ロゴス古書

 年年歳歳 花相似たり
 歳歳年年 人同じからず 

美の宗教

2013年01月15日 | 随想・日記

 

 「山荘の高村光太郎」の「高村光太郎の思い出ー懐かしい先生ー」(75頁)に

  私が山口で先生と御一緒に暮らしたのは、昭和二十年の十月から、昭和二十二年の三月までであります。

と記されている。「コスモス協会」が出来たのは二十三年の暮れか二十四年の初めころだったのかもしれないが、その頃からわたくしは佐藤勝治氏を「勝治さん」と呼んでいた。いや正確に言うと「かっんちゃん・かっちゃん」と訛って呼んでいた。いやいや「つ」の小文字には濁点が付いていたかも知れない。佐藤名が多かったからでもある。というわけで、ここでは失礼ではあるが佐藤勝治氏を勝治さんと記すことをお許し願いたい。 

 勝治さんが盛岡にお店を出されて、長男のお子さんがお生まれになったころである。「お手伝いさんが欲しいが、心当たりがないか」との事。中学を卒業したばかりの農家の女の子を紹介したが、はたして役にたったのか私は知らない。その子にもまた勝治さんにも聞く機会を逸した。

 勝治さんは何時の頃からかはわたくしは知らないが、姉崎正治の「法華経の行者日蓮」や「美の宗教」(博文館)を読まれていた。「美は芸術にも、詩にも歴史にも、人の心にも、善の行にも、又聖者の一生にも見える。美を愛する愛が真の無私の愛である」(美と宗教60P)と彼は深く心に抱いていた。著書「山荘の高村光太郎」はそのような本であるとわたくしには思える。

 つづく