晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

井上靖 『額田女王』

2022-08-08 | 日本人作家 あ

先月は1回しか投稿できませんでした。といいますのも、大学のレポートをまとめて作成していまして、寝る前にちょっとでも読みかけの本でも読もうとするのですが、脳が疲れてるんでしょうね、本を読む気力がなくてそのまま寝落ち。

そんな言い訳はさておき。ここ最近、卵焼きにハマってます。といいますのも、この前、職場の方から卵かけご飯専用のお醤油をお土産でいただいたんですね。卵かけご飯はもちろんなんですが、釜玉うどんにかけてもおいしかったですし、他になにか使えないかしらと思っていたところ、そうだ卵焼きはどうだろうということで、卵2個に対して卵かけご飯専用のお醤油大さじ1に味醂大さじ1で作ってみたらこれが美味しいのなんの。朝ごはんのときに焼いて4等分にして食べたら美味しくて仕事のお弁当に持っていこうと思い2切れだけ食べて残りをお弁当に。お弁当に卵焼きが入ってると嬉しいですよね。こんなんでQOL高いと感じることができるんですから安上がりです。

 

さて、井上靖さん。この前読んだのはモンゴルのチンギス・カン。そして今作は額田女王。(がくでんじょおう)ではありません。(ぬかたのおおきみ)と読みます。絶世の美女だったという説がありますが、見た人がいるわけではありませんし、写真もないので今となっては「きっとそうだったんだろう」と思うより他ないのですが、それ以前に生年も出生地も定かではありません。そうなってくるといよいよ実在性が疑わしくもなってきますが、万葉集に歌が収められていますので、いたことはいたのでしょう。

冒頭、大化6(西暦650)年に長門の国司が白い雉を朝廷に献上しに来たところからはじまります。これは良い知らせだということで、元号を「白雉(はくち、びゃくち)」に改めます。現在では改元は新天皇の即位によってですが、昔は世の中的に悪い空気をリセットするといったもので、江戸時代なんて改元のオンパレードでしたからね。

この年から5年前、何があったかというと、あるクーデターが起きます。皇極4(645)年、中大兄皇子と中臣鎌足が当時イケイケで権勢を誇っていた蘇我入鹿を大極殿で暗殺します。その翌日、入鹿の父、蘇我蝦夷が自害します。これが昔の日本史では「大化の改新」、現在では「乙巳の変」ですね。クーデターじたいを「大化の改新」といってるわけではなく、その後の一連の政治改革を指します。余談ですが、教科書にある、有名な大化の改新の絵巻ってありますよね。あの蘇我入鹿の首がぴょーんて飛んでるやつ。実はあれ、だいぶ後世になって書かれたもので、なぜなら絵巻というのは平安時代以降になってできたもので、つまりそれより以前の装束はわからなかったのです。だからあの絵の登場人物は描かれた時点で一番古い情報だった平安貴族の装束なんだとか。

それはさておき、中大兄皇子の弟、大海人皇子が件の白い雉を見ていると、そこに美しいと噂の額田女王がやって来ます。額田女王は神事に奉仕をする女官、いわゆる「巫女」のようなことをしていて、神の声を聞いて天皇に代わって歌を詠むという特殊な職業。それから2年、もう大海人皇子はいてもたってもいられなくなり、ある祭儀の夜、額田女王に声をかけますが、近くに別な人物の気配が。一方、額田女王のほうも、ふたりの男が近くにいた事はわかっていたのですが、名前を読んだ声の主は大海人皇子として、もうひとりは誰だったかわかりません。

その翌年の2月、額田女王のもとに、大海人皇子から梅見の宴の誘いをうけます。なにしろ皇太子の弟君からの正式な招待なので断るわけにはいきません。そこに、額田女王の姉の鏡女王がやって来て、衝撃的なことを告げます。なんと中大兄皇子が額田女王を所望しているとの噂があるというのです。そこで、あの夜、大海人皇子ともうひとりの人物はひょっとして中大兄皇子だったのでは、と考えるように。

梅見の宴の日。誘われた場所につくと宴は行われてないばかりか梅もありません。そこにいた大海人皇子に「帰ります」というと「じつは近くに梅が満開の場所がある」といって連れて行かれて・・・

