この作品は「夏目影二郎始末旅シリーズ」。読むのはずいぶん久しぶりです。いつぶりかと当ブログで確認しましたら2018年。ざっと説明しますと、父親は幕府の勘定奉行で常磐豊後守秀信。秀信と女中の間に生まれたのが本名瑛二郎。表現は悪いですが「妾の子」。母が亡くなって秀信の本宅に引き取られるも義母にいじめられ、無頼の道へ。それでも剣術の修業は続け、鏡新明智流の桃井道場で師範代を務め、付いた呼び名が「桃井の鬼」・・・とまあ、バックグラウンドだけだと(「鬼〇犯〇帳」の長〇川〇蔵)に似ていなくもないのですが、それは置いといて、女性をめぐり十手持ちを殺してしまい、遠島の罪になりますが、父親が「自分の仕事の隠密をやるなら釈放してやる」といって、関東取締出役「八州廻り」の腐敗や汚職を成敗する旅に出る・・・といった話。
時代は江戸末期で、関八州とくれば、この当時のアウトローの有名人、国定忠治。ちょくちょく登場します。
江戸の伝馬町、牢屋敷で火災発生、囚人どもは嬉しそう。なぜなら「切放(きりはなし)」といって、囚人たちは一時開放されるのです。ただし、その期限は三日。三日後に浅草溜に集合しなければなりません。もしちゃんと来れば減刑、来なければ罪が重くなります。江戸市中のあちこちで盗みや押し込みなどが発生している中、夏目影二郎は自分の住んでる長屋の井戸端で住人たちが騒いでいるので聞いてびっくり、伝馬町の切放を知ります。
ちょうどその頃、勘定奉行常磐豊後守秀信の配下で監察方の菱沼喜十郎は、両国広小路の番屋で七人の切放の囚人の死体と向き合っています。そしてその中には牢名主も。そもそも伝馬町の火災にはおかしいところがあって、牢屋敷の外は大した火事にならなかったのに、牢内では半焼するほどの被害でした。その日、殺された牢名主の牢に新入りが入ったのですが、通常行われる新入りへのいたぶる儀式が無く、この新入りが放火のなんらかの役目をしていたか。そして名主が殺されたのは口封じのためか。
菱沼は影二郎のもとを訪ね、この一件について話します。じつは先述の新入りとは幕府の役人で御勘定所道中方の伊丹主馬という人物で、道中方というのは江戸五街道の監督行政の部署で、つい先日、道中方組頭が不正が行われた疑惑の責任で自刃して、その部下である伊丹を捕えようとしたところ、先手が入って些細な罪で伝馬町に入ることになって、その直後に切放が発生したのです。菱沼らは道中方の帳簿を調べていると、物流の交易の量は増えているはずなのに、ここ十年のご禁制(密輸品など)の没収品は減少しているのです。これには絶対なにかしら裏があると踏んだ菱沼は影二郎に明後日の切放の刻限に一緒に行ってもらうことに。刻限になって、十三人が戻ってきません。うち七人は切放直後に殺されたので、実質六人。その中には伊丹主馬が。他に浪人、虚無僧、女掏摸、渡世人二人というラインナップ。
ご禁制の没収品は各街道の主だった宿場に集められ、江戸に搬送されます。その途中に横流しが行われていたとすれば、これは伊丹ひとりの犯行ではなく組織化されているはず。その謎を探るため、影二郎は中山道の下諏訪宿へ、飼い犬の(あか)を連れて、旅に出ます。
途中、女旅芸人のおこまと合流、下諏訪宿から船で天竜川を下って東海道の浜松宿、そしてまた船に乗り那珂湊まで行き、日光街道の宇都宮宿へ・・・
文中の「伝馬町の切放」はフィクションではなく実際にあったことで、最初は明暦の大火のときに牢奉行の石出帯刀の独断で行われたという話。ちなみにこのときは本当かどうかわかりませんが全員が三日後に戻ってきたそうで、これに感動した石出帯刀は全員に罪一等軽減を言い渡したとか。まあ考えてみれば普通に戻ってきて感動されるって不良がちょっと良いことしたらすごい褒められる例のアレかと。