晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

池波正太郎 『剣客群像』

2017-12-23 | 日本人作家 あ
この作品は短編集です。書かれた時期は、直木賞を受賞した
昭和35年から「鬼平」連載開始の翌年、昭和44年まで。
他の文庫本のあとがき解説にあったのですが、この頃の池波
さんというのは「佳作は多く発表していたがいまいちパッと
しなかった」そうでして、池波さんがなにかで「短編はめん
どくさいけど小説を書くテクニックを磨くために必要」と書
かれていたように、のちに(時代小説の第一人者)となるま
での、いわばトレーニング時期だったのではないかと思います。

というのも、この作品の全部ではありませんが、のちに発表
される作品の(元ネタ)といいますか、のオンパレード。

「秘伝」は、江戸城近くで「日本無双の剣士」と看板を立て、
(小熊)という男が座っています。じっさい面白半分で勝負を
挑んだ者はこてんぱんに打ち負かされます。するとその噂を
聞きつけたある剣士が「それがし、根岸兎角の門人で・・・」
と名乗るや小熊は「待っていたぞ」と言います。
かつて兎角と小熊は同じ師のもとで修業していたのですが、師
が亡くなり、兎角は師の持っていた秘伝の巻物を持って消え・・・

「妙音記」では、結婚相手は自分より強い男でなければ嫌、と
いう女武芸者(佐々木留伊)が出てきます。まあこの人物は
言わずもがな、ですね。ストーリーは「まんぞくまんぞく」の
元アイデアとなっています。

「かわうそ平内」は、「剣客商売」の秋山小兵衛と大治郎親子
の流派(無外流)の創始者で、辻平内、のちに月丹と名乗りま
すが、この人のお話。(かわうそ)というのは平内の見た目。
で、この平内の門人が(辻喜摩太)となって、その跡継ぎが
小兵衛の師匠で、のちに大治郎も学ぶこととなる辻平右衛門。
平内はかの堀部安兵衛に(高田馬場の決闘)直前にアドバイス
をしたとか・・・

「柔術師弟記」では、関口流柔術の関口氏業(うじなり)が、
愛弟子が他流試合と称して道場破りをしていることに怒り・・・
これはのちの「黒白」の元ネタですね。

「弓の源八」は、松江藩の家臣、子松源八という弓術の名手
が、兄の逮捕、投獄により家が取り潰しとなって、農村に
引っ越します。そこで引き籠り生活をしていましたが、ある
村の女性と仲良くなり、さらに得意の弓で強盗退治をし・・・

「寛政女武道」に登場するのは、こちらも(剣客商売)でお
なじみの浅草、元鳥越町に奥山念流の道場を構える牛堀九万
之助。ここに(お久)という女中が住み込みでいるのですが、
なんと根岸流という手裏剣術の名手を父に持つ者だったので
す、とくれば杉原秀さんですね。

「ごろんぼ左之助」は、のちの新選組、原田左之助の話。
現在の愛媛県出身で、(ごろんぼ)とはこの地域の方言で
「ごろつき、ならず者」という意味で、つまり少年時代の
左之助はそうだったのですが、それが江戸に出て近藤勇と
出会い、近藤がのちに「おれも真剣だったらたいていの者
には負けないが、原田には斬られるな・・・」と言わしめる
ほどになり・・・

「ごめんよ」は、のちの「その男」の元アイデア。ただし
名前は「その男」は虎之助、こちらは熊之助。明治になって
虎之助は床屋になりますが、熊之助は人力車の車夫になり、
初代総理大臣を乗せることになった熊之助は・・・

今でこそこれを読んで「うわー佐々木三冬の元ネタだー」
とか、「牛堀九万之助だー杉原秀だー辻平内だー」などと
のちの作品を知っているのでけっこう興奮したのですが、
もし発売された当時にこれを読んだらどう思ったのでしょう。

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