晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

井上ひさし 『四捨五入殺人事件』

2024-08-07 | 日本人作家 あ
オリンピックやってますね。ローマ教皇庁が開会式にクレーム入れたり選手村が暑くて食事がまずいとかセーヌ川が汚くてトライアスロンの選手が吐いたとか話題に事欠かないですが、それにしても柔道ってなんか毎大会揉めてますね。もともと柔道って武士が刀での斬り合いから身体を組んだ状態になっての戦い方で地面に背中をつく、または抑え込めたら相手を殺せるという考えで、それを嘉納治五郎という人がルールを決めて柔術から柔道になったので、まるでレスリングかラグビーのタックルみたいにしてきてとにかく相手を倒せばいいというのは、まあある意味「原点回帰」といえますよね。

以上、暗くてあったかいところが落ち着くのは胎内回帰。

さて、井上ひさしさん。この作品は本格ミステリ、っぽい作品です。

東北地方にある成郷という市に講演会へと向かう石上克二と藤川武臣というふたりの作家。宿泊する場所は、鬼哭(おになき)温泉。近くに鬼哭川が流れています。なぜこんな珍しい名前なのかというと、かつて年貢の取り立てがあまりに厳しいので鬼さえも泣いたとのいわれが。この日は大雨で、川が増水して橋を渡るのも怖いほどですがどうにか鬼哭温泉の旅館に到着します。旅館の女将は厳しい年貢の取り立てをしていたという領主の子孫。すると、鬼哭川の橋が流されてしまったとの知らせが。鬼哭温泉は三方が山に囲まれ鬼哭川にかかる橋からしか成郷市へは行けませんので、橋がないと陸の孤島状態。

藤川は温泉に入ろうとすると、中に女性が。女将かなと思ったのですが別人で女将の妹。この妹というのがヌードダンサーで、女将としては身内の恥。

話は変わってその夜、藤川はどこかから尺八の音を耳にします。すると「ぎゃーっ」という叫び声が。浴場に行ってみると、脱衣場に石上が倒れています。水をかけて目を覚ました石上に話を聞くと鬼を見たので気絶したというのです。浴場に入るガラス戸は内側から鍵がかかっていて、ガラスを割って中に入ってみると、そこには女将の死体が・・・

女将はなぜか石上の万年筆を握ったままになっています。これはいったいどういうことなのか。すると、今度は女将の妹が川から水死体で見つかったと・・・

本格ミステリ「っぽい」と書いたのは、オチがまさにその通り。
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阿部龍太郎 『葉隠物語』

2024-08-04 | 日本人作家 あ
暑いです。と書いたところで涼しくなるわけでもありませんが。健康のために週に二、三日ほどウォーキングをやってまして、といっても雨の日と、それからこの二ヶ月ほどは熱中症になりたくないので控えてます。じゃあ夜中か早朝にやればいいだろという話なんですが、こう暑いと睡眠時間が短いので涼しいときにしっかり寝ないと。自転車にも乗れてませんね。はやく涼しくなってほしいものです。

以上、運動不足。

さて、阿部龍太郎さん。この作品は、現在の佐賀県、肥前佐賀藩(鍋島藩)に伝わる武士の心得が書かれた書物「葉隠」の誕生秘話、内容の説明が短編形式で描かれています。まず序章で、佐賀藩士の田代陣基が藩のゴタゴタに巻き込まれて「こうなったら腹でも切ってやる」となりますが、その前に会っておきたい人がいて、その人の庵に行きます。その人物とは山本神右衛門。二代藩主鍋島光茂に仕え、古今和歌集を丸暗記していたことで、光茂が生前古今伝授を受けることができた立役者。光茂の死後、出家して常朝と名乗って山奥に庵を結んで隠遁生活。陣基は腹を切るのをやめて常朝に弟子入りします。

戦国末期、肥前を治めていたのは龍造寺家で、佐賀藩の藩祖、鍋島直茂は家臣でした。しかし直茂が実権を握って豊臣秀吉の後ろ盾で肥前の領主に。朝鮮出兵、関ヶ原の合戦、江戸幕府、島原の乱、出島の防衛など歴史上の出来事に鍋島家がどう関わったのか。有名な化け猫騒動も出てきます。

