晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

村瀬孝生・東田勉 『認知症をつくっているのは誰なのか』

2024-12-04 | 日本人作家 ま

気がついたらもう12月です。そういえば12月に入ってからやけに道路が混んでるような気がして、この前は仕事に行くのにいつもよりも30分以上も時間がかかってしまって遅刻するんじゃないかとドキドキでした。今の職場に転勤して4年になりますがいまだに無遅刻無欠勤なので来年退職するまでキープしたいと思います。

以上、師走のつぶやき。

 

さて、この本は小説ではなくて、福岡県にある介護施設の代表をされている村瀬孝生さんと、医療や介護の著作が多いフリーライターの東田勉さんの対談となっています。村瀬孝生さんは著作も多く全国各地で講演もしていて、先日亡くなった谷川俊太郎さんとも交流があったそうです。

認知症は2025年には5人にひとりになるという推計もあるくらいだそうで、認知症はもともと「痴呆」と呼ばれていましたが、2004年に厚労省より「言い換えるように」ということで一気に全国に広まりました。治療法はまだ確立していません。お年寄りが「ボケた」状態になる、というのは昔からあったわけで、ボケというのは時差ボケや色ボケといったように一時的に正常ではない状態のことを意味しているとのことで、特別な病気とは捉えられてはいませんでした。

認知症患者がここまで急激に増えたのは制度的な問題があるのではないか、というのがテーマでして、認知症の薬を飲むのをやめたら暴れたりすることが少なくなった、介護保険制度ができたおかげで家族が親を認知症にさせているなど現場を知る人ならではのエピソードもあります。

個人的な話になりますが、医療機関で働いておりまして、何年か前に療養で入院していた会話もせず意思疎通もほぼなかったのような女性患者が生まれ故郷の病院に転院したら喋るようになったと聞いて、あのおばあちゃんはいろんな事情があって関東に移ってきたのはいいけど慣れなかったんでしょうね。それで生まれ故郷に戻って現地の空気感だったり看護師さんとかの現地の言葉を聞いたりして嬉しかったんでしょうね。

何年か前に、認知症の高齢者が線路の踏切に入って人身事故を起こして、その高齢者の家族に損害賠償の請求をしたというのがありました。最終的に家族の賠償責任はないという逆転判決になりましたが、鉄道会社側もその高齢者と家族が憎くて裁判を起こしたわけではないのはわかります。しかし家族は辛かったでしょうね。

厚生労働省は「認知症施策推進総合戦略(オレンジプラン)」という政策を進めてはいますが、そもそもこのオレンジとは有田焼の柿右衛門のオレンジで、ヨーロッパに輸出されて評価されていたことから、日本の認知症支援や対策が世界に広まってほしい、ということだそうです。あとはオレンジが「助ける」という意味合いがあるらしいですね。

地域ケア会議とか見守り制度とか「やってる感」をアピールすることで終わりにしないでほしいですね。

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井上ひさし 『四千万歩の男 忠敬の生き方』

2024-11-21 | 日本人作家 あ

先週の日曜日、関東南部は日中は汗ばむ陽気でしたがその次の日は一気に十二月の気温。それまで布団は毛布と薄手のかけ布団だけでしたがさすがに寒くて厚手の羽毛布団を引っ張り出しました。この羽毛布団、そこそこ高くていいやつなのでものすごくあったかい、のはいいんですが、猫が布団にもぐってきても七〜八分くらいしたら熱くて出てっちゃうので、それがちょっぴりさみしいですね。

以上、ネコと庄造と。

さて、井上ひさしさん。この本は伊能忠敬を描いた「四千万歩の男」という小説があって、それの経緯とか出版後の対談とかが収録されていて、まあ小説ではないのですが、それでも読み応えじゅうぶんです。

