晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

井上靖 『石濤』

2024-05-18 | 日本人作家 あ
いつの頃からかものすごい心配性になってしまい、出かけるときにカギ閉めたっけな、ストーブ消したっけな、と不安になって家に戻るのはしょっちゅうで、でも今までカギが開いてたりストーブが点けっぱなしだったことはないんですが。あとは特に「時間」ですね。仕事に行くのに職場までに通勤時間だいたい1時間くらいなんですが、2時間前には家を出ます。学校に行くのも10時なんですが8時半には最寄りの駅に着いて、早すぎるので駅前のカフェでコーヒー飲んで時間を潰します。遅刻するよりマシですからね。もう心配性っていうより不安神経症のレベルかもしれませんが。

以上、お父さんは心配性by岡田あーみんさん

さて、井上靖さん。この作品は短編集です。といっても物語というよりはエッセイというか紀行文というか。すべて晩年の作品。

ある日、出かけてて家に帰ると応接間に風呂敷包があって、開けてみると中国、清朝初期の画人、石濤の作品。お手伝いさんに聞くと、背の低い痩せた老人が置いていって数日後に取りに来る、というのですが、その老人はどこの誰か見当がつかず、約束の日になっても現れません。妙にその絵に惹きつけられて、夜になると絵を眺めながらウイスキーを飲んでいると、ちょうどその頃アレルギーの痒みに悩まされていたのですが、その絵を見ていると不思議と痒みがおさまります。そして絵を置いていった謎の老人と想像で会話をして・・・という表題作「石濤」。

シベリアのレナ川、オビ川、エニセイ川、そしてアフガニスタンのカブール川、など、川の思い出や行ってみたい場所について語る「川の畔り」。

また川の思い出話なのですが、インダス川の話になったときに、急にジェラル・ウディンのことが浮かびます。13世紀はじめにアフガニスタン・イラン一帯を収めていた人物で、モンゴルの侵略で滅ぼされて、その後、ゲリラ戦でモンゴル軍と戦うのですが・・・という「炎」。

パキスタンのカラコルム山脈に行き、フンザを目指してジープに乗っていると、現地の少年がジープの後ろにしがみついて、それをはがそうとしたら、その少年の顔が孫に見えてきて・・・という「ゴー・オン・ボーイ」。

食道がんの手術をして、「老い」を意識するようになり、人生観が変わったというかそれまでの人生を出来事を見つめるように・・・という「生きる」。

年を取るというのは別にネガティブに捉えなくてもいいのでは、と思わせてくれます。


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安部龍太郎 『冬を待つ城』

2024-05-03 | 日本人作家 あ
前回の投稿が3月3日。ずいぶん間をあけてしまいました。反省してまーす、などとスノボの人も出てくるってなもんですが、もちろん忘れてたわけではなく読書から遠ざかってたわけでもありません。じつは今回投稿する作品の前にとある海外文学をずっと読んでたのですが、自分の読解力の無さを棚に上げては承知の上で、とにかく読みづらくて内容がぜんぜん頭に入ってこなく、でも途中でやめるのはよくないとなんとか最後まで読み切ったのですが、ただの苦行でした。はっきりいって辛かったです。つらたん。そういえばハッピーターンの激辛味で「つらターン」ってのがありますよね。まだ食べてないので今度買いましょう。

以上、お菓子の宣伝。

さて、安部龍太郎さん。けっこう読んでますね。お気に入りの作家の作品が書棚に増えていくと、なんだか嬉しいものです。

この話は、豊臣秀吉が北条家との戦いに勝利し、奥州では伊達や南部といった大名家も豊臣家に使えることになり、いよいよ天下統一となったのですが、東北各地で一揆などの反乱が起こります。秀吉側はこれを鎮圧するために大規模な軍勢を東北に送り込むことになるそうな・・・といったところから始まります。

東北、二戸の城主、九戸政実の弟、政則は、九戸家の四男として生まれ、幼い頃に仏門に入り、京で修行をするなどしたのち、長兄の政実の命により還俗し、久慈家に婿入りします。が、政則の兄政実も義父の久慈直治も南部氏の一門でありながら秀吉のやり方に反対し、正月参賀に行かないと決めます。このままでは九戸と南部が争うことになって共倒れになり、その隙をついて東北地方がまんまと豊臣家に掌握されてしまうことを恐れた政則は、仏門に入って修行した時代の師匠である薩天和尚に頼んで争いを避けるようにします。

