ロゴス古書

 年年歳歳 花相似たり
 歳歳年年 人同じからず 

種山ケ原の夜

2007年05月24日 | 文学
 宮澤賢治研究会の例会で、
研究会の会長である外山氏が
劇「種山ケ原の夜」と花巻方言の現在 ー付・「永訣の朝」ー
と題して、ご講演のようだ。

 ホームペイジの案内によると
「今現在残されたテキストを元に、
この方言劇を再現しようと思った時に、
それがほとんど不可能なことに気づかされるのである。」と。
「また同時に方言の知識なしに、
これらを読みこなすことも至難の技である。」と云うことだ。

 そして「今回、文字で表した方言を実際の音声に復元出来ないと
思われる例を紹介する」ということです。
おおいに期待できるので是非多くの参加者に
呼びかけたい。

 さて 「種山ケ原の夜」の最初に出てくる会話に
天気と虹についての会話が出てくる。

 胆沢町史の民俗編2に、俗信 天文気象が記されている
東の虹は晴
朝虹は雨
朝虹にはミノつけよ
朝虹に船越すな、朝虹なれば橋を渡るな
朝虹に川越えするな
夕虹は鎌を研げ、夕虹は天気

朝焼けは雨
朝焼けと姑のケタケタ笑いは油断するな
朝霧は風か雨
朝霜は晴れ
川霜が出ると雨になる
朝露の多い時は晴れる
 等々

この民俗編には、方言が一章設けられている。

 昭和のはじめ頃までの、南部藩と伊達藩の
方言が、賢治さんはこの作品のなかで
どう使いわけていたのか、そのへんまで
お話されて欲しいものだ。
 興味は尽きない題材である。

検討

2007年05月24日 | 随想・日記
 有る著者から先日贈呈された本に、
宗教者についてお書きになられている
次のようなところに、
興味をおぼえた。
 「・・・先師の思索と信仰と霊的な体験を通して
 確信されたこと・・・・」云々と云う所だ。
私の知っている宗教者の方に
 「霊的体験はありましたか」と問いましたなら
「そんなことは無いし、信じてもいない。」
とのことであった。
 そこの寺院には「仏像や仏堂を厳かに飾ることや、
天蓋・・ おもてには幢幡を」ことあるごとに
飾るのである。

 宗教的体験はなくとも、そのことを
信じられない宗教者には、
法然や親鸞をどのように解釈されているか
いささか考えさせられるところだ。

 大角 修著
日本人の死者の書 - 往生要集の<あの世>と<この世>
NHk 出版     生活人新書

 お薦めの本です