まず伊能忠敬さんの人物像から。江戸中期の延享二年(一七四五)、上総の九十九里沿岸、現在の千葉県九十九里町で生まれますが、十七歳で下総の佐原の名主、伊能家に婿入りします。婿入りしたときは伊能家の身代(財産)はそこまで多くはなかったのですが、忠敬さんは米の仲買などで商才を発揮(文中では「かなりあくどいことをして儲けた」とありますが)し、二十倍以上に増やしたそうです。佐原は天領(幕府の直轄地)で、領主から苗字帯刀を許されます。伊能忠敬の有名な肖像画で裃を着て刀を大小、というのはもともと武士の出ではなかったのですね。

そうして、五十で隠居します。そこで天文学、当時は星学といったそうですが、の勉強をはじめます。当時は鎖国状態ではありましたが、現在の北海道あたりにロシアの船がたびたびやってきていたそうで、幕府から蝦夷地へ測量に行くことになったのですが、じつは本来の目的は、地球の大きさを知るためだったのです。

まず、A地点から北極星の位置を調べて、そこから真っ直ぐ北上して北極星が一度上がった位置をBとして、その距離を測ります。その距離かける三百六十で地球の円周がわかるということで、なんとほぼ正確に計測されたそうですが、しかし問題があって、当時の日本は大名家とかが治めている領内は今でいう国であり、その境界線はつまり国境で、現在と同じく国境を超えるのはフリーでは無理でした。ところが幕府の仕事で測量をやってますと通行札を見せればハハーとなって大手を振って国境を通過できるのです。

またしても問題が。測量に使うものなのですが、縄や竹だと雨や湿気で長さが変わってしまうという難点があるのですが、そこで忠敬さんは自分の歩幅を使って距離を測ります。まあ昔の大工さんなども指先から肘までとか親指と人差し指とか自分の体を使ってやっていたそうで、何歩だからこのくらいの距離だとやってたそうですが、真っ直ぐ歩かなければダメなので、途中に水たまりや穴、さらに馬のウ●コが落ちててもあーこのままいったら踏んじゃうと分かっていても避けることは許されず・・・

そんなこんなで日本の海岸線をすべて歩き回ります。それがこのタイトルの四千万歩なわけですね。じつは完成の前に忠敬さんは亡くなってしまいます。残りの伊豆諸島は弟子が引き継ぎますが、なんとこの地図、幕府の図書館に貯蔵されます。そこであの、シーボルトが国外持ち出ししようとした事件が起こります。明治に入って正確な地図がほしいとイギリスの測量隊にお願いします。イギリス人たちはもともとあった日本地図を見せてくれといって、伊能忠敬の地図を見せるとあまりに正確な地図だったので自分らは必要ないわといって帰国します。

井上ひさしさんがなぜ伊能忠敬の小説を書こうと思ったのかというのは、日本人の寿命が伸びて老後の「第二の人生の過ごし方」が大事なテーマになってくるのではないか、伊能忠敬は老後、当時は隠居ですが、隠居したあとに大事業を成し遂げたわけですから、二人分の人生ですね。

二人分の人生、といえば、仕事もしつつ大学生(通信制ですが)もやってて、いちおうは二人分の人生のような生活を送っていますが、ハッキリいって楽しいです。おそらく忠敬センパイも楽しかったのではないのでしょうか。

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デカイ&ウルサイ

2024-11-14 | 自転車

先週末のサイクリングの投稿を忘れてました。

今回の目的地は、成田空港の滑走路のすぐそばにある公園でピクニックランチ。

出発は空港近くのスーパー銭湯。空港の外周をサイクリングした感じですね。

「さくらの山公園」に着きました。

 

お花も咲いててきれいですね。猫もいました。

ちょうど飛行機が離陸した直後の真下に公園があるので、まー飛行機のデカイこと、そしてエンジン音のウルサイこと。

まあ、ウルサイことを除けば、風は冷たかったですがポカポカ陽気で気持ちよかったです。家族連れが芝生でシート敷いてお昼食べたり。

前日に家でベーグルを焼いて、それでベーグルサンドを作って、ポットにお湯を入れて紅茶、というピクニックランチです。

公園の名前が「さくらの山」というくらいで桜の木がいっぱいあって、花見シーズンは人がすごそう。空港の周囲には他にも「ひこうきの丘」や「さくらの丘」もあります。食べ終わってからしばらくボーっとして自転車で戻ってスーパー銭湯に入ってきていい湯だな。