しかし、政実は南部家と争うことを選ぶのです。秀吉と争ったところで勝ち目がないのは承知のはずの政実は、なぜそこまでして南部の下につくのを拒むのか。それは、秀吉が東北一帯の平定を終えたのちに朝鮮半島への出兵を計画していて、朝鮮半島の冬は大河も凍るほどの寒さなので、寒さに強い東北の領民たちを大々的に人狩りをして朝鮮に連れて行くという噂を聞いたからで、領民が安寧に過ごすことこそが城主の役目で、秀吉の考えに従うわけにはいかん、というわけ。それだけではなく、石田三成は東北にあるという(お宝)をどうしても手に入れたいようで・・・

東北地方は坂上田村麻呂の時代から蝦夷(征伐)と称して中央に蹂躙されてきた歴史があります。征伐といっても、別に悪いことはしていません。東北の雄大な自然とともに過ごしてきた蝦夷の末裔として中央に対するレジスタンス。文中ではファンタジーっぽい話もあったり。
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宇江佐真理 『酒田さ行ぐさげ』

2024-03-03 | 日本人作家 あ
ようやく寒さのピークが過ぎたと思ったら、今度は花粉症の季節です。じつは10年ほど前にだいぶ大人になっての花粉症デビューしまして、それまでは花粉症で苦しんでる人を見ては生活の乱れ、食事の栄養バランスが悪い、だから花粉症になるんだ自業自得だと下に見てたのですが、もう心の底からごめんなさい。

以上、反省してまーす。

さて、宇江佐真理さん。この作品はサブタイトルに「日本橋人情横丁」とあります。

日本橋富沢町にある「上総屋」は、葬儀で亡くなった人の形見の着物を加工して棺を覆う天蓋を作る店で、娘のおすぎはケチで他人の悪口が大好きな両親のことがいやだと考えるようになります。じっさい、手習所に通いたいと言ったときも「おなごに学問は必要ない」といって認めてくれず、といって同業者に娘の自慢をされて悔しくて急に「明日から手習所に行け」と言い出したり。ところがおすぎは「わたし行かない」と・・・という「浜町河岸夕景」。
北町奉行所の同心、戸田勝次郎は妻を亡くして一周忌が過ぎても後添えをもらう気になれずにいます。さらに気が滅入る御用を命じられます。それは、筆頭同心の森川が奉行所の金を持ち出して金貸しをしているという噂があり、それを調べてくれ、というもので・・・という「桜になびく」。
呉服屋「一文字屋」は、古びた狭い貸家に引っ越します。というのも、番頭が金を持ち逃げして一家は夜逃げ同然で引っ越したのです。近所に挨拶にまわっていると、裏店の長屋にお武家と思われる一家がいて、じつはかつて一文字屋で買ったことがあるというのですが・・・という「隣の聖人」。
花屋の「千花」の息子、幸太は、父の仕入れの手伝いで駒込や巣鴨まで行きますが、ある日のこと、仕入れに行った途中に蕎麦屋によって食べてると、知らない男が「滝蔵じゃねえか」と父の名前を呼び、父は「久しぶりです」といいます。こいつは倅で、などと話してその男は去りますが、父は幸太に「今日のことはおっ母にはいうんじゃねえぞ」と言われて・・・という「花屋の柳」。
蚊帳商「山里屋」大女将の美音は、近所の娘たちにお稽古ごとを教えています。じつは美音は武家の娘でしたが父が浪人になり、女中奉公に出て山里屋に嫁ぎます。さて、教え子のひとり、小普請組の娘のあさみが「本意ではない縁談はお断りしてもよいのか」と聞いてきて、なにごとかと思いますが、じつはあさみに還暦近い隠居の後添えにならないかという話があって・・・という「松葉緑」。
廻船問屋「網屋」の一番番頭、栄助は、掛け取りから戻るとお客が来ています。聞くと「酒田の番頭が江戸に来てる」といいます。じつはこの酒田の番頭とは権助といって栄助とは網屋に同じ時期に奉公に入った仲間でしたが、仕事が遅く失敗ばかりで支店の出羽の酒田に飛ばされたのです。栄助は権助の尻拭いをやらされてばかり迷惑だと思っていました。ところが、そんな権助はなんと酒田の店主になったというのです・・・という表題作「酒田さ行ぐさげ」。

江戸時代の日本橋といえば商業の中心地でしたが、メインストリートから一本裏に入ると、そこには裏店があり煮売屋があり銭湯があり、といった庶民の暮らしがありました。江戸というビッグシティのなかの武家や商家にフォーカスを当てた作品も好きですが、こういった市井の人々のハートウォーミングな作品はドラマチックな展開こそありませんが、年を取ってくると、こういうのがなんともいいですね。
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垣根涼介 『人生教習所』

