晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

井上ひさし 『おれたちと大砲』

2023-04-27 | 日本人作家 あ

週に2日か3日くらいですがウォーキングをしてまして、その距離だいたい7〜8kmほど。それくらい歩いてますとシューズのすり減りもたぶん早くて、そろそろ新しいのを買わないといけないのですが今までスニーカーというかランニングシューズを買っていたのですがやはりウォーキングシューズを買ったほうがいいんでしょうかね。

ウォーキングバイマイセルフ。

さて、井上ひさしさん。

江戸、深川の料亭で下働きをしている土田衛生(もりお)。名字があるということは微禄とはいえ一応は御家人つまり直参の武士。この衛生、ある特殊な「芸」があります。それは「尿筒(しとづつ)」というもので、もとは将軍の用足しの際の御用を務めます。将軍様に御尿意をお催しの気配ありと察すれば尿筒を御装束を着たまま御裾から差し入れて御立小便をなさっていただく、という代々の御役が土田家なのですが、衛生は末端のそのまた末端で、生きているうちに将軍様の御用を務めるのは難しいので尿筒の修行と金稼ぎで料亭で働いているのです。

幕末に幕府が設置した武芸訓練機関「講武所」が「陸軍所」と名前を変え、その中に特別幹部養成所というのができ、そこを卒業すれば将軍様の身辺警護の御番人になれるという情報を聞き、衛生は試験を受けることに。そんなこんなで料亭に着くとたいした芸当の新入りがいるというのです。見てみると客の履物をシャッシャと投げて玄関先に立っている客の前にピタリと着地します。この男の顔を見た衛生はあっと思い話しかけると「隊長!隊長の衛生さんじゃないですか!」と気付きます。この男、鶴巻重太もじつは御家人で、将軍様の草履持。しかしお目見得以下でお近づきになることはできないので遠方から将軍様の御足許にピタリと揃うように草履を投げるという御役。衛生と重太は子どもの頃に「黒手組」という貧乏御家人の悪ガキ集団を組んでいて、それ以来の再会。そこで陸軍所の話をしていっしょに将軍様の御役に立とうと誘います。

陸軍所には武芸の試験があるので適当な道場に入門した衛生と重太。ある日のこと、稽古帰りに湯屋に寄ると髪床師に出会います。その床師は衛生と顔を合わせると「土田の衛生ちゃん・・・?」というので「甚吉!北小路の甚吉だろう!」。甚吉も黒手組で、将軍様の月代を剃る髪結之職という御役。そんなこんなで甚吉も陸軍所の試験を受けるために道場に入門します。

ある夜、道場に泥棒が侵入します。3人が泥棒を捕まえて顔を見ると泥棒のほうが先に「あッ、衛生ちゃんに甚吉ちゃんに重太だ」というではありませんか。黒手組の一力茂松は西丸駕籠之者、つまり将軍様の御駕籠を担ぐ御役なのですが背が低く失格となり落ちぶれて泥棒に。

この元・黒手組の4人が揃って陸軍所の試験を受けますが全員不合格。道場の師匠から木製の大砲と金をもらって横浜へ向かいます。なぜ横浜かというと、薩摩の船が停泊してるだろうということで、どこかで大砲の弾丸を手に入れて薩摩船に一発ドカンと当ててやろうと計画します。

甚吉は髪結いの仕事、茂松は力仕事を見つけ、衛生と重太は「花火師見習募集」という求人を見つけて花火屋へ行きますが今は打ち上げ花火の玉は作っておらず線香花火を細々と作っているだけ。しかし火薬の勉強ということでふたりは線香花火を作ることに。線香花火の合間に一貫目ほどの砲丸も作り、いよいよ薩摩船に打ち込んでやろうと小舟で近づいて点火しますがなぜか真上に発射してしまい上空で花火が見事に咲きます。これには薩摩の船上の人が拍手するわ波打ち際にいた英吉利人は金をくれるわ、挙げ句、衛生は波飛沫を被って風邪を引きます。次の作戦は、三寸玉の手投げ弾が8個ほどあるので薩摩船に投げ入れて船に火を放ってやろうとします。夜に壮行の宴を開こうと横浜の遊郭に4人が集合、それぞれ相方を決めて部屋へ。ところが衛生が相方の部屋に入ると若い衆が入ってきて相方さんは黴毒だというではありませんか。しかし衛生は覚悟を決めてるので帰ろうとしません。そこに代診の先生が来て「衛生くんは相変わらずだな。病気になったら本所のお母さんが嘆くよ」というではありませんか。「おまえ、時次郎だな、丸本の時ちゃんだろ?」時次郎の家は代々将軍様の馬方でしたが時次郎の代で御家人株を売って英語と医学の勉強のために横浜に住んでいます。