距離的には片道5キロで往復10キロと短かったですが、なだらかな坂が地味にあって疲れました。

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葉室麟 『神剣 人斬り彦斎』

2024-11-11 | Weblog

まだ確定ではありませんが、おそらく来年には転職して、その際に引っ越すかもしれません。今から引っ越す予定の市の物件情報を見てどこがいいかなーなんてけっこう楽しんでます。ただ問題がありまして、家にある本をどうしようかなと考えてます。いっそのこと全部売っちゃおうかと思ったのですが、今まで読んだ本は自分の人生の一部、血と肉、といってはオーバーですが、少なくとも人生に楽しみと彩りを与えてくれたことは間違いないので、今のところは引っ越し先に持って行く予定でいます。もっとも今より歳を取ってヨボヨボになっちゃったらさすがに売ろうかと。

以上、歳は取りたくないですねえ。

 

さて、葉室麟さん。タイトルの「人斬り」とは幕末の不穏な情勢の中で活躍?した名うてのヒットマン、ヒットマンは銃ですが、幕末なら刀ですね。

物語は、幕末におきた大事件「桜田門外の変」から始まります。井伊直弼を殺害した浪士のうち何人かは細川越中守の屋敷に向かいます。そこに出てきたのは若い茶坊主で、彼らから井伊大老を斬ってきたと告げると「あなたがたはまことの義士です」と褒め称えます。傷の手当や食事、酒までも用意してくれて浪士たちは感動し、名を訊くと「川上彦斎」と名乗ります。

この彦斎、天保年間に肥後国、熊本藩に生まれ、十歳で養子に出され、茶坊主になります。剣術は道場で習わず、独学で習得します。先述の桜田門外の変より十年ほど前、彦斎は熊本である男と出会います。長州藩士で九州を遊学しているという吉田寅次郎。藩の兵学師範の家に行くと、話題はアヘン戦争に。欧米列強に好き勝手にされてしまった清国のように日本もされてしまうのでは、そうなる前に備えがなければ、といった熱いトークに彦斎は影響されます。吉田寅次郎とは、のちの吉田松陰。日本史でおなじみ「安政の大獄」で吉田松陰は危険思想の持ち主とされて江戸で獄中死します。

彦斎は京都へ。このときに他の「人斬り」で有名な岡田以蔵、中村半次郎、田中新兵衛らと遭遇します。そして、日本史でおなじみのメンバーと会ったりしてます。当時のゴタゴタに何かしら関わっていて、長州へ行ったりと大忙し。

なんだかんだいろいろあって彦斎は明治になるまで生き残って最終的には処刑されるのですが、新しい時代とは彦斎の求めていたものとは真逆のもので、蓋を開けてみたら政治体制から軍隊まで何から何まで外国をお手本にして、天皇が国家のトップとはいえ「まるで薩長幕府やないか〜い!」とシャンパングラスで乾杯したくなっちゃうってなもんです。

自分が斬った佐久間象山の理想とした国家になってしまうのか、高杉晋作の言っていた「あなたの望むような将来は来ないよ」なのか・・・

この時代のトレンドだった「尊王攘夷」とは、天皇を尊ぶ尊王論と外国を斥けようとする攘夷論が合体した思想で、もう徳川幕府も限界だったので新しい政治体制にならないと海の向こうの大陸のように大変なことになっちゃうよ、といったもので、賛成側も反対側も武士ならではの解決方法、つまり相手を斬って殺害するという血なまぐさいナントカの変だとかナントカ事件だとかがあちこちで起こります。さすがに市中で銃をパンパン撃つわけにはいかないので、そうなってきますと「人斬り」が重宝されるわけですね。