2024-02-22 | 日本人作家 か
暦の上では春ということで、先日お散歩に行ったら梅がちらほらと咲いていました。桜は関東南部だと3月下旬には満開になってしまって入学式シーズンにはすでにサクラチルになっているといった温暖化ではありますが、そういえば南半球では季節が反対なので9月ごろが桜の季節になります。たとえ季節が反対の場所に植えられてもちゃんと春に咲くなんてずいぶん律儀な木だなと思いますが、ところで季節が反対の場所の最初の年ってどうだったんでしょうね。おそらく日本から苗を持っていってむこうで移植したんでしょうが、おや?って思ったのでしょうかね。

以上、木の気持ち。

さて、垣根涼介さん。ここ最近は歴史小説が多いですね。アウトロー的なシリーズものも面白いです。

小笠原に向かう船にある「共通の目的」を持った28名が乗っています。その目的とはセミナーなのですが、主旨に「新しい生き方の指針となるセミナーを行う」と、一見怪しい団体っぽいですが、主催の代表は元経団連会長で、途中で試験を行い、合格者には就職の支援もあります。応募したのは浅川太郎、19歳。現在は東京大学休学中。柏木真一、38歳。元ヤクザで現在は無職。森川由香、29歳。フリーのライター。物語のメインはこの3人と、あと竹崎という定年退職した人の4人が中心になってます。

まずは一次セミナーでいくつかの科目の講義を受けてレポートを提出し、中間試験を受けて合格者は二次セミナーへと進みます。二次セミナーに進んだ人はその後の最終試験はありますが、そこで不合格はないので、二次に進めば就職支援が受けられます。

最初の講義は「確率」。人生における確率というテーマで、レポートを提出します。他にも心理学や社会学といった講義があって、中間試験の合格者は父島から母島へ渡って二次せみなーへ。はたして何人が進めるのか・・・

セミナーの参加者は人生をやり直したい、再出発したい、自分探し、まあいろいろですが、こういったセミナーの是非はともかくとして、少なくとも現状に満足はしていないわけで、それを解決しようと行動に移せるということが大事ということですね。その第一歩の踏み出しがないと自暴自棄になって「誰でもよかった」になってしまいますからね。

これは個人的な話ですが、とあるホームレスや生活困窮者支援のNPOにボランティアに行ったことがあって、そこでは生活相談や健康相談といったのもやってまして、NPOの方とのお話でとても印象に残っているのが、「本当に助けが必要な人はこういう場所に来ない(来れない)人」という言葉で、たしかにそういった団体に相談に来る人はその時点で現状を変えたいと思っているわけですからね。
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安部龍太郎 『生きて候』

2024-02-11 | 日本人作家 あ
今年度の学校関係のテストやらレポートやらが全部終わって、ひとまずホッとしてます。いちおう卒業は今年の9月なのですが、履修期間の延長をして来年の3月を予定しています。すでに卒業に必要な単位は取ってしまってるので、あとはやり残した科目をいくつかやろうかなと。仕事と試験対策勉強以外は時間ができるので、思い切り本を読もうかと考えてますが、年間100冊はきびしいとしてもせめて月に5冊くらいは読みたいですね。

以上、今のところ積ん読はありません。

さて、安部龍太郎さん。この作品の主人公は倉橋長五郎政重。どなた?はじめは架空の人物かと思いましたが、実在の人物でした。

戦国末期、徳川家康の家臣である御先手組の槍奉行、倉橋長右衛門の養子である政重は、同じ御先手組の鉄砲組のひとりと対決しているところに長右衛門危篤の知らせが。政重にかけた言葉は「与えられた命は美しく使い切るように。生き急いでも死に急いでもならん」と言い残します。通夜が終わると政重と一緒に長右衛門から兵法を教わっていた戸田蔵人がやって来て一緒に酒を飲んでいるところに妹の友達の絹江が長右衛門の好きだった梅干しを運んできます。蔵人は絹江に一目惚れしますが、絹江は蔵人の父と政敵、岡部庄八の娘。そこに本多佐渡守正信がやって来ます。正信は政重の実の父親。政重はなぜ自分が倉橋家に養子に出されたのか理由を知りません。

葬儀の日、江戸にいた重臣はもちろん、榊原康政、井伊直政、本多忠勝といった徳川四天王が使者をよこすだけでなくなんと家康自身も弔問に訪れ、あらためて長右衛門の偉大さに感じ入ってるところに本多正純が話があるといってきます。正純は正信の息子、政重にとっては異母兄。政重に本多に戻ることを断った理由を聞いてきます。すでに理由は正信に話していたのですが、正純は大番頭で一万石として迎え入れるから戻ってきてくれと誘うのです。家康が江戸に入城してはや七年、家臣団の中で正信と正純が苦しい立場に追い込まれていることは政重も知っています。戦場で目立った活躍もしてないのに家康から目をかけられていることを四天王や武断派は良く思ってなく「腸腐れ」「佐渡の腰抜け」と罵るほど。そんな中にあって武断派内で政重の評価は非常に高く、正信と正純にとっては喉から手が出るほど戻ってきてほしいのです。

