ついこの前まで熱帯夜だ猛暑だいってたのに気が付いたら朝晩は冷え込んで、もうすっかり秋ですなあ、と思ったらもうストーブ出して押し入れから羽毛かけ布団引っ張り出してクローゼットの奥からコートを手前に移す・・・あまり秋を満喫できなかったような。なんだかここ数年は四季のうち春と秋を感じる時間が短くなってるような気がします。
そんな地球の気候変動を憂いたところで。
宇江佐真理さんです。短編です。テーマは「河岸」。明治時代以前の東京つまり江戸はお堀が縦横無尽に張り巡らされていて、中央区、台東区、墨田区、江東区あたりですと当時のお堀の名前が地名や通りの名前となって残ってたりしますね。船イコール海という発想は現代人のそれだそうでして、戦前くらいまでは船イコール川だったそうです。
神田にあった水菓子屋(果物屋)の娘おちえは、今日もため息。というのも火事で店は消失、父親は死亡、母と弟と店の番頭さんの4人で命からがら浅草・御厩河岸近くに移り八百屋をはじめ、おちえと弟はそれまでの生活から一変、セレブリティから八百屋の下働きに。近くの船宿の女将は「どやの嬶」というあだ名の、男勝りというより男そのものという人がいて、おちえはその女将の息子に見初められ・・・という「どやの嬶」。
日本橋・竃河岸近くに住む貧乏御家人の三土路保胤は、小普請組つまり無役。趣味の一中節は玄人はだし。そんな保胤、ひょんなことから都都逸の名人と対決することになってしまって、しかもその日に限って小普請組支配役から仕事が舞い込んで・・・という「浮かれ節」。
外神田の佐久間河岸近くを縄張りにする岡っ引きの伊勢蔵は、七つか八つくらいの娘が薄汚い格好でひとりでいるのを保護しますが、「身は姫じゃ」しかしゃべらず困ってしまいます。伊勢蔵の女房は「お女中ごっこ」とばかりにこの娘の世話をします。はじめこそ「頭がアレ」かと思っていたのですが、いちおう奉行所に報告して・・・という「身は姫じゃ」。
本所・一ツ目河岸たもとに住む横川柳平は、近所の子どもたちに習字を教えています。しかし横川はもともと津軽の百姓の息子で、書も上手で学問もでき、藩に頼んで江戸に遊学させてもらいます。順調に出世したのですが、藩内の抗争の影響で藩を追われ、現在は江戸に出てきた弟の金吉とふたり暮らし。そんなふたりの住まいに、旅姿の男が。なんと故郷の津軽から来て、ふたりの姉からの手紙や土産を持ってきて・・・という「百舌」。
日本橋・小網町から箱崎町あたりの行徳河岸近くの居酒屋で女中をしているお幾は魚河岸で人足をしている年下の旬助とふたり暮らし。お幾は出戻り(バツイチ)で、旬助は今は勘当されてはいますが、じつは廻船問屋の息子。そんな旬助、お幾と結婚を真剣に考え、家に戻ろうと決意し、番頭にお幾のことを話すのですが・・・という「愛想づかし」。
神田・浜町河岸近くの薬種屋の主、菊次郎は町医者の桂順と話をしていると、旗本の次男坊、青沼伝四郎が通りかかります。伝四郎は勉強熱心で人柄も立派で、ぜひとも養子にという話はあるのですが青沼家は金が無くまともな着物すら持っていないということで縁談はオジャン。そこで菊次郎と桂順、そして伝四郎の通う剣道場の師匠と三人で伝四郎に幸せになってもらいたいと話し合いを・・・という表題作「神田堀八つ下がり」。
あとがきで知ったのですが、この作品は直木賞の候補作に選ばれたそうでして、宇江佐真理さんはたしか4度か5度くらい直木賞の候補に選ばれたものの直木賞とは縁が無かったですね。あとがき解説の縄田一男さんの「しかしながら、直木賞もまた、華を逸した、というべきではないだろうか」という評価が小気味よいですね。
そんな地球の気候変動を憂いたところで。
宇江佐真理さんです。短編です。テーマは「河岸」。明治時代以前の東京つまり江戸はお堀が縦横無尽に張り巡らされていて、中央区、台東区、墨田区、江東区あたりですと当時のお堀の名前が地名や通りの名前となって残ってたりしますね。船イコール海という発想は現代人のそれだそうでして、戦前くらいまでは船イコール川だったそうです。
神田にあった水菓子屋(果物屋)の娘おちえは、今日もため息。というのも火事で店は消失、父親は死亡、母と弟と店の番頭さんの4人で命からがら浅草・御厩河岸近くに移り八百屋をはじめ、おちえと弟はそれまでの生活から一変、セレブリティから八百屋の下働きに。近くの船宿の女将は「どやの嬶」というあだ名の、男勝りというより男そのものという人がいて、おちえはその女将の息子に見初められ・・・という「どやの嬶」。
日本橋・竃河岸近くに住む貧乏御家人の三土路保胤は、小普請組つまり無役。趣味の一中節は玄人はだし。そんな保胤、ひょんなことから都都逸の名人と対決することになってしまって、しかもその日に限って小普請組支配役から仕事が舞い込んで・・・という「浮かれ節」。
外神田の佐久間河岸近くを縄張りにする岡っ引きの伊勢蔵は、七つか八つくらいの娘が薄汚い格好でひとりでいるのを保護しますが、「身は姫じゃ」しかしゃべらず困ってしまいます。伊勢蔵の女房は「お女中ごっこ」とばかりにこの娘の世話をします。はじめこそ「頭がアレ」かと思っていたのですが、いちおう奉行所に報告して・・・という「身は姫じゃ」。
本所・一ツ目河岸たもとに住む横川柳平は、近所の子どもたちに習字を教えています。しかし横川はもともと津軽の百姓の息子で、書も上手で学問もでき、藩に頼んで江戸に遊学させてもらいます。順調に出世したのですが、藩内の抗争の影響で藩を追われ、現在は江戸に出てきた弟の金吉とふたり暮らし。そんなふたりの住まいに、旅姿の男が。なんと故郷の津軽から来て、ふたりの姉からの手紙や土産を持ってきて・・・という「百舌」。
日本橋・小網町から箱崎町あたりの行徳河岸近くの居酒屋で女中をしているお幾は魚河岸で人足をしている年下の旬助とふたり暮らし。お幾は出戻り(バツイチ)で、旬助は今は勘当されてはいますが、じつは廻船問屋の息子。そんな旬助、お幾と結婚を真剣に考え、家に戻ろうと決意し、番頭にお幾のことを話すのですが・・・という「愛想づかし」。
神田・浜町河岸近くの薬種屋の主、菊次郎は町医者の桂順と話をしていると、旗本の次男坊、青沼伝四郎が通りかかります。伝四郎は勉強熱心で人柄も立派で、ぜひとも養子にという話はあるのですが青沼家は金が無くまともな着物すら持っていないということで縁談はオジャン。そこで菊次郎と桂順、そして伝四郎の通う剣道場の師匠と三人で伝四郎に幸せになってもらいたいと話し合いを・・・という表題作「神田堀八つ下がり」。
あとがきで知ったのですが、この作品は直木賞の候補作に選ばれたそうでして、宇江佐真理さんはたしか4度か5度くらい直木賞の候補に選ばれたものの直木賞とは縁が無かったですね。あとがき解説の縄田一男さんの「しかしながら、直木賞もまた、華を逸した、というべきではないだろうか」という評価が小気味よいですね。