古今伝授とは、宮中に伝わる和歌の秘伝奥義で、武士で古今伝授を受けた有名人といえば細川幽斎。光茂が古今伝授を受けたのは戦乱の世も終わり武士は武断派から文治派へとシフトチェンジしなければならなくなったちょうど転換期で、後世の評価では光茂は先見の明があったとされていますが、しかし藩の財政が苦しい中で立派な書庫を作ったり風雅な別邸を作ったりして、家臣や領民に目は向いていなかったようです。

それと、光茂のもうひとつ大きな功績が「追腹禁止令」。殿が亡くなったら追腹といって、まあようは後追い自殺をするんですが、初代藩主勝茂が亡くなったときには三十名以上の藩士が追腹をして、当然中には有能な方もいたわけで、これじゃちゃんと継承できないじゃんというわけで「お前らやるなよ」となります。それが幕府の耳に入って全国的に追腹が禁止となります。

葉隠が誕生したときからおよそ三百年後、佐賀県生まれの有名人が公表してないと歌われたり、全国一マイナーな県に選ばれたり、佐賀は笑いや自虐のネタになってますが、個人的にすごく行ってみたい場所です。そういえば、佐賀は長崎と福岡の途中でにあって、昔は砂糖が運ばれた「砂糖街道」なるものがあり、その影響なのか佐賀の料理は味付けがとても甘く、他県から来た嫁が作った料理を姑が食べて「長崎の遠かね」長崎から遠い、つまり砂糖が足りない(ケチくさい)と嫌味を言うそうな。性格悪いですね。

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津本陽 『深重の海』

2024-07-26 | 日本人作家 た
暑いですね。そういえば去年ですか、けっこう安いひんやり敷きパッドをオンラインショップで購入したのですが、それで寝てもあまりひんやりしないので使ってなかったのですが九月に入って涼しくなってきてその敷きパッドを使ったらものすごい快眠できたのです。今年もその敷きパッドはいちばん暑い時期には使用せず涼しくなったら使う予定です。なんか違うような気がしますがまあいいです。

以上、買い物失敗とは認めません。

さて、津本陽さん。宇江佐真理さんの「深尾くれない」だったと記憶してるのですが、あとがきでこの歴史上の人物を描くのにふさわしいのは津本陽さんかな、みたいなことが書いてあったような。機会があったら読んでみたいなと思いつつ、はじめて読みました。この作品は直木賞受賞作。

江戸時代が終わって明治という新しい元号になって十年ちょっと、紀伊半島の南東にある太地村はまさに「陸の孤島」で人口三千人が肩寄せ合ってくらす漁村。年間に収穫できる米はおよそ百石ほどで、村民の主な現金収入は鯨漁。かつては鯨が大漁で、今でいう漁協の代表である鯨方棟梁の和田家は井原西鶴の「日本永代蔵」に日本十大分限者(資産家)のひとりとして書かれたほどですが、ここ最近は不漁で鯨が獲れず、和田家は金策に走り回り、北海道に鯨がいっぱいいるよと聞いて休漁期に出稼ぎに北海道に行くための資金を調達しようと必死ですが貸してくれる相手はなかなか見つかりません。

まだこの当時の鯨漁は、そこまで大きくはない木造の小舟二十艘ほどで鯨の周囲に向かっていき、銛を何本も打って(そのうち、急所を狙う)血抜きをして陸まで引っ張って、といった命がけの漁。ダンプカーにママチャリで勝負を挑むようなもの。それでも1頭仕留めれば二〜三千円になるのでまさに一攫千金。今で言う大間の本マグロ漁みたいですね。この紀伊半島の南部の沖には黒潮が流れていて、沖まで出て海流に乗ってしまうと人力で解するのは難しく、そのまま駿河、伊豆方面に流されてしまいます。

