「これから〇〇を始めようと思います」という宣言を周囲の友人になりネットになり公表すると「言った手前やるしかなくなる」といった感じで自分を追い込むのもそれはそれでいいのですが、やはり一番かっこいいのは「不言実行」。もちろん「いついつまでに目標達成する!」といってその途中経過をブログやSNSで報告していくのは楽しいですけどね。と書き込んでいる最中にそういえば10年ほど前に「20キロ減量!」とSNSに投稿してたことを思い出しました。ちなみに現在の体重はそれからさらに10キロ減ってます。
年齢いくと痩せたら心配されますよね。
さて、池波正太郎さん。主人公は幡随院長兵衛。「お若えの、お待ちなせえやし」ですね。まさにタイトルの「侠客」の日本版元祖といわれていますが、そもそも侠客とはなんぞやと思い、こころみに調べてみますと「中国において義侠心を持って人の窮境を救う武力集団」とあり、いわゆる賭場や香具師の元締めとその配下、軒下三寸借りて「お控えなすって、手前生国とはっしますところ・・・」といった(やくざ)とは本来の意味は違います。
大和郡山・本多家家臣の奉公人、二十歳の塚本伊太郎は、ある使いの帰りに侍同士の斬り合いを見かけます。なんとそのひとりが伊太郎の父、塚本伊織だったのです。助けに加わりますが、父は斬られ、最期に「か、ら、つ・・・」と言い残して息絶えます。この争いを止めようと父を襲った相手を追い払ったのが、水野百助という侍。
塚本伊織は、もとは九州は唐津十二万石の大名、寺沢志摩守の家来で、伊太郎が五歳のときに藩から逃げて父子と塚本家の家来の三人で流浪の旅に出ます。途中で家来と別れ父子は江戸に。伊織は「八百屋・久兵衛」の離れに住み、伊太郎は大名家の奉公人になります。父の最期の言葉が気になるところですが水野百助は使いの途中だった伊太郎にとりあえず用を済ませてこいといい、伊織の遺体はおれに任せておけと引き受けます。
この水野百助、三千石の大身旗本、水野出雲守成貞の長男で、二十九歳。伊太郎が八百屋久兵衛に着くと百助に礼を言い、「おれに手伝えることがあったらいつでも屋敷に来てくれ」と言い残して帰ります。
塚本伊織の葬式は上野の幡随院新知恩寺で行われ、葬式の後、和尚が伊太郎に今後のことを聞くと浪人になって父の敵討ちをすると宣言。さっそく五年前に旅の途中で別れた塩田半平を探しに大坂へ行くことにします。しかし途中、伊太郎は侍に襲われて斬られます。それを助けてくれたのが旅の老人で山脇宗右衛門と娘のお金。宗右衛門は江戸で「人いれ宿」という現在でいう人材派遣・職業斡旋を営んでいます。
宗右衛門は伊太郎の話を聞いて、権兵衛という若者を大坂に向かわせますが、その時、半平は何者かに襲われ、大坂から逃げ江戸へ向かいます。権兵衛は大坂に着きますが半平が逃げたと知って急いで宗右衛門のもとへ戻り、伊太郎もいっしょに江戸に戻ります。そして半平が江戸に着くのですが何者かに殺されます。
それから数年後、塚本伊織と伊太郎殺害の命を受けていた辻十郎が斬られます。そこに「何をしてる」と通りかかったのが水野十郎左衛門。百助が家督を継いで名を改めたのです。瀕死の辻十郎を助け家に連れて行って十郎から伊太郎の父伊織を暗殺した理由を聞き、それが唐津藩の現当主の寺沢兵庫守からの命令だと知った伊太郎は兵庫守を敵討ちしようと・・・
この作品は文庫で読みまして、だいだいここまでで下巻の真ん中あたり。で、伊太郎は山脇宗右衛門の娘のお金と結婚して人いれ宿の後を継ぐことに。伊太郎は名前を捨ててまったく別の人間になろうと幡随院の和尚に相談し、長兵衛という名前をもらいます。そして世間から「幡随院長兵衛」と呼ばれることに。
しかし、運命とは残酷なもので、長兵衛はどんどん頭角を現し「町奴」と呼ばれるようになります。一方、戦も絶えて平和な時代になり、武士は官僚となりつつあるこの当時、父や祖父のように武士の本分である戦場を駆け回ることのない一部の旗本の孫や子世代にとってはフラストレーションがたまる一方で、町で乱暴狼藉をします。そんな彼らは「旗本奴」と呼ばれるようになり、その頭目が水野十郎左衛門。
町奴と旗本奴はたびたび衝突して、とうとう双方が我慢の限界に達しようとなってしまい、十郎左衛門は長兵衛と話し合いをすることに・・・
歌舞伎や講談は「より面白く」するために史実を脚色したりするわけですが、この作品でも歌舞伎や講談のストーリー的に不自然な部分の辻褄を合わせるようになっています。以前読んだフレデリック・フォーサイスの「オペラ座の怪人」の続編「マンハッタンの怪人」でも、「オペラ座の怪人」の不自然な部分の辻褄を合わせています。
もともと侠客や仁義や義侠心といった「弱きをたすけ強きをくじく」が、いつから「強きをたすけ弱きをくじく」になっちゃったんでしょうかね。
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