ロゴス古書

 年年歳歳 花相似たり
 歳歳年年 人同じからず 

賢治とチランチン

2010年05月30日 | 自然科学

 

 

 花巻農学校教諭時代の宮沢賢治に、花巻の米穀肥料商 八重樫次郎の依頼によって以下のような実験報告書が提出されているのがあります。

 

  「水稲苗代期ニ於ルチランチンノ肥効実験報告

 大正十四年本校試作地ニ於ケルチランチンノ水稲苗代期ニ対スル肥効実験ノ成績左ノ如シ

 一、チランチン使用区ハ対照不使用区ニ比シ種籾腐敗少ナシ

 二、チランチン使用区ハ対照不使用区ニ比シ発育一般ニ旺盛ナリ

 備考 一、更ニ水耕法ニヨリテ定量的試験ヲ行ヒ右結果ヲ確定スベシ

     二、右耕種概要左ノ如シ

         供用品種 陸羽一三二号

         撰種 比重一・一三塩水撰

         浸種 四月十一日ヨリ同十六日ニ至ル

         チランチン使用期日 四月十七日

         芽出シ 四月十七日ヨリ同廿日ニ至ル

         播種期 四月廿一日

         播種量 一歩五合

         肥料 一歩宛窒素十二匁 燐酸十匁 加里九匁 原肥

         管理 初メ廿日間水掛引

  大正十四年六月十三日

                     花巻農学校  

                           宮沢賢治

 八重樫次郎殿

 

 

 「チランチン」には以前から気になっていたのですが、これに関連して以下のような記事がありました。興味深く読みましたので、少し長いのですがコピーでご覧戴きたい。

 

 農薬掲示板の「農薬ニュース議論レス【3】より 

488 : 零細農薬卸    2007/08/28(火) 09:10:11  
新聞記事文庫 農産物(2-053)
大阪毎日新聞 1925.6.1(大正14)

 
薬を用うると野菜は四割の増収

水菜の如きは八割五分増

チランチンの実地試験

--------------------------------------------------------------------------------

限りある土地から、より以上の農作物を収穫することの出来る化学薬品「チランチン」がドイツで発明されてわが国でも現に大阪府下三島郡春日村下穂積で実地に試験している。
本山本社長は三十一日同薬品販売会社々長小田氏等に案内されて視察した
チランチンに種子をひたし、陰ぼしにして後、播種すると、種子についているバイキンを殺菌し適度の刺激を与えて発芽機能を促進し作物のねばりをよくし、
茎を丈夫にし、発育に要する栄養分を充分に吸収せしむるので馬鈴薯などは肌が美しく肉質がちみつになり、大根の如きもヂヤスターゼを多分に含んで甘味が多くなって、
同農場及び農務省農事試験場九州支場等の実験成績では田畑一反歩につき米は二割、裸麦は四割二分、甜瓜一割四分、体菜四割九分、
トマト四割二分、南瓜四割五分、里芋二割五分、ホーレン草六割四部、水菜八割五分、蔬菜類は平均四割以上、稲麦作で二割以上の増収となつている
この薬が発明されたのは欧洲大戦中で発明心に燃ゆるドイツ魂がついにリービッヒ博士をして発明せしむるに至ったのである。
以上は神戸大学図書館の資料です。
同時代、宮沢賢治が この剤の試験を小売店の依頼で実施している事が
宮沢賢治記念館のパネルで紹介されております。
彼は石灰による土壌改良にも取組んでおりました。というより
石灰のセールスマンもやっておりました。広義では業界の先輩でございます。 

  

 

 校本全集の校異に 「〈前略〉 チランチンは、当時、ドイツから輸入された種籾等植物種子の消毒剤である。後、毒性が強いため販売中止になった。〈以下略〉」 と説明されています。賢治のこの依頼報告書は、他の在学時提出論等に比してあまり関心をひかれない感があります。

 当時の状況は、コピーでお読み頂いたように概略が解りますが、もう少し具体的な面を見てみたいと思います。

 依頼した八重樫氏は、写真のような宣伝用パンフレットをおそらく見たのでしょう。

    広告サイズ 195×270

     つづく


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。