しばらく鯨が獲れない期間が続いて、ようやく群れを見つけて、よっしゃーと沖に出て格闘の末に仕留めたのですが気がついたら黒潮に乗ってしまい、せっかく仕留めた鯨をリリースしてしまい何十人も亡くなるという海難事故が発生してしまいます。なんとか生き残って帰ってきた者もいたのですが、なんと伊豆諸島の神津島まで流されます。
一方、金策チームは東京へ出て大金持ちを紹介してもらうのですが、じつはここ近年の鯨の不漁は、欧米の捕鯨船が日本近海まで来てゴッソリ取っていく、ということを知って・・・

江戸から明治に時代が変わる大転換期で、それまでのスタイルが全く通用しなくなり、文明開化という言葉の下でいかに多くの「文化」が滅んでいったか。百年後の人間が「古い文化の滅亡はいわば必然でうんぬんかんぬん」といってもその真っ只中にいた人たちにとってはまさに生きるか死ぬかであって、なんといいますか、ひとつの文化の消滅は「滅びの美学」とはまたちょっと違うんですが、この物語の漁師たちの全力で死に向かって生きているそのパワーはビシビシ伝わってくるようでした。
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ケイト・モートン 『湖畔荘』

2024-07-14 | 海外作家 マ
先月の投稿が一冊だけで、あんまり本を読めてません。それに加えて関東南部ではまだ梅雨も終わってないというのに暑苦しい日が続いてくたばっております。「梅雨寒」とか「冷夏」なんて言葉はもう今後は無いのでしょうかね。まだ人生で一度も夏バテというのを経験したことがないのはラッキーというかありがたいですが、今後もならないとは言い切れませんからね。気をつけます。

以上、クーラーをつけましょう。

さて、ケイト・モートン。オーストラリア出身の作家さんでデビューから現在まで7作品、うち日本語訳されて日本で出版されたのが4作品。これで日本語訳された作品は全部読みました。原文でもいいんですが、さすがに原文を読む気力も知力もありません。

話は1933年、イギリスのコーンウォールからはじまります。湖畔荘と呼ばれる屋敷に、エダヴェイン家が住んでいて、父アンソニー、母エレナ、長女のデボラ、次女のアリス、三女のクレメンタイン、そして長男のセオ。もともとエレナの家系はコーンウォールの名士で、湖畔荘もエレナの家系の所有。

時代はだいぶ進んで2003年、ロンドン警視庁の刑事、セイディ・スパロウは休暇で祖父の住むコーンウォールにいます。じつはセイディは幼い女の子が行方不明になった事件で新聞記者に情報をリークしてしまい、上層部はリークした人物を探していますが、セイディの上司は気づいて「しばらくどこかに行ってろ」というわけで、祖父には休暇とウソをついてしばらくいることに。ある日、犬の散歩で森の中に入っていくと、湖沿いに長い間放置されてたと思われるお屋敷を見つけます。そのことを家に帰って祖父に告げるとエダヴェイン家の地所でローアンネス(コーンウォール方言で「湖の家」)だと教えてもらい、さらにあの家でだいぶ昔に赤ちゃんが行方不明になったという事件があったと聞かされます。
セイディは地元の図書館へ行くと、展示コーナーにミステリ作家アリス・エダヴェインの作品がずらりとあって「地元出身の作家、新作間近」と書かれたポスターを目にします。

話は変わって2003年のロンドン、ミステリ作家のアリス・エダヴェインの家に手紙が届きます。差出人はスパロウという名の警察官、じつはアリスのファンの中には現役の警官が多く、はじめはファンレターと思ったのですが、内容は1930年代のコーンウォールのお屋敷で起きた未解決事件に関するもの。
セイディは1930年代にローアンネスで起きた「事件」を調べます。それは、あの屋敷でパーティーがあった夜、家に戻るとまだ1歳になってない赤ん坊のセオがベッドからいなくなっていて、当時は警察も大々的に捜索をしたのですが見つからなかった、というのです。

その事件の捜索に加わった元警官がコーンウォールにまだ住んでいると聞いたセイディは連絡を取って家に行きます。セイディも幼い女の子が行方不明の未解決事件に深く関わっていたこともあってか、70年前の事件が気になっています。はたして70年前の事件の真相とは・・・