それから半年くらい経って、額田女王の体の変化が誰の眼にも明らかになってきます。そうこうしているうちに額田女王は宮仕えを退きます。老女官がそれとなくお腹の子のパパは誰か訪ねますが、額田女王は「わたしのほうでお訊きしたいくらいです」とすっとぼけます。姉の鏡女王が訪ねてきたときも、姉はてっきり相手は大海人皇子と思ってたのですが「あの夜、梅の花に包まれた夢を見て、それから体がこの様になった」と意味不明な発言。さすがに姉は妹がとうとうアレになっちゃったと嘆きます。

大海人皇子はこの知らせを聞いて、本人に会いますが「お腹の子のお父さんは精霊、梅の花の精ですわオホホホホ」と言われても信じるわけにはいかず「俺の子だ」「どうして信じてくれないの」「俺の子だ」「いいえ、神の・・・」と言い合い。そのうち頭にきた大海人皇子は「じゃあ俺の子じゃないってことはお前ひょっとして他の男と」とサイテー発言。それを聞いた額田女王も「ああそう考えるの。だったら●ぬわ●ねばいいんでしょ」と、こいつはヤバイことになったということで大海人皇子は「はい、お相手は神の精霊です」と認めます。

白雉4年春、額田女王は女の子を産みます。のちの十市皇女です。周囲の人は女の子のパパは絶対にアノ人と思ってますがそれを口に出すことは出来ません。しかし、いつまでも「この子のパパは神の精霊」というわけにもいかず、いつの間にか世間も「まあ大海人皇子でしょ」と、いわば公認のようになってしまい、十市皇女は大海人皇子の側近の女官に引き取られることに。

ちょうどその頃、遣唐使の話題が都で持ち切りに。そんなこんなでゴタゴタしていると、とうとう中大兄皇子から「嫁に来ないか僕のところへ」と正式に誘われます。

海の向こうでは新羅と唐の連合軍が百済と高句麗に戦を仕掛けるというニュースが飛び込んできて・・・

まあ、額田女王が天智天皇(中大兄皇子)と天武天皇(大海人皇子)ふたりに寵愛されたというのは飛鳥ロマンスとして有名ですが、確たる証拠はじつはありません。この兄弟の不仲の原因は額田女王だったんじゃないかという説もあるのですが、この小説では河合奈保子の「けんかをやめて」みたいなそこまで露骨には描かれていません。で、天智天皇が病気になったときに大海人皇子が出家して吉野に行って、天智天皇が崩じてのちに第一皇子の大友皇子が天皇に即位しようとしたら吉野にいた大海人皇子が挙兵して大和と戦になった「壬申の乱」が起こります。結果、大海人皇子が勝って天武天皇に・・・というのが、いちおう史実となっていて、それに則って物語は進行していきますが、壬申の乱が終わって数年後にはあらゆる文献記録から額田女王に関する記述は消えます。臣籍降下したとかいろいろ説はあります。

ところで、日本が百済の味方について唐と新羅の連合軍と対戦して壊滅した「白村江の戦い」ですが、超大国の唐にケンカを売ったわけですから「ガチでヤバイ」と国防に力を入れます。さらに全国的な戸籍制度を確立させて徴兵や納税に漏れがないようにします。結局のところ、唐は日本に攻めてこなかったわけですが、その理由というのが、高句麗と百済に勝った新羅が朝鮮半島の支配をすることになったのですが、のちに新羅と唐が揉めて戦となって、日本を攻めるどころじゃなくなったのです。まあじっさいのところ、唐(その前の隋の時代から)と日本の付き合いは古いしいろいろメリットもあるし、海の向こうの島国にわざわざ出かけて戦をする理由もこれといって無かったのでしょう。ところがこれが大和朝廷が日本全国隅から隅まで支配をする足掛かりとなったわけでして、朝鮮半島のゴタゴタが日本にとってプラスに働くということが「朝鮮特需」の1,000年以上も昔にもあったんですね。

額田女王の歌はこういう状況で作られた(もちろん井上靖さんの創作ですが)というのがとても興味深かったですね。物語の合間合間に歌が挿入されていて、いわば文字で表現するミュージカルといいますか。


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