なんだか、あっちゅう間に6月に突入してしまったような気がします。まあ身も蓋もない言い方をしてしまうと、まだこうやって本を読んで読書ブログに投稿できている、ということはつまり今のところ無事なので良かったなと。
さて、浅田次郎さんです。
会社の社長、堀田憲雄は社用車の運転手に「病院に寄ってくれ」とお願いします。自身の具合が悪いのではなく、入院している知り合いのお見舞い。
患者の名は、竹脇正一。
同期入社で、堀田は社長、竹脇は本社から関連会社に転出したいわゆる「天下り」で、5年ほど前に会話をしてから会っていません。が、竹脇が定年退職の送別会のあと、地下鉄の車内で倒れて入院した、と聞きます。
堀田の乗った車が竹脇が入院している病院に着くと、面会の手続きをして、集中治療室へ。竹脇は意識不明。すると堀田は、竹脇の妻がベッド脇にいるのも構わず「あー、何だってよォ、タケちゃん」と号泣します。
竹脇の妻、節子は送別会に出席せず、それで自分を責めても困るので堀田は「セッちゃんのせいじゃないよ」と話しかけます。かつて竹脇家と堀田家は同じ社宅に住み、家族ぐるみの付き合いでした。
竹脇の娘、茜の夫のタケシが見舞いに来ます。タケシは高校中退で少年院を出て、建設業の親方の世話になることに。この親方と竹脇が幼なじみの親友で、茜は親方の事務所でアルバイトをしていたときにふたりは出会い、そして結婚。茜の父親つまり竹脇は国立大を出て有名商社に勤める、いわゆるエリートですが、茜との結婚はすんなりオーケー。はじめタケシは自分はちゃんとした家でもないし婿入りさせてくれとお願いするのですが竹脇は「(タケワキタケシ)なんて婿養子丸出しだろ」といって娘をタケシの籍に。
そんなタケシは、節子に家に帰って休んだ方がいいと言います。
節子が帰った後に、永山徹が見舞いに来ます。徹は竹脇の幼なじみの親友で大工。つまりタケシの親方。徹は看護師に「二人とも、親がなかったものでね」と言います。竹脇と徹は同じ施設で育ったのです。
そんな竹脇ですが、夢を見ます。いや、夢にしてはリアル。目が覚めると、ベッドの横に老婦人が座ってます。名前はマダム・ネージュ。竹脇はこの女性とは面識がありません。ひょっとして妻の友人か。夢か現実かよくわからないまま竹脇は起きて、マダム・ネージュと外に出て、食事へ。
気が付くと竹脇はベッドの上に戻ってます。傍らには幼なじみの徹。徹は「お前、セッちゃんに話してないんだろう」と話しかけます。そう、竹脇は妻に両親がいないことは伝えてあるのですが、細かくは話していません。
竹脇はまた夢か現実化わからない場所へ。今度は、海辺。竹脇と同年代の女性といっしょにいます。この女性は竹脇の(幼くして死んだ息子)のことを知っているのですが・・・
それから、隣のベッドで寝てる患者と出かけたり、また新たな女性が登場したりと、さまざまな人物が竹脇といっしょに人生を振り返ります。
これは、人が死ぬ前に見るという「走馬灯」とかいうやつなのか、あるいは、まだ死んではだめだということなのか。
人生も折り返し地点を過ぎて、さすがにこういった内容の話は心にズンと来ますね。久しぶりに「良い小説」を読んだ、というよりは、「良い話」を見た、といった気分。
さて、浅田次郎さんです。
会社の社長、堀田憲雄は社用車の運転手に「病院に寄ってくれ」とお願いします。自身の具合が悪いのではなく、入院している知り合いのお見舞い。
患者の名は、竹脇正一。
同期入社で、堀田は社長、竹脇は本社から関連会社に転出したいわゆる「天下り」で、5年ほど前に会話をしてから会っていません。が、竹脇が定年退職の送別会のあと、地下鉄の車内で倒れて入院した、と聞きます。
堀田の乗った車が竹脇が入院している病院に着くと、面会の手続きをして、集中治療室へ。竹脇は意識不明。すると堀田は、竹脇の妻がベッド脇にいるのも構わず「あー、何だってよォ、タケちゃん」と号泣します。
竹脇の妻、節子は送別会に出席せず、それで自分を責めても困るので堀田は「セッちゃんのせいじゃないよ」と話しかけます。かつて竹脇家と堀田家は同じ社宅に住み、家族ぐるみの付き合いでした。
竹脇の娘、茜の夫のタケシが見舞いに来ます。タケシは高校中退で少年院を出て、建設業の親方の世話になることに。この親方と竹脇が幼なじみの親友で、茜は親方の事務所でアルバイトをしていたときにふたりは出会い、そして結婚。茜の父親つまり竹脇は国立大を出て有名商社に勤める、いわゆるエリートですが、茜との結婚はすんなりオーケー。はじめタケシは自分はちゃんとした家でもないし婿入りさせてくれとお願いするのですが竹脇は「(タケワキタケシ)なんて婿養子丸出しだろ」といって娘をタケシの籍に。
そんなタケシは、節子に家に帰って休んだ方がいいと言います。
節子が帰った後に、永山徹が見舞いに来ます。徹は竹脇の幼なじみの親友で大工。つまりタケシの親方。徹は看護師に「二人とも、親がなかったものでね」と言います。竹脇と徹は同じ施設で育ったのです。
そんな竹脇ですが、夢を見ます。いや、夢にしてはリアル。目が覚めると、ベッドの横に老婦人が座ってます。名前はマダム・ネージュ。竹脇はこの女性とは面識がありません。ひょっとして妻の友人か。夢か現実かよくわからないまま竹脇は起きて、マダム・ネージュと外に出て、食事へ。
気が付くと竹脇はベッドの上に戻ってます。傍らには幼なじみの徹。徹は「お前、セッちゃんに話してないんだろう」と話しかけます。そう、竹脇は妻に両親がいないことは伝えてあるのですが、細かくは話していません。
竹脇はまた夢か現実化わからない場所へ。今度は、海辺。竹脇と同年代の女性といっしょにいます。この女性は竹脇の(幼くして死んだ息子)のことを知っているのですが・・・
それから、隣のベッドで寝てる患者と出かけたり、また新たな女性が登場したりと、さまざまな人物が竹脇といっしょに人生を振り返ります。
これは、人が死ぬ前に見るという「走馬灯」とかいうやつなのか、あるいは、まだ死んではだめだということなのか。
人生も折り返し地点を過ぎて、さすがにこういった内容の話は心にズンと来ますね。久しぶりに「良い小説」を読んだ、というよりは、「良い話」を見た、といった気分。