ある日のこと、戸田蔵人の父親が岡部庄八と対決し、斬られて絶命したという衝撃のニュースを聞いて政重は蔵人の家に行きますが扉は閉ざされています。ところがこの一件は喧嘩両成敗にならず戸田が賄賂をもらっていたとして所領没収と江戸追放、岡部は何もなし。賄賂というのはもちろんでっち上げでこれに不満を持った蔵人は家に立て籠もることに。このままでは総攻撃になるので政重は蔵人を訪ねて勝負を挑みます。実力は互角、そのうち政重は死なすのが惜しくなり勝負をやめて「考えがある」といって蔵人が火薬庫に入って自爆するぞといって屋敷の周囲の人を避難させて政重は馬に乗って屋敷から出ます。しかしその背中には風呂敷で隠した蔵人が乗っていたのです。
でっちあげの証拠をつかんだ政重は蔵人の代わりに岡部庄八と勝負し庄八を斃し・・・

政重は京、伏見にいます。蔵人は西国のどこか。すると「政重どのではありませんか」と声をかけてきたのは、加賀の前田利家の次男利政。かつて政重は利政の指南役だったのです。翌日、前田家の大坂屋敷に出向くと、久しぶりに利家に会います。この頃、天下統一を果たした豊臣秀吉は朝鮮出兵を各大名に命じていましたが、前田家は出兵していません。そこで利家は現地の情報が欲しいので、政重に密偵となって朝鮮に行ってほしいと頼みます。
政重の愛馬、大黒とともに九州へ。前田家の書状には、馬を朝鮮に渡すために政重を朝鮮に送ってほしいとありますが、馬を運べるのは大名家専用の船でしか運べず、宇喜多秀家の船で渡ることに。そこに銃声が。なんと追手として絹江が・・・

このあと、朝鮮に渡った政重が見た、聞いた朝鮮半島の現状とは。そして日本に戻ってきた政重は石田三成に会いに・・・

政重が実在の人物なのはいいとして、描かれている出来事がどこまでが史実でどこからがフィクションなのかよくわからないので、なにがどうしてどうなったという部分はだいぶ省略しまして、なんだかんだで最終的に政重は加賀藩の家老にまでなります。
物語内に適度なロマンスもあり、あと隠し味のように歌(短歌)が物語にアクセントとして効果的で、とても読み応えのある作品でございました。



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ネルソン・デミル 『プラムアイランド』

2024-01-31 | 海外作家 タ
もしかしてこれが今年に入って初投稿かしら、と思って当ブログを見たら前回の投稿が去年の大晦日。つまりそういうことです。
というわけで今年もよろしくお願いします。

さて、ネルソン・デミル。個人的にすごく好きな作家ではあるんですが、日本ではあまりメジャーというわけではないようで、たしか他の作品のあとがきで故・児玉清さんでしたっけ、日本での知名度がいまひとつなのを残念に思ってるとかなんとか。

この作品はジョン・コーリーシリーズの第1作目。2作目「王者のゲーム」と3作目「ナイトフォール」はすでに読んで、まあ順番がバラバラではありますが、前作を読まないと理解できないといったふうではありません。

ニューヨーク市警殺人課刑事のジョン・コーリーは、勤務中に銃で撃たれて負傷し、今は療養休暇中でロングアイランドの伯父のコテージにいます。ある日のこと、この地域の警察署長であるマックスがコテージにやって来ます。そこで、トムとジュディのゴードン夫妻について知ってるかと訪ねます。知ってると答えると、マックスは「現場を見てほしい」と頼みます。というのもこの地域には殺人課の刑事はいないので、ふたりと知り合いだったコーリーにお願いするのがいいということ。ゴードン家は裏庭がデッキになっていて海に面していて、階段を降りるとボートが繋留されています。ふたりは銃で頭部を撃たれてデッキで横たわっています。隣の家の住人は銃声は聞こえなかったと話しています。

そこに、スーツを着た女性がコーリーに「どなたですか」と聞きます。女性は殺人課刑事でこの事件の担当のベス・ペンローズといい、マックスから依頼されたと話すと名前を聞いて「あのときの・・・」と思い出します。

ゴードン夫妻は、ロングアイランドの端から離れたプラムアイランドという名の小さい島にある国立の生物研究所の科学者で、コーリーはふたりのボートに数回乗せてもらっていて、ボートにアルミの箱がないことに気づきます。ひょっとしてふたりは研究所の未知のウィルスを勝手に持ち出してアルミの箱に入れたのを何者かに撃たれてウィルスが奪われた・・・などと考えます。

