夢夢散歩♪

るみです。
自然の写真を中心に、日々の出来事を綴ります。

達磨寺(奈良県北葛城郡王寺町)

2024年10月17日 |     (近畿)
前回書いた雪丸ロードを歩いて到着したのが達磨寺(だるまじ)です。
達磨寺は聖徳太子と達磨大師が出会った場所で、達磨大師のお墓とされる古墳があります。



達磨大師はインド出身で、中国に初めて禅を伝えた僧です。
日本書紀によると、ある冬の日に聖徳太子は飢えた人が倒れているのを見つけました。
名前を聞きましたが返事はありません。
太子は飲み物や食べ物、衣服を与えましたが、飢人は亡くなってしまいました。
聖徳太子はとても悲しみ、その場所に飢人を葬りお墓を造りました。
数日後、太子は「あの飢人は凡人ではない。きっと聖だろう。」と言って様子を見に行かせました。
すると、遺体はなく太子の衣服だけが棺の上に畳んで置いてありました。
この飢人が達磨大師の化身と考えられるようになり、達磨寺は生まれました。

飢人をなぜ達磨大師と考えるようになったのか。
仏教の輪廻転生の考えが関係していて、聖徳太子は中国の僧 慧思(えし)の生まれ変わりだという話が奈良時代末期の文献にみられるそうです。
慧思は天台宗を開いた智顗(ちぎ)の師で、慧思に日本への生まれ変わりを勧めたのが達磨大師だったそうです。
その二人が日本で再会したと解釈されたのでしょうか。


達磨大師のお墓とされる古墳の上に、本堂が建っています。
現本堂の建替えの時に、本堂の地下にあった石室からこれが見つかりました。
・宝篋印塔(ほうきょういんとう…仏塔の一種)
・合子(ごうし…蓋つきの小さな容器)
・水晶で造られた五輪塔形舎利容器
・仏舎利


水晶製五輪塔形舎利容器はとっても小さい容器です。
よくこんな小さい五輪塔を美しく作れたものですね。
こんなに小さいのに、ちゃんと蓋が取れて、その中にさらに小さな仏舎利がおさめられていました。



達磨寺にはご本尊として、聖徳太子像と達磨大師像が安置されました。
その後、千手観音も並んで祀られるようになったとのことです。

木造聖徳太子座像(鎌倉時代作)


木造達磨座像(室町時代作)


木造千手観音座像(室町時代作)
もとは500手あったと考えられていますが、今は392手あるそうです。


湯呑も達磨でした。


さてさて、忘れていけないのが雪丸くん。
雪丸の石像がありました。


雪丸は聖徳太子が飼っていた犬です。
人の言葉がわかり、お経を読み、亡くなるときには「自分を達磨墳の丑寅(北東)に葬るように」と遺言したのだとか。
石像は今は南西の位置にありますが、もともとは本堂北東にある古墳のところにあったそうです
その古墳が雪丸のお墓と考えられています。


江戸時代のガイドブック「大和名所図会」にも達磨寺が載っていて、境内に狛塚と書かれた雪丸のような絵が描かれています。
昔から人気があったのかな?
絵馬も雪丸。


ボランティアガイドさんも雪丸。


ちなみに達磨寺のホームページのタイトルバーにも雪丸。



達磨寺にはその他に戦国武将の松永久秀のお墓があります。
織田信長軍の攻撃を受けて信貴山城で平蜘蛛の茶釜とともに爆死したとも伝わる久秀ですが、その亡骸をこの地に葬ったといわれています。


達磨寺の山門です。


あっ、ここにも留蓋瓦が。
以前法隆寺に行った時にも、鬼瓦の横にありました。
屋根の四隅に置かれ、雨水が入るのを防いだり、風で飛ばされないようにするためのものだそうです。


達磨寺にはボランティアガイドさんがいて、詳しく説明してくださいます。
まずはガイドさんの説明を聞きながら境内を回り、その後ゆっくりともう一回りしました。
こんな可愛い雪丸シールをいただきましたよ~


今回は長文になってしまいました。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
最後はもちろん雪丸で。












王寺駅直結の商業施設りーべる王寺にある雪丸カフェ ポエムでシフォンケーキを食べました。


お皿には雪丸。
本当は雪丸の顔をしたケーキ「ゆきま~る」を食べたかったのですが、売り切れ…
達磨寺に行く前に見たときはあったのに。
やっぱり先に食べとかないといけませんね。
この雪丸カフェ ポエムは見晴らしがよくてゆっくりできました。


次行く時は、ゆきま~るを食べてから観光したいと思います。

雪丸くん、ドローンにもなってます。
全編実写で、ほのぼのとした動画です。
聖徳太子と達磨大師も出てきますので、探してみてくださいね。


空飛ぶゆるキャラ“雪丸ドローン”が聖徳太子ゆかりの地を空中散歩
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コメント (6)
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