黒手組の5人が揃って、将軍の慶喜様をお守りするために何をするのか・・・

直参の中でも末端の御家人の、それも御役にありつけない若者が将軍様をお守りしなければということで無謀にも薩長に戦いを挑もうとするあたり、滑稽でもあり哀しくもあります。時次郎が異人言葉で詩を作るのですがその詩が「タウンライツ アー ベリ ビューティフル ヨコハマ ブルーライト ヨコハマ ユー アンド アイ ボース アー ベリ ハッピー」というもので、はじめは普通に読んでたのですが途中で意味が分かって声を出して笑ってしまいました。そして、物語の後半、とある「やんごとなきお方」が読まれた歌が「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく鮓(すし)をくうらん」「うれしさに席を立ちいでて眺むればいずこも同じ志士の顔立ち」で、なんといいますか、イギリスの作家が有名な詩や戯曲をジョークに使ったりしますが、あんな感じで、「教養あるオフザケ感」がいいですね。

 

 

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ネルソン・デミル 『アップ・カントリー 兵士の帰還』

2023-04-12 | 海外作家 タ

先月は1冊しか投稿できませんでした。

 

さて、ネルソン・デミル。まだ2作品しか読んでませんが好きな作家です。

アメリカ陸軍犯罪捜査部を辞めたポール・ブレナーに、ポールの元上司のカール・ヘルマン大佐からメールの着信が。「明日16時、ザ・ウォールにて K」という文面のみ。ザ・ウォールというのはワシントンDCにあるヴェトナム戦没者記念碑のことで、なぜそんなところで会いたがってるのか全く検討がつきません。そこで、ポールの恋人で現在も犯罪捜査部の職員であるシンシアに連絡してみることに。するとこの件に関しては知らない様子。

指定された時間にザ・ウォールに行くと、カールがやって来て「この壁には戦死ではなく他人に殺害された者の名前がある」と告げられます。1968年にヴェトナムのクァンチ市で中尉が大尉に殺害されたという情報が犯罪捜査部に届いたというのです。その証人は当時の北ヴェトナム軍兵士で、負傷して廃墟に隠れていたときにふたりのアメリカ兵が廃墟に入ってきて激しく口論し、大尉が銃で中尉を撃った一部始終を目撃していたのです。彼らの階級は軍服の肩章でわかります。そしてこの目撃情報の手紙を同じく兵士の兄に出したのですがその兄は死亡、その手紙をあるアメリカ軍兵士が見つけて持ち帰ってトランクにしまいっぱなしにして、30年近く経って退役軍人会に送ったそうで、それを英語に翻訳したら、これは殺人事件の目撃情報だということになって犯罪捜査部に話が来たということ。

現時点で、クァンチ市にその日にいた第一騎兵師団所属の大尉と中尉をある程度までは絞り出していますが確定できておらず、ポールにヴェトナムに行ってもらい、その証人がまだ生きていたら探し出して写真を見せて確証を持って帰ってきてほしい、もしすでに亡くなっていたとしても、生家に行けば証人が中尉の遺体から盗んだとされる物を持ち帰ってきてほしい、とお願いします。

ポールは心のどこかでヴェトナムに行った「過去」と心の中で折り合いをつけなければならないと思っていて、ヴェトナムに行くことに。

手紙に書いてあった「タムキ」という村は地図には存在しません。

ポールはサイゴン(ホーチミン)に着き、アメリカからのメッセージを待っていると、アメリカ人女性が声をかけてきます。スーザンという女性はこのミッションにどうやら関係がなさそうなのですが・・・

はたしてポールは証人に合うことができるのか。

文庫の上下巻で約1600ページにおよぶ長編でして、ミステリーであり、サスペンスでもあり、アクションエンタテインメントでもあり、ロマンスもあり、またロードムービー的でもあり、読んでてものすごく疲れましたが、シリアスな内容の中にユーモアのエッセンスが散りばめられていてどうにかこうにか途中で諦めずに読み切ることができました。