単行本(上下巻)で読んだのですが、上巻がなかなか読み進められなくて、ケイト・モートンの作品に共通する現在と過去がいったりきたりする展開が今回は途中で頭がこんがらがってしまって、じっさいかなり複雑な構成になってまして上巻を読み終わるまでだいぶ時間がかかってしまいましたが、下巻に入っていろいろな謎がわかってきてからはサーッと読み進めることができました。そして終盤になってきて、なんといいますか、あくまでこちらの勝手なイメージですが、なんかディケンズっぽいな、と思ってしまいました。もちろんいい意味で。
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井上ひさし 『不忠臣蔵』

2024-06-10 | 日本人作家 あ
気がつけばもう六月。今年に入ってそれなりに充実した時間を送っているので時が過ぎるのが早いとはあまり感じませんね。年齢を重ねると時が過ぎるのが早く感じるのを「ジャネーの法則」といって、堅苦しい言い方をすれば「人生のある時期に感じる時間の長さは年齢の逆数に比例する」ということだそうです。あくまで(感じる)であってそこらへんはひとそれぞれですからね。そんなんじゃねー、などとくだらないダジャレを言いたがるのは確実に年を取った証拠です。

以上、年は取りたくないですね。

さて、井上ひさしさん。もうタイトルからして面白そう。

「忠臣蔵」といえば雪の夜に消防士のコスプレをした人たちが他人の家の門をぶっ壊して中にいたおじいさんを殺害するという、これだけザックリ書くとちょっと頭のアレな人たちの話になってしまいますが、四十七士といいますが、じつはけっこう直前まで脱退者が多くて、招待状のご出席・ご欠席のところの(ご)に二重線を、(欠席)にマルをつけて、みたいなことをした元赤穂藩士がいたわけですね。
この時代は庶民の間に閉塞感といいますか、なんかいやな時代だなアとため息もつきたくなるようなもんで、特に「生類憐みの令」は日本史上に燦然と輝く天下の悪法として有名ですが、現代的解釈だとあれは動物愛護法の先駆けとして考え方としては素晴らしい、だたちょっとやり過ぎた(最終的に蚊や蝿にも及んだ)、そんな中で、勧善懲悪のスーパーヒーローアイドルグループAKO47(エーケーオーフォーティーセブン)が登場して、当時の人たちの熱狂ぶりはすごかったようで、となると、このイベントに参加しなかった人たちは不忠者、卑怯者、人でなしなどと蔑まれていたとか。
しかしそんな彼らにも事情があったわけで、そんな十九人を描いています。ひとりひとりを紹介すると大変なのでかいつまんで書くと、中にはみずから嫌われ役になることを買って出て参加しなかった者、例えば第一陣が不首尾に終わった場合の第二陣、それから頼まれて遠方に行ってて当日に江戸にいなかった、こういうケースもあったわけで、これらの人たちはつまり参加したくても物理的あるいは時間的な問題でできなかったわけですね。のちに調べたらそういう事情があったのねと判明しますが、そもそも釈明する機会も与えてもらえません。

だいたい殿様からして「この間の遺恨覚えたか!」とかいうくらいならなぜ脇差しなんかじゃなくて太刀で斬るか突き刺すかしなかったのか。殿中でそんなことをすればただちに切腹そして御家取り潰しになること必定で、「癇癪持ち」「短慮」でけっこうひどい目にあってたという家臣もいて、そんな「すぐキレるパワハラ社長」に忠臣もへったくれもありません。

資料や文献に基づいた部分と想像の部分とがうまい具合にミックスされてシリアスとユーモラスのちょうどよい加減になっています。そしてこの時代の脚本家や放送作家は歌舞伎、落語、浪曲、講談が素養としてあるので、読んでてリズミカルです。
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井上靖 『石濤』