捜査チームはプラムアイランドの研究所に行って調べることに。ですが特にこれといって解決につながることはわかりませんが、島に渡るフェリーがあるのにふたりはたまに自家用ボートで通勤していたのをコーリーは知っていたので、それについて聞いても事件とは関係なさそう。そして、持ち出したのはウィルスではなく、ひょっとしてワクチンなのでは、それを内緒でどこかの組織に売って大儲けしようとして交渉が決裂して殺されたのか。

捜査で、ふたりが海沿いの使い道のなさそうな荒れた土地を購入していたことがわかり、土地を売った老婦人に聞いてみても、じっさいにその土地に行ってみても、怪しいことは何一つ見つかりません。電話の通話記録から地元にあるワイナリーのオーナーを訪ねて聞いてみてもわかりません。
ところでふたりはこの地域の歴史協会に参加していて、古い資料や数百年前の建築物などの研究をする会なのですが、その協会の会長にコーリーは会ってみることに・・・

はたしてふたりはウィルスかワクチンを持ち出して謎の組織に売ろうとしたのか。でなければなぜ殺されなければならなかったのか。

物語の展開はアメリカの歴史が関わってきて、ただの殺人事件ではなく歴史ミステリーも絡んできて、ものすごく壮大なことになってきます。
ネルソン・デミルの作品は、本筋の話の面白さもさることながら、なんといっても醍醐味は思わず笑ってしまうセリフや描写。ここにオフザケはいらないというようなシリアスなシーンでも笑える登場人物の会話を入れてくるのですが、それが不思議と邪魔になっていません。
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帚木蓬生 『襲来』

2023-12-31 | 日本人作家 は
今年の読書の投稿が17。このブログをはじめた当初は目指せ年間100冊なんて思ってましたが、まあ今年はちょっと学校のほうが忙しかったのでしょうがなかったのであります。

というわけで、帚木蓬生さん。この作品のタイトルの意味は元寇ですね。モンゴル帝国のフビライ・ハンが日本を2度に渡って攻めてきて、嵐に遭ってほうほうの体で帰っていったという、例のやつ。といってもこの作品のメインテーマは日蓮とその弟子の見助の話。

安房国(現在の千葉県南部)の片海(現在の小湊)の漁師、貫爺さん。一緒に住むのは孫ほど年の離れた見助という少年。じつは見助はみなし子で、ある嵐の翌朝、壊れた船に男女の遺体と泣いている赤子がいたのを見つけたのが貫爺さんで、乳を分けてもらったりしながら子育てをします。魚とり名人の貫爺さんから船の漕ぎ方や釣りのコツなどを教えてもらいますが、見助が13歳のとき、貫爺さんは亡くなります。
この片海一帯は下総国の守護である千葉氏の飛び地の所領になっていて、千葉氏の家来の富木氏が年に数回片海にやって来ては貫爺さんが魚や貝を差し上げたりしていました。貫爺さんの葬儀は富木様も訪れ、さらに清澄寺から僧侶までも来ます。そこで富木様は見助を呼び、僧侶に「この子が片海で貫助に拾われた見助です」と紹介します。その僧侶は「気落ちしているだろうがそなたにはきっと良い人生が待っている」と見助に言うのですが、拾われたような自分がなんで幸せになるのだろうと不思議に思います。

富木様に魚や貝を届けるのは見助の役目となり、ある日のこと、獲った大鯛6匹を館まで持っていくと、富木様に呼ばれます。すると、貫爺さんの葬式の時に来た僧侶がいます。この僧侶は清澄寺の蓮長といい、蓮長も片海の生まれで、12歳で清澄寺に入って18で鎌倉に上り、その後比叡山で修行して、法華経こそが民草を救う教えであることを見つけます。しかし時は鎌倉、念仏宗や禅宗が全盛で、清澄寺でも念仏に染まっていて蓮長は危険思想とみなされ、地頭の東条景信に命を狙われるようになり、蓮長は清澄寺を出て行くことに。そして、蓮長の教えに賛同するふたりの僧に、新しい宗派を立ち上げて名前も日蓮にすると宣言します。

そうして日蓮は鎌倉へと旅立ちます。その目的は、数年のうちに国中が天変地異で荒れ果て国が乱れ、さらに外敵が襲来すると予言され、それを防ぐには国主が法華経に帰依すべし、ということなのですが、つまり現在の北条家の政権批判です。そこで富木様は見助に日蓮との仲介役になってくれと頼みます。そのために数の数え方と字を覚えてくれということで、見助は練習をします。翌年、富木様が片海に戻ってきて、練習の成果を披露し、富木様を驚かせます。すると、清澄寺の浄顕坊という僧といっしょに鎌倉の日蓮のもとに行って荷物を届けてほしいというので、見助はあのお坊さんに会えると喜びます。そうして鎌倉の外れの松葉谷というところの小屋に着きます。