若いスーザンにとっては「私にとってヴェトナムとは戦争ではなく単なる国名であり地名」と言いますが、ポールにしてみればそのような単純に割り切れるものではありません。あのヴェトナム戦争とはアメリカにとって、そしてポールにとってなんだったのか。

ポール・ブレナーが主人公の作品はこれが2作目で、この前に「将軍の娘」という作品があるのですが、読んでみたいのとどうしようかなという気持ちが半々。

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海でコーヒーが飲みたくて

2023-04-10 | 自転車

本日は晴天なり。トゥデイイズファイン。というわけで自転車で海まで行ってランチしましょう。しかも今回はコーヒー豆を挽く手動のコーヒーミルとコーヒー豆とお湯とドリップ用の器具を持って、海に着いたら挽きたての豆でドリップコーヒーをやろうというわけ。

いつもの川沿いの道。風もなくおだやか。

家を出て45分くらいで海にとうちゃこ。ハワイ気取りでヤシの木。いちおうベンチはあったのですが海からの強い風が直撃してドリップコーヒーのペーパーが飛ばされちゃうので他のところを探します。海沿いをしばらく走っていたらちょうどいい場所を発見。海風も防げます。

家で作ったコロッケパン。あとはドリップコーヒーをセッティング。

豆を挽いてフィルターに粉を入れてお湯を注いで淹れたてのコーヒーをいただきます。うまい。

しばらくコーヒーを飲みながら海を眺めてボーッとしました。

高台があったので登ったらナイスビュー。

Googleマップによると家から最初のヤシの木の海岸、そしてランチの海岸まで片道20.2キロ。往復40キロですか。

ある人に休みの日にサンドイッチかなにか作って飲み物も持って海まで自転車で行って海を見ながら波の音聞きながらお昼食べるといったら、ステキなことやってるのねと言われ、じつはとってもいい環境にいるんだなと実感。あと、こういうことができることに感謝しないとですね。

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井上ひさし 『東慶寺花だより』

2023-03-12 | 日本人作家 あ

今年の桜の開花予想が関東では三月の半ばぐらいだとか。もう入学式シーズンで桜というセットはもっと北へ行かないと無理なんですかね。ようやく寒さが収まってきたと思ったら次は花粉症。今年は目のほうは今のところ大丈夫なのですが、鼻の方はマスクをしててもダメですねえ。

春なのに ためいきまたひとつ。

 

さて、井上ひさしさん。「手鎖心中」を読んですっかりハマってしまいました。

滑稽本を一冊出したことのある戯作者の信次郎は、新作の原稿を書くために鎌倉の東慶寺の御用宿「柏屋」に逗留しますが、なかなか書けません。この東慶寺とは「縁切り寺、駆け込み寺」として有名で、現代で言うところの家庭裁判所。当時は離縁はそう簡単にはできず、ましてや離縁なんてバツイチなどといった気軽さではなくもっと深刻で重大で、特に男性は妻から離縁したいと申し出されても承知しないケースが多く、女性側の保護そして離婚調停としてこの東慶寺は機能していました。ここでは本人が敷地内に入るか身に付けているもの(簪など)を敷地内に投げ込めばたとえ追手がいてもそれ以上手出しはできず、寺の中で二年間過ごした後に正式に離縁が成立します。で、調停があるのですが、その人たちの宿泊場所が東慶寺の御用宿で、柏屋、松本屋、仙台屋の三軒。夫側と妻側は別々の宿に泊まらなければなりません。

柏屋には主の源兵衛、おかみさん、娘のお美代、番頭の利平、飯炊きのお勝といった人たちがいて、さまざまな事情を抱えた女性たちが東慶寺にやって来ます。信次郎は若かりし頃に江戸で医者の付き人をしていたことがあります。