しかし不思議なもので、葉室麟さんが書くと血生臭さがあまりないといいますか、ああこれが直木賞の某選考委員の「文章が清廉」ってことか・・・

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井上靖 『後白河院』

2024-10-29 | 日本人作家 あ

もう十月も終わりですね。今年もあと二ヶ月「しかない」のか「もある」のか、コップの中に水が半分ってやつですね。物事を悲観的に見るのも楽観的に見るのも結局は自分次第なんだってことですか。とはいえ精神的に余裕がないと気持ちの切り替えすらできないというケースもありますので「結局は自分次第」って人によっては重い言葉になってしまいます。気をつけないといけませんね。

以上、はりきっていきましょう。

さて、井上靖さん。今年の大河ドラマが紫式部で、この作品はそのちょっと後になりますね。『後白河院』は歴史だと後白河法皇という名前で出ていることが多いと思いますが、まずその前に天皇が存命中に譲位したら上皇になります。で、上皇になって出家したら法皇になります。法皇が上皇より上というわけではありません。

 

後白河院の六代前の後三条天皇の前までは、貴族の藤原氏が天皇家と縁戚関係になって天皇が幼いときに摂政、大人になると関白となって「摂関政治」と呼ばれ、政治の実権を握るようになります。しかしその栄華も続かず親戚関係が途絶えてしまうと、後三条天皇は藤原氏の権力を天皇の管轄にしていきます。そして後三条天皇の皇子の白河天皇が即位、さらに白河天皇は皇位を譲ったあとに上皇になります。この時代あたりから、摂関政治から「院政」へと政治形態が変わります。

 

そして鳥羽天皇が崇徳天皇に譲位して上皇になり、ここからがものすごく複雑でめんどくさいのですが、長期実権を目論んだ鳥羽上皇はまだ三歳の近衛天皇を即位させて崇徳天皇が譲位して崇徳上皇に、そして鳥羽上皇は鳥羽法皇になります。近衛天皇というのは鳥羽法皇の実子なのですが崇徳上皇にとっては異母弟で、崇徳上皇の養子になります。しかし病弱でわずか十七歳で亡くなると、鳥羽法皇の四男の雅仁親王が後白河天皇になります。こうなると崇徳上皇はいつまでたっても自分に実権が回ってこないので後白河天皇と対立します。これが「保元の乱」で、このときに実際に対決したのは武士で、それまで政治のゴタゴタは時間がかかってドロドロしたものでしたが、武士の対決だとあっという間に勝敗が決まって崇徳上皇側が負けて島流し。勝った後白河天皇側についた平清盛と源義朝は存在感が増していきます。

 

ところが、後白河天皇が守仁親王に譲位して後白河上皇、守仁親王は二条天皇になると今度は後白河派と二条派が対立。これが「平治の乱」で、日本史でおなじみの、平清盛が勝って源義朝が負けて息子の頼朝は伊豆に流され、清盛は太政大臣に出世、自分の娘を天皇に嫁がせてとかつての藤原氏みたいなことになります。例の「平家にあらずんばズンバドゥビドゥバー」でしたっけ、ちなみにこのとき清盛は二条派になって後白河上皇は寺に逼塞します。

しかしここで終わらないのが後白河、二条派の政権が危うくなると清盛がさらに力こそパワーとなりますが、世間ではアンチ平家の機運が高まってきて「鹿ケ谷の陰謀」と呼ばれるクーデターが起きますが首謀者が後白河院で幽閉されてしまい・・・と、まあツラツラと書いていくときりが無いのでここらへんにしますが、この作品はあくまでも後白河院が中心ですので、清盛の死、木曽義仲の都入りや頼朝が東国で力をつけてきて、そして義経が逃げる平氏を追いつめて、その義経が頼朝に追われ・・・というあたりはサラッと紹介しているくらい。

物語の構成は、近くにいた人たちの証言というか回想といった形式になっていて、途中で一人称が変わって「あれ?」となったのですが、証言者が変わったと気付きました。皇室は「禁裏」というくらいですから何重にもベールに覆われて実情みたいなのは知らされていませんし、さらに千年前。徳川家康とかもそうですが、最終的に生き残るのってすごいですよね。

 

 