日蓮は鎌倉で辻説法を行いますが、その内容とは現政権批判と主流の宗派の批判、この国はだめになる、それを防ぐには南無妙法蓮華経を唱えなさい、といったもので、信者が少しづつ増えますが、同時に日蓮を憎む者も増えます。
そんな中、日蓮が駿河国にある実相寺に一月ほど滞在するので見助がお供をすることに。そこで出会った伯耆坊という少年僧がいるのですが、日蓮の門下に入りたいと告げます。
鎌倉に戻った日蓮は、書き上げた「立正安国論」を北条家に上奏します。ところがある夜、草庵が襲撃を受け燃やされ、見助は日蓮といっしょに裏山へ逃げ、いったん下総国の中山にある富木様の館で身を寄せることにします。
そこで、日蓮が見助を呼び、「対馬まで行ってほしい」と頼むのです。立正安国論によると他国の侵略は西方の海の向こうからで、最初に攻めるのが対馬であろうというのですが、今のところ対馬の守護に警戒せよという命令は出ておらず、見助に偵察に行ってほしいというのです。
下総国から鎌倉へ、途中の駿河で実相寺に寄り、京の都から難波、播磨へ、そこから瀬戸内を船で博多へ。そして肥前小城の千葉氏の領地に着いて、書状を渡します。そして、馬場冠治という武家といっしょに対馬へ・・・

というあたりで上巻が終わって、下巻になると史実とおりに実際に海の向こうから蒙古が船で来ます。対馬も壱岐も壊滅状態、いよいよ九州上陸となったところで嵐に遭って朝鮮に引き返します。そこで幕府はようやく防衛のために兵を九州に派遣し、博多の海岸に石築地を作ることになりますが、対馬と壱岐の防衛は無視。二度目の蒙古襲来も嵐で引き返します。これがのちに「神風」と呼ばれるようになるのですが、それはさておき、見助が対馬に滞在中、ずっと日蓮と文のやり取りをしていて、その間に日蓮は流刑されたり、甲斐国の身延というところに移ったことを知り、そして日蓮が病に伏せていると知って、日蓮のもとに帰る決意をするのですが・・・

日蓮の本弟子「六老僧」のひとり、日興は実相寺にいた伯耆坊で、日蓮亡きのち、身延山を下りて別の流派を立ち上げます。

いくら尊敬する方のたってのお願いとはいえひとりで20年以上も九州に行かせるのは日蓮さんちょっとあんまりじゃないのと思ったりもしましたが、見助本人が「日蓮さまの手足であり耳目になる」ことを幸せで喜びに感じているならどうしようもありません。
日蓮の布教の「お前らは間違ってる、このままじゃ地球は終わる、俺のいうことを聞け」という、現代のラップバトルよろしく煽っていくスタイルで味方ばかりか敵も増やしていくんですけど、古今東西どこも宗教家はそうなんですよね。まあ当時の教育水準だとそういった恐怖心が結局のところ一番有効なんではありますが。

さて、こんな大晦日に今年ラスト投稿。また来年もよろしくお願いします。良いお年を。
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チャールズ・ダーウィン 『種の起源』

2023-12-09 | 海外作家 タ

先日は自転車の投稿をしたばかりですが、読書もものすごく久しぶりの投稿です。ちょっと学校関係のほうが忙しくて、といってもその間、ちまちまと本は読んでました。

さて、ダーウィンです。だいぶ前ですが、あるクイズ番組にお笑いタレントのパックンが出てまして、問題が「中学校の理科の教科書に出る単語」というもので、パックンに出されたのは「(し)から始まるダーウィンの著書」で、パックンは回答時間中ずっと「On the origin of spieciesって日本語でなんて言うの?」と言ってて、時間切れで不正解だったんですが、まあ本来は正解なんですけど。

ジョナサン・ワイナーという人の「フィンチの嘴」という作品で、ガラパゴス島に住んでいるダーウィンフィンチというさまざまな嘴の形をした鳥を研究した生物進化学の研究者のグラント夫妻が20年の調査で、じつは今現在でも進化を遂げているということを発見したのですが、『種の起源』では、その部分は実証できていなかったのです。

この作品が世に出た当時のヨーロッパではまだすべての生物は神が創造したと信じられていて、というか「当時」ではなく現在でもキリスト教保守派が経営する学校などでは進化論は教えていないと聞いたことがありますが、この作品の裏テーマは、創造説では論理的に説明できないことを証明していく、といったものになっています。

まずは「飼育栽培下における変異」で、つまり人間の管理下での植物や動物の個体間の差はどのようにして生まれるのだろう、というもの。もともとの原種というか野生種から現在の人間の管理下のハトだの牛だの野菜だのに変わっていったのは、それが何かしらの「有利な状況」があった、そしてそれを「選抜」という表現を使っています。

