宮澤賢治の童話作品は、底の底のもっと深いところで、少年時の想いを華麗に惹き起こさせてくれる。
「毒もみのすきな署長さん」もその一つだった。
次のような作品です。
四つの谷川が、カラコロ山の氷河から出、
プハラの国に入り、プハラの町で一つの大きな川となる。
川には魚がいる。
この国の林野取締法 第一条は火薬で鳥を捕ること、
毒もみをして魚を捕ることを禁止。
毒もみとは山椒の皮をむいて乾かして、
臼でついて粉末にして、南京袋等に入れ
魚の居そうなところでもみ出すことだと床屋のリキチ。
ある夏、この町に新しい警察署長が就任。
赤ひげ、銀の入れ歯で川獺(かわうそ)に似た
金モールのついた赤いマントを着て毎日町を巡視。
細かいところに気のつく、やさしい署長だった。
そのうち、子供たちの間に署長の夜の行動が問題になる。
沼の岸に署長が三、四人と隠れていたとか、
山椒の皮の粉のところで署長が変な人と交渉していたとか、
その他。
それらの噂に町長はたまりかねて、
警察に行って署長を訪問する。
署長は自分が犯人だと名乗り死刑となる。
死ぬ前に署長は「面白かった。(中略)
こんどは、地獄で毒もみをやるかな」といい、
みんなは感服する。
-概略は、續橋氏によるものー(一部変えています)
小生の尊敬しています「イーハトーブ・ガーデン」で
「サンショウ」が採り上げられていました。
拝見していて、消去にチエックを入れたつもりでしたが、
ミスでつい 書き込みをしてしまいました。
後ではどうにもなりませんでした。
それにつきまして、ここでニ・三釈明をしたいと思います。
賢治の童話については皆さんよくお読みでしょうから、この場では省略いたしますが、ただこの作品「毒もみのすきな署長さん」の評価は様々のようです。
ちくま文庫版「宮澤賢治全集」(6)に載っている 天澤退二郎氏の解説でも、「ヘンテコなお話、というのが大方の読者の第一印象ではあるまいか。」とされております。
また 賢治童話に造詣の深かった續橋氏は、「エキゾチックな雰囲気の中に、地方生活の一端をユーモラスに捉えている作品」と評価を為さっておられます。
ところでわたくしは、この作品の評価についてはさておいて、
いつも山椒に出合いますと、複雑な思出を感じるのです。
この「毒みみ」のことが思い出されるからです。
子供の頃のわたくしの家近くに『古川』という沼が有りました。
私の家が沼に一番近かったせいも有りましたが、
ここの沼で、工兵隊員が手榴弾での「ハッパ演習」をやって、魚を捕るのです。
桜には、工兵隊の兵舎がありました。
「ハッパ」を行なって工兵隊が引き上げた後には、
小魚が沢山死んで、浮いていました。
「ハッパ」の音を聴いた人々が来て
浮いている残された魚をを拾って素早く帰りましたが、
「沼」には台風が来て、北上川が氾濫をおこさないうちは、
魚がまったく居なくなるのです。
私等の「サンショウ毒もみ」は、警察に見つからないように、
茂みのある小川でやるのです。
豊澤橋を渡ってから東側に行った所に、現在は桜ですが、
町が一望できる高台に、佐藤院長先生の豪邸が有りました。
この崖下には清水が流れていて、この小川等は、
サンショウでの魚とりはもってこいのところでした。
楽しいものでしたが、「見つかると
ショッピカレルゾ」と云われてもいました。
童話のなかに書かれている
「火薬を使って鳥をとってはなりません
毒もみをして魚をとってはなりません」
山椒の(毒)もみは、魚は苦しがって「エップ カップ」
人間でいいますと溺れる状態です。
小川では、どんどん効き目のある刺激成分が薄まって、
魚は素早く取りませんと、どんどん逃げられてしまいました。
毒もみも、「火薬」の使用での生き物を取ることも、
環境破壊です。絶対の権力者・軍隊が、「沼」での行いは、
賢治先生は「渋い顔をしていた」と
「沼」のほとりの田で働いていた人の声もありました。
現在、環境破壊を止める活動が叫ばれていますが、
この作品には、ユーモアをまじえて教えた「環境芸術」者
賢治を彷彿とさせられるのです。
