一月と二月は諸事情によりけっこう出費しまして、先月はたくさんお買い物してしまい、今月は控えようと思っていたところ、先月の確定申告の還付のお知らせが来まして、ここでは具体的な金額は控えますが、まあ思わず「ニヤリ」としてしまうくらいでして、通帳記入してきて、スーパーに行って普段買わないようなお高めの牛肉を買って夕飯はすき焼き。
ささやかな幸せです。
さて、髪結い伊三次シリーズです。このシリーズも全十六巻ということで残すところあと五巻しかないのか・・・と考えるとじっくりしっかりと読まなくてはいけませんね。
伊三次は久しぶりに直次郎に会います。直次郎とはもともと掏摸で今は足を洗っています。八丁堀に住む町医者のところに花を届けに行く途中で、直次郎はその町医者のことも奥さんのことも知っているので久しぶりに顔でも出すかと思いますがその機会も作れずにいるところに、町医者の奥様、美佐が亡くなったとの知らせが。じつは伊三次が直次郎と会った日が美佐の亡くなった日で、あの日に花を届けに来た男が怪しいという話に・・・という「あやめ供養」。
伊三次には九兵衛という髪結いの弟子がいるのですが、その九兵衛に縁談話が。そのお相手とは、九兵衛の父親の働いている魚屋の主の一人娘の(おてん)。おてんは父の魚屋で手伝いをしているのですが、なにしろ男勝りで、さらしを巻いて胸の(ふくらみ)を隠して半纏を羽織って魚河岸で競りに参加し、おてんの目利きは良いと評判。そのおてんから九兵衛に縁談の申し込みが。いったいなにがあったのかと九兵衛の父親に聞くと、魚屋で法事があったのですが、おてんは結ってもらった髪が気に入らないと解いてしまったところ、法事に出席する予定だった九兵衛がおてんに合うように結ってあげて、ついでに眉も襟足も整えてあげると鏡をじっと見てしばらく口を利かなくなってしまったというのですが・・・という「赤い花」。
「あやめ供養」の町医者の奥様、美佐が亡くなった(事件)の下手人が挙がって(直次郎ではありませんでした)、その町医者、松浦桂庵が、犯人捜しに尽力してくれた伊三次にお礼がしたいといい、伊三次ははじめ遠慮しますが、九兵衛の髪結いに使う台箱をあつらえて欲しいとお願いします。するとその(道具開き)で一席設けてはどうかという話になって・・・という「赤のまんまに魚そえて」。
髪結いの伊三次と深川芸者のお文の夫婦のあいだには伊与太という息子がいてただいま絵師になるため師匠の家に住み込みで修業中。そんな伊与太、絵の勉強ということで街中でスケッチをしているのですが、神社の参道にある矢場(現在でいう射的のようなもの)の娘を描きます。するとその娘が表に出て来て・・・という表題作の「明日のことは知らず」。
伊三次とお文の家の女中の(おふさ)が、自分の住んでいる長屋に浪人の夫婦がいて、貧乏で年が越せるか心配だというのです。その浪人は主家がお取り潰しになってしまい今は長屋に住んでいるのですが、、伝手を頼ってあちこち仕官の頼み込みをしていて、妻は内職。その話を聞いた伊三次は何の気なしに町奉行の同心、不破の妻に話をしますが・・・という「やぶ柑子」。
伊三次は日本橋の大店の主のもとに出向いて髪結いに。すると主が、自分の持っている貸家に町医者が住んでいたのですがその町医者が死んでしまったので家の片づけをしていると正体不明のものがあったのでとりあえず持ち帰ってきた、というその正体不明のものを伊三次は見てみると・・・という「ヘイサラバサラ」。
冒頭のほうでも書きましたが、このシリーズもあと残りわずかです。なんとなくですが、もう作者がお亡くなりになってるという前情報があるせいでしょうか、話の全体的な流れが「人生なるようにしかならないさ」といった雰囲気といいますか、達観されてるような印象を受けたのですが、先入観のせいでしょうかね。と思ったら、ご本人のあとがき解説でこの本が出るちょっと前に大病なさったそうですね。