晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

阿部龍太郎 『下天を謀る』

2020-09-06 | 日本人作家 あ
ここんところ、投稿の頻度が落ちています。先月は2回のみで、今月に入ってようやく1回目。まあ暑くて本を読む気にならんというのが大きい理由ではありますが、個人的に生活環境がまたまたガラリと変わりまして、ようやく慣れてきたかなと。もっと慣れてくれば趣味の読書の時間も取りやすくなるのかなとは思います。

さて、阿部龍太郎さん。初めて読みました。

この作品の主人公は藤堂高虎。戦国時代の武将です。歴史の教科書のメインストリートにはあまり登場してきませんが、そのメインストリートで大活躍してきた人物たちからはとても重宝されました。

歴史好きな人の一部からは「主君をコロコロ替える世渡り上手なヤツ」といったイメージが強く、じっさいに浅井家、織田家、豊臣家、徳川家と仕えてきたので、史実上でいえば間違いはないのですが、たとえば戦国時代でいえば負ける方、幕末でいえば新選組といった「滅びの美学」がお好きな方からすればけしからんヤツなんでしょう。
ですが、ある有名なサッカーの監督が言った「強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ」という言葉の通り、または地球に誕生した生命の生存競争しかり、ロマンだの美学だのは置いといてまずは生き残ろうぜという話でいうと、藤堂高虎という人物は現代でいうとどんどんキャリアアップしていくビジネスマンで、終身雇用が当たり前だった時代では理解しにくかったのではないでしょうか。
ここで大事なのは、主君が変わっていく中、戦国時代にはありがちな「裏切り」が無かったということ。いくら下克上だの肉親でも殺し合うだのいってても、やっぱり卑怯というのはダメですね。

対戦型のボードゲームといえば、和だと将棋で洋だとチェス。基本的には両方とも相手の大将(キング)を取ったら勝ち、なのですが、違うのは、将棋は相手方の駒を自分の味方として使えること。こういう発想は「ゲームだから」ではなく、戦国時代でも普通にあったそうです。

きちんとした史料に基づいての人物一代記ですので、ストーリーをここで説明するのもあれですから、面白かった部分を抜粋。
加藤清正、池田輝政とは仲が良かったそうです。特に清正とはたんなる戦友だけではありませんでした。
豊臣家家臣の時代、聚楽第に家康のための屋敷を作ることになりますが、設計上おかしい部分を変更します。それを家康に指摘されると「そのまま作ったら主(秀長)のミス、ひいては関白様(秀吉)の評判を落とすことになりますので自分の一存で変更しました」といって、家康はこの行為に感心したそうです。
「槍の勘兵衛」こと渡辺勘兵衛は高虎にも一時期仕えていたそうです。

そして、なんといっても、家康が息を引き取る直前、枕元に呼び寄せて「来世ではいっしょにいられないのが残念だ(家康は天台宗、高虎は日蓮宗)」と家康が言うと、その場で改宗して「来世でも仕えさせていただきます」というと家康はにっこり笑って感謝し「ただし、すぐに追っかけてきてはならぬ。わしの年までは生きろ」といいます。そして、高虎が亡くなったのは14年後のこと、家康と同じ享年75。

とにかく家康から重宝されて、秀忠にとっては恩師、親代わりといっていい存在で、他の家臣からすればやっかみもあったでしょうし、だからこそ幕末に伊勢津藩が官軍側についたときは「さすが藤堂藩、藩祖の教えを守り抜いている」という皮肉も出たのでしょう。

歴史を語るときにはどうしても指揮官目線になるのは仕方のない事ですが、じっさいはほとんどの人は仕える側ですので、そう考えると、高虎の生き方をそうかんたんに皮肉ったり否定はできないと思うのです。

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