砂糖の商人の夫にはなんの不満もないけど離縁したがって・・・という「梅の章 おせん」。

寺内で病人が出たので、東慶寺御用医の代理で信次郎が診察に・・・という「桜の章 おぎん」。

製鉄の職人の妻が東慶寺の畑作業中に地元の漁師に見初められ・・・という「花菖蒲の章 おきん」。

東慶寺に駆け込んだのはじつは替え玉なのでは・・・という「岩莨の章 おみつ」。

女房と離縁したいと駆け込んできたのですが男子禁制で・・・という「花槐の章 惣右衛門」。

信次郎の幼なじみの女房が東慶寺に向かうと家出をし・・・という「柳の章 おせつ」。

妻の実家に金を都合してもらうかわるに離縁したいといっても夫は承知せず・・・という「蛍袋の章 おけい」。

あまりにドケチな姑が嫌になって・・・という「鬼五加の章 おこう」。

親孝行で話題の夫に嫌気ださして東慶寺へ・・・という「白萩の章 おはま」。

江ノ島で芝居の興行をやっている一座の看板役者が柏屋に・・・という「竹の章 菊次」。

去年、二年間のお勤めを終えたのに、また駆け込みにやって来て・・・という「石蕗の章 おゆう」。

柏屋の客の米屋の夫婦と夫の仲間の二人。ところが妻は離縁状を・・・という「落葉の章 珠江」

急病人の診察をした信次郎。しかし男子禁制の寺内にいるのに子を宿して・・・という「黄檗の章 おゆき」。

寿司職人の女房がなぜかその夫から東慶寺に行って二年間入ってきなさいと・・・という「蓼の章 おそめ」。

剣術道場の娘が道場破りをして勝手に父の道場を継いだ男に勝手に結婚させられて・・・という「藪椿の章 おゆう」

 

ホロリときてしまう人情話あり、笑ってしまう話もあり、まるで名人の小咄を聴いているよう。この時代の演芸に関わってる人の素養として落語や浪曲、講談などはあったはずですからそういう印象を持ちますよね。青島幸男さんの書く小説もそうですし。

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沼ってきました

2023-03-04 | 自転車

自転車は真夏は暑いので乗りたくない真冬は寒いので乗りたくない夜は危ないので乗らない雨の日も濡れたくないので乗らないと、あくまで苦行ではなく趣味で楽しみたいだけでして、そんなこんなで自転車を車載して行ってきました印旛沼。

 

印旛沼の外周にサイクリングコースがあって、一周15キロだそうです。

オランダ風車があります。この写真だけ見たらオランダ?となりますが、千葉です。佐倉です。4月にチューリップ祭りがありますね。

サイクリングロード。ずっとなだらか。気持ちいいですね。途中にあった「かっぱ公園」。かっぱには遭遇しませんでした。そして沼の写真。

  

帰りに近くのスーパー銭湯みたいなところに寄ってきました。あー気持ちよかった。

レンタルサイクルもありましたし、ロードバイクでガッツリ本格的な方もいましたし、水鳥の写真を撮ってた方や犬の散歩してた方もいたりして、とても良いサイクリングコースでした。今度はお弁当持ってこうかな。

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On the Shore of the Wide World(この広い世界の浜辺で)

2023-02-26 | 自転車

しばらく自転車の投稿はお休みしてました。寒い中に凍えながら乗るほど酔狂ってわけでもありませんし、ですがさすがに2月も終わりになってきますと日中はポカポカしてきまして、夜勤明けではありましたが見事なピーカン晴れだったので、普段は夜勤明けだと家に帰って朝食のあとちょっと仮眠するのですが、食べ物を持ってサイクリング、海まで行ってブランチといきましょう。

いつものサイクリングコース。海に近づいてきてあと1キロくらいになってくると潮の香りがしてきます。

海まであと500メートルくらいのところの川沿いに河津桜?キレイですね。

そんなこんなで海!風が冷たかったのですがサーファーがけっこういました。

とりあえず座って、ハムとチーズとレタスとブロッコリースプラウトのサンドイッチとバナナ、ボトルにはミルクティー。ぼーっと海を眺めながらいただきます。波の音をBGMに寝っ転がってぼーっと空を眺めました。

家から海まで10キロ弱で海岸沿いの道をプラプラと移動したので往復25キロくらいですか。行きはスムーズだったのですが、帰りは超絶向かい風。途中何度かくじけそうになりましたが無事生還。今度はもうちょっと暖かくなって風も弱い日にまた行こうかな。