私にとっては色々と反省と教わる事の多い
印象深い作品です。
「毒もみのすきな署長さん」もその一つだった。
次のような作品です。
四つの谷川が、カラコロ山の氷河から出、
プハラの国に入り、プハラの町で一つの大きな川となる。
川には魚がいる。
この国の林野取締法 第一条は火薬で鳥を捕ること、
毒もみをして魚を捕ることを禁止。
毒もみとは山椒の皮をむいて乾かして、
臼でついて粉末にして、南京袋等に入れ
魚の居そうなところでもみ出すことだと床屋のリキチ。
ある夏、この町に新しい警察署長が就任。
赤ひげ、銀の入れ歯で川獺(かわうそ)に似た
金モールのついた赤いマントを着て毎日町を巡視。
細かいところに気のつく、やさしい署長だった。
そのうち、子供たちの間に署長の夜の行動が問題になる。
沼の岸に署長が三、四人と隠れていたとか、
山椒の皮の粉のところで署長が変な人と交渉していたとか、
その他。
それらの噂に町長はたまりかねて、
警察に行って署長を訪問する。
署長は自分が犯人だと名乗り死刑となる。
死ぬ前に署長は「面白かった。(中略)
こんどは、地獄で毒もみをやるかな」といい、
みんなは感服する。
-概略は、續橋氏によるものー(一部変えています)
小生の尊敬しています「イーハトーブ・ガーデン」で
「サンショウ」が採り上げられていました。
拝見していて、消去にチエックを入れたつもりでしたが、
ミスでつい 書き込みをしてしまいました。
後ではどうにもなりませんでした。
それにつきまして、ここでニ・三釈明をしたいと思います。
賢治の童話については皆さんよくお読みでしょうから、この場では省略いたしますが、ただこの作品「毒もみのすきな署長さん」の評価は様々のようです。
ちくま文庫版「宮澤賢治全集」(6)に載っている 天澤退二郎氏の解説でも、「ヘンテコなお話、というのが大方の読者の第一印象ではあるまいか。」とされております。
また 賢治童話に造詣の深かった續橋氏は、「エキゾチックな雰囲気の中に、地方生活の一端をユーモラスに捉えている作品」と評価を為さっておられます。
ところでわたくしは、この作品の評価についてはさておいて、
いつも山椒に出合いますと、複雑な思出を感じるのです。
この「毒みみ」のことが思い出されるからです。
子供の頃のわたくしの家近くに『古川』という沼が有りました。
私の家が沼に一番近かったせいも有りましたが、
ここの沼で、工兵隊員が手榴弾での「ハッパ演習」をやって、魚を捕るのです。
桜には、工兵隊の兵舎がありました。
「ハッパ」を行なって工兵隊が引き上げた後には、
小魚が沢山死んで、浮いていました。
「ハッパ」の音を聴いた人々が来て
浮いている残された魚をを拾って素早く帰りましたが、
「沼」には台風が来て、北上川が氾濫をおこさないうちは、
魚がまったく居なくなるのです。
私等の「サンショウ毒もみ」は、警察に見つからないように、
茂みのある小川でやるのです。
豊澤橋を渡ってから東側に行った所に、現在は桜ですが、
町が一望できる高台に、佐藤院長先生の豪邸が有りました。
この崖下には清水が流れていて、この小川等は、
サンショウでの魚とりはもってこいのところでした。
楽しいものでしたが、「見つかると
ショッピカレルゾ」と云われてもいました。
童話のなかに書かれている
「火薬を使って鳥をとってはなりません
毒もみをして魚をとってはなりません」
山椒の(毒)もみは、魚は苦しがって「エップ カップ」
人間でいいますと溺れる状態です。
小川では、どんどん効き目のある刺激成分が薄まって、
魚は素早く取りませんと、どんどん逃げられてしまいました。
毒もみも、「火薬」の使用での生き物を取ることも、
環境破壊です。絶対の権力者・軍隊が、「沼」での行いは、
賢治先生は「渋い顔をしていた」と
「沼」のほとりの田で働いていた人の声もありました。
現在、環境破壊を止める活動が叫ばれていますが、
この作品には、ユーモアをまじえて教えた「環境芸術」者
賢治を彷彿とさせられるのです。
私にとっては色々と反省と教わる事の多い
印象深い作品です。