「自然条件下での変異」では、そもそも自然状態で変異は起こるのか、について書かれています。

そして「生存闘争」では、「自然淘汰」との関係性について、そして「闘争」とは捕食と被食、あるいは動物同士の縄張り争いやメスをめぐる争い、または虫と植物の共依存や植物の寄生も闘争の結果そうなったといえるのですが、地理的にも環境的にも影響がある、としています。

「自然淘汰」では、人為選抜との比較、そして絶滅について説明されています。生物の生存にとって有用な変異が起きたなら、その形質を持った個体は生存闘争で保存される可能性が高くなり、よく似た形質を持った子孫が生まれ個体が保存されていくことになる原理が「自然淘汰」であると説明されています。

「変異の法則」では、気候変動といった外的条件の効果、適応について書かれています。

「学説の難題」では、種は移行しているというのなら、その中間種が見つからないのはなぜか、コウモリの飛翔能力、ハエを追っ払うキリンの尻尾、または眼のような特殊な構造をした器官はどのようにしてできたのか、について書かれています。

「本能」では、本能と習性の違いについて、人間が幾何学の法則を発見するはるか前からミツバチは機能的で素晴らしい形をした巣を作っていたのはなぜか、本能はその生物にとって有利なだけではなく過ちも犯すことについて説明されています。

「雑種形成」では、最初の種間交雑、変種について書かれています。

「地質学的証拠の不完全さについて」では、中間的な変種の不在について、古生物学や地質学から説明されています。

「生物の地質学的変遷について」では、前の章の続きで新種の誕生と種の絶滅の地質学的関連について書かれています。

「地理的分布」では、物理的条件、気候変化、氷河時代における分散や集合、といったことが書かれています。

「生物相互の類縁性、形態学、発生学、痕跡器官」では、生物どうしの類似性は「由来の近さ」である、変化を伴う由来、適応による相似形質、絶滅による分類、形態学と発生学、痕跡器官(萎縮または発育不全)について説明されています。

「要約と結論」では、どのような器官や本能も完成度には段階があって、種にとっては有益なものであり、ごくわずかに変異を生じる。そこに生存闘争のもと、構造や本能に生じた有益な変異が保存される。そこには地理的、気候的な要因もおおいに関係する。そして現在のすべての生物の「始まり」はたった一種類の生物で、そこから枝分かれしていったというもの。

つまり、ビジネスシーンや政治の世界で「強いものが生き残る」の例としてこの『種の起源』が使われているのは間違いであって、読んだことがないか悪意を持って誤用しているかのどちらかで、神が創造したわけではなく、現在のすべての生物は「たまたま偶然」生き残ってる、ということです。

この進化論を真っ向から否定している側の方たちは「我々のような高等な人類が下等なサルから進化したはずはない」としていますが、この文中には人類は猿から進化した、といったような記述は一切ありません。

また、面白い部分として、陸から離れている島はかつて陸の一部だったことは説明されていますが、大陸移動については具体的に触れられていません。というのもこの本が出されたのが1859年で、ヴェーゲナーの大陸移動説が発表されたのが1912年で、じつはそれ以前から「南米大陸の東海岸とアフリカ大陸の西海岸って形がピッタリ合うよね」ということは論じられてきて、ただこの時点ではまだ大陸が移動する原動力がわかっていなくて、だいぶ後になってプレートテクトニクス理論が出てきます。

さらに興味深い話をいくつか。この作品は学術書ではなく、一般書店で発売されたということ。ダーウィンの母はウェッジウッドの創業者の娘。父親も父方の祖父も医師で、つまり「良家のお坊ちゃま」です。まあ、軍人でもないのにイギリス海軍のビーグル号に乗せてもらうには金とコネがなければ無理だったことを考えれば、そういうことですね。

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久しぶりの自転車で妄想フランス旅行

2023-12-01 | 自転車

ものすごく久しぶりの投稿です。ブログに飽きたわけではありません。

自転車に乗るのも久しぶりです。今回はフランスの旅(妄想)です。お付き合いください。

パリの喧騒を離れ、愛車のルノー(これは本当)でちょっと郊外に行くとセーヌ川ものどかである。

 

そうしてたどり着いたのはマルセイユ。港に行ってみた。

さらに足を伸ばして、ニースの海岸へ。

・・・、はい。というのもですね、今日はお休みなので、家でレタスとハムとチーズのバゲットサンドを作って、ボトルにお湯を入れて紅茶のティーパックとマグカップも持って、ベンチに座って海を眺めながら波の音をBGMにバゲットサンドとお紅茶のランチをしようと思い、ただそれがやりたかっただけで妄想フランス旅行をしたというわけ。

