南アルプス連峰と甲斐駒ヶ岳(写真中央)
全国には「駒ヶ岳」と名が付く山が20座以上あるそうです。その中で最も標高が高いのが南アルプス連峰の“甲斐駒ヶ岳”(2,967m)です。
今回は、甲斐駒ヶ岳の麓に鎮座する甲斐駒ヶ嶽神社とその門前巨石の紹介です。
甲斐駒ヶ嶽神社へは、国道20号線沿いにある「道の駅はくしゅう」の角から4キロほど西に入った“白州尾白の森・名水公園べるが”の更に奥にある尾白川渓谷沿いに鎮座しています。
市営駐車場から更に奥の尾白川沿いに続く杉木立の林道を暫く歩くと突然現れる巨石
特に謂れなどの案内板は見当たりませんでしたがWEB検索してもこの巨石群を紹介されているサイトは、みつかりませんでした。
いい感じに苔生された巨石
奥の窟屋状に組まれた巨石とその手前に階段状に石垣が見られます。
かつてここで、何かしら祭祀が執り行われていたのではないかと推測しています。
キャンプ場のある辺りまで暫くこのような巨石群が連なっています。
また、このような碑が巨石の上にたくさん建てられています。
鬱蒼と茂る杉の木立の中に鳥居が建っています。俗界と神域との境界を最も感じられる場所です。
刀利天狗 以前乙事諏訪神社でも見かけました。
荒瀧不動明王
甲斐駒ヶ嶽神社は、古くから修験のメッカでもあります。今でも講社が残り駒ケ岳詣をされているそうです。
小玉社内に安置されていた像二体 縁結び・安産の神として崇敬されています。
拝殿 背後にそびえる甲斐駒ヶ岳自体が信仰の対象となっていますので、本殿はありませんが神社側では、ここを前宮本殿と呼んでいます。
甲斐駒ヶ岳山頂には奥宮が鎮座しています。
祭祀:大己貴神・ 少彦名神・ 天手力男神
由緒:甲斐駒ケ岳は富士山とともに古代より人々が畏敬の念を抱き信仰の対象としてきた霊山です。
往古、聖徳太子に献上された天津速駒(あまつはやこま)という白馬がこの山で生まれたのに因んで「駒ケ岳」と称されるようになったと伝えられています。海抜2,966m この嶮岨な霊峰は、江戸時代の文化年間に信州(長野県)の人、今右エ門の次男、権三郎〔後の弘幡行者(こうばんぎょうじゃ)・開山威力不動明王〕によって開かれました。
その甲斐駒の登山口にあたるこの地に里宮として建立されたのが「駒ケ岳神社」であります。
往古、聖徳太子に献上された天津速駒(あまつはやこま)という白馬がこの山で生まれたのに因んで「駒ケ岳」と称されるようになったと伝えられています。海抜2,966m この嶮岨な霊峰は、江戸時代の文化年間に信州(長野県)の人、今右エ門の次男、権三郎〔後の弘幡行者(こうばんぎょうじゃ)・開山威力不動明王〕によって開かれました。
その甲斐駒の登山口にあたるこの地に里宮として建立されたのが「駒ケ岳神社」であります。
平成15年の現在からさかのぼること約280年余り前になります。
世間一般に「だいこくさま」とよばれ尊崇されている大己貴神(おおなむちのかみ・大国主神)を主祭神とし、少彦名神、天手力男神等、七柱の神々が祀られています。
祭日は本来4月12日ですが、近年は諸般の事情により〔4月10日から16日の間の日曜日〕と定めて祭典を行っています。当日は太々神楽が奉奏され、氏子、崇敬者、講社の参拝で賑わいます。
地元はもとより京浜方面、或いは阪神地区にまでも駒ケ岳講が結成され、広く厚く信仰をあつめて今日に及んでおります。(神社由緒より)
世間一般に「だいこくさま」とよばれ尊崇されている大己貴神(おおなむちのかみ・大国主神)を主祭神とし、少彦名神、天手力男神等、七柱の神々が祀られています。
祭日は本来4月12日ですが、近年は諸般の事情により〔4月10日から16日の間の日曜日〕と定めて祭典を行っています。当日は太々神楽が奉奏され、氏子、崇敬者、講社の参拝で賑わいます。
地元はもとより京浜方面、或いは阪神地区にまでも駒ケ岳講が結成され、広く厚く信仰をあつめて今日に及んでおります。(神社由緒より)
神楽殿
摩利支天社前宮 奥宮は、山頂南東に祀られています。
黒白(こくびゃく)龍神宮 龍神を祀っています。商売繁盛、運気隆盛に御神徳があります。
名水神社 滝自体をお祀りしてます。
本来は燭台ですが…。自分もたぶんやってしまうことでしょう。
更に奥へは、甲斐駒ヶ岳への尾白川渓谷登山口 へと続く吊橋があります。
尾白川 山麓に広がる“白州”の地名の由来は字名「白須」からと伝えていますが、白須地区は釜無川と尾白川の合流する扇状地にありますが山肌から削られた花崗岩が白砂となって運ばれて来てまさに「白い洲」となったと考えた方が尤もらしく思えますが如何でしょうか?
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