2024-05-18 | 日本人作家 あ
いつの頃からかものすごい心配性になってしまい、出かけるときにカギ閉めたっけな、ストーブ消したっけな、と不安になって家に戻るのはしょっちゅうで、でも今までカギが開いてたりストーブが点けっぱなしだったことはないんですが。あとは特に「時間」ですね。仕事に行くのに職場までに通勤時間だいたい1時間くらいなんですが、2時間前には家を出ます。学校に行くのも10時なんですが8時半には最寄りの駅に着いて、早すぎるので駅前のカフェでコーヒー飲んで時間を潰します。遅刻するよりマシですからね。もう心配性っていうより不安神経症のレベルかもしれませんが。

以上、お父さんは心配性by岡田あーみんさん

さて、井上靖さん。この作品は短編集です。といっても物語というよりはエッセイというか紀行文というか。すべて晩年の作品。

ある日、出かけてて家に帰ると応接間に風呂敷包があって、開けてみると中国、清朝初期の画人、石濤の作品。お手伝いさんに聞くと、背の低い痩せた老人が置いていって数日後に取りに来る、というのですが、その老人はどこの誰か見当がつかず、約束の日になっても現れません。妙にその絵に惹きつけられて、夜になると絵を眺めながらウイスキーを飲んでいると、ちょうどその頃アレルギーの痒みに悩まされていたのですが、その絵を見ていると不思議と痒みがおさまります。そして絵を置いていった謎の老人と想像で会話をして・・・という表題作「石濤」。

シベリアのレナ川、オビ川、エニセイ川、そしてアフガニスタンのカブール川、など、川の思い出や行ってみたい場所について語る「川の畔り」。

また川の思い出話なのですが、インダス川の話になったときに、急にジェラル・ウディンのことが浮かびます。13世紀はじめにアフガニスタン・イラン一帯を収めていた人物で、モンゴルの侵略で滅ぼされて、その後、ゲリラ戦でモンゴル軍と戦うのですが・・・という「炎」。

パキスタンのカラコルム山脈に行き、フンザを目指してジープに乗っていると、現地の少年がジープの後ろにしがみついて、それをはがそうとしたら、その少年の顔が孫に見えてきて・・・という「ゴー・オン・ボーイ」。

食道がんの手術をして、「老い」を意識するようになり、人生観が変わったというかそれまでの人生を出来事を見つめるように・・・という「生きる」。

年を取るというのは別にネガティブに捉えなくてもいいのでは、と思わせてくれます。


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安部龍太郎 『冬を待つ城』

2024-05-03 | 日本人作家 あ
前回の投稿が3月3日。ずいぶん間をあけてしまいました。反省してまーす、などとスノボの人も出てくるってなもんですが、もちろん忘れてたわけではなく読書から遠ざかってたわけでもありません。じつは今回投稿する作品の前にとある海外文学をずっと読んでたのですが、自分の読解力の無さを棚に上げては承知の上で、とにかく読みづらくて内容がぜんぜん頭に入ってこなく、でも途中でやめるのはよくないとなんとか最後まで読み切ったのですが、ただの苦行でした。はっきりいって辛かったです。つらたん。そういえばハッピーターンの激辛味で「つらターン」ってのがありますよね。まだ食べてないので今度買いましょう。

以上、お菓子の宣伝。

さて、安部龍太郎さん。けっこう読んでますね。お気に入りの作家の作品が書棚に増えていくと、なんだか嬉しいものです。

この話は、豊臣秀吉が北条家との戦いに勝利し、奥州では伊達や南部といった大名家も豊臣家に使えることになり、いよいよ天下統一となったのですが、東北各地で一揆などの反乱が起こります。秀吉側はこれを鎮圧するために大規模な軍勢を東北に送り込むことになるそうな・・・といったところから始まります。

東北、二戸の城主、九戸政実の弟、政則は、九戸家の四男として生まれ、幼い頃に仏門に入り、京で修行をするなどしたのち、長兄の政実の命により還俗し、久慈家に婿入りします。が、政則の兄政実も義父の久慈直治も南部氏の一門でありながら秀吉のやり方に反対し、正月参賀に行かないと決めます。このままでは九戸と南部が争うことになって共倒れになり、その隙をついて東北地方がまんまと豊臣家に掌握されてしまうことを恐れた政則は、仏門に入って修行した時代の師匠である薩天和尚に頼んで争いを避けるようにします。

