晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

宇江佐真理 『夜鳴きめし屋』

2022-03-10 | 日本人作家 あ

孔子先生のいうところの「惑わず」世代なのに戸惑いっぱなしのまま「天命を知る」世代が近づきつつあり、もともと高血圧気味でして、それまで欲望の赴くままに飲み食いしていたのを改めまして、ところが、あまりに気にし過ぎてしまい体脂肪率もコレステロール値も標準より低くなり、逆に免疫力や抵抗力が弱くなってしまっているという状態ではありますが、それでも塩分を控えるようには心がけています。成人男性の1日の食塩摂取量は8mg以下が望ましいとされていますが(国連機関WHOでは1日5mg以下が理想らしいですが)日本食の「ザ・定番」の朝ごはんの白米、味噌汁、お漬物、納豆(醤油)、焼き魚(塩鮭か魚の干物)なんて食べたらそれだけで8mg超えちゃうんじゃないですかね。

インスタントラーメンをたまに買うんですが、いつも買う前にパッケージの成分表の(食塩相当量)を見て、なるべく4mgかそれ以下のを買うようにしてます。まあほとんど4mg以上ですけどですね。7mgだの8mgだというのもざらにあります。

以上、塩と私。

さて、この作品はいちおう「ひょうたん」という作品の続編となっております。なぜ(いちおう)なのかといいますと、「ひょうたん」は本所・五間堀に面した北森下町にある古道具屋の「鳳来堂」の主の音松とその妻のお鈴の話。

冒頭、音松が亡くなって、親戚の質屋に奉公に行ってた息子の長五郎が家に戻って跡を継ぎますが古道具屋と質屋では勝手が違いたちまち経営不振、長五郎の母のお鈴が料理上手ということで居酒見世として店名はそのままで再スタート。が、五年ほどしてお鈴が亡くなり、長五郎が仕込みから接客までひとりでやることに。今では日が沈むころに店を開けて夜明けごろに店じまいという深夜営業スタイルに。いつしか鳳来堂は(夜鳴き蕎麦屋)ならぬ(夜鳴きめし屋)と呼ばれるように。

鳳来堂の近くにある大名家の中屋敷の家臣が来ます。ずっとツケで飲み食いしていたこの家臣に今までのツケの清算をお願いしたら逆ギレされ仲間が連れ帰りますが、あとで仲間の侍が「迷惑をかけた」といって自分のお金で家臣のツケ代の一部を払います。浦田角右衛門と名乗るこの侍は長五郎とこの見世が気に入って「これからも来させてもらう」といって、長五郎も浦田を気に入ります。

そんなこんなでもう店仕舞いしようかとした時、芸者の駒奴が「酒おくれ」といって入ってきます。ふと「湊屋の隠居が亡くなったよ」と教えてくれます。湊屋の隠居は向島の小さな家に(みさ吉)という若い芸者といっしょに住んでいました。向島の家には隠居とみさ吉とみさ吉が産んだ男の子が住んでいたそうですが、じつはその男の子は隠居とみさ吉との子ではないと判明し、みさ吉と息子は追い出され、みさ吉はふたたび芸者に。この話を聞いていた長五郎はひどく動揺します。ふたりは幼馴染みでお互い惹かれ合っていたのですが、十年ほど前のこと、芸者のみさ吉に身請け話が。奉公人だった長五郎に将来の約束などできません。結局みさ吉は身請けされることに。その前夜、ふたりは・・・という表題作の「夜鳴きめし屋」。

料理屋「かまくら」の主、友吉は長五郎と子どもの頃からの友人で鳳来堂の常連客。ですがここ最近「かまくら」についていい噂を聞きません。なんでも新しく来た板前が原因なのですが、友吉は板前に強く言えない事情があるようです。そんなこともありつつ、ある日、少年が飯食べさせてほしいと来ます。長松というこの少年は駒奴の仲良しの芸者の息子でいつも夕飯は外で食べているそうで、酒を出すので子どもにふさわしい場所ではありませんが、長五郎は店開きのすぐあとならいいよと請け合います。翌日、長松は友人を連れてやってきますがその惣助という友人はみさ吉の息子で・・・という「五間堀の雨」。

丈助という若い鳶の男が見世によく顔を出します。丈助は深川に住んでいて近所ではないのですが、工事の仕事でしばらく親類の家に厄介になっていて、夕飯(と酒)は鳳来堂で、ということ。この丈助、尋常じゃないほどの地元愛で、口を開けば深川最高ビバ深川。そんな丈助にも恋人がいてひと悶着・・・という「深川贔屓」。

鳳来堂によく顔を出す魚の棒手振りが「鰯を大量に仕入れたはいいが余ってしまったので買い取ってくれ」と泣き疲れて大量の鰯を買う羽目に。煮つけにしてもまだまだあって、練り物の作り方を教わって、何度か失敗して試行錯誤の末、それなりの出来に。それはそうと、長松は幇間の修行に出ることが決まりますが、惣助はなんと長五郎が奉公に行っていた質屋に奉公に。これはたんなる偶然なのか、それともみさ吉が長五郎に対して何かあるのか・・・という「鰯三昧」。

鳳来堂の常連の侍、浦田によくない噂が。なんでも吉原通いをしていて、小見世の遊女を身請けしようかどうか悩んでいるという話らしいのです。長五郎は以前、浦田から国許にいる妻の話を聞いていて、浦田は奥さんに会いたいんだろうなあと思っていたのでビックリ。惣助が奉公に行ってる質屋に顔を出した帰りに浅草を歩いていると吉原帰りの浦田にばったり出会います。すると浦田は「ここで会ったことは他言無用に」というではありませんか。長五郎は思わず「このことが浦田様の御屋敷で広まると厄介ですよ。それより御国許の奥様が」というと浦田の目に涙が・・・という「秋の花」。

長五郎が仕入れから帰ってくると見世の前に惣助が立っています。奉公先からお裾分けを持ってきたそうで、中に入れて茶を出すと、質屋の若お内儀は長五郎の父の音松と惣助はよく似てるとよく話すそうで、惣助はもしかして長五郎が自分の父親なのではないかと思っています。ところが長五郎はどうしていいかわからず完全否定。それから次の日、質屋の手代がやって来て「惣助が戻ってこない」というので、みさ吉のところへ行ってみると・・・という「鐘が鳴る」。

主人公の長五郎は料理好きでもなくちゃんと修行をしたわけでもなく、あと食い道楽でもない、つまり「あまりやる気がない」ので、飲食店がメインの舞台の話ですから料理のシーンは多く出てきますが「わあ美味しそう」とはあまりなりませんが、酒や料理をきっかけに繰り広げられる人間模様がいいですね。

江戸時代の食事スタイルは「少ないおかずで米をたくさん食う」が主流でして、つまり梅干しも漬物も魚の干物も味噌も現代のものよりも塩分がかなり多めでだいぶしょっぱかったそうですね。冷蔵庫なんてなかったので日持ちさせる(腐敗防止)ためなのですが、塩分過多でタンパク質の摂取は少ないわけですから栄養バランスは良くないです。時代小説ではよく「ご隠居が中風(脳卒中)になって・・・」とあるように生活習慣病も多かったんでしょう。


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