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久しぶりの自転車で妄想オランダ旅行

2024-10-21 | 自転車
久しぶりの自転車ブログです。
 
愛車のルノーでオランダへ。風車です。
オランダといえばポルダー(干拓地)。
ラベンダーランドに着きました。ローズガーデンも。
 
来る途中でベーカリーに寄ってパンを買って、ミルクティーといっしょにベンチに座ってランチ。ベンチもラベンダー色。
冷たい風が強くなってきて小雨もパラッと降ってきたので、とっとと帰ります。
ついでに風車の裏側。金土日と祝日は風車の中が見学可能なんですって。
・・・はい。妄想オランダ旅行です。おしまい。
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ディーン・クーンツ 『何ものも恐れるな』

2024-10-09 | 海外作家 カ
10月です。関東南部はあっという間に涼しくなってしまいました。朝晩は肌寒いくらい。お鍋や煮物の美味しい季節ですね。オーブン料理もいいですね。暑い時期にはオーブンを加熱してるときに台所にいるのも嫌ですから料理好きには良い季節。梅雨とか夏場は食材が傷んだり腐ったりカビはえたりして管理も大変だし仕事に持っていくお弁当も気を使うし。夏が終わった途端に文句です。ま、冬が終わっても寒いことの文句をタラタラ言うんでしょうけど。

以上、一年中文句。

さて、ディーン・クーンツ。最後に読んだのはいつ以来だろうと当ブログを見てみたらなんと2013年。個人的に好きな海外作家として挙げているのに10年以上も読んでないとは放置プレイにもほどがあります。

ムーンライト・ベイという町に住む28歳のクリスという青年は、愛犬オーソンと寝ていたときに病院から電話で父親がガンで死亡したという知らせを受けます。じつは2年前に母親も事故で亡くなっています。夜中なのですが、クリスは外に出るのにサングラスをかけます。というのも、クリスは紫外線を長時間浴びると皮膚ガンになったり失明するという特異体質で、通常は短命なのですが、20年以上生きるのは(ごくまれ)なのだそう。

葬儀場の職員が来て、クリスは霊安室の外にいると、中から意味のわからない会話が。「この男はいったい誰だ?」「浮浪者だ」「こんなところで・・・」「頼むから始末をつけてくれないか」クリスは気になって中をそっと見たらベッドには父親ではないスキンヘッドの大男が。葬儀場に着いて「父親の顔を見せてください」と頼んでも「いやもう火葬の準備に入ってしまって・・・」というので、これはおかしいと思い、隙をみて遺体の布をめくるとスキンヘッドの大男。クリスは葬儀場から逃げ出します。家に戻ろうとすると怪しい車が自分を追っているのに気づきます。家に戻って留守番電話を聞くと、父の看護師のアンジェラから「話があるの、必ず来て」と伝言が。家の中にオーソンがいないので探すと庭を一心不乱に掘っていて、呼びかけても振り向きません。様子がおかしいと思いつつも出かける支度をしようとクリスの部屋に入るとベッドの上に父の銃が。なぜこんなところに?と不思議がるクリスでしたが銃をポケットに入れてアンジェラの家へ。

そこでアンジェラから夫が自殺した原因、謎の猿が家の中に入ってきて襲われそうになった、などという話を聞きますが、核心部分になると黙ります。ある書類を持ってくるとアンジェラが2階に行くと大きな音が。クリスは2階に行くと、そこには首を切られたアンジェラが・・・

犯人はまだ家の中にいるはずですがなんとか外に出て家に火を付けて逃げます。それからも、親友ボビーの家にも奇妙な猿が来ていたり、葬儀場の職員が教会の神父を殴っていたり、警察署長に呼び止められてピストルを向けられて「中にはいるんだ、クリス」と脅されて・・・