しかし、政実は南部家と争うことを選ぶのです。秀吉と争ったところで勝ち目がないのは承知のはずの政実は、なぜそこまでして南部の下につくのを拒むのか。それは、秀吉が東北一帯の平定を終えたのちに朝鮮半島への出兵を計画していて、朝鮮半島の冬は大河も凍るほどの寒さなので、寒さに強い東北の領民たちを大々的に人狩りをして朝鮮に連れて行くという噂を聞いたからで、領民が安寧に過ごすことこそが城主の役目で、秀吉の考えに従うわけにはいかん、というわけ。それだけではなく、石田三成は東北にあるという(お宝)をどうしても手に入れたいようで・・・

東北地方は坂上田村麻呂の時代から蝦夷(征伐)と称して中央に蹂躙されてきた歴史があります。征伐といっても、別に悪いことはしていません。東北の雄大な自然とともに過ごしてきた蝦夷の末裔として中央に対するレジスタンス。文中ではファンタジーっぽい話もあったり。
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宇江佐真理 『酒田さ行ぐさげ』

2024-03-03 | 日本人作家 あ
ようやく寒さのピークが過ぎたと思ったら、今度は花粉症の季節です。じつは10年ほど前にだいぶ大人になっての花粉症デビューしまして、それまでは花粉症で苦しんでる人を見ては生活の乱れ、食事の栄養バランスが悪い、だから花粉症になるんだ自業自得だと下に見てたのですが、もう心の底からごめんなさい。

以上、反省してまーす。

さて、宇江佐真理さん。この作品はサブタイトルに「日本橋人情横丁」とあります。

日本橋富沢町にある「上総屋」は、葬儀で亡くなった人の形見の着物を加工して棺を覆う天蓋を作る店で、娘のおすぎはケチで他人の悪口が大好きな両親のことがいやだと考えるようになります。じっさい、手習所に通いたいと言ったときも「おなごに学問は必要ない」といって認めてくれず、といって同業者に娘の自慢をされて悔しくて急に「明日から手習所に行け」と言い出したり。ところがおすぎは「わたし行かない」と・・・という「浜町河岸夕景」。
北町奉行所の同心、戸田勝次郎は妻を亡くして一周忌が過ぎても後添えをもらう気になれずにいます。さらに気が滅入る御用を命じられます。それは、筆頭同心の森川が奉行所の金を持ち出して金貸しをしているという噂があり、それを調べてくれ、というもので・・・という「桜になびく」。
呉服屋「一文字屋」は、古びた狭い貸家に引っ越します。というのも、番頭が金を持ち逃げして一家は夜逃げ同然で引っ越したのです。近所に挨拶にまわっていると、裏店の長屋にお武家と思われる一家がいて、じつはかつて一文字屋で買ったことがあるというのですが・・・という「隣の聖人」。
花屋の「千花」の息子、幸太は、父の仕入れの手伝いで駒込や巣鴨まで行きますが、ある日のこと、仕入れに行った途中に蕎麦屋によって食べてると、知らない男が「滝蔵じゃねえか」と父の名前を呼び、父は「久しぶりです」といいます。こいつは倅で、などと話してその男は去りますが、父は幸太に「今日のことはおっ母にはいうんじゃねえぞ」と言われて・・・という「花屋の柳」。
蚊帳商「山里屋」大女将の美音は、近所の娘たちにお稽古ごとを教えています。じつは美音は武家の娘でしたが父が浪人になり、女中奉公に出て山里屋に嫁ぎます。さて、教え子のひとり、小普請組の娘のあさみが「本意ではない縁談はお断りしてもよいのか」と聞いてきて、なにごとかと思いますが、じつはあさみに還暦近い隠居の後添えにならないかという話があって・・・という「松葉緑」。
廻船問屋「網屋」の一番番頭、栄助は、掛け取りから戻るとお客が来ています。聞くと「酒田の番頭が江戸に来てる」といいます。じつはこの酒田の番頭とは権助といって栄助とは網屋に同じ時期に奉公に入った仲間でしたが、仕事が遅く失敗ばかりで支店の出羽の酒田に飛ばされたのです。栄助は権助の尻拭いをやらされてばかり迷惑だと思っていました。ところが、そんな権助はなんと酒田の店主になったというのです・・・という表題作「酒田さ行ぐさげ」。

