日曜日に神戸市の須磨へ行ってきました。
須磨浦公園に源平史蹟「戦の濱」の碑があります。
1184年2月7日、義経らが平家を奇襲し、平家軍の多くが討ち死にしたと伝わる一の谷の戦い。
ここ一の谷から西一帯の海岸は、源平合戦の一の谷の戦いの激戦地になった場所です。
碑の前にはJRの線路があり、その向こうには海が見えます。
毎年2月7日の夜明けには、松風と波音のなかに軍馬の嘶く声が聞こえたとも伝えられるそうです。
山陽電車の須磨浦公園駅からすぐの所に、敦盛塚があります。
平敦盛は清盛の甥で、笛の名手として知られていました。
一の谷の戦いで源氏の武将 熊谷直実に討たれ、16歳で命を落としました。
直実は自分の子供と同じ年頃の敦盛を討ったことで、戦の世の無常を悟り仏門に入ったといいます。
この敦盛塚は胴塚と呼ばれ、首塚は須磨寺に建てられています。
敦盛塚のすぐ後ろには、山陽電車が走っています。
この日は電車も撮ってきました。
戦の碑のすぐ前にはJRが走っており、そこで撮ってきました。
なくなるといわれている青い電車
加古川行きの普通電車
貨物列車もたくさん走っていました。
手前の青い電車は何かなぁ。
一番手前の線路を走る電車は大迫力でした。
帰りは山陽電車で大阪へ帰りました。
源平合戦ゆかりの須磨寺へも行きましたので、それはまた次回に。
須磨浦公園に源平史蹟「戦の濱」の碑があります。
1184年2月7日、義経らが平家を奇襲し、平家軍の多くが討ち死にしたと伝わる一の谷の戦い。
ここ一の谷から西一帯の海岸は、源平合戦の一の谷の戦いの激戦地になった場所です。
碑の前にはJRの線路があり、その向こうには海が見えます。
毎年2月7日の夜明けには、松風と波音のなかに軍馬の嘶く声が聞こえたとも伝えられるそうです。
山陽電車の須磨浦公園駅からすぐの所に、敦盛塚があります。
平敦盛は清盛の甥で、笛の名手として知られていました。
一の谷の戦いで源氏の武将 熊谷直実に討たれ、16歳で命を落としました。
直実は自分の子供と同じ年頃の敦盛を討ったことで、戦の世の無常を悟り仏門に入ったといいます。
この敦盛塚は胴塚と呼ばれ、首塚は須磨寺に建てられています。
敦盛塚のすぐ後ろには、山陽電車が走っています。
この日は電車も撮ってきました。
戦の碑のすぐ前にはJRが走っており、そこで撮ってきました。
なくなるといわれている青い電車
加古川行きの普通電車
貨物列車もたくさん走っていました。
手前の青い電車は何かなぁ。
一番手前の線路を走る電車は大迫力でした。
帰りは山陽電車で大阪へ帰りました。
源平合戦ゆかりの須磨寺へも行きましたので、それはまた次回に。
スーパーはくとなんですね。
まだまだ詳しくなくて、いろんな列車に乗ってみたいと思ってます。
手前の青いやつは、スーパーはくとですね。