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池波正太郎 『侠客』

2023-02-25 | 日本人作家 あ

「これから〇〇を始めようと思います」という宣言を周囲の友人になりネットになり公表すると「言った手前やるしかなくなる」といった感じで自分を追い込むのもそれはそれでいいのですが、やはり一番かっこいいのは「不言実行」。もちろん「いついつまでに目標達成する!」といってその途中経過をブログやSNSで報告していくのは楽しいですけどね。と書き込んでいる最中にそういえば10年ほど前に「20キロ減量!」とSNSに投稿してたことを思い出しました。ちなみに現在の体重はそれからさらに10キロ減ってます。

 

年齢いくと痩せたら心配されますよね。

 

さて、池波正太郎さん。主人公は幡随院長兵衛。「お若えの、お待ちなせえやし」ですね。まさにタイトルの「侠客」の日本版元祖といわれていますが、そもそも侠客とはなんぞやと思い、こころみに調べてみますと「中国において義侠心を持って人の窮境を救う武力集団」とあり、いわゆる賭場や香具師の元締めとその配下、軒下三寸借りて「お控えなすって、手前生国とはっしますところ・・・」といった(やくざ)とは本来の意味は違います。

大和郡山・本多家家臣の奉公人、二十歳の塚本伊太郎は、ある使いの帰りに侍同士の斬り合いを見かけます。なんとそのひとりが伊太郎の父、塚本伊織だったのです。助けに加わりますが、父は斬られ、最期に「か、ら、つ・・・」と言い残して息絶えます。この争いを止めようと父を襲った相手を追い払ったのが、水野百助という侍。

塚本伊織は、もとは九州は唐津十二万石の大名、寺沢志摩守の家来で、伊太郎が五歳のときに藩から逃げて父子と塚本家の家来の三人で流浪の旅に出ます。途中で家来と別れ父子は江戸に。伊織は「八百屋・久兵衛」の離れに住み、伊太郎は大名家の奉公人になります。父の最期の言葉が気になるところですが水野百助は使いの途中だった伊太郎にとりあえず用を済ませてこいといい、伊織の遺体はおれに任せておけと引き受けます。

この水野百助、三千石の大身旗本、水野出雲守成貞の長男で、二十九歳。伊太郎が八百屋久兵衛に着くと百助に礼を言い、「おれに手伝えることがあったらいつでも屋敷に来てくれ」と言い残して帰ります。

塚本伊織の葬式は上野の幡随院新知恩寺で行われ、葬式の後、和尚が伊太郎に今後のことを聞くと浪人になって父の敵討ちをすると宣言。さっそく五年前に旅の途中で別れた塩田半平を探しに大坂へ行くことにします。しかし途中、伊太郎は侍に襲われて斬られます。それを助けてくれたのが旅の老人で山脇宗右衛門と娘のお金。宗右衛門は江戸で「人いれ宿」という現在でいう人材派遣・職業斡旋を営んでいます。

宗右衛門は伊太郎の話を聞いて、権兵衛という若者を大坂に向かわせますが、その時、半平は何者かに襲われ、大坂から逃げ江戸へ向かいます。権兵衛は大坂に着きますが半平が逃げたと知って急いで宗右衛門のもとへ戻り、伊太郎もいっしょに江戸に戻ります。そして半平が江戸に着くのですが何者かに殺されます。

それから数年後、塚本伊織と伊太郎殺害の命を受けていた辻十郎が斬られます。そこに「何をしてる」と通りかかったのが水野十郎左衛門。百助が家督を継いで名を改めたのです。瀕死の辻十郎を助け家に連れて行って十郎から伊太郎の父伊織を暗殺した理由を聞き、それが唐津藩の現当主の寺沢兵庫守からの命令だと知った伊太郎は兵庫守を敵討ちしようと・・・

この作品は文庫で読みまして、だいだいここまでで下巻の真ん中あたり。で、伊太郎は山脇宗右衛門の娘のお金と結婚して人いれ宿の後を継ぐことに。伊太郎は名前を捨ててまったく別の人間になろうと幡随院の和尚に相談し、長兵衛という名前をもらいます。そして世間から「幡随院長兵衛」と呼ばれることに。