江戸時代の日本橋といえば商業の中心地でしたが、メインストリートから一本裏に入ると、そこには裏店があり煮売屋があり銭湯があり、といった庶民の暮らしがありました。江戸というビッグシティのなかの武家や商家にフォーカスを当てた作品も好きですが、こういった市井の人々のハートウォーミングな作品はドラマチックな展開こそありませんが、年を取ってくると、こういうのがなんともいいですね。
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垣根涼介 『人生教習所』

2024-02-22 | 日本人作家 か
暦の上では春ということで、先日お散歩に行ったら梅がちらほらと咲いていました。桜は関東南部だと3月下旬には満開になってしまって入学式シーズンにはすでにサクラチルになっているといった温暖化ではありますが、そういえば南半球では季節が反対なので9月ごろが桜の季節になります。たとえ季節が反対の場所に植えられてもちゃんと春に咲くなんてずいぶん律儀な木だなと思いますが、ところで季節が反対の場所の最初の年ってどうだったんでしょうね。おそらく日本から苗を持っていってむこうで移植したんでしょうが、おや?って思ったのでしょうかね。

以上、木の気持ち。

さて、垣根涼介さん。ここ最近は歴史小説が多いですね。アウトロー的なシリーズものも面白いです。

小笠原に向かう船にある「共通の目的」を持った28名が乗っています。その目的とはセミナーなのですが、主旨に「新しい生き方の指針となるセミナーを行う」と、一見怪しい団体っぽいですが、主催の代表は元経団連会長で、途中で試験を行い、合格者には就職の支援もあります。応募したのは浅川太郎、19歳。現在は東京大学休学中。柏木真一、38歳。元ヤクザで現在は無職。森川由香、29歳。フリーのライター。物語のメインはこの3人と、あと竹崎という定年退職した人の4人が中心になってます。

まずは一次セミナーでいくつかの科目の講義を受けてレポートを提出し、中間試験を受けて合格者は二次セミナーへと進みます。二次セミナーに進んだ人はその後の最終試験はありますが、そこで不合格はないので、二次に進めば就職支援が受けられます。

最初の講義は「確率」。人生における確率というテーマで、レポートを提出します。他にも心理学や社会学といった講義があって、中間試験の合格者は父島から母島へ渡って二次せみなーへ。はたして何人が進めるのか・・・

セミナーの参加者は人生をやり直したい、再出発したい、自分探し、まあいろいろですが、こういったセミナーの是非はともかくとして、少なくとも現状に満足はしていないわけで、それを解決しようと行動に移せるということが大事ということですね。その第一歩の踏み出しがないと自暴自棄になって「誰でもよかった」になってしまいますからね。

これは個人的な話ですが、とあるホームレスや生活困窮者支援のNPOにボランティアに行ったことがあって、そこでは生活相談や健康相談といったのもやってまして、NPOの方とのお話でとても印象に残っているのが、「本当に助けが必要な人はこういう場所に来ない(来れない)人」という言葉で、たしかにそういった団体に相談に来る人はその時点で現状を変えたいと思っているわけですからね。
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安部龍太郎 『生きて候』

2024-02-11 | 日本人作家 あ
今年度の学校関係のテストやらレポートやらが全部終わって、ひとまずホッとしてます。いちおう卒業は今年の9月なのですが、履修期間の延長をして来年の3月を予定しています。すでに卒業に必要な単位は取ってしまってるので、あとはやり残した科目をいくつかやろうかなと。仕事と試験対策勉強以外は時間ができるので、思い切り本を読もうかと考えてますが、年間100冊はきびしいとしてもせめて月に5冊くらいは読みたいですね。