ムーンライト・ベイではなにが起こっているというのか。話を聞いていくと、どうやた母親が生前に研究していたことと米軍の基地になにか関係が。

久しぶりにクーンツを読みましたが、相変わらずなんともいえないB級ホラーのテイスト満載で面白かったです。翻訳は賛否の分かれる「超訳」ですが勢いがあってクーンツの「味」を損なってないように感じました。ただ、ちょっと気になったのが、ネタバレになりますがクリスが警察署長を銃で撃って、それを他の人に言うと「お前は保安官を撃った」と署長ではなく保安官と言い換えたのでクリスは「ああ、俺は保安官を撃った、保安官助手ではないからな、念のため」という会話の部分で、これはボブ・マーリーの曲でエリック・クラプトンのカバーで有名な「アイ・ショット・ザ・シェリフ」の歌詞なのですが、それについて触れてないので、あえて触れずに「分かる人には分かる」という意味なのですかね。
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髙田郁 『花だより みをつくし料理帖特別巻』

2024-09-11 | 日本人作家 た
スーパーやコンビニに行くと秋限定などの商品が並ぶようになりましたね。とはいえまだまだ暑いので秋を楽しむのはもうちょっと先。読書の秋とはいいますが、夏の暑さからようやく開放されて涼しくなると夜の眠りが深くなって、寝る前の小一時間が読書タイムなのに布団に入ったらすぐコテンといってしまってあまり読めなくなります。

以上、読書時間の確保の難しさ。

さて、髙田郁さん。「みをつくし料理帖」シリーズも「あきない世傅金と銀」シリーズも読み終わって、と思っていたら「みをつくし料理帖」の見たこと無いタイトルがあるのをどこかの本屋で見かけて家に帰ってきて調べたら続編というか特別編が出てたということを知ったわけであります。

澪が医師の永田源斉と夫婦になって大坂に引っ越して四年、「つる家」の主人、種市は風邪を引いて寝込んでいます。ところが具合が悪いのは風邪のせいばかりではなく、ある朝、倒れていた老人を助けると、その老人は易をやる水原東西と名乗ります。はてどこかで聞いた名前だと種市は思いますが、その老人が助けてくれたお礼に種市を占うと、なんと来年までは生きられないと言うのです。そこで、澪といっしょに大坂から江戸へ出てきた芳に老人のことを尋ねると、澪に「雲外蒼天」、野江に「旭日昇天」と占ったのはたしか水原東西とかいう名前だといいます。一方「つる家」の常連客の坂村堂と戯作者の清右衛門も浮かない顔。なんでも清右衛門が「書く気がおきない」というのです。大坂の話が出たときに種市が「澪に会いてえな」とつぶやくと急に清右衛門が「大坂に行く」と言い出して・・・という表題作「花だより 愛し浅蜊佃煮」。

御膳奉行の小野寺数馬に嫁いだ乙緒は、数馬の妹から、じつは兄は女の料理人とお互いに想いあっていたのですがわけあって別れたということを聞き、そういえば数馬はなぜこんな面白みのない私みたいな女との縁談を受けたのか気になってしまいます。そこで思い出したのが、乙緒の姑つまり数馬の母から教えてもらった「岡太夫」という菓子。そして、もしふたりの間に溝ができたと感じたなら、数馬に「岡太夫が食べたい」とお願いしなさいと・・・という「涼風あり その名は岡太夫」。

日頃の殺生の戒めで魚や鳥などの生き物を放って故人の冥福を祈る「放生会」の日、大坂、高麗橋通りにある「淡路屋」の女主人、野江は、鳥籠から燕を放ち、又次、又次、堪忍な、と手を合わせます。数日後、江戸の摂津屋の旦那から文が届きます。さっそく、北鍋屋町にある診療所兼料理屋「みをつくし」に出向いた野江は二階で休んでる摂津屋に会います。大坂には「女名前禁止」という商い上の決まりがあり、女性は主人にはなれないのですが、主人が急死して家に残ったのが妻や娘の女だけという場合、特別に三年に限り暫定で女性が主人になることができ、今年がその三年目。摂津屋から番頭の辰蔵を婿にして店主にどうかと勧められますが野江は黙ったまま。すると摂津屋が「お前、又次のことを」・・・という「秋燕 明日の唐汁」。