しかし、運命とは残酷なもので、長兵衛はどんどん頭角を現し「町奴」と呼ばれるようになります。一方、戦も絶えて平和な時代になり、武士は官僚となりつつあるこの当時、父や祖父のように武士の本分である戦場を駆け回ることのない一部の旗本の孫や子世代にとってはフラストレーションがたまる一方で、町で乱暴狼藉をします。そんな彼らは「旗本奴」と呼ばれるようになり、その頭目が水野十郎左衛門。

町奴と旗本奴はたびたび衝突して、とうとう双方が我慢の限界に達しようとなってしまい、十郎左衛門は長兵衛と話し合いをすることに・・・

 

歌舞伎や講談は「より面白く」するために史実を脚色したりするわけですが、この作品でも歌舞伎や講談のストーリー的に不自然な部分の辻褄を合わせるようになっています。以前読んだフレデリック・フォーサイスの「オペラ座の怪人」の続編「マンハッタンの怪人」でも、「オペラ座の怪人」の不自然な部分の辻褄を合わせています。

もともと侠客や仁義や義侠心といった「弱きをたすけ強きをくじく」が、いつから「強きをたすけ弱きをくじく」になっちゃったんでしょうかね。

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半村良 『晴れた空』

2023-02-19 | 日本人作家 は

暦の上では春とのことですがまだまだ寒いですね。暖房費の高騰が気になって、基本的には冬場のアウトドアやキャンプなどで使用する、ポンチョとしても着られて、開けば布団に、ファスナーを閉じれば寝袋にもなるというあったかグッズを購入しました。さすがに朝晩はストーブをつけますが日中に家にいるときはそのポンチョを着れば意外とオーケー。家の中なのにアウトドア気分。

 

ソロキャンプに目覚めようかしら。

 

さて、半村良さん。この作品は戦前・戦中辺りからはじまってるので、父母か祖父母がその世代であればあまり「歴史」とは思えませんが、知ってる家族が全員戦後生まれだとこの時代の小説は「歴史小説」と捉えるのでしょうか。

太平洋戦争で劣勢になった日本はとうとう本土に空襲攻撃を受けます。そして一九四五(昭和二十)年三月十日、東京大空襲。その夜の死者数は公式記録では八万八千七百九十三人とされています。しかし、いたるところに黒焦げの焼死体が転がっていてひとりひとりの識別などできず、地域によってはガマ口の口金を拾い集めて数えて死者数を推定したといいます。

東京は上野駅の地下道。行き場のない人たちでいっぱいに。背の高い浮浪児が「おす」と壁にもたれている二人の浮浪児に話しかけます。「なんだ、バアちゃん」バアちゃんと呼ばれた浮浪児は「飴屋と級長には教えといたほうがいいと思って」と言います。バアちゃん、飴屋、級長というのは、浮浪児たちはもはや本名は必要とせずあだ名で呼び合っています。

「今日の昼にラジオで天皇陛下がなにか喋るみたいだぞ」

この日は八月十五日。バアちゃんからそう聞いた飴屋と級長の三人は地下道の外に出て、正午、君が代が流れます。

「敗けたんだってさ」「どうしようもねえや」

三人の浮浪児は仲間の浮浪児を探します。そこに新聞を積んだトラックがやって来ると級長は新聞の束を持って逃げます。他の浮浪児も参加した連携プレーで級長は逃げおおせ、この新聞を一枚一円で売ることに決めます。ちなみにすいとんが一杯一円の時代。

新聞を売りさばいた浮浪児たちはそれぞれ自己紹介をします。級長、飴屋、バアちゃん、そしてニコ、ゲソ、アカチン、マンジュー、ルスバン。バアちゃんだけが十四歳で他は偶然みな十三歳。

ある日のこと、駅の改札口近くで四歳か五歳くらいの女の子が座っておにぎりを食べています。級長が助けようとすると「この子をよろしくお願いします」という手紙が。急いで母親を探します。その母親は遠くで見ていました。そして級長は持っていた外食券を母娘に渡して「三月十日に僕らはみなあの晩母を亡くしました。がんばってその子といっしょにいてあげてください」といって食堂に案内します。

すいとんを食べて元気になった母娘を見て安心し、自分たちが臭いと思った級長と飴屋は盗んだ石鹸で土砂降りの雨の中で体を洗います。そして自分の母を思い出し「かあちゃん」「かあちゃぁん・・・」と泣き出します。