海に着いたときは風は冷たかったのですが太陽が出てポカポカ暖かかったのですが、食べ終わったあたりで曇ってきて寒くなってきたので1時間もいなかったかな、とっとと帰ってきました。妄想フランス旅行おしまい。

オ・ルボワール
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池波正太郎『熊田十兵衛の仇討ち(本懐編)』

2023-09-21 | 日本人作家 あ

池波さんの「真田太平記」という作品があって、文庫で全十二巻という大長編なのですが、まだ読んだことはなく、老後の楽しみにしているのですが、老後になってそのような大長編を読むだけの気力が残っているのかという不安がちょびっとだけありまして、もちろんご高齢でもすごい読書家という方は個人的にも知っていますし、そんなの「人による」といってしまえばそれまでなんですけど。

以上、老いを考える。

さて、『熊田十兵衛の仇討ち』のもう一冊のほう。

織田信長がいよいよ天下統一までマジックナンバー点灯といったときに明智光秀に裏切られて果てます。さて、このとき本能寺には忍びがいまして、明智側に忍ばせていた松尾九十郎から報告がなかったと信長側にいた忍びは悔しがりますが時すでに遅し。その松尾九十郎は、中国地方に向けて急いでいました。じつはもうひとり、松尾伝蔵という忍びがいて、光秀は「毛利へ行け」といって書状を伝蔵に持たせます。光秀は、信長亡き後に毛利と連合で天下取りという計画があり・・・という「鬼火」。

甲賀忍びの岩根小五郎は「明智光秀を見た」と助七という別の忍びのから告げられます。じつは山中で山賊の格好で光秀に竹槍でとどめを刺したのは小五郎。そんなはずはないと疑いますが、今では別名を名乗ってる、とまで具合的なことを聞き、小五郎は確かめに向かいます。しかし、助七から光秀を見たという場所の小屋に近づいた時に矢が・・・という「首」。

豊臣秀吉がいよいよ小田原の北条を攻めることとなり、籠城するか戦うか意見が二分します。鉢形の城主、北条氏邦ははじめは籠城派だったのですが出撃すべきと言い出したのは、忍びの小出寅松の裏切りのせいだと気づいた別の忍びが。じつは寅松は秀吉が北条側に放った忍びだったのです。寅松は鉢形の武将、山岸主膳之助の娘婿になっていて、はじめこそ秀吉側となって動いていたのですが、なんと寅松が義父の主膳之助と風呂に入っていると「おぬしはいずこの忍びなのだ」と・・・という「寝返り寅松」。

服部小平次は播州赤穂藩の浅野家、京都屋敷に務める藩士の次男坊。学問も武術の稽古もせず遊び歩いていて両親もさじを投げています。ある日、小平次が遊郭をふらついていたところ、船頭と揉めていたところにある武士が助けてくれます。その武士は「なんだ、服部小平次ではないか」というのです。その武士の正体は浅野家御家老、大石内蔵助。蔵之介は小平次ろいっしょに遊郭で遊ぶことに。そんなとき、小平次の兄が急死し、小平次が家の跡継ぎに。しかも江戸屋敷詰めを申し付けられ・・・という「舞台うらの男」。

宴会の席で熊田勘右衛門が山口小助という下役をみんなのいる前で罵ります。じつは小助は女癖が悪いのでまったくの言いがかりとはいえないのですが、小助は怒りのあまり帰りに勘右衛門を斬って、そのまま逃げます。勘右衛門の息子、十兵衛は父の仇討ちとして小助を探しに出かけます。二年後、ボロボロの坊主の格好をした小助は、茶店で十兵衛を見かけ、そのままあとを付いていくことに。仇討ちに出て五年。十兵衛は小助を見つけることができず、しかも目の病にかかって・・・という表題作「熊田十兵衛の仇討ち」。

小林庄之助は、弟の伊織と家来の原田定七とともに、父を殺した大葉勘四郎を探しています。ところが伊織も定七も乗り気ではなく、ある日、定七は岡場所の女を連れ込んでいたところを庄之助に見つかり、怒った庄之助は定七を斬りますが命に別状はありませんでした。という話を別の客にしていたその岡場所の女なのですが「その男は原田定七さんといってねえ」というのを聞いて顔色が変わります。その夜、小林庄之助が斬られていたのが見つかります。伊織が駆けつけ、斬ったのは大葉勘四郎ですかと聞きますが、なんと「さ、定七に・・・」といって・・・という「仇討ち狂い」。

「舞台うらの男」は、以前読んだ記憶がありますね。この二冊の文庫は総集編ですので、おそらく他の作品もどこかにあるのでは。あと池波さんは昔の作品を後年になってセルフリメイクすることもありますからね。

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