくるのではないか、伊能忠敬は老後、当時は隠居ですが、隠居したあとに大事業を成し遂げたわけですから、二人分の人生ですね。

二人分の人生、といえば、仕事もしつつ大学生(通信制ですが)もやってて、いちおうは二人分の人生のような生活を送っていますが、ハッキリいって楽しいです。おそらく忠敬センパイも楽しかったのではないのでしょうか。

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デカイ&ウルサイ

2024-11-14 | 自転車

先週末のサイクリングの投稿を忘れてました。

今回の目的地は、成田空港の滑走路のすぐそばにある公園でピクニックランチ。

出発は空港近くのスーパー銭湯。空港の外周をサイクリングした感じですね。

「さくらの山公園」に着きました。

 

お花も咲いててきれいですね。猫もいました。

ちょうど飛行機が離陸した直後の真下に公園があるので、まー飛行機のデカイこと、そしてエンジン音のウルサイこと。

まあ、ウルサイことを除けば、風は冷たかったですがポカポカ陽気で気持ちよかったです。家族連れが芝生でシート敷いてお昼食べたり。

前日に家でベーグルを焼いて、それでベーグルサンドを作って、ポットにお湯を入れて紅茶、というピクニックランチです。

公園の名前が「さくらの山」というくらいで桜の木がいっぱいあって、花見シーズンは人がすごそう。空港の周囲には他にも「ひこうきの丘」や「さくらの丘」もあります。食べ終わってからしばらくボーっとして自転車で戻ってスーパー銭湯に入ってきていい湯だな。

距離的には片道5キロで往復10キロと短かったですが、なだらかな坂が地味にあって疲れました。

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