その日から母娘は級長ら浮浪児たちの仲間になって、故買商といえば聞こえはいいですが、ようは道端に風呂敷を拡げて彼らの盗んできた品物を売ることに。母はみんなから「お母さん」、娘は頭を丸刈りにしたので「ボーヤ」と呼ばれることに。お母さんは誰もがハッと見とれてしまう(もちろん級長たちも)ほど美人で小さな子が横にいるので売れ行きは良く、どんどん盗んできては売って、そのうち彼らの目標は「お母さんとボーヤの住む家を買う」になります。

級長が食堂にいると、酔っ払った飛行服を着た元航空隊が。級長が話しかけると、男は「俺は特攻隊の死に損ないよ」といいます。この前田という男は級長たちに妙に気に入られて彼らの仲間に。そして飲み屋で仕入れてきた有益な情報(どこの倉庫に何が置いてある)を教え、盗みに行って、それをお母さんとボーヤが売るのです。そうして金も貯まって、ルスバンの家のあった場所に家を建てることに。

しかし、この背後には、お母さんがじつは亡くなった海軍中佐の未亡人で、中佐に恩義がある影の実力者たちの手回しが・・・

この作品は文庫で上中下それぞれ四〇〇ページ以上、つまり千二百ページ超の長編で、ここまでが上巻の終わりのほう。このあとさらに中、下と続くのですが、まあネタバレにならない程度に触れますと、学校に通うようになった級長たちは彼らの特性というか長所を生かした道を歩むことに。お母さんは商才と人を惹きつける魅力があり、なんと会社を立ち上げます。そして前田はお母さんと少年たちの補佐というか日向となり陰となります。そしてラストは「ええ・・・」となります。この作品のタイトル「晴れた空」というのが、美しくもあり、悲しくもあります。

時間的に余裕があったらもっと早く読み終わっていたと思うのですが、ちょうど読み始めたあたりからこまごまと忙しくなって時間がかかってしまいました。機会があれば今度はゆっくりとじっくりと読みたい、そう思わせてくれる作品です。

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東川篤哉 『完全犯罪に猫は何匹必要か?』

2023-01-28 | 日本人作家 は

移住促進や移住体験のテレビ番組がけっこう好きでたまに見たりしますが、まだ先の話ではありますが、予定どおりにいけば2年後に学校を卒業するので、ちょうどいい機会なので移住を考えています。といって別に今住んでるところが嫌なわけではありません。いやむしろ快適で過ごしやすいです。

10年ほど前に人生が激変する出来事がありまして、それまでの人生がエグザイル的にいうと第1章とするならこの10年は第2章、次の10年に第3章ということで、いっそのこと環境をガラッと変えてみようかと。さすがに海外移住は現実的ではないので国内で。近くに温泉のあるところがいいなあ。

ハービバノンノン。

さて、東川篤哉さん。この作品は「烏賊川市シリーズ」と呼ばれるもので、架空の都市(千葉の東、神奈川の西)での市警察の警部と私立探偵が謎解きに奔走するというふうになってます。この作品はシリーズ3作目。

10年前、飲食店経営の豪徳寺豊蔵氏の自宅ビニールハウス内で、医師の矢島洋一郎、48歳が殺されているのを発見されます。しかしこの事件は犯人を逮捕することができず、迷宮入りとなります。

烏賊川市に探偵事務所を開業している私立探偵の鵜飼杜夫と弟子(?)の戸村流平は猫を探しています。それも三毛猫。この「猫の捜索」の依頼をしたのは、豪徳寺豊蔵。豊蔵は大の猫好きで、店舗の前に巨大な招き猫がいることで有名な回転寿司チェーン「招き寿司」の社長である豊蔵は、飼い猫の三毛猫「ミケ子」を探してくれと依頼。

夏のある日の朝、烏賊川署の砂川警部と志木刑事を乗せたパトカーが豪徳寺家に到着。敷地内にあるビニールハウスへと向かいます。殺害された被害者は豪徳寺豊蔵、第一発見者は妻の昌代と息子。ビニールハウスの中には殺人の現場にはふさわしくない、巨大な招き猫。家族が現場に着いたとき、娘の真紀は気を失っていてロープで縛られていました。検死の結果によると死亡推定時刻は前日夜の午前0時から2時ころ。真紀が目撃したのは、猫のお面を被った犯人。家族全員と豪徳寺家に住む使用人と豊蔵の友人はみなアリバイがあります。