以上、今のところ積ん読はありません。

さて、安部龍太郎さん。この作品の主人公は倉橋長五郎政重。どなた?はじめは架空の人物かと思いましたが、実在の人物でした。

戦国末期、徳川家康の家臣である御先手組の槍奉行、倉橋長右衛門の養子である政重は、同じ御先手組の鉄砲組のひとりと対決しているところに長右衛門危篤の知らせが。政重にかけた言葉は「与えられた命は美しく使い切るように。生き急いでも死に急いでもならん」と言い残します。通夜が終わると政重と一緒に長右衛門から兵法を教わっていた戸田蔵人がやって来て一緒に酒を飲んでいるところに妹の友達の絹江が長右衛門の好きだった梅干しを運んできます。蔵人は絹江に一目惚れしますが、絹江は蔵人の父と政敵、岡部庄八の娘。そこに本多佐渡守正信がやって来ます。正信は政重の実の父親。政重はなぜ自分が倉橋家に養子に出されたのか理由を知りません。

葬儀の日、江戸にいた重臣はもちろん、榊原康政、井伊直政、本多忠勝といった徳川四天王が使者をよこすだけでなくなんと家康自身も弔問に訪れ、あらためて長右衛門の偉大さに感じ入ってるところに本多正純が話があるといってきます。正純は正信の息子、政重にとっては異母兄。政重に本多に戻ることを断った理由を聞いてきます。すでに理由は正信に話していたのですが、正純は大番頭で一万石として迎え入れるから戻ってきてくれと誘うのです。家康が江戸に入城してはや七年、家臣団の中で正信と正純が苦しい立場に追い込まれていることは政重も知っています。戦場で目立った活躍もしてないのに家康から目をかけられていることを四天王や武断派は良く思ってなく「腸腐れ」「佐渡の腰抜け」と罵るほど。そんな中にあって武断派内で政重の評価は非常に高く、正信と正純にとっては喉から手が出るほど戻ってきてほしいのです。

ある日のこと、戸田蔵人の父親が岡部庄八と対決し、斬られて絶命したという衝撃のニュースを聞いて政重は蔵人の家に行きますが扉は閉ざされています。ところがこの一件は喧嘩両成敗にならず戸田が賄賂をもらっていたとして所領没収と江戸追放、岡部は何もなし。賄賂というのはもちろんでっち上げでこれに不満を持った蔵人は家に立て籠もることに。このままでは総攻撃になるので政重は蔵人を訪ねて勝負を挑みます。実力は互角、そのうち政重は死なすのが惜しくなり勝負をやめて「考えがある」といって蔵人が火薬庫に入って自爆するぞといって屋敷の周囲の人を避難させて政重は馬に乗って屋敷から出ます。しかしその背中には風呂敷で隠した蔵人が乗っていたのです。
でっちあげの証拠をつかんだ政重は蔵人の代わりに岡部庄八と勝負し庄八を斃し・・・

政重は京、伏見にいます。蔵人は西国のどこか。すると「政重どのではありませんか」と声をかけてきたのは、加賀の前田利家の次男利政。かつて政重は利政の指南役だったのです。翌日、前田家の大坂屋敷に出向くと、久しぶりに利家に会います。この頃、天下統一を果たした豊臣秀吉は朝鮮出兵を各大名に命じていましたが、前田家は出兵していません。そこで利家は現地の情報が欲しいので、政重に密偵となって朝鮮に行ってほしいと頼みます。
政重の愛馬、大黒とともに九州へ。前田家の書状には、馬を朝鮮に渡すために政重を朝鮮に送ってほしいとありますが、馬を運べるのは大名家専用の船でしか運べず、宇喜多秀家の船で渡ることに。そこに銃声が。なんと追手として絹江が・・・

このあと、朝鮮に渡った政重が見た、聞いた朝鮮半島の現状とは。そして日本に戻ってきた政重は石田三成に会いに・・・

政重が実在の人物なのはいいとして、描かれている出来事がどこまでが史実でどこからがフィクションなのかよくわからないので、なにがどうしてどうなったという部分はだいぶ省略しまして、なんだかんだで最終的に政重は加賀藩の家老にまでなります。
物語内に適度なロマンスもあり、あと隠し味のように歌(短歌)が物語にアクセントとして効果的で、とても読み応えのある作品でございました。



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