大坂、北鍋屋町の「みをつくし」は長いことお休みしています。西日本に広がった原因不明の死に至る恐ろしい病で澪と源斉の住む診療所兼料理屋の家主がその病で亡くなり、別の家主に変わって「出ていってほしい」と立ち退きを迫られているのです。大流行した病は終息しましたが源斉は病人の治療に大忙しだったので寝込んでしまいます。体調が悪いのはもちろんですが、謎の病で誰一人救うことができなかったことで自責の念にかられて気鬱状態になっているようで、なんとか食べてもらおうと澪はいろいろ作りますがひと口ふた口食べるだけ。そこで澪は源斉の母親に手紙を出して・・・という「月の船を漕ぐ 病知らず」。

だいぶ前にこのシリーズを読み終わって、いろいろ忘れちゃってるかなと思いましたが、けっこう覚えているもんです。ただもう一度読み返したくなりました。
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安部龍太郎 『開陽丸、北へ 徳川海軍の興亡』

2024-09-05 | 日本人作家 あ
八月が終わってしまいました、ということは一年の三分の二が終わってしまったのです。なんだか某政治家構文みたいになってしまいましたが。我が家には猫がおりまして、寒い時期には寝るときにベッドで人間にくっついて寝るのですが、暑くなってくると廊下や風呂場など涼しい場所で寝てまして、それが数日前からベッドに乗ってきて足元で寝るようになってきたのですが、まあ多少は涼しくなってきたということなんでしょうね。

以上、動物の本能。

さて、安部龍太郎さん。歴史小説というと戦国時代か幕末が多いのですが、シンプルにこの時代が面白いということなのでしょうけど、大河ドラマもそうですが、過去に放送されたのは戦国と幕末が半分以上なのだそうで、まあ伊達政宗とか坂本龍馬とかカッコいいですもんね。

ペリーが日本に来て十年ちょっと、海防の強化を急いだ当時の幕府が、オランダに軍艦の造船を依頼し、その船は開陽丸と名付けられます。その船に乗ってオランダ留学から帰国したのが艦長の榎本武揚と副艦長の沢太郎左衛門。ところが帰国した半年後には大政奉還、つまり江戸幕府が終わります。開陽丸は新しく開港したばかりの兵庫港に停泊している欧米の軍艦や商船を監視するために大阪湾にいます。ちょうどこの頃、薩長と朝廷の新政府が徳川家の処遇を決めていて、なんとか徳川家がいち大名家に留まることになります。ところが江戸では薩摩藩士を筆頭に倒幕派と称する浪人たちが乱暴狼藉を行います。鳥羽・伏見の戦いで幕府側が朝敵となり、時の将軍徳川慶喜は大阪城から脱走して開陽丸で逃亡します。それからのゴタゴタをぜんぶ書いているとキリがないので、なんだかんだで無血開城、そして上野戦争となります。そこでも負けて開陽丸はほかの幕府所有の軍艦といっしょに東北へ向かうのですが、途中で嵐に遭い・・・

史実のとおりにいきますと、このあと東北でも仙台藩が新政府側について負けて、敗残兵を乗せた船は蝦夷の箱館(函館)へ。そこでまた嵐に遭って沈没するのですが、じつはこの物語の冒頭、昭和五十一年に行われた開陽丸の引き上げ作業が行われ、そこに南雲さわという八十近いおばあさんが作業を見守っている、というシーンからはじまるのです。さわがまだ小さい頃に祖母の富子から開陽丸のことをよく聞いていていました。太郎左衛門がまだ貧乏御家人の息子だったころ、隣に住んでいた御家人の娘、南雲富子と夫婦になる約束をしていたのですが、富子の母が病気になり、太郎左衛門もオランダ留学が決まって延期となります。しかし留学から帰ってきたら南雲家は一家ごといなくなっています。はたして二人は・・・というロマンスの話もあります。ちょっとタイタニックっぽいですね。ラストシーンに思わず涙。