豪徳寺豊蔵氏の葬儀が行われ、鵜飼と戸村、ビルの管理人の朱美は会場に向かいます。豊蔵氏の依頼の継続を家族にお願いするため。すると会場に鵜飼の知り合いの通称(なんでも屋)の岩村がいるのを不思議に思います。葬儀が終わり、戸村が着替えのためトイレに入ると、そこには岩村の死体が・・・

はたして豊蔵を殺した犯人は誰なのか。10年前の事件との関係は。岩村の死は関係があるのか。そして三毛猫ミケ子は見つかるのか。

 

松本清張は「仕掛け箱」の中で行われていたミステリを外に出すためにいわゆる「社会派推理小説」を書いた、とどこかで読んだ記憶があります。ですが東川篤哉さんの一連の作品を読みますと、けっこう古典的なトリックが使われています。とはいっても古臭いといった印象はなく、むしろかえって新鮮に映ります。ファッションでも昔に流行ったファッションが再流行することがありますので、そんな感じですかね。

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井上ひさし 『花石物語』

2023-01-15 | 日本人作家 あ

ついこの前までなにかとお騒がせだった青い鳥がシンボルのSNSですが、その代替として「マストドン」というSNSが話題ですね。青い鳥とマストドン、似てるようで全然違う、全然違うようで似てます。そんなことを言い出したらSNSじたいが多かれ少なかれどこかしら似てるもんだろという話なのですが。今まで、流行るとすぐに「○○疲れ」という言葉が出てきますが、これから出てくるSNSもそうなるのでしょうか。

おつかれさまです。

井上ひさしさんの名前はもちろん存じてましたが去年初めて井上ひさしさんの作品「手鎖心中」を読んで感動しまして、とりあえず数冊買ってみました。そのうちの一冊。

昭和20年代後半、大学生の夏夫は、東北の太平洋側の海岸沿いを走る汽車に乗っています。目的は母親の住む花石へ向かうため。夏夫は高校まで東北に住んでいて、大学進学のため上京。本命は銀杏のマーク(東大)、他にも稲穂(早稲田)とペンのぶっちがい(慶応)を受験しますが撃沈、鷲のマークの大学(上智)を受けて合格します。なんでも定員20名の枠に殺到した受験生は16名を数えた、とか。

夏夫は強烈な東大コンプレックスがあり、さらに被害妄想に拍車がかかり「他人と会話をしない」という自己防衛を身につけます。やむを得ず話をしないといけないときは言葉がうまく出てきません。つまり吃音症。というわけで気晴らしに夏休みを母と過ごすことに。

そんなこんなで花石に到着します。巨大な製鉄所があって、街は意外と賑わってます。母親は花石で一旗揚げようと屋台で飲み屋をはじめます。母親の住まいの真横が娼家になっていて、窓の外から娼婦と客の会話が丸聞こえで夏夫はびっくりします。のちにこのかおりという娼婦と交流することになります。

はじめこそ気晴らしで花石にやってきた夏夫でしたが、娼婦のかおり、「タイガー」という店の岩舘老人、母親の屋台のライバル店で働くニセ東大生、母親の屋台の常連客の鶏先生とマドロス先生、といった人たちと触れ合うことで徐々に被害妄想や自己否定の呪縛が解けてゆき、そのうち吃音も治ってきます。夏休みもそろそろ終わり、夏夫は東京に戻るのかそれとも花石に残るのか。

井上ひさしさんの来歴をどこかで見れば、この話はおおまかにですが夏夫は放送作家・劇作家になる前までの井上ひさしさんのことだということがわかります。で、花石とは岩手県釜石市。この小説の花石は、まるで山本周五郎「青べか物語」の舞台(浦粕)のよう。浦粕とは千葉県浦安市のことなんですけどね。

鶏先生が柳田国男「遠野物語」のパクリを書こうとするあたり、どこか民話というか逸話というか、ファンタジー感が漂ってます。そういえば宮沢賢治も岩手でしたね。岩手はファンタジーが生まれやすい土壌なのでしょうか。千葉県も「ジャガー星から来た」「こりん星のりんごももか姫」となかなかどうしてファンタジーですけどね。

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