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西條奈加 『ごんたくれ』

2024-08-17 | 日本人作家 さ
「暦の上では秋」と書いたところで気休めにもならないとは分かっていながらもつい書いてしまいます。鎌倉時代の「徒然草」に「家の作りやうは、夏をむねとすべし(家を作るときは夏の住みやすさを優先させたほうがよい)」とあるように、暑いのと寒いのと比べたら寒いほうがまだ我慢できるということと、あとはたぶん家屋の耐久度も考えてのことなのでしょうね。まあ七百年前の夏は今よりも暑くはなかったんでしょうけど。

以上、吉田センパイのいうとおり。

さて、西條奈加さん。初めて読みました。

舞台は江戸後期の京の都。当代人気ナンバーワン絵師の円山応挙の家の前で、応挙の悪口を言っている者がいます。そこに出てきたのは若い侍。じつは若い侍は応挙の弟子。悪口をやめないので刀を抜こうとしたとき「彦太郎、何をしている!」と止めに入ったのはこの若い侍、彦太郎の兄弟子である幸之助。兄弟子は自己紹介をして、男の名前を聞くと「我が名は深山箏白!京随一の絵師!」と叫びますが、どこの誰かもわからず、彦太郎は相手を殴ってしまいます。
師の応挙が帰ってきて、先程の騒ぎのことを話すと、応挙は以前、池大雅の家を訪れたときに箏白の絵を見た、というのです。しかも、筆のうまさだけなら私より上かも」などというではありませんか。ところが、独創性に走って奇をてらい過ぎだ、といいます。しかし、たとえ師を馬鹿にされたとはいえ殴ったことは良くないので彦太郎に謝ってこいといいます。

箏白の住んでいる長屋で住民らしき人に絵師は住んでいますかと尋ねると「あの、ごんたくれか」と吐き捨てるようにいいます。ごんたくれとは、浄瑠璃や歌舞伎の「義経千本桜」に出てくる「いがみの権太」という嫌われ者からきているそうで、じつは彦太郎も子どもの頃にそう呼ばれてたことを思い出します。深山箏白は号(芸名)で名は豊蔵。
豊蔵は留守で、勝手に中に入ると部屋じゅう絵がいっぱい。その画力に彦太郎は圧倒されます。そこに豊蔵が帰ってきて、殴ったお詫びで銭を渡すと「一緒に出かけよう」と誘います。着いた先は茶店で、声を掛けると中から女が出てきます。じつはこの女も絵師でお町、号は玉瀾。豊蔵は奥の部屋にいた男に「秋平さん邪魔するで」と声をかけます。この男こそ、円山応挙と人気を二分する人気絵師、池大雅だったのです。四人は意気投合し宴会が始まります。豊蔵が帰ったあと、お町が「あの人があんなに心を開いたのはめずらしい」と感心します。しかしこの翌年、池大雅は急死します。豊蔵は行き先も告げず旅に出ます。

それから十年、彦太郎は師の代理として南紀白浜にいます。今では吉村胡雪という号で、京の都では有名になり、遠方からの仕事の依頼は彦太郎が受け持つことが多くなっています。都から有名絵師がやって来たとあって仕事依頼が舞い込んで、南紀串本の寺の襖絵を書くために滞在していると、なんとそこに豊蔵が。伊勢から白浜へ行くと応挙の弟子が来ていると噂を聞いてやって来たのです・・・

やがて、彦太郎こと吉村胡雪は兄弟子の幸之助(源琦)とともに応挙の両腕としてさらに有名になっていきますが、好事魔多し、なんと大坂で人妻と駆け落ちをして・・・

あとがきによれば、深山箏白と吉村胡雪はモデルとなった絵師がいるそうです。円山応挙と池大雅だけでなく、文中には名前だけですが与謝蕪村、その弟子でのちに四条派グループの代表となる月渓(呉春)、さらに伊藤若冲も登場して、江戸後期の化政文化と呼ばれるこの時代の京の都における絵師のスーパースターが続々登場して、そこまで絵画には興味なくても某お宝を鑑定するテレビ番組で聞いたことある名前ですね。なんといいますか、読んでてエンタテインメント性があってとてもワクワクしました。

西條奈加さん、とても読みやすく表現力も豊かで、またひとり好きな